第五章 罪囚(1)
ポーチから引き抜かれた左手には、小瓶が握られていた。曲線を描くポーションの瓶とは違い、菱形の瓶には無色透明な液体が満たされている。
ヘキサは親指で透明な硝子栓を弾き、小瓶の中身をペルシダーの刀身にぶちまけた。すると鉛色だった刀身が仄かに発光し、水面の波紋のように光を散らす。
白髪の少年は空になった瓶を捨てると、魔法使いが放った炎の矢に剣を振るう。光を帯びる刀身が、炎の矢をあっさりと切り裂き、火の粉の残滓が宙を舞った。
本来、純属性であるペルシダーには、魔法を斬る能力はない。しかし、菱形の小瓶に満たされていた魔法薬が、一時的にとはいえそれを可能にしていた。
武器に一定時間属性を付加する魔法薬は高価かつ貴重品で、特にヘキサが使用したランクのモノになると、そうそうお手軽に使える代物ではないのだが、状況が状況だけに出し惜しんでいる場合ではない。
彼が使用した魔法薬は無属性。どの属性に対しても満遍なく平均的な相性であり、それが長所でもあり短所でもある。彼が無属性を選択したのは、相手がどの属性の魔法を使用してくるかわからないためだ。
連続で撃ち込まれる魔法攻撃を剣で迎撃しつつ、ヘキサは一気に間合いを詰めた。密着状態になってしまえば、相手も迂闊に攻撃魔法を使えなくなる。仲間を巻き込んでしまう危険性があるからだ。使うにしても、魔法の種類を限定することは可能だ。基本的に攻撃系統の魔法は、高位になるほど高威力・広範囲になる傾向にある。
一団の懐に跳び込んだヘキサは、前衛を無視し、後方に待機している魔法使いを先に片付けようとしていた。集団戦においては前衛ではなく、支援の後衛を先に潰すのがセオリー。聖堂騎士団の構成は、ガゼルを含む前衛が二十五名、残る五名が魔法使いだ。
この魔法使い連中をいかに迅速に排除するかが、ヘキサにとって唯一の勝機になる。逆にいえば、魔法使いを排除出来なければ、彼に勝ち目はない。
ないのだが――。金属が噛み合い、火花が散る。上方から打ち下ろされた大剣を盾でいなすと、カウンターで刀身を叩き込む。相手のHPバーが二割まで減少し、更なる追撃を見舞おうとして、左から突き出された槍に、ヘキサは防御のために振り上げかけた剣先を翻しざるを得なかった。剣で槍を叩き落すが、そのときには既にHPが減少したプレイヤーは、待機していた別のプレイヤーと立ち位置を入れ替えていた。
さっきからこれの繰り返しだ。聖堂騎士団もヘキサが魔法使い狙いなのは重々承知している。魔法使いの前に幾重にも壁を作り、ヘキサを近づけさせようとはしない。歯噛みする彼を尻目に、魔法使いの一人が杖を掲げて呪文の詠唱を開始した。呪文が完成すると、さきほど攻撃を受けたプレイヤーの身体が、キラキラとした緑色の光に包まれた。回復魔法の光だ。ヘキサが削ったHPが一瞬で全快してしまった。
これもまた何度も繰り返されてきた光景だ。HPを減らしてもその都度、相手が切り替わるため一向に頭数を減らすことが出来ない。しかもすぐに魔法使いが回復させてしまう。キリがない。永遠と独り相撲を取らさせられている心境だ。
否、永遠ではない。遅かれ早かれ決着は見えている。黄色に変化した自分のHPバーを見やり、ヘキサは小さく舌打ちした。強振による一撃を完全に防ぐことは無理だ。盾で防いだところで、衝撃は身体を貫通する。一撃は微々たるものでも、積もり重なれば致命打になりかねない。いまだに直撃こそないものの、聖堂騎士団の波状攻撃は、確実に彼の体力を削り取っている。
そもそもヘキサのHPは決して高くはない。HPはレベルアップ時もしくは体力にステータスポイントを振ることで増加する。彼の場合、装備品のステータス条件の関係上、若干は体力にもポイントを割いてはいるものの、基本的には俊敏と筋力のみにポイントを割り振っている。そのためHPはレベルアップ時の純粋な増加分のみとなっている。そして装備品もレザーコートを含めて、すべてレアモノで固めてはいるが、やはり革装備である以上、彼らのような金属装備よりも防御力の低下は否めない。
「クソッ!!」
このままでは嬲り殺しだ。ヘキサは悪態を吐くと、強行突破を図った。強引に身体を前進させると、目の前の細剣使いに渾身の突きを放った。白い閃光を放つ突きが、金属の鎧に吸い込まれ――ガギンッと異音がした。硬質な手応えにビリビリと右手が痺れて、反動でヘキサは上体を大きく仰け反らせた。見ると細剣使いの目の前には、いつの間にか地面から突き上がった土色の壁が出現していた。地系等の防御魔法、ストーンウォールだ。
視界に右斜めから赤い線が伸びている。二重写しの攻撃予測線にしかし、渾身の一撃を弾かれ仰け反ったヘキサは、片手曲剣の一撃を無防備のままで受けてしまった。
ついに直撃を貰い、HPバーがごっそりと削られる。続けざまの一撃を跳ね上げた剣先でなんとか逸らすが、危うい状態にあった均衡が一気に崩れてしまった。
攻撃に転じる余力も隙もない。こちらのHPは半分を割ったが、いまだに≪聖堂騎士団≫側は全員健在――どころか、無傷。
四つん這いになる勢いで身を屈める。髪先を掠るように横切る刃を横目に、地面に手をついたヘキサは、腰のポーチに片手を突っ込み、即座に取り出したモノを中空に投擲した。
黒い花が閉じ込められた透明な球体。それが≪聖堂騎士団≫の頭上で炸裂した。球体から溢れた黒い花弁が、陽光を遮り周囲を黒く塗り潰す。
華薬が六輪、黒百合。効果は黒い花弁による継続ダメージと、視界を塞ぐ暗闇のステータス異常。突如として降ってきて暗闇に、≪聖堂騎士団≫の動きが止まる。同士討ちを避けるためだが、逆にヘキサは好機とばかりに剣を振り上げた。
彼も黒百合の効果範囲内にいるため視界が黒く染まっているが、スキルにより補正がかかり、一団の輪郭を識別するくらいは可能だった。それに多少のダメージは覚悟のうえだ。いまはなんとしてでも、反撃のきっかけを掴みたい。
が、暗闇の中にあって、敵の魔法使いは冷静だったようだ。ヘキサが聞こえてきた詠唱に舌打ちしたのと、広場に発生した闇が掻き消されたのは同時だった。
魔法使いが唱えた光属性の魔法により、黒百合の効果が中和されたのだ。再開された怒涛の攻撃に、彼はあっという間に劣勢に立たされた。
流石に無茶だったか。防戦一方で手が出せないヘキサはぼんやりとそう思った。あれだけかっこつけておいて、死亡してしまったら、どんな顔をしてリグレットたちに会えばいいのか。――いや、ある意味これはチャンスかもしれない。
ここでキルされれば、確かに自分は『ヘキサ』をキャラロスしてしまう。しかし、それは同時にマンイータから開放されるということでもある。
キャラクターを失っても、アカウントを削除されるワケではない。失ってしまったら、また一から新たなキャラクターを育てればいい。
凶悪なPKとしてではなく、善良な一般プレイヤーとして。今後こそ間違わないように。であるのならば、後ろ指を指されてまで、ヘキサに固執する必要はあるのか。一瞬の思考ではあったが、彼から抵抗の意思を奪うには十分だった。
眼前には斧使い。トドメは自分の手で。マンイータに肉薄したガゼルが快心の笑みを浮かべて、バトルアックスを振り上げた。このままでは直撃を喰らってしまう。頭では判っているが、傾く身体はいうことを利こうとしない。所詮、自分はここまでなのか。青い光を放つ凶刃が白髪の少年に振り下ろされ――。
――ヘキサッ!!
意識の闇を切り裂く声に、身体が半ば自動的に反応した。
倒れそうになる身体を無理やり捻り、右手の剣を投擲する。空気を切り裂き放たれた剣は、虚を突かれたガゼルの胸に命中した。
斧使いは発動させようとしたスキルを強制中断させられると、その巨体をよろめかせた。上空に弾かれた剣は中空をくるくると回り、地面に落下する。
僅かに生まれた隙を逃さず、ヘキサは後方に跳び彼らから距離をとるが、間髪いれずに今度は後衛の魔法使いたちの魔法の矢が、白髪の剣士に牙を剥く。
前方から迫る魔法に、ヘキサは左腕の盾を前方に翳す。直後、盾を中心にして半球状の白く発光する魔方陣が出現した。ヘキサを覆うように展開された魔方陣が、降り注ぐ炎の矢を受け止めて弾く。盾の防御領域を一時的に拡大する【盾】スキル、ディバインシールド。さらに魔法防御力強化の【盾】スキル、マジックシールドを重ねがけする。ヘキサが【盾】スキルを発動させることは滅多にない。これらの【盾】スキルは使用時にMPを消費するためだ。
魔法の矢が着弾する度に、彼の身体を衝撃が襲った。炎が爆ぜて、火の粉が舞う。
盾により受けるダメージは格段に減ってはいるが、ダメージが完全に遮断されているワケではない。ヘキサはじりじりと減少し、三割を切った自分のHPバーを横目に、空いた右手でポーチを探り、中から赤い結晶体を取り出した。HP回復の結晶体である生命の赤結晶だ。
ヘキサは生命の赤結晶を握り締めると、魔法の着弾音に負けぬ大声で叫んだ。
「リリース! ヘキサ!」
トリガーコマンドを受けて、掌の結晶体が粉々に砕け散った。同時にヘキサの身体が赤い閃光を放ち、一割を割り込んでいたHPが急上昇。一瞬で最大値まで回復した。だが息を吐く間もなく、執拗に魔法が撃ち続けられる。魔法攻撃が止む気配はない。こちらのMP切れを待っているのか。またはこのまま魔法の連打で片をつけるつもりなのか。ガゼルたちが突っ込んでくる気配もない。
そのほうが自分にとって都合がいい。魔方陣越しに見える光景に、ヘキサは口の端を歪めると、盾を構えたまま右手の人差し指を回すし、目の前にメニューウインドを表示させた。
「血迷ったかッ!」
爆音の中、斧使いの嘲る声が耳朶を打った。戦闘中にメニューウインドを開くなど自殺行為以外の何物でもない。だがヘキサは嘲笑を無視して、細心の注意を払い、半透明の画面を操作する。メニューウインドからアイテムウインドに切り替える。目的のアイテムはソートする必要もなく、一番上にあった。そのアイテムをドラックして、画面の左側の装備一覧の中から、現在右手に装備してある剣と交換。
腰の後ろの鞘に新たな剣が納まるのを確認すると、ウインドを閉じて右足で思いっきり地面を蹴り、後ろに跳躍して魔法の射程距離を脱出する。
地面に着地すると魔法攻撃が止んだ。同時にMPが空になり、左腕に展開された魔方陣が消滅した。これでもうヘキサは魔法攻撃に対する防御手段はない。
かわすにしても、殺到する魔法をすべては避けきれない。しかもいまの攻撃で全快させたHPも残りは僅か。一ドットで残っているかどうかである。弱攻撃どころか、掠れば一瞬で0になってしまうだろう。
絶体絶命の危機にしかし、ヘキサの顔に悲壮なモノは感じられなかった。奇妙なほどの落ち着きぶりに、ガゼルは間合いを詰められずに言った。
「……ついに観念したか。いくら貴様でも、もうどうしようもあるまい」
対して、ヘキサからの返答はなかった。彼は一度大きく深呼吸すると、鞘から新たに実体化させた剣を緩やかに抜いた。
「――――――」
広場にいる誰もが息を呑んだ。
美麗にして流麗。水晶のように硬質な金属で鋳造された両刃の片手直剣。鋭利な硝子の刃が陽光を受けて、内部で煌きを乱反射させている。白髪の少年の愛剣の無骨さとは正反対の美術品めいた美しさに、束の間誰もが目を奪われた。
雰囲気に呑まれかけた斧使いが押し殺した声色で言った。
「自分のHPを見てみろ。そんな状態でなにが出来る? 一撃で勝負がつくではないか。諦めろ。貴様の負けだ」
「っは」
ガゼルの言葉にヘキサは笑った。
一撃で終わる? 上等だ。ならば一撃も喰らわない。掠らせもさせない。この場の誰よりも速く駆け抜けてやる。
右手に視線を落とす。そこには過去の残滓である硝子の剣。自分に相応しくないと思った。分不相応だと痛感した。だからクライスに預けた。でも――いまだけは。
普段は決して声を荒げない少女が叫んだ。負けないで、と。勝て、と彼女は言った。それだけではない。後ろから複数の視線を感じる。その視線の持ち主たちのためにも負けられない。負けるワケにはいかない。
くるんと手の中で剣を一回転させ――ヘキサは弾丸の如く、聖堂騎士団の一群に突撃した。白髪の少年が韻律を口ずさむ。静かに、それでいて力強く。粛々と魔法の言葉が紡がれた。
「――ときよとまれ。きみはうつくしい」
刹那、世界は静止した。
「――、え?」
目の前の光景に、我知らずハズミは声を洩らした。
突発的に始まった白髪の少年と≪聖堂騎士団≫との戦闘は、彼女の予想通り≪聖堂騎士団≫の圧倒的優位な状況で進んでいた。
始終劣勢を強いられているヘキサの表情には、いつもの余裕が見られない。戦力に差がありすぎるのだ。いくら彼とて三十人の一団を相手に回し、勝利を勝ち取るのは無理だ。勝てるワケがない。盾で魔法攻撃を防ぐヘキサに、ハズミは唇を噛み締めた。
「大丈夫です」
隣から冷静な声が聞こえてきた。横を見るとゴスロリ服を纏った黒髪の少女が、その切れ長の瞳でヘキサを見据えている。
「ヘキサは負けません」
彼から視線を外さずに断言する彼女に、ハズミは目を細めた。
「……なによ。アンタだって珍しく大声出してたじゃない」
「ええ。どうやらそのかいがあったようです」
それはどういう意味だ、とハズミが視線をヘキサに戻すと、彼は後方に飛び退り、腰の鞘から新たな剣を引き抜いた。芸術品めいた水晶の刀身を持つ片手直剣。幻想武器の名を冠する硝子の剣を構えた彼は、身を屈めると金属甲冑の一団に突撃した。
ヘキサが朗々と言葉を紡ぐ。刹那、白髪の少年の姿が消えた。忽然と消失したヘキサ。不可思議な現象にハズミが目を開き、後衛の魔法使いの一人が砕け散ったのはその直後だった。ポリゴンの破片を撒き散らす魔法使いの前には、剣を振り抜いたヘキサの姿があった。
ワケが分からなかった。一体どうやって前衛をすり抜けたのだろうか。さっきまではまるで駄目だったというのに。離れた位置からその光景を見ていた彼女たちがそうなのだから、当事者である≪聖堂騎士団≫の面々は尚更だろう。
騒然とした様子で振り返る≪聖堂騎士団≫の前から、またもやヘキサの姿が掻き消える。目標を見失い水平に薙ぎられた大剣が空を斬り、二人目の魔法使いの身体が砕ける。
彼女たちが見守る中、瞬く間に一団はその数を減らしていく。想定外の事態に、混乱に陥った彼らの間を白い影が駆け抜ける。
圧倒的だった。あれほどの劣勢が冗談だったかのように、白髪の少年は≪聖堂騎士団≫を一方的に容赦なく蹂躙する。
「……凄い」
赤毛の少女はそれ以外の言葉が出なかった。
視界が加速する。
後方に流れる風景に口の端を歪める。ヘキサは金属甲冑を纏った一団の間を駆け抜けると、待機していた魔法使いに剣を一閃した。いままでとは明らかに異なる速度で振られた剣が、あっさりと灰色ローブのプレイヤーのHPを削り取った。眼前で唖然とした表情で破砕する魔法使い。
そこでようやく事態を察した一団が慌てて振り返り、各々の武器でヘキサに斬りかかっていくが、既にそこに白髪の少年の姿はなかった。直後、離れた位置に棒立ちしていた他の魔法使いが、ポリゴン片を散らして消滅した。出現したヘキサの姿が、再び消失する。
それは異常な光景だった。瞬きする度に、目まぐるしくヘキサの立ち位置が変化する。一連の流れに連続性がない。点と線が繋がらないのだ。まるで切り刻んだフィルムを継ぎ接ぎしたかのような違和感がある。
白い軌跡が縦横無尽に駆ける。ヘキサのHPはないに等しい。剣先が僅かに掠りさえすれば、その命を容易く奪うことが可能だろう。にも関わらず、≪聖堂騎士団≫は誰一人として、ヘキサを捉えられない。触れることすら叶わない。たった一人の少年に、彼らは完全に翻弄されていた。
ヘキサは止まらない。≪聖堂騎士団≫の動きが呆れるほど遅い。まるで水の中で動いているのかとすら思える。白髪の少年には世界が、スローモーションのように見えていた。右手で脈動するワルプルギスに誘われて、彼は未知の領域に足を踏み入れた。加速、加速、加速――。いまならどこまでもいける気がした。誰にも自分を止められはしない。
連続する破砕音。中空に光の破片が乱舞する。混乱した一団はやたら滅多らに武器を振り回すが、密集状態では自滅行為に等しい。刃はヘキサに触れるどころか、お互いの身体を斬りつけ合う結果に終わり、それがまた彼らを余計に騒然とさせた。
狩る者と狩られる者。状況は一変した。さきほどまで獲物を甚振る笑みすら浮かべていた彼らの顔からは、一切の余裕が失われていた。あるのは恐怖。背筋を灼く威圧感に、正体の判らない化け物と対峙しているかのような錯覚すら抱いてしまう。
幻想武器、片手両刃直剣ワルプルギスの概念駆動――超加速。現在の加速倍率は1.5倍。通常の五割り増しでリズムを刻むヘキサを捉えられる者は、この場には存在しなかった。
白髪の少年の剣が閃く。なす術もなく次々と灰塵と化す部下たちにガゼルは唖然と立ち尽くすしかなかった。ふと気がつくと広場から怒声と絶叫が止んでいた。斧使いの周りには、武器や防具が乱雑に打ち捨てられている。それが墓標のように思えて、ガゼルはよろめくように後退った。
彼の視線の先には不敵な笑みを浮かべる白髪の少年。その右手の硝子の剣が、内部からの光を乱反射させている。緩やかに地面を蹴ったヘキサの姿が、陽炎のように揺らめいた。
「――マンイータ」
戦慄く唇が、白髪の少年の二つ名を口にする。ガゼルの眼前に出現したヘキサが、剣を胸元に引き寄せる。
「この化け物が」
返答はない。トン、と真っ直ぐ突き出された切っ先が、斧使いの胸を貫いた。ガゼルの頭上に表示された赤いバーがすべて削り取られ、次の瞬間には彼の身体が硝子のように砕け散った。
広場に沈黙が落ちる。誰も動こうとしない。白髪の少年の圧倒的な姿に、リグレットたちは魅入られたように目を奪われた。
そのときだった。――パチパチと乾いた音が広間に木霊したのは。
耳朶に響く規則正しい音に、ゆっくりと背後を振り返り見るヘキサ。色素の薄い瞳孔が窄まる。視線が広間の入り口で手を叩き合わせる道化師に固定された。音は彼の手元から聞こえてくる。軽装鎧にローブを組み合わせた赤と白の装束。白に黒で細工された仮面をつけた少年が、さも愉快気に言った。
「お見事。お見事。いやそれにしても……一人で全員殺っちまうとはな。流石はオレが見込んだオレの仇敵。そうでなくちゃ張り合いがない」
ククっとくぐもった笑いを洩らす少年に、白髪の少年の視線が自然と強くなる。右手の剣を小刻みに鳴らせて、ヘキサは彼の名を口にした。
「――ナハト」
神出鬼没にして奇々怪々。PKギルド≪仮面舞踏会≫首領、殺幻鬼ナハトがそこにいた。