断章 遥か遠き残響(6)
行く手を遮る亡霊どもを蹴散らし、ヘキサは蒼穹の騎士に肉薄。地面を削る大剣を渾身の力で振り上げた。
紅の残影を中空に描く肉厚の刀身が、バルフレアの横っ面に叩き込まれる。金属甲冑の表面で眩いエフェクトが弾けた。
死角からの一撃に、蒼穹の騎士の巨体が横に傾き、狙いが逸れた剣がリグレットの髪先を削り地面を穿つ。火花が散り、風圧が彼女の黒髪を舞い上がらせた。
「ヘキサくん!?」
靡く長髪が顔に掛かるのも気にせず、リグレットは驚きの声を洩らす。垂れ下がる細剣が音を鳴らす。剣を握る左腕は、度重なる衝撃で痺れて小刻みに震えていた。
大剣を旋回させ、黒髪の少女の前に躍り出る。熱風の効果範囲に踏み入ったことで、じりじりと減少しはじめた自身のHPバーを横目に、ヘキサは身の丈ほどの剣を下段に構えた。
片膝をついたバルフレアが怠慢な動作で起き上がる。甲冑の隙間から青い炎を噴かせ、怒りの咆哮をフロアに轟かせた。
「そいつを連れて後退しろッ」
「で、でも……!」
「早くしろ! そいつを死なせたいのか!?」
全身に叩きつけられる衝撃に、ヘキサは顔を顰めながら声を張り上げる。心臓が早鐘の如く打つ。ピリピリと肌を焼く熱風が、彼の集中力を極限まで高める。
「……わかった。すぐに戻ってくるから!」
黒髪の少女はその細腕に見合わぬ怪力を発揮すると、片腕で地面に倒れ伏す手甲使いを引き摺り、後退していく。
その小柄な身体に目掛けて、バルフレアが大上段に掲げた剣を振り下ろし――直後、甲高い金属音が木霊した。
「お前の相手は僕だ……ッ」
鉄塊じみた巨大な剣を頭上で受け止め、ヘキサは歯を食いしばった。大剣にかかる圧力に、膝をつきそうになるのを懸命に堪える。噛み合う金属が不快な軋み音を奏でた。
途方もない膂力だった。戦闘開始時よりも明らかに力が増している。おそらくHPの残量によって、能力値が変動する類のモンスターなのだろうが、特殊能力といいこいつをデザインした開発者はよほど底意地が悪いようだ。
否、開発者に罪はない。彼らは純粋にゲームを面白くしようと、趣向を凝らしたにすぎない。罪があるとすればそれは、世界が変革したあの日、空から堕ちてきた無慈悲な声。現在の状況を生み出した存在に他ならない。
視界に表示されたリグレットと手甲使いのHP減少が止まった。どうやら無事に後退できたようだ。徐々に回復しだした彼女たちのHPバーにほっと安堵して、バルフレアから注意が逸れたときだった。大剣の負荷が唐突に消えた。
しまった――と、思う余裕もあればこそ。条件反射的に振り上げた剣が、青い炎を纏わせた刀身を寸前のところで受け止めた。
息を吐く間もない怒涛の連続攻撃が、致死量の殺気を乗せてヘキサに襲い掛かった。相手の剣に意識を集中させて、降り注ぐ剣を弾くが、一撃が重く防ぐのが精一杯だった。
反撃の糸口が見つからない。亡霊の軍勢を突破したプレイヤーの剣にも、飛び交う属性を付加した矢や魔法には目もくれず、愚直なまでに剣を振り続けるバルフレア。
ときおり肌をかすめる剣先に背筋が凍る。熱風による継続ダメージと相まって、彼のHPバーは早くも半分を割り込んでいた。
このままではマズい。いずれ限界が訪れる。防戦一方の展開に焦燥が湧き、その焦りが致命的な隙を生んでしまった。防御し損ねた刀身がヘキサを直撃した。表示されているバーが急降下し、HPが危険域に突入する。
視界の端に蒼穹の騎士が刀身を翻すのが見えたが、さきほどの一撃で体勢を崩したヘキサは、迎撃する余裕も手段もなかった。
眼前に青い炎を帯びた大剣が迫り――突如として、わき腹に重たい衝撃が走り、視線が横にブレた。水平に移動する視界に一瞬、黒い少女と白い少年が映った。
リグレットとデュオだ。いつの間にか急接近していたデュオがヘキサを蹴り飛ばし、同時にその反動を利用して、空中で身体を器用に捻った。
反転するデュオのすぐ脇を青い残影が通過する。大剣が石の床に喰い込み、同時にHPを回復させたリグレットが飛び込んできた。
「――ハアッ!」
バルフレアのがら空きの胴体を、必殺の突きが貫いた。白光の剣が金属の甲冑を穿ち、大きくHPを削った。
がくっと減少するHPバーを視界に納めて、直後ヘキサは地面に叩きつけられた。硬い地面をごろごろと転がりようやく止まる。肌を焦がす熱が消え去り、HPもおよそ二割を残して停止していた。
「痛っ。……本気で蹴ったな」
文句を言いながらも身体を起こし、ポーチからポーションを取り出すと、中身の赤い液体を一気に飲み干した。緩やかに回復するHPバーの先で、尚も激しい戦闘が繰り広げられている。
幾重にも重なる破壊音がフロアに響き渡る。お互い息の合ったコンビネーションで、蒼穹の騎士を翻弄する白と黒の剣士。その周囲では絶えず無数の色彩が乱舞し、世界を苛烈に彩色する。それは悲しくなるほど美しく、見る者を魅了してやまない。
恐怖はあった。逃げ出せるものなら逃げ出したいとも思う。だが、それすら圧倒する強い感情が、心臓の鼓動と共に脈動している。
「デュオ、リグレット!」
HPが九割まで回復した段階で、ヘキサは再び熱風領域に踏み込んだ。甲高い剣戟に負けぬ大声で、彼は衝動を吐き出した。
「あいつをブッ倒すぞッ!」
返答はない。その必要もなかった。ただ無心になり剣を振るい続ける。目まぐるしく立ち位置が変わり、踊るようにステップを刻む。何故か口元には笑みが浮かんでいた。いままで感じたことのない一体感。命を削る衝撃すら心地いい。
そうしてどれくらいの時間が経過しただろうか。体感時間は曖昧だ。十分にも一時間にも感じられた死闘の果て――ついに、バルフレアはその活動を停止させた。
ゼロになったHPバーが消滅した。群がる亡霊が次々に四散する。蒼穹の騎士の両腕から、両刃の大剣が零れ落ち、地面を叩くよりも早く砕け散った。鉛色の巨体がふらりと揺れ、爆ぜる甲冑から青い炎を撒き散らし、バルフレアは粉々に爆散した。
「は――あ――」
どさりと身体が崩れ落ちる。ヘキサは地面に大の字になると、大きく胸を上下させた。肉体的にも精神的にも限界だった。チカチカと瞬く自身のHPバーを見つめつつ、はあはあと荒い息を吐く。プレイヤーの歓喜の叫びが、津波のように耳朶を揺さぶる。
500層の主が消滅したことで、フロアを覆っていた力場も消滅したようだ。喜びを爆発させるプレイヤーの間を、魔法使いたちが行き交い回復魔法を詠唱している。
「やった! やったよ、デュオッ!」
「ああ。俺たちの勝ちだ」
目のふちに涙を湛えて、黒髪の少女は白髪の少年に抱きつき、その胸元に顔を埋めた。デュオが目の前の黒い髪を優しく梳くと、彼女は擽ったそうに目を細めた。
ヘキサがその光景をぼんやりと見つめていると、その視線に気がついたリグレットが、デュオを突き飛ばすようにして身体を離した。
コホン、と咳払いをひとつ。黒髪の少女はヘキサに近づくと、「使って」とコルク栓を抜いたポーションを差し出した。
「ありがとう」
彼は疲労で重たく感じる身体をなんとか起こし、小瓶に口をつけた。喉元を過ぎる清涼感に、ようやく生き残った実感が湧く。
「助けられちゃった。ありがとう……ヘキサくん」
「別に。当然のことをしたまでだよ。その……仲間だから」
柔らかく微笑むリグレットから顔を逸らし、気恥ずかしさから憮然と言い放つ。紆余曲折はあったものの、彼女の手助けができた。それを口にするのは無理そうだが、それだけでもボス討伐に参加した甲斐があった。犠牲者が出てしまったのは無念だが、いまは彼女の無事を素直に喜びたい。
「それとはじめて私のこと、名前で呼んでくれたね」
「……そうだったっけ?」
「そうだよ」
そうかもしれない、と口の中でつぶやく。確かに思い返してみても、彼女を名前で呼んだ記憶はなかった。いまとなっては何故かもわからない。大方、つまらない意地でも張っていたのだろう。
平静を装う少年の横顔を、少女は暖かい笑みで見つめている。なんだかそれが悔しくて、どうにか彼女を驚かせたいと思った。
「ねえ。こんなときになんだけど。あの話ってまだ有効?」
だからだろうか。彼の口からそんな言葉が洩れたのは。
「あの話って、いつの?」
「……ギルドに入らないかって話だよ」
聞き返す彼女に、ヘキサは意地の悪い笑みを浮かべた。驚きの表情になったリグレットは、それって、と前置きし、
「私たちのギルドに入ってくれるってこと?」
「まあ、見てのとおり、役に立てるかわからないけど……僕でよければ、リグレットのギルドに入れてくれないかな? ――って、おわっ!?」
「ヘキサくんッ!」
感極まったリグレットがヘキサに飛びつく。身体が柔らかな感触に包まれ、彼女の肢体から体温が伝わってくる。首元を撫でる吐息に、少年は完全に硬直してしまった。
ぎゅっと抱きついてくる黒髪の少女に、言葉を発することもできずに固まっていると、背後から足音と苦笑が聞こえてきた。
「おいおい。そんな馬鹿力で抱きついたら、ヘキサが窒息しちまうぞ。早く放してやれよ」
「もう! 誰が馬鹿力よッ」
副リーダーの揶揄に顔を赤らめ、リグレットは凍りつくヘキサから身体を離した。
「あれれ。どうかしたの?」
「な、なんでもない」
頬が熱い。真っ赤になっているであろう顔を見られたくなくて、ヘキサを視線を床に落とした。そんな彼の様子に不思議がりながらも、リグレットは両手を広げて、新たな仲間を声高らかに歓迎した。
「――ようこそ。≪星の銀貨≫ヘッ!」