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Re:Talk  作者: 祐樹
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第六章 選択肢(2)

「ここが私の家よ。どうぞ。遠慮しないで入って」

「お、おじゃまします」


 二階建てのアパートの一階右端。正面から見て一番奥が彩音の部屋だった。彼女に促されるままに友哉は、ぎこちない挙動で室内に踏み入り――六畳一間のワンルームの天井付近を横切る紐で、無造作に干してあった下着に硬直した。

 硬直しながらも咄嗟に目を閉じた自分を褒めてやりたい友哉だったが、彼の網膜には色とりどりの下着がしっかりと焼き付いてしまっていた。しかも鼻腔を仄かに甘い香りがくすぐり、なにか駄目になりそうだった。


「……どうかした?」


 ドアに鍵をかけた彩音は、入り口で固まっている少年に訊ねる。彼はきつく目を閉じたまま、切実な口調で家主に訴えた。


「てん、て、てんてんじょ。うえ、えに……い、いろいろ、あ……ある、よ?」


 なにを言っているのか解読不能もいいところだったが、幸い彼女は彼の言いたいことを察してくれたようだ。頭上に干してある下着を一瞥すると、素っ気なく言う。


「ああ――まだ乾いてないの。気にしないで」


 無理ス。勘弁してください。身体を後ろに捻り、懇願に近い涙目で見つめられて、彩音は小さくため息をついた。身を屈めて固まる友哉の脇を通り抜け、洗濯物を取り込み出す。布の擦れる音に友哉は息も絶え絶えに、ことが無事に済むのを祈らずにはいられなかった。

 やがて物音が止み、彩音の「終わったわ」という一言に、恐々と目を開いた。吊るされていた下着が片付いているのを確認すると、靴を脱ぎ捨てて地雷原を歩く兵士みたいな足取りで進む。


「ここに座っていて。お茶を入れてくるから」

「……お構いなく。ホント、なんなら水道水でもいいから」


 部屋の真ん中に置かれたテーブルの前に座った友哉は、げっそりとした様子で答えた。凄まじく疲れた。現実にHP表示があるのならば、いまの自分のHPは赤く点滅しているのではなかろうか。

 そのままぐったりと右頬をテーブルに張りつかせていると、目の前に湯気を立てるお茶が差し出された。ありがとう、と言い受け取る。火傷しないように口で吹いて冷ましつつ、お茶を喉に流し込む。喉を下る熱い感触にようやく一息吐いた気がして、友哉は改めて室内を見回した。

 簡素な部屋だった。タンスに机。テレビとパソコン。ベットの脇にはヘッドギアとファンシーの本体である黒い筐体が無造作に置かれている。他にはなにもない。友哉の偏見かもしれないが、女の子の部屋もっとこう小奇麗な雑貨が溢れ返っているイメージがあったのだが。


「――友哉は」


 彩音の声に視線を前に戻す。テーブルを挟んで向かい側に座る彼女が静かに言った。


「友哉は自身が置かれた状況に対して、どこまで認識しているのかしら?」


 そう問われ黙考した友哉だったが、驚くほど事態の推移が呑み込めていない自分に呆れてしまった。友哉が知っている情報は少ない。ファンシー。霧。モンスター。リアライズ。それだけだ。断片的な単語だけで、いくら思案しても他の情報はなにも出てこない。

 仕方なく素直にそれを口にする友哉。すると≪英雄譚委員会≫の代表たる彼女は意外なことを言った。


「やっぱり私たちが知っていることと大差ないようね。……さっきも言ったけど、私たちがヒューリから与えられた知識は極限られたモノに過ぎないの。それも上辺だけで核心については、なにひとつ知らされていないのが現状よ。霧が出現するからモンスターが現れるのか。モンスターが現れるところに霧が出現するのか。それすら私たちには判らない」


 霧と共に現れるモンスター。彼らのみに与えられた異能。仮想と現実――ただのゲームであるはずのファンシーが何故、局所的にとはいえ現実を上書きしてしまうのか。そもそも本当にファンシーが一連の出来事に関与しているのか。ヒューリに問うても彼は黙して語らないと、彩音は黒い筐体を横目にしながら言った。


「私が≪英雄譚委員会≫の代表を務めているのも、ヒューリに見いだされた最初の一人だった――それだけの理由だもの」


 その言葉にふと、彼女がリアライズに目覚めたきっかけに興味が湧いた友哉だったが、衝動のままにそれを口にしようとして、危ういところで呑み込んだ。

 それは気軽に訊ねるようなことではない気がしたのだ。少なくとも友哉自身は思い出したくもなかった。蜥蜴男との死闘を思い起こし、幻痛に脇腹を押さえる。まあ、いつか機会も訪れるだろうと思い直し、代わりのことを訊いてみることにした。


「どうして美杉はヒューリの手伝いを? 断ろうと思えば断れたんでしょ」

「――それが世界の謎に至る道だと思ったからよ」


 世界の謎? と鸚鵡返しに問うてくる少年に彼女は言った。


「そう。世界の謎――その真実に辿り着くには、彼に協力するのが一番だと思ったの」


 しかし、その真実に知っている――ないし近いと思われる――ヒューリが、それを語ることがないと言ったのは彩音ではなかったのか。


「確かにヒューリはなにも言わない」


 友哉の表情の変化からなにを言いたいのか察したのか、彩音の怜悧な美貌に熱が宿った。黒い双眸には固い意志が称えられている。


「でも、他に方法がないのも確か。例えどんなに困難でも私は必ず真実を掴んで見せる。何故ならこの世界は――」


 と、そこで彼女は唐突に言葉を切った。そして頭を振ると何事もなかったかのように口を開いた。


「……もっとも、≪英雄譚委員会≫のメンバーでそう考えているのは私だけでしょうけど。目的は同じでも動機は各々で違うから」

「ギルドには何人いるの?」


 彼女が途中で切った言葉が気になる友哉だったが、あえて突っ込むような真似はしなかった。言い止めたということは、いまは聞き返しても無駄だということなのだろう。


「私を含めて六人。友哉が七人目になるわ。主な任務は、ときより出現するモンスターの駆除。運悪く目撃者がいた場合の対応もすることになっている」


 目撃者。その言葉に背筋が粟立った。確かに言われてみればその通りだ。友哉は運良く現実での戦闘中の姿を誰にも見られずに済んだが、今後もそうである保障はない。夜の公園や高校の校庭ならともかく、繁華街のど真ん中で霧が出現でもしたらパニックは避けられない。


「もしも目撃者がいたらどうするの? ……まさかとは思うけど……その……く、口封じ……とか……?」

「違う。その場合は目撃したヒトの記憶を消すの。本人にとってもそのほうが幸せでしょ?」

「記憶を消すって……そんなことも出来るんだ」


 目撃者の扱いにほっとしたが、なんでもありな状況に呻いてしまう。いかに自分が日常生活から逸脱しているか、再認識させられた気分だった。


「それにモンスターは夜。それも人気のないところにしか現れないそうよ。理由や理屈はない。『そういうモノ』だってヒューリは言っていたわ」


 友哉がモンスターに遭遇したのも夜だけだった。偶然かと思っていたのだが、そういう仕組みになっていたとは。だが、『そういうモノ』というところにある種のご都合を感じるのは自分だけだろうか。我ながらよくこんなデタラメな頼みを引き受けたものだ。それは彼女たちにも言えることではあるのだが。


「……僕もそうだけどよくモンスター退治なんてする気になったよね。報酬が貰えるワケでもないのにさ」

「報酬ならあるわよ」

「……え? 嘘。本当に?」


 予想外の言葉に声を洩らす友哉に、彩音は頷くと言った。


「自分の携帯を開いてみて。……開いたら0を十回選択して、通話ボタンを押してくれるかしら」


 ポケットから携帯を取り出すと、彩音に言われた通りに携帯を操作して、切り替わったディスプレイに目を見開いた。

 そこには見たことのない画面が表示されていた。黒い背景に白い文字で最上部には、樋口友哉/ヘキサと自分の現実と仮想での名前が表記され、その下には『450』と数字が記載されている。明らかに通常の携帯には搭載されていない機能だ。

 画面の下段には『得点一覧』・『交換品』というふたつの項目がある。友哉は携帯を操作すると『得点一覧』にカーソルを合わせて決定ボタンを押した。

 切り替わった画面には、彼もよく知るモンスターの名前一覧が表示された。ずらりと並ぶモンスターの名前の横には、それぞれ異なった数字が割り当てられている。


「その中から友哉が現実で倒したことのあるモンスターを選択してみてくれる」


 その言葉に友哉は画面を下方にスクロールさせた。カーソルが止まる。表示されたモンスターの名前はオーク。その横の数字は『10』とある。選択すると画面が変わり、そこには24匹と簡素な文字で表記されていた。友哉は直感的にそれが、自分が現実で倒したオークの数だと悟った。

 画面を最初に戻し、自分の名前が記されたトップを再表示させる。今度はカーソルを『得点一覧』から『交換品』に移すと決定。表示された画面には無数のアイテム名。一般的なアイテムからレアアイテムまで種類別に記述され、やはりその横にはそれぞれ数字が割り当てられていた。アイテムを選択することで詳細画面に移行するようだ。

 表示されたアイテムの中には、ファンシー内で凄まじい高値で取り引きされているモノや、友哉もまだ知らないアイテムもいくつもあった。傾向としてそういうアイテムほど、割り当ての数字が高くなっているようだ。

 そこで彼にもこれがなんなのか、わかったような気がした。面を上げると彩音と視線が合った。彼女は友哉の視線に頷くと言った。


「もうわかったと思うけど……それが『報酬』よ。モンスターの種類と強さに応じて割り振られたポイントを貯めて、そのポイントと『景品』を交換する仕組みになっているわ。当然レア度の高いアイテムほど交換に必要なポイントも多くなる。最上位のアイテムと交換しようとしたら、どれくらいの時間と労力が必要なのかしらね」


 そういえば電話のときにヒューリが、ポイントがどうとか言っていた気がする。

 驚いたことにアイテム一覧には、幻想武器と思われるモノまで含まれている。むろん、要求されるポイントも桁違いではあるが。

 幻想武器すら景品だという事実に、友哉は呆れたような感心したような複雑な表情でディスプレイを見た。なるほど。確かにこれなら多少の危険と引き換えにしてでも、モンスター討伐に参加するワケだ。『ファンシー中毒』であればあるほど、現金よりもさぞ魅力的に目に映るのだろう。ゲーマの心理を見事に突いた報酬だった。

 しかし、これは仮想ではない。現実なのだ。ファンシーとは違い死んでも復活するなんて、便利なシステムはない。本当に死んでしまうかもしれない危険性を『多少』と括ってしまってもいいのか。まるで目隠しのまま綱渡りをしているかのように。その危険性を自覚出来ていないだけではないのか。そんな思いに囚われた友哉は身を震わせた。


「……美杉もなにか欲しいモノが?」

「私? さあ、どうかしら。私の目的は世界の謎を解くことだし。正直、景品には余り興味がないの。貯めといて損はないから、使い道はそれから考えるわ。友哉は?」

「僕も保留かな。そもそもポイントだってまだ全然だからね。美杉と一緒で、ある程度堪ってから考えるよ」

「それがいいわ。焦る必要はないんだし。なんだったら、ギルドの皆に話を聞いてみるのもいいかも」

「――あー、それなんだけどさ」


 そこで友哉は『自分が≪英雄譚委員会≫に加入するのが前提』で話している彩音に待ったをかけた。頬を指先で掻きながら言いづらそうに言葉を重ねる。


「≪英雄譚委員会≫に入る入らないは、もう少し待ってもらってもいいかな?」

「なにか問題でも? それとも友哉がマンイータだから、ギルドに加入出来ないとでもいうの?」


 彩音もファンシーにおける、マンイータの様々な噂を耳にしているのだろう。そう問うてくる彼女に、友哉は首を横に振った。確かにそれもある。だが、それだけではない。


「ちょっと先約があってさ。まずはそっちに返答しなくちゃならないことがあるんだ」

「大事な先約なの?」

「うん」


 即答だった。彼にしては珍しく躊躇すらなかった。それだけ彼にとっては重い先約だったのだ。


「知り合いにギルドを作ってみないかって言われてるんだ」

「それは友哉がってこと?」


 純粋に疑問に思ったのか。小首を傾げる栗色髪の少女に、人喰いと呼ばれる少年は苦笑いを浮かべて言った。


「そう。僕が、だよ。……やっぱりおかしいかな?」

「それは友哉自身が決めること。私が口を出すことではないわ」


 まったくもってその通りだった。こればかりは他人に判断を委ねてもいいことではない。自分が自分の意志で決めなくはならないのだ。そうでなければ意味がない。他人任せの答えにどれほどの価値があるというのか。


「けれども――友哉がそれを望むのなら、そうすべきだと思う。答えを躊躇うってことは、少なからず興味があるのでしょ」


 あるのだろう――か? 多分、ある。あるはずだ。あると思う。だからこそ答えに迷っているのだ。興味がなければ迷うはずがない。断って終わりだ。迷うこと事態が好奇心の証とも言える。

 しかし、だとするならば樋口友哉はギルド作成のどこに惹かれたのか。面倒ばかりだというのに。なにを好きこのんで、ギルドを結成しようなどと思い至ったのか。

 そんなモノは決まっている。言われたからだ。恩人である黒髪の少女に。ギルドを作ってみないかと――否、確かそれ以前にもそんなやりとりをした記憶が――、ない。


「あれ?」


 いまなにかの映像が脳裏を過ぎったような――いや、気のせいだったようだ。友哉は眉間を指先で揉むと言った。


「興味があるんだと、思う。我ながらあやふやだけど」

「それじゃ仕方がないわね。いいわ。返事はいつでも構わないから。その先約を優先して上げて」


 でも、と彩音は無機質な表情を緩めた。


「気が変わったら言って。いつでも歓迎してあげる。……それとできれば私のことは、苗字じゃなくて名前で呼んでくれないかしら? あまり苗字は好きじゃないの」

「……うん。わかった。みす――じゃない、彩音」

「はい。よくできました」


 心持ち柔らかい口調に、友哉は嬉しいやら恥ずかしいやらで、俯きながら囁くように言った。


「私からはこれで全部よ。なにか質問は?」

「いまのところは大丈夫」


 それにこれ以上詰め込んでも頭が爆発するのがオチだ。またなにか疑問が湧いたらそのときまた訊ねればいい。


「もう遅いし、今日はこれで帰るよ」


 お茶ありがとう、と言い立ち上がる。彩音も見送りのために身体を起こすと、玄関のほうへと踵を返す友哉の後に続く。


「――白と黒」


 ドアノブに手をかけた瞬間、彩音が詠うように言葉を紡いだ。


「白い君と黒い君。どちらが真実の君なのかしらね」


 脈絡のない突然の言葉に、友哉は困惑したように眉根を寄せた。


「なに、それ。……謎掛け?」

「気にしないで。ただの言葉遊びだから」


 言って、赤いリボンで左右に束ねた髪を揺らすと、トンと軽く振り返った友哉の胸を叩いた。


「じゃあ、またね」


 友哉は一瞬、戸惑ったような表情をしたが、ドアノブを捻るとドアを開けた。ドアの隙間から冷たい外の風が室内に流れ込む。彼は外に出るとドアノブから手を離した。

 錆びついた音を立てて、背後でゆっくりとドアが閉まる。自分を見送る彼女がどんな顔をしていたのか。鉄製のドアで遮られた彼に知る術はなかった。




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