第一章 マンイータ(1)
最初は簡単なクエストのはずだった。
クエスト名は、『老夫婦の忘れ草』。城塞都市クルシスより南東に位置するダンジョン『アスピールの森』。その森にのみ生息する薬草を採ってくる採取クエストだ。
老夫婦の病気を癒す薬草は、森の中間地点に生息している。
アスピールは森の深さによって、モンスターのレベルと強さががらりと変わるダンジョンだが、少女のレベルでも薬草を採ってくるだけなら十分に可能だ。それでも彼女が臨時で募集されていたPTに加わったのは、クエストの成功率を高めるためだった。
片手剣のリーダーに短剣使い。魔法使いと細剣使いの少女の四人PT。元々はクエストのために臨時で組まれた即席の四人PTだったので、チームワークが若干の不安要素ではあったが、PTは特にこれといった問題を起こすことなく目的の薬草を手に入れることに成功し――PTのリーダーに、白い影が襲いかかったのはその刹那のことだった。
一言でいうなら、それはデフォルメされた白いウサギ。長くて細い耳に硝子球のような赤い瞳と大きなギザギザの口をした、愛くるしいぬいぐるみのようなウサギはしかし、右手に赤い液体がこびりついた鋸を携えていた。よく見るとウサギの白い毛にも赤い斑点が散っている。
草むらから跳び出したウサギは、頭上に掲げた鋸を躊躇なく、腰に剣を下げたリーダーの男に振り下ろした。彼の胴体に赤い閃光が走り、「うぎッ」と低い悲鳴を上げて、男はよろよろと後ろによろめいた。
いまの一撃で男のHPはレッドゾーンまで削られていた。通常なら回復するなり退避するなりしなければならないのだが、不意を突かれた彼は混乱して判断を下せない。その隙をウサギもどきは見逃さなかった。
男の半分ほどしかない丸っこい体からは信じられない跳躍力を見せると、中空で赤錆た鋸を一閃させる。彼の首元で赤いエフェクトが炸裂し、頭上に表示されたHPバーが0になり、男の身体が硝子のように砕け散った。
リーダーが『死亡』したことで、PTのリーダーが自分に移行したとした旨を告げるメッセージが視界に表示された。そこで少女は、自身が置かれている現状をようやく理解した。
血塗れの白ウサギに重なる黒いカーソル。モンスターの名前は、マッドラビット。このアスピールの森のボスモンスターだ。黒いカーソルがその証である。
少女の【索敵】にマッドラビットの反応はなかった。当然だ。【索敵】スキルは、熟練度と対象とのレベル差に大きく影響される。自分程度のレベルと熟練度で、マッドラビットを感知する確率は低い。他のPTメンバーも同様であろう。
本来、マッドラビットが出現するフロアはアスピールの最深部。こんな浅い場所にいるはずがないのだ。先日のバージョンアップでモンスターの配置が変わったのか、不注意にもマッドラビットを刺激したプレイヤーが、森の浅いところまで引っ張ってきてしまったのか。あるいは彼女たちのように、クエスト目的に森を訪れたプレイヤーに対する嫌がらせかもしれない。理由はどうあれ、少女にしてみれば不幸というしかなかった。
逃げなくちゃ。まず少女の頭に浮かんだのはそれだった。戦ってもまず勝てない。マッドラビットのレベルは45。対して自分たちは30前後のメンバーで組まれたPTだ。ボスモンスター補正もあり、勝負を挑んだところで一矢報いることすら不可能だ。
他のメンバーもそう考えたのだろう。ゆったりとしたローブを羽織った魔法使いが、震える手で腰のポーチから白い結晶体を取り出した。
転移の白結晶。予め登録しておいた街のセーブポイントに、瞬時に転移出来る結晶アイテム。高価なアイテムではあるが、ダンジョンでの戦闘中でも使用できるので、緊急退避の手段として重宝されている。
トリガーボイスを受けて結晶が白い光を放ち、次の瞬間、音もなく閃光が消滅した。アイテムの効果が無効化されたのだ。その場には、眼前に転移の白結晶を掲げた魔法使いの姿が変わらずにあった。
その姿に細剣使いの少女は、このダンジョンでは転移系アイテムや魔法が使用不能だという、初歩的で致命的な事実を思い出した。それというのもこのアスピールダンジョンが、魔女に呪いをかけられた森という公式設定によるモノで、仲間と一緒に迷惑な設定だと愚痴った記憶がある。
ケタケタと嗤う血塗れウサギが、凶器の鋸を横に振るった。朱の軌跡を描く刃が、唖然とし呆けた魔法使いのHPを一撃で奪った。なんで。崩壊する身体を見て、魔法使いがそうつぶやくのを少女は確かに聞いた。
視界の端に表示された魔法使いの名前が消え、続けてもう一人の名前が消滅した。え? と周囲を見回すと、いつの間にかそこには短剣使いの姿はなかった。マッドラビットの餌食になったのではない。逃げたのだ。自分を見殺しにして。短剣使いがPTから離脱したと告げる文章が、それを如実に物語っている。
初対面のプレイヤーと組む機会が多い、臨時のPTにはこうした危険性があるのを、少女も重々承知していた。承知していたが、見捨てられた事実にやるせない憤りを感じ、彼女は俯くと唇を噛み締めた。
ジャリと地面を踏みしめる足音と鋭い風切りが、耳朶を打ったのはそのときだった。反射的に腰の細剣を抜くが、既に手遅れだった。
視界の隅を白い影が横切ったかと思うと、上下に激しく揺さぶられて、足が地面から引っこ抜かれた。数秒の滞空の後に、地面に叩きつけられた少女がふらふらと上体を起こすと、鋸で地面を削りこちらに歩み寄る血塗れウサギと数ドットで点滅する自身のHPバーが見えた。
細剣を持つ右腕がビリビリと痺れていた。前に突きだした細剣が、偶然にもマッドラビットの錆びた刃を防ぐ役割を果たしたのだ。そうでなければいまの一撃で終わっていた。
「いや」
絶体絶命の窮地に、か細い声を震わす。
現在の時点で、少女のミストは2まで減っていた。そしてボスモンスターに殺された際のミスト減少が2だから、もしここでキルされたら彼女は自身のキャラクターをロストしてしまう。自分の分身ともいえる存在を永久に失ってしまうのだ。
ミストとは、一言で示すならこの仮想世界における『命の残数』のことである。手段を問わずプレイヤーが死亡すると、ミストの数値が減少していく。そして0になると強制的にキャラクターデーターが削除されてしまう。そうなればまたキャラクターを作成するところから、はじめなければならなくなってしまうのだ。
その事態は断じて避けねばならない。だが、現実は非情だった。いまの彼女にこの窮地を脱する手段は、なにひとつ残されていなかった。
華奢な身体を震わせる少女の前でマッドラビットが止まった。硝子球のような瞳に怯える少女を映し、長い耳を揺らすと怠慢な動作で赤錆びた鋸を振り被り――直後、頭上から白い少年が降ってきた。
眩い火花が散る。錆びた鋸を右手の無骨な片手直剣で防いだ少年は、地面に座り込んだ少女を庇うように、左腕に固定された小型の盾を構えた。
白髪に白いレザーコート。色素の薄い瞳が鋭く、敵を睨みつけている。白髪の少年を危険だと判断したのか。ターゲットを細剣使いの少女から目の前の剣士に移したマッドラビットが、森に嗤い声を木霊させると地面を蹴った。
大上段から振り下ろされた鋸を跳ね上げた剣先で逸らし、少年はレザーコートの裾を翻すと身体を駒のように回転させた。
遠心力が加わった円形の盾が、裏拳ぎみにウサギの横顔に命中し、丸っこい白い体が大きく吹っ飛ばされた。マッドラビットは大木に打ちつけられ、ずるずると崩れ落ちる。
【盾】スキル、シールドバッシュ。攻撃力は低いが、対象を――相手の種類やレベルにもよる――後方に弾き、主に牽制として使われているスキルだ。
白い剣士は細剣使いのほうを一瞥すると、長い耳を揺らして起き上がった血塗れウサギ目掛けて突進した。鋸と剣の接触点で火花が散り、甲高い金属音が周囲に響き渡る。
暗い森を縦横無尽に駆け巡るマッドラビットの攻撃を的確に防ぎ、少年が振るう剣が丸っこい体に打ち込まれる。目に見えて減少する血塗れウサギのHPバーを、信じられない思いで少女は、地面に腰をついたまま傍観していた。
片手直剣を愛用するプレイヤーは、少女の知り合いにも多くいるが、ここまでの使い手は初めてだった。凄まじい速度で大気を切り裂く無骨な片手剣が、マッドラビットのHPを容赦なく削る。応戦する血塗れのウサギの鋸を歯牙にもかけない、圧倒的な攻撃速度に彼女は息を呑んだ。
マッドラビットは弱いボスモンスターではない。高い攻撃力と俊敏性、さらに攻撃対象のHPを吸収するドレインの特殊能力を持つ強敵だ。これの討伐には、50レベル以上のプレイヤーがPTを組んであたる必要があると云われている。
それを白髪の少年は、たった一人で相手にし、なおかつ圧倒しているのだ。これほどのプレイヤーは少女の知る限り――否、いた。一人だけ該当する人物がいた。白髪の少年に重なる二重円に、彼女は白い剣士の正体を悟った。
「そっか……このヒトが――」
続けて放たれた言葉は、連続する金属音に掻き消されてしまった。
白い小さな体ごと叩きつけるような重い鋸を、白髪の少年は強振の一撃で相殺すると、後方に大きく跳んだ。
彼は腰のポーチから赤い液体が満ちた小瓶を取り出し、コルク栓を親指で飛ばすと中身を一気に飲み干す。するとマッドラビットとの鍔迫り合いで減少したHPが、段階的に回復し始めた。HP回復用のポーションだ。
少年が空瓶を放り捨てるのと、マッドラビットが白い剣士に踊りかかったのは同時だった。
ケタケタと嗤う血塗れのウサギを視界に納めて、白髪の少年は目を細めて剣を下段に構えた。振り下ろされる鋸は濁った赤い光に包まれ、彼が振り上げた刀身は鮮やかな青い光を宿していた。
炸裂する赤と青。刹那の拮抗の末、赤は青に弾かれて、マッドラビットは中空でふわふわとした白い体を泳がせ、その愛くるしい顔に青い線を引く刀身が叩き込まれた。空中で滞空する血に塗れたウサギに、連続で青い閃光が吸い込まれる。
彼は手元で剣の切っ先を翻し、腰の回転を乗せた渾身の突きが、マッドラビットの胴体に突き刺さった。「ギィッ」とギザギザとした口から悲鳴を洩らし、長い耳の上に表示された赤いバーがぐぐっと減少し、そのまま止まることなく消滅した。
まだ空中にあった小さな白い体が、結晶片を撒き散らし内側から爆散した。降り注ぐ青白いポリゴン片の中、少年は腰の後ろに吊るした鞘に剣を収めると、ゆっくりとした動作で呆気に取られる少女のほうを振り返った。
色素の薄い瞳に見られ、少女はびくんと身体を震わせた。地面に尻餅をついたまま後ずさる細剣使いに、困った様子で頬を掻く少年からは、さきほどまで感じていた威圧感は綺麗さっぱり消えていた。
こういう事態に弱いのか。どう対応したらいいのか迷っているようだ。彼は少女と森の出口に繋がる道とを交互に視界に映していたが、ため息を吐くと意を決した様子でつかつかと少女に近づき、地面にぺたりと座り込んだ彼女に右手を差し出した。
「あーと、立てる……?」
多分の緊張を含んだ声色に、少女はゆるゆると差し出された右手と彼の顔とを見比べていたが、やがて恐る恐る少年の手をそっと掴んだ。
少年は細剣使いの少女の手を引き立たせ、ポーチから回復ポーションを取り出した。それを少女に手渡すと、彼女は小さく頭を下げてコルクの蓋を外した。小瓶の中身を飲んだタイミングを見計らい、彼は口を開いた。
「随分と無茶するな。一人――で、くるワケないか。他の仲間はやられたのか?」
「あの……クエストを臨時で……薬草を……そしたらあいつが……」
途切れ途切れの拙い言葉ではあったが、それだけで彼は事情を察したようだ。相槌を打つと、思い出すように言った。
「――ああ、あのクエストか。確か期間限定クエストだっけ?」
白髪の少年の問いかけに、少女はこくんと頷いた。
そもそも細剣使いの少女が、ミストの回復を待たずにこのクエストに望んだのも、クエストの受諾期限が迫っていたからだ。臨時のPTに入ったのだって、普段一緒に狩りをしている仲間に連絡がつかなかったからである。我ながら無謀だと思う。ミストを失えば、元も子もないというのに。
しかも薬草を持った仲間がそのまま逃げてしまい、PTが自動解散されたために、彼女はクエストクリア条件を満たしていない。クエストをクリアするには、もう一度紫の花を入手する必要があるのだ。
と、少女は視線を周囲に走らせて、大木の根元に生えた小さな紫の花を見つけると、身を屈めて花を摘み取った。念のために花をクリックすると、眼前に半透明の画面が表示された。ウインドに記されたアイテム名を確認する。間違いない。目的の薬草だ。
「ンじゃ、俺は行くから。君も気をつけ――」
少女がポーチに薬草を入れたのを見届けた少年は踵を返し、その体勢のまま硬直した。
どうしたんだろうと少女は首を捻り、あっ、と声を洩らす。見ると彼女の手が白いレザーコートの裾を掴んでいた。心細いのだ。
マッドラビットのリポップ間隔は二十四時間。少女がアスピールを脱出するまで、リポップすることはまずないだろう。例え再出現したとしても、それはこのダンジョンの一番奥であり、彼女がマッドラビットに遭遇する確率は皆無に等しい。
だが、頭ではそうだと理解していても、怖いモノは怖いのだ。一人で無事にダンジョンを抜け出せる保障もない。回避に専念してれば大丈夫だと思うが、それとて確証がない以上は絶対ではない。
「えっと……出口まで一緒に行く?」
少年の提案に、羞恥に頬を赤くして、少女は黙って頷いた。
ありがとうございました。
そう言って、細剣使いは再び頭を下げると、転移の発する光の中に消えていった。少女を見送った白髪の少年――ヘキサは、右手の人差し指をくるくると三回転させると、目の前に半透明のメニューウインドを出現させ、今回の狩りで入手したアイテムを確認した。
黒蝶の鱗粉に虹色尾羽、狒々の毒牙と岩鳥の涙。その他、数点の素材アイテムに混じって、新規入手アイテム一覧の最上段には、狂いウサギの鋸と表記されている。マッドラビットを撃破した際に入手したアイテムだ。確かこのアイテムは、いまだに使い道が判明していない謎のアイテム。マッドラビットからのドロップの中でも、滅多に出現しないレアアイテムだったはずだ。一説には、フラグクエストのキーアイテムではないかと囁かれているが、真相は定かではない。まあ、自分には必要のないアイテムだし、一緒に渡せばいいかと納得した。
このときヘキサがアスピールの森を訪れたのは、知り合いに頼まれた素材アイテムを集めるためだった。自身のレベルと装備を考えれば、このダンジョンでの狩り自体そう難しくなかった。
だが、複数の素材を大量に求められていたのと、偶然に通りがかった森の一角でボスモンスターに襲われていたプレイヤーを助けたことで、思いのほか時間が経ってしまっていた。彼がアスピールの森を出たときには、すでに日は沈みかけ地平線の彼方へと消えようとしていた。
ヘキサは新規入手アイテム一覧を閉じると、続いてアイテムイベントリに置かれていたアイテムを選択。ポーチの中に実体化させたそのアイテムを取り出すと目の前にかざした。
灰色の片翼を模したそのアイテムは跳躍の翼といい、街とダンジョンを三箇所ずつ登録させておけて――必要に応じて登録箇所の変更も可能。ただしその場合は古い記録データが消える――登録した場所に一瞬で移動ができる。レベルが10に上がると出現するレアクエストをクリアすることで入手する転移アイテムである。
転移の白結晶と違い、フィールドでの非戦闘時と街でしか使用できないが、消費アイテムではなく使用回数に制限がない永続アイテムなので、街とダンジョンの移動によく使われている。
白髪の少年は跳躍の翼を発動させるトリガーボイスを口にしようとし、視界の端に出現した複数の青いカーソルに口を閉じた。
【索敵】スキルが、有効範囲内まで近づいたプレイヤーに反応したのだ。周りには身を隠せるような空間はない。いまからでは彼らとの遭遇は避けられないだろう。
「いたぞッ!」
背後から鋭い声が聞こえたのは、そう思ったときだった。ヘキサは取り出したばかりの転移アイテムをポーチに突っ込むと、声がしたほうを振り返り、露骨に顔をしかめた。
どうやらダンジョンの前で待ち伏せしていたようだ。そこにいたのは揃いの白い金属鎧に身を包んだ十人組みだった。鎧の右胸には、交差した剣に盾が組み合わさった紋章が刻まれている。間違いない。現在、ファンシーでの第一勢力ギルド≪聖堂騎士団≫の紋章だ。
「貴様がヘキサだな」
リーダ格の金髪の男が一歩前に踏み出す。
「そうだって言ったら?」
訊き返しつつも、目的なんてとうに分かりきっている。
小型の円形の盾が固定されている左腕を前に垂らし、腰に吊るしてある片手剣の柄に右手を添える。
「その首をいただ――」
リーダの男が言い終えるよりも早く、ヘキサは地面を蹴った。
一瞬で金髪に肉薄すると、振り抜きざま剣を上方に跳ね上げる。眩いエフェクトが散り、上に表示されている男のHPが大幅に減少した。
「貴様ッ」
慌てて背中の両手剣に手を伸ばすが、すでに遅すぎた。
金髪が抜剣する間も与えず、ヘキサは翻した剣先を斜め左下に振り下ろし、次いで横一文字に剣を振り斬った。【片手直剣】スキル、スプライザー。
あっけなくHPがゼロになった男の体が、内側から爆散したかのように砕け散った。
「卑怯者め!」
ようやく事態を把握した残りのプレイヤーたちが、罵倒を口にしながら各々の獲物を構える。どっちが。殺気立つ男たちに内心で毒づきつつ、剣を手元に戻し、正面右にいる両手槍使いに狙いを定めた。
「なめるな!」
槍使いは右足で地面を蹴り上げると槍を突き出した。槍の先端が青いエフェクトに包まれている。【両手槍】スキル、ベクトバック。単発技ではあるが、獲物の倍のリーチと貫通属性を持っている優秀な技だ。
――と、ヘキサの視界に二重写しで赤い線が出現した。【直感】スキルによる敵性対象の攻撃予測線だ。
赤い線の終点に合わせて盾を構える。両手槍と盾が激突し、火花が散る。ヘキサはそのまま盾を傾け、槍を上方に弾いた。
釣られて泳いだ槍使い目掛け、カウンターで突きを放つ。相手のスピードが攻撃力に加わり、男のHPは一瞬でゼロになった。
両手槍使いが砕けるのと同時に、攻撃予測線が左右にひとつずつ出現する。
片手剣と刀による同時攻撃の間を縫うようにかわす。すれ違いざま刀使いの胸板に剣を叩き込み、無防備な背中に更にもう一撃喰らわせて始末すると、振り返った片手剣の男の顔面に盾での一撃を見舞う。
ダメージこそ少ないものの、虚をつかれ一瞬動きが止まったその隙を逃さず、再びスプライザーを叩き込む。
そんな、とつぶやいた男の身体が砕け散る。耳元でひゅんと空気を裂く音がした。
身体を捻り、振り下ろされた両手斧を剣で弾きながら、左手を腰の後ろのポーチに伸ばし、野球ボールサイズの丸い物体を取り出す。中に白い花が閉じ込められた透明な球体だ。
それをヘキサは、軽い仕草で前方に放り投げた。
カッと密集した一団の頭上で炸裂した球体が、冷気の花弁を舞い散らせた。華薬が二輪、白牡丹。乱舞する花弁が、金属甲冑の表面を白く凍りつかせる。
アイテム職人コテツのオリジナルである華薬は、様々な効果を練り込んだ爆弾にカテゴリーされる攻撃アイテムである。値が張るうえに使い捨て、広範囲に影響を及ぼすので集団戦には不向きなどの欠点はあるが、魔法攻撃の手段を持たないヘキサのようなソロの前衛にはありがたいアイテムだ。
その二輪たる白牡丹は、対象に水属性のダメージと凍結効果を与える。白牡丹が対象を凍りつかせられるのは僅かだが、その僅かな時間で十分ことは足りた。
すぐさま斧使いに剣戟を見舞い片付けると、ブリキ人形のように動きを錆びつかせる六人目を三度発動したスプライザーで止めを刺し、続けざまに七人目を左右の切り払いから袈裟斬りに繋げる【片手直剣】スキル、グランルーパで仕留める。
七人目のポリゴンが砕け散ったところで、残りの三人が凍結効果から開放されたが、勝敗はすでに決していた。
閃く剣が二人を切り裂く。砕ける仲間の姿に、最後の一人となったプレイヤーが、突然両手に持った大剣を地面に投げ捨てた。降参だとばかりに両手を上げると、彼は兜の下の顔色を青褪めさせて、震える口調で目の前の少年に訴えかけた。
「た、頼む。見逃してくれ! もう二度――」
胸に突きたてられた刃が、男の言葉を遮った。唖然とし目を剥く彼の身体が、輝く結晶となり砕け散った。散華するポリゴン片を横目にしながら、周囲に他のプレイヤーの姿がないのを確認し、ふうっと一息を吐くと、ヘキサは剣を腰に鞘に収めた。
ぐるりと首を巡らすと、地面にはさきほどの男たちが落とした装備品が転がっている。
ファンシーでの死亡時のデスぺナは、レベルアップに必要な経験値のマイナス五パーセントと一定確率での装備品のランダムドロップ、そしてミストポイントの減少だ。
ちなみに昔にランダムドロップの確率を検証したプレイヤーによると、ドロップ確率は約三割くらいらしい。
――もっとも『とある理由』によって、ヘキサにキルされた場合に限り、必ず装備品のどれかをランダムドロップすることになるのだが。
地面に無造作に転がっている武具をどうするか少しばかり思案するが、ここに放置しておいても消滅するだけだと思い直し、落ちている装備品をすべて回収すると、今度こそヘキサは跳躍の翼を使い転移した。