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Re:Talk  作者: 祐樹
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第五章 罪囚(2)

 気に食わない。なにもかもが気に食わなかった。道化じみた飄々とした態度も。せせら笑うような声も。金色の髪も赤い服も耳のピアスも銀のアクセサリも――白と黒の仮面も。すべてがカンに触った。

 脳を針で突かれるような不快感に、白い少年は眉間に皺を寄せた。彼の周囲の地面には、複数の武器や防具が無造作に転がっている。

 それらは少年と同じギルドに所属するプレイヤーのモノだった。

 つい先日、彼は同ギルドの一人の少女を殺した。何度も何度も。執拗なまでに。それに対する報復として来た彼らを、白髪の少年はたった一人で返り討ちにした。攻略ギルドに所属する戦闘職プレイヤー、そのすべてを皆殺しにしたのだ。

 驚異の一言に尽きる光景を前にしかし、白い少年はなんの感慨もなかった。ただ無機質な目つきで、地面に転がる武具を眺めていた。

 視界の隅に赤いカーソルが出現したのはそのときだった。突如として現れたカーソルに、少年は反射的に振り返った。

 まず目に飛び込んで来たのは、黒く彩色された白い仮面だった。深い森に溶け込むように立つ赤い装束の男に、少年の警戒度は否応なく高まる。

 ここまで近づかれて気づかなかったのははじめてだ。【索敵】スキルに反応はなかった。つまりこの仮面の男は自分の【索敵】でも見破れないほど高い――スキルかアイテムの類かはわからないが――【隠蔽】持ちだということになる。

 少年は仮面の男に注視した。モンスターと同じ赤いカーソル。――そう自分と同じ。彼が自分のカーソルの変化に気がついたのは、報復に来た連中を皆殺しにした後だった。戦闘する前は紫だったカーソルが赤く変色していた。

 赤い装束にシルバーのアクセサリ。金の髪に白黒の仮面。白い少年の脳裏に、一人だけ該当する人物が浮かんだ。ファンシーで要注意人物とされているレッドネームプレイヤー。過激派のPKギルド≪仮面舞踏会≫の首領。

 噂では聞いていたが、実際に対面するのはこれがはじめてだった。しかし、これは――なんだ? 心臓に火が燻る。火はすぐさま燃え上がり、瞬く間に全身を駆け巡る。異様な感覚だった。仮面の男を捕らえた視界が白熱する。

 それは衝動だ。自分の意思とは無関係に牙を剥く、たった一つの原始的な衝動。その感情の名を少年は知っていた。『殺意』だ。金髪の少女をPKしたときと同等、否、それすら遥かに上回る圧倒的な殺意。

 仮面の道化とはこれが初対面。恨みがあるワケではない。彼になにかしらの害を被った記憶もない。なのに止まらない。衝動が、感情が、殺意が。胸の奥から絶え間なく溢れ出る。

 奴を許すな、と。切り刻め。嬲り殺せ。奈落に叩き堕とせ。七度蘇るのであれば、八度殺せ。殺せ。殺せ。殺せ――。

 奴の存在を許すな、と自分の中の一番奥。何者かが耳元でがなり立てる。キンッと右手で硝子の刃が硬質な音を発す。


「ふうん。こりゃ凄い。泣きついてきたときは何事かと思ったが。……あいつも偶には役に立つじゃないか」


 奴が感心した様子で口を開く。くつくつとくぐもった笑い声に、白い少年は露骨に顔を歪めた。本当になにもかもが不愉快だった。


「ああ。はじめまして、だな。オレは――」

「うるさい。黙れよ、お前」


 雑音を削ぎ落とす。白熱する思考。止まらない殺意。胸に溢れる衝動に突き動かされて、白髪の少年は地面を蹴った。

 それが出逢い。

 人喰いと殺幻鬼が邂逅した瞬間だった。




「――リリース。ヘキサ」


 束の間の回想から帰還したヘキサは、ポーチから新たに赤い結晶体を取り出して静かにつぶやいた。視界の端のHPバーが回復する間も、視線は仮面の道化師から外さない。

 やはり殺意は止まらない。ナハトが姿を見せた途端、いつもの衝動が胸を突く。


「よう、ヘキサ。最近よく会うじゃないか。やっぱしこれも運命なのかねぇ」

「どうしてここにいる」


 拍手を止めて気安げに話しかけてくるナハトに一顧だにせず、押し殺した声色で問うた。つれないなぁ、と首を竦めるナハト。


「いや、アレだ。おもしろい話を耳にしたんでね。≪聖堂騎士団≫の連中がお前をPKしようとしてるってな。ま、暇だったし、こっそり後をつけたんだが……来て正解だったな。やっぱしお前はスゲーよ。オレも久々に興奮したさ」

「……お前なんかに褒められても俺はちっとも嬉しくない」

「はは、そうかい? ……じゃあ、これなら喜んでくれるかな?」


 言って、ナハトは奇術じみた動作で左手に黒い鎌を実体化させた。

 直線で構成された歪で肉厚の大鎌を、左手から右手に持ち替えて振るう。黒い刃が風斬り音を響かせて旋回する。


「オレを殺したいんだろ? いいぜ。相手になってやるよ。フラグを立てた返礼だ。ま、受け取ってくれや」

「っく……はは、ははは」


 殺幻鬼の好戦的な挙動に、ヘキサは喉の奥で声を洩らした。いいだろう。それこそ望むところだ。くるんと硝子の剣を手の中で回転させる。

 こっちだって頭の中が沸騰しそうなんだ。辛くて悲しい。――、を失った痛みの報復を。一瞬、脳裏をなにかが過ぎった気がしたが、それも獰猛な笑みにすぐに解けてなくなってしまった。まあ、いつものノイズだ。気にする必要もないだろう。それよりも可及的速やかに、こなさなければならないことがあるじゃないか。

 そのための手段はある。インヒレントスキル【捕食】。普段は忌々しいスキルだが、いまこのときだけは感謝してやってもいい。


「殺す」


 身体の芯に淀む衝動を韻律と一緒に吐き出す。ヘキサにのみ許された魔法の言葉が、荒々しくも涼やかに紡がれる。


「――ときよとまれ。きみはうつくしい」


 直後、世界が切り替わる。励起した硝子の剣に誘われ、白髪の少年は無音の世界を駆け抜ける。垂れ下げた剣先が地面を削る。一瞬でナハトに肉薄したヘキサは、無言で剣を跳ね上げた。緩やかな半円を描く切っ先が、仮面の道化師の首を抉り――、


「――わたしをころす。きょげんのめいきゅう」


 なんの抵抗もなく、ナハトの首が跳ね飛んだ。

 冗談のように宙高く舞った首に、離れたところで事態の推移を見守っていたリグレットたちは息を呑んだ。ファンシーでは流血や五体の切断などの残酷な描写には、痛覚同様に制限が設けられている。それ故に彼女たちは首から上を失い、崩れ落ちる殺幻鬼の姿に声のない悲鳴を上げた。

 だが、当事者であるヘキサには動揺が見られなかった。跳ね飛んだ首には目もくれずに、左足を軸に身体をコマのように回転させる。背後の空間に振り下ろされた剣が、甲高い金属音を響かせた。


「……よく見破ったな」


 硝子の剣を黒い刃で受け止めたナハトが、軽い驚きを含ませた声色で言った。見ると、跳ね飛んだ首も、首のない胴体も跡形もなく消滅している。


「前に一度見てるからな。同じ手が何度も通用すると思うなよ」


 剣を握る右手に力を込め、ヘキサが苦々しい口調で言った。

 以前、彼は今回と同じ体験をしていた。切断された首に呆け、気を取られているところで横から攻撃を受けてしまい、無様にも地面に這い蹲ってしまったのだ。我に返り立ち上がったときには、既にそこに仮面の道化師の姿はどこにもなかった。


「そうかい。……なら、これならどうだ?」


 ナハトからの圧力が増した。ヘキサも負けじと柄を強く握るが、やはり正面からの激突では分が悪い。ジリジリと噛み合う刃が押し戻される。

 この馬鹿力が。

 くっ、と息を吐くと、弾かれる剣の勢いのままに、後方に大きく跳び退った。着地と同時に体勢を立て直し、剣を中断に構えたヘキサは、眼前の光景に瞠目した。


『さて。本物はどれでしょうか?』


 三人のナハトが異口同音に口を開く。

 目の錯覚ではない。本当に目の前にナハトが三人存在していた。愉快げな口調のみっつの姿に、ヘキサは視線を鋭くした。

 本物がどれか、と問う以上、ふたつは偽者ということになる。だがヘキサには真偽の区別がつかなかった。【識別】スキルでも判別がつかない。

 彼の視界には、三人のナハトに対してみっつの赤いカーソルとHPバーが表示されている。チラリと彼らの足元に視線を落とすと、ご丁寧なことに太陽の光を受けて伸びる三つの影が存在した。ヘキサの目にはそれがすべて本物に見えてしかたなかった。

 性質の悪い悪夢を見させられている気分だった。一人ですら堪えがたいというのに、それが一気に三倍だ。

 まるで気持ちの悪い虫を見たかのような表情のヘキサは、一瞬の間を置き右側のナハト目掛けて駆け出した。理由なんてない。区別がつかないのなら実際に攻撃して確かめるしかない。未知の相手を前にしかし、撤退の二文字は白髪の少年の頭にはなかった。ここでケリをつける。他の選択肢などない。

 一瞬で間合いを詰めたヘキサは、剣を薙ぎ払った。避けないのか。それとも避けられないのか。ナハトは回避行動を取ろうとはしなかった。横一文字に振られた剣がナハトを捉え、なんの手応えがないまま、左から右に擦り抜けた。ザザッと一瞬、赤い装束が残影の如くブレた。


「残念。ハズレだ」


 そうかよッ! 横から声がして、視界に二重写しに赤い線が出現した。敵性対象に反応する攻撃予測線――【直感】スキル。ヘキサが見いだした幻に対して唯一の対抗手段。快心の笑みを口の端に浮かべたヘキサは、振り抜いた勢いのまま身体を強引に捻り、攻撃予測線に交差するように剣を振るう。

 狙ったかのようなタイミングで死角から現れた黒い刃と硝子の刃が接触。が、本来聞こえて然るべき金属音はしなかった。――黒い刃が硝子の刃を擦り抜けたのだ。驚愕するヘキサの胴体を鋭利な曲刃が切り裂くが、HPに変化は見られない。

 目を見開くヘキサの視界の端に、再び赤い線が現れる。条件反射的に身体が動く。驚愕もそのままに振り上げた剣が凶刃と噛み合い、悲鳴じみた金属音を広場に響かせる。

 今度は本物のようだ。鍔競り合いの状態で、ヘキサは必死に状況を整理しようとしていた。自身のHPバーは減っていない。身体を刃が通過したにも関わらず、ダメージが発生しなかったのだ。そこから導き出される結論はひとつしかない。先程の攻撃は幻であり――幻にも攻撃予測線が適用されたのだ。

 その事実にヘキサは総毛だった。現状で【直感】スキルは彼が幻に対抗する唯一の手段だったのだ。それが駄目になったいま、実質的に本物と偽者を見分ける手段がなくなってしまった。

 剣が弾かれる。縦横無尽に振られる大鎌に剣を合わせる。一撃一撃が重い。防御しているにも関わらず、削られるHPにヘキサは小さく舌打ちした。

 斜交いに振られる黒刃を強振して逸らす。対象を見失った刃が地面を抉る。この絶好のチャンスを見逃すヘキサではなかった。がら空きの胴体に目掛けて、大上段から剣を振り下ろす。

 ナハトの【大鎌】スキルは、広い攻撃範囲と高い攻撃力を併せ持つ近距離範囲武器スキル。その攻撃を掻い潜るのは容易ではない。強引に突破しようとすれば、手痛いしっぺ返しを喰らってしまう――が、大鎌の武器としての特性上、攻撃終わりに隙が出来やすく、またスキル発動後の硬直時間も他の攻撃スキルよりも多少長めに設定されている。

 大鎌使いを相手にする際はこの隙を狙うのが定石。だがしかし、殺幻鬼にその定石は通じない。


「ッな!?」


 知らず声が洩れる。確信と共に振り下ろされた硝子の剣が、音もなくナハトの身体を擦り抜けた。切っ先が地面を叩き、鈍い音がした。

 ぞくりと背筋に寒気が走る。膝を撓めるとヘキサはその場から大きく横に跳んだ。直後、風を切り裂き振るわれた大鎌が、髪の毛を掠るように目の前を通過した。

 地面を手で叩き跳ね起きたヘキサが見たモノは、鎌を振り抜いた体勢のナハトとその両脇に立つ二人の仮面の姿だった。いつに間には真と偽が入れ替わっていた。


「いまのは入ったと思ったんだが。――相変わらずカンがいいな」


 怠慢な動作で構えを解いたナハトが言う。戦闘中だというのに、その声はいつもと同じ愉快げに揺れていた。


「くそっ。このチート野郎が」

「その台詞。お前にだけは言われたくねぇよ」


 珍しく吐かれた罵倒に、三人のナハトが同じように肩を竦めて見せる。

 魔法――ではない。ヘキサは前衛職であるため、魔法への関心は薄い。むろん戦闘での対戦も考慮して、一通りの魔法は頭に叩き込んでいるつもりだが、それとて完全とはいえない。前回のナハトとの接触後、ヘキサはファンシーの攻略サイトを虱潰しに検索し、この不可解な現象の正体を探ろうとしたが、結局該当する魔法を発見出来なかった。念のために戦闘スキルのほうにも目を通してもみたが無駄だった。

 魔法でもない。戦闘スキルでもない。ならばこの現象こそが、殺幻鬼ナハトの保持する幻想武器グリムゲルデの概念駆動なのだろう。

 能力の詳細は不明。現在までの情報を統合すれば、自身の幻を造りだす能力――に見えるが、確かな確証はない以上、勝手な思い込みは命取りだ。それにあのナハトがそう容易く、自分の手の内をすべて明かすとも思えない。


「ヘキサ。お前のその幻想武器の概念駆動は――そうだな、身体能力を上昇させる類の――いや、違うな。――『速度』か」


 正解。ナハトの独り言じみた言葉に、ヘキサは胸のうちでつぶやいた。


「見たところ速度が上がるのは一瞬だけ。それも直線に限定されているみたいだな。それは能力の特性によるモノか? それとも単にまだ慣れていないだけか? オレは後者だと踏んでるんだが――どっちなんだろうなぁ?」


 それも正解。ヘキサが概念駆動を使用したのはこれが二度目。使いこなせているとはお世辞にも言えない。それどころか振り回されているという印象すらある。以前と今回の戦闘から推論したのだろうが、よくここまで的確に当てられるモノだ。驚きを表情には出していないつもりだったが。彼はどう受け取ったのか。なるほどな、と言うと大鎌を振った。

 ヘキサは細く深く息を吐いた。

 正直な話、分はこちらのほうが圧倒的に悪い。現在の自分のスペックはほぼ割れているのに対して、あちらのスペックは指し図れていない部分が多い。それでも、だ。いまを逃すつもりはなかった。

 ――いいだろう。

 空気が変わった。白髪の少年の雰囲気の変化を察したのか、仮面の道化師の軽口が止まった。くるんと硝子の剣を手の中で回して、半身になって構える。


「ワルプルギス」


 確かに自分には真偽の区別がつかない。判別方法も見つけられない。

 ならば――そのすべてに対応する。一対一ではなく、一対三のつもりで、ナハトの行動のすべてに対応してやる。


「加速倍率を変更。二倍で再定義」


 本来、それは口を出す必要性はない。加速倍率の変更は、思考での操作が可能だからだ。しかし、あえてヘキサはそれを声に出して発音した。断固たる決意の証明として。


「――いくぞ」


 概念駆動発動。

 アクセラレータにより加速状態に突入したヘキサは、瞬きを持ってナハトに肉薄した。剣先が真ん中に立つナハトを切り裂くが手応えがなく、彼もまた再設定された加速倍率に身体がついていけない。

 虚像の道化師をすり抜け、なおもヘキサは止まれない。踏ん張りが効かずに、穿たれたブーツの踵が地面を削りながら滑る。自身の意思を無視して暴れる身体に、ヘキサは硝子の剣を大地に突き立て、無理やり制動をかけた。

 振り回されて軋む身体を無視し、地面を強く蹴る。爆ぜる土砂を置き去りに、加速した彼はいけ好かない仮面目掛けて剣を突き出した。

 剣の切っ先が、抵抗なく仮面にめり込む。両側から振るわれる刃に、すぐさま剣を手元に引き寄せた。

 最初の一撃は囮。僅かに速い左側の鎌を防ぐべく振り上げた剣を、黒い刃が静かに擦り抜けた。一拍の間を置き薙がれる右側から刃が白髪の少年を斬るかに思えた刹那、強引に跳ね上がった刀身がその一撃を弾いた。

 防がれると思っていなかったのか。一瞬動きが止まったナハトの前から、ヘキサの姿が掻き消えた。次の瞬間、仮面の道化師の背後に出現したヘキサは、勢いを殺しきれずに揺れる身体を捻るようにして、斜めになった体勢から構えた剣を渾身の力で振り抜いた。真横に薙ぎ払われた剣が、ナハトの無防備な背中に直撃。同時にナハトの頭上のHPが減少した。

 すかさず連続で攻撃を叩き込もうとするが、続けざまの一撃は目の前に突きだされた歪な刃によって遮られた。

 虚像を駆使し幻惑するナハトに対し、ヘキサはその速度を持って対抗した。実体と幻影が交わる攻撃を、瞬間の加速を繰り返すことで的をズラし、カウンターの一撃を放つ。

 髪の毛を削る黒い刃に、チリチリとコメカミが焼けるように熱い。お返しとばかりに振るわれた剣先が、白黒の仮面の表面を抉り、青白いエフェクトを散らした。

 奇妙な感覚だった。人喰いと殺幻鬼。二人を囲む空間だけが、周囲から遮断されているかのような錯覚。空白の広場に火花と金属音が木霊する。乱舞する色彩と炸裂する剣戟に、心臓の鼓動が加速する。

 歯痒い。足りない。物足りない。通常の二倍速すら生温い。もっと鋭く。もっと速く。世界を巡れ、駆け抜けろ。奴の心臓に剣を突き立てろ。

 過去最速で疾る硝子の刀身は、黒い刃に阻まれた。片手剣と大鎌の接触点を中心に、鬩ぎ合いの余波が大気を巻き上げる。


「――なあ」


 噛み合う金属を横目に、ナハトが世間話をするかのような口調で言った。


「前々から訊こうと思ってたんだけどさ。オレ――お前になにかしたか?」

「なに――がッ!」


 強引に剣で大鎌を跳ね上げ、反動で距離を取り向き直る。


「だってお前、オレを殺したいほど憎いんだろ? なんでだよ? オレはなにかお前の気に障ることでもしでかしたのか?」

「そんなの――知ったことかッ!」


 手の平で柄を一回転。回転する硝子の残光を残して、ヘキサは地面を蹴った。額が地面に擦れるほどの低空で肉薄しする。


「おいおい。そりゃないだろう」


 地面を削り跳ね上がった刀身が、道化師の虚像を切り裂く。視界の端を赤い衣が翻り、耳障りな電子音声が背後から聞こえてきた。


「確かにオレはいろんな奴から恨まれ、妬まれている。こんな身分だ。それ相応のことはしてきたワケだし、ある意味当然のことではある」

「ま、三下どもがどう思おうと、オレの知ったことじゃないがな」

「そこには理由があり意味がある。恨みの理由。妬みの意味。――だが、お前にはそれがない」


 三人のナハトが唱和する。


「オレの記憶が確かなら、俺とお前との間に諍い事はないはずだ。もしなにかあれば覚えている。お前ほど印象的な奴なら尚のことだ」

「いくらオレがPKだからって、いわれのない敵意を抱かれるのはゴメンだ。――いや、この場合は殺意、か」

「加えてお前の殺意は少々、度が過ぎる。まるで本当に誰かを殺されたかのようなじゃねぇか。それで理由も意味ないなんておかしいだろ?」


 故にその殺意には理由があるはずだ、彼らは口々に語る。

 白髪の少年が内包する根本的な問題。何故、彼はナハトに殺意を抱くのか。なにを持って殺意をなすのか。何故――、と思考するヘキサは、途端に顔を歪めた。

 頭痛。ナハトの言葉を意識すれば意識するほど、脳を穿つ鈍痛は強くなる。

 そうだ理由だ。理由があるはずなのだ。初対面のそのときから胸に宿る殺害衝動。絶対の忘れないと誓ったあの日のことを。


「お前が……お前が、それを言うのかぁ!」


 虚像をすり抜けるのも、刃に防がれるのもお構いなしに、烈火の如き剣閃がナハトに叩き込まれる。ここにきてさらに加速する剣戟に、ナハトの口からはじめて焦りの声色が洩れた。


「いわれがない? くそが。ふざけるな。寝言は寝てから言えよ」


 口から苦悶の声を溢れる。次第に圧力を増す痛みにしかし、ヘキサは歯を食いしばり剣を振るい続ける。思考を止めない。


「理由がある。意味だってある。だって、なあ――そうだろう!?」


 奇怪な違和感。否、ある種の共有というべきか。五感が遠のく。視線は遥か彼方に。このとき彼らはお互いに、ここではないどこかを幻視していた。



「――お前が」

「――オレが」



 それはひとつの終着点。荒れた大地。灰色の雲に稲光する空。雑音じみた土砂降りの雨。決着はついた。黒がくだらないと断じた願い。赤が大切だと主張する願い。鬱憤した感情を吐き出す黒は大剣を放り捨て、怒鳴り散らす赤に歩み寄り手を差し伸べる。困惑する赤は差し出された手に、震えるか細い手を恐々と伸ばし、中空に散る真紅の――、



「あいつを殺したんだからな――ッ!!」

「あの女を殺したからか」



 魂の咆哮と共に出鱈目に振り下ろされた硝子の剣は、やはり出鱈目に振り上げられた黒の刃に激突。激しい火花と金属の炸裂音を劈かせ、二人は後方に吹っ飛ばされた。

 衝撃で集中力が途切れたヘキサは、加速した時間軸から叩き出されて、地面をもんどりうって転がった。


「……なんだ……いまのは……」 


 追撃する余裕はなかった。頭痛の余韻に頭を押さえて、ヘキサは地面に片膝をついた。目蓋の奥で瞬いた光景に、切れ切れの言葉で、半ば放心状態のままつぶやく。

 記憶にない断片的な光景。頭痛が収まるにつれて、脳に食い込んだ光景もまた、無意識の領域に没する。


「これはまた……かつてない新展開だな」


 伏せて面を上げると、ナハトが仮面に手をあてて、頭を振っている。いつの間にか彼の周囲からは、幻想によって紡がれた写し身が消滅していた。


「はは……やっぱりお前は面白れぇよ」

「ナハトッ!」


 殺意は揺らがない。獣のような四つん這いの体勢から一気に駆け出そうとし、ピシリ、と鼓膜を叩いた軋み音に、ヘキサは口を噤んだ。

 手元の剣に視線を落とす。軋む音は硝子の剣からしている。戦闘中は気づかなかったが、よく見ると水晶のように透き通っていたはずの刀身が、いまは白く濁り淀んでいる。キシ、キシ、と軋む硝子の剣に、ヘキサは顔色を変えた。


「……剣の耐久度が……磨耗しかけてる?」


 確かに概念駆動は武器の耐久力を大幅に削る。だが、まだ聖堂騎士団とナハトの二回しか使っていないのだ。あと一回くらいは――否、違う。二回ではない。三回だ。

 一ヶ月前に幻想旅団と一戦を交えたあのとき、ヘキサはワルプルギスを鍛冶屋にメンテに出すことなく、耐久力が減った状態でクライスに預けていた。

 彼もインベントリに放り込んだままで、メンテなどしていなかったのだろう。その代償がよりによってこのタイミングで現れたのだ。恐らくこの状態で戦闘を続行しようとすれば、その瞬間に剣は粉々に砕け散ってしまいかねない。


「潮時か。……今日はこれでおしまいだな」


 白く濁った硝子の剣に、ナハトは大鎌の柄で地面を叩いた。


「ヘキサ。今日は久しぶりに楽しめた。感謝するぜ」


 冗談混じりの口調で一礼する道化師に、ヘキサは反射的に口を開くが、肝心の言葉がなにも出てこない。半歩踏み出した体勢で、悲鳴を上げる濁った硝子の剣を見やる。一度鍛冶屋でメンテをしない限り、もうワルプルギスは使えない。規格外の『武器』としても、大事な≪二人≫の友の『形見』としても。こんなところでこの剣を失うワケにはいかないのだ。

 くっ、とヘキサは奥歯を噛み締めた。

 確かにワルプルギスは使用出来ないが、なにも戦闘が続行不可能になったワケではない。ヘキサのインベントリには、装備武器をワルプルギスに変更したことで自動回収されたペルシダーがある。武器を変更すれば戦闘を続行することも可能だ。

 しかし、現状の幻想武器の概念駆動によってどうにか拮抗する状況下にあって、今更武器を変更してどうなるというのか。あっさり返り討ちにされるのが関の山だ。一矢報いることすら出来るかどうか。

 ――だからって、このまま引き下がれるかってンだよッ!

 自身の冷静な部分が告げる言葉に、ヘキサは心中で吐き捨てた。他の奴ならそれでもいい。素直に撤退するのもアリだ。が、こいつだけは駄目だ。このフザケた道化師だけには背中を見せられない。見せるくらいなら玉砕したほうが遥かにマシだ。


「ヘキサッ!」


 覚悟を決めて武器を交換するべくメニュー画面を開こうとしたヘキサは、背後から聞こえたハズミの声にふと我に返った。


「前、見てっ。ナハトが!」


 その声に伏せていた顔を上げて正面を見る。するとそこに大鎌を消し、代わりに白い結晶体を手に持ち、今まさに転移しようとしているナハトの姿があった。


「な!? テメェ――」


 待ちやがれ、と言う暇があればこそ。伸ばした手も空しく、「じゃあな」と言い残し、仮面の道化師は白い光に包まれた。光が消失したときそこに彼の姿はなかった。なんともいえない白茶けた空気が広場に流れる。

 リグレットたちは目まぐるしく変化する事態に立ち往生し、当事者のヘキサといえば呆けた表情で、さきほどまでナハトがいた場所を見ている。


「クソッ。あの野郎。……どこまでもヒトをコケにすれば気がすむんだ」


 散々好き勝手やった挙句に、これまた好き勝手に帰りやがって。胸に蟠る憤りのやり場を失い、声も荒々しくヘキサは前髪を掴んだ。


「……次は絶対に決着をつけてやる」


 その軽薄な態度を必ず後悔させてやる。ヘキサは気持ちを落ち着けるために、胸の蟠りを空気と一緒に吐き出すと、軋む剣を腰の鞘に収めた。

 ヘキサは踵を返すと離れたところに立っているグレットたちに歩み寄った。「お疲れ様です」と微笑する彼女に、白髪を片手で掻きながら言い辛そうに口を開く。


「……悪い。大口叩いたのにこのザマだ。ナハトの奴を倒せなかった」


 その言葉にハズミは地面に散乱する武具を一瞥し、ちょっと呆れたように言った。


「あのねぇ……。確かにナハトは倒せなかったけど、あんだけ暴れれば十分でしょ……本当に一人で≪聖堂騎士団≫の連中片付けちゃうんだから。第一、ナハトがここにいたことこそイレギュラーじゃない」


 彼女の言うとおり。そもそも≪聖堂騎士団≫と一戦交えた時点では、ナハトとの遭遇など想定していなかったのだ。倒せなかったことを悔いる理由など本来ないのだが、そう一括りに出来ない複雑な感情が彼にはあるのだ。


「そうですよ! 凄かったじゃないですか!」

「そ、そうかな?」

「はいっ。僕、あんな戦いを見たのは初めてです!」


 いつになく興奮した様子で叫ぶリトに、ヘキサは目を白黒させた。だが、リトが興奮するのも当然だ。それほどまでにハイレベルな戦闘だった。≪聖堂騎士団≫の精鋭プレイヤーを圧倒したワルプルギスのアクセラレータ。そして殺幻鬼との概念駆動を励起させた、通常では考えられないような異質な戦闘。これほどの戦いは一ヶ月に一度、闘技都市クロムヘイトで行われるプレイヤー同士の運営公認大会でも、そうはお目にかかれないだろう。


「ヘキサ。貴方はもっと自分に自信を持つべきです」


 自分に自信を持つ。それが出来れば苦労しないワケで。一体、いつになることやら。ヘキサは口元をもごもごとさせた。


「ま、なに? ナハトのことは残念だったけど、当初の目的の魂魄の虹結晶は無事に手に入れられたし、≪聖堂騎士団≫の連中も蹴散らせたんだからそれでよしとしなさいよ」

「……そうだな」


 そう言って微苦笑する赤毛の少女に、ヘキサは空を仰ぎ見た。作り物とは思えないほど精巧な青空に目を細める。


「今度は勝ってください」


 言われるまでもない。今度は絶対にぶちのめしてやる。リグレットの言葉にヘキサは大きく頷いた。その脳裏を赤い光景が過ぎり、記憶の残滓が解けて霧散した。




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