第四章 憧憬(3)
迫りくる蔦を掻い潜り、剣を一閃する。
眩い閃光が炸裂し、モンスターの頭上に表示されたHPが0になる。黄色の花弁を持つモンスターは、甲高い断末魔を木霊させると、粉々に砕け散った。
それを確認する間もなく、ヘキサは次の敵に向かって跳躍した。彼の目の前には、いま屠ったモンスターの同種が、目に映る範囲だけでも二十匹はいる。マッドプラントと表示された黄色花弁のモンスターは、わらわらと侵入者に群がっていた。
ヘキサが見たところマッドプラントの攻撃方法は、伸縮する二本の蔓の振り回しだけのようだが、その蔓が曲者だった。縦横無尽に振るわれる緑の蔦からは、紫の液体が滴っている。飛び散る液体が数滴、ヘキサの白いレザーコートに掛かり、その箇所からジュウと煙が立ち昇った。
拳を振るう黒い少女の叫び声が、白髪の少年の耳朶を打った。
「気をつけてください! その紫の液体は、四等級相当の猛毒です。連続で受け続ければ、貴方とて致命傷になりかねませんよッ」
ンなこと、相手に言ってくれ!
マッドプラントに剣を振るいながら、ヘキサは心の内で悪態を吐いた。
黄色花弁のモンスターのHPは高くない。攻撃も単純なため見切るのはそう難しくないのだが、如何せん数が多い。どこからともなく出現するモンスターに、ヘキサは早くもうんざりしていた。
七色の泉に突入して四十分あまり。ヘキサたちは当初の予定を大幅に遅れていた。このダンジョンは、断末魔の種を使用する目的地まで、ほぼ一本道が続いている。そのため出現するモンスターを素通りすることが出来ない。結果、彼らはこうして立ち塞がるモンスターを片っ端から倒しながら進むしかなかった。
とはいっても、事前に調べたこのダンジョンの適正レベルを考えれば、このメンツでここまで手こずるはずはないのだが。
大体、なんだ。四等級の毒って。そんな猛毒を持つモンスターなんて、最前線ですら滅多に遭遇しないというのに。いまその猛毒を持つモンスターが、目に前に大群で出現している。リポップする間隔も出現数も異常だ。これはもしかしたら――
「どうやら難易度調整がされているみたいです、ねッ!」
「難易度調整? それってどういう……ああもう、邪魔!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる蕾の植物に拳を叩き込むリグレットに、中空に浮かぶ綿毛に似た形状のモンスターに炎を撃ち放ちながらハズミが訊ねた。
「どうもこうもありません。明らかに事前情報と食い違っている点が多すぎます。攻略情報が間違っているとは思えない以上、これは運営側が手を加えたと考えるのが妥当でしょう」
≪草刈り≫はその特性上、キーアイテムである断末魔の種が入手困難なこともあり、そうそう発生するクエストではない。だが、攻略手段が確立されたいまとなっては、手順さえ間違わなければ、ほぼ確実にクリア出来るクエストだとも言える。後はキーアイテム入手出来るかどうか、運の問題だ。
魂魄の虹結晶は稀少アイテムであるが故に、攻略方法が確立された現状を憂いた運営が、意図的に難易度を引き上げたのかもしれない。むろん推測でしかないが、難易度が跳ね上がっているのも事実だ。
「でもそんな情報、僕が調べた限り、どの攻略掲示板には載っていませんでしたよ!?」
紫色の液体を散らす蔦を、左手に持った盾で防ぎながらリトが言った。右手には両刃の片手剣が握られている。
無数の武器スキルが存在するファンシーだが、片手直剣は攻撃力こそ平均的であるが、汎用性があり癖もないため初心者から上級者まで幅広く愛用されている。また盾を装備することが可能なため生存率も高く、片手直剣をメインにしているプレイヤーも多い。
「おそらく難易度調整されたのは、つい最近のことなんでしょう。クエスト以外でこのダンジョンを訪れるプレイヤーはそういませんから、まだ一般に認知されていないんだと思います」
「あーもー! なにもこのタイミングで修正いれることないじゃない! あたしたちがクリアするまで待ちなさいよ!」
まったくだ。理不尽な意見だとわかってはいるが、愚痴を言わずにはいられなかった。
「あうッ」
同時に繰り出された蔦のうち、斜め下から跳ね上がった蔦が、盾の隙間を縫いリトに命中した。その瞬間、ヘキサの視界の端に映るPTメンバー表示――リトの名前の横に、毒状態を示すアイコンが現れた。彼のHPバーがみるみるうちに減少していく。
間髪入れずに飛び込んできたリグレットが、リトを毒状態にしたモンスターを倒し、その光景を横目にヘキサは、ポーチから緑の液体で満たされた小瓶を取り出した。解毒ポーションだ。
「リト! これを使え!」
自分のほうに放り投げられた小瓶を受け止めると、リトはコルクの蓋を弾いて、慌てて緑の液体を飲み干した。直後、リトの毒状態が解除され、表示されていた毒アイコンも消えた。
「もう少しです。後少しでモンスターの出現領域を抜けます。目的の場所は近いです。それまでがんばってください」
「は、はい!」
続けて赤いポーションを飲み、HPを回復させたリトは、リグレットの鼓舞を受けて再びモンスター目掛けて剣を振りかぶった。その動きに淀みはなく、システムに振り回されている様子もない。スキルを自分のモノとして、使いこなしている証拠だ。
リトの予想以上の活躍もあり、ついにヘキサたちはモンスターの一団を全滅させて、目的地である七色の泉の最深部に到達した。
そこは鬱蒼と樹木が茂る森の中にあって、ちょっとした拓けた広場になっていた。広場の中心には奇怪な形のオブジェクトがあり、そこから湧き出す七色の水が泉を形成していた。この泉にキーアイテムである断末魔の種を放り込み、出現するイベントボスモンスターを倒せばクエストクリアになる。
「ねえ。ちょっと休憩しない? 流石にちょっと疲れちゃった」
地面に座り込んだハズミが、息を乱しながら言った。リトも地面に膝をついている。リグレットは立ってはいるが、肩を大きく上下させている。
確かにダンジョンに入ってからずっと、戦闘しっ放しだった。ここで一度ボスと対峙する前に、態勢を立て直す意味も兼ねて、小休憩を挟んだほうがいいかもしれない。
「そうですね。それがいいかもしれません。……リトさん。残り時間はどうなっていますか?」
リグレットに尋ねられたリトは、ポーチから種を取り出してダブルクリック。ポップアップメニューを表示させた。中空に浮かぶ画面を横から覗き込むヘキサ。思っていたよりも時間を食ってしまったが、それでも時間切れまでにはしばらくの猶予があった。
「それでどーすんの? さっさと決めてよ、ヘキサ」
「え? それ俺が決めるの?」
「当然です。今回のPTリーダーは貴方なんですから」
疑問の声を上げるヘキサに、さも当然だとばかりにリグレットは言った。
そうなのである。今回のPTリーダーはヘキサが務めているのだ。彼自身、前回のキプロス鉱山のとき同様に、リーダーはリグレットがするモノばかりだと思っていたのだが、当の彼女から自分がリーダーになるように進められたのだ。
ヘキサは謹んで辞退しようとしたが、面白がったハズミがリグレットに同調し、リトも特に反論を述べなかったため、半ば強引にリーダーを押しつけられてしまったのである。
自分に注がれる視線に、居心地が悪いのを感じつつヘキサは口を開いた。
「ンと……ここまで戦闘が続いていたし、時間切れまで時間があるから、ここでちょっと休憩しようか」
攻略情報によると、このフロアはモンスターが出現しないらしいが、運営の手が入っている可能性がある以上、その情報を鵜呑みにするわけにはいかない。
念のためにヘキサたちは、泉より少し離れた場所で休憩を取ることにした。ここなら森からモンスターが姿を現したらすぐにわかるし、対処することも可能だ。
と、全員が地面に座り込んだタイミングを見計らい、リトが控えめに言った。
「あの。よかったら食事にしませんか? ギルドのみんなに食べてもらおうかと思って、作っておいたお弁当があるんですけど」
「ホント!?」
リトの言葉にハズミは目を輝かせた。
彼は指を回してメインメニューを展開すると、竹で編まれたバスケットと水筒、それに紙コップを実体化させた。
バスケットの蓋を取ると、それぞれ中にはサンドイッチとオニギリが収められていた。漂ってくる香りに、食欲を誘われたヘキサの喉がごくりと鳴った。
「簡単なモノですけど、どうぞ食べてください」
「では、いただきます」
「いっただきまーすっ」
サンドイッチを口元に運ぶ二人を尻目に、ヘキサもオニギリに手を伸ばした。
「上手い。リトって【料理】スキルを上げてるのか?」
一口、オニギリをほうばったヘキサは感心したようにつぶやく。中身は定番の梅干なのだが、海苔のパリパリ感に、適度に塩味が効いていて美味しい。
「はい。初めはギルドの人たちに進められて、なんとなくで試してみたんですけど。思っていたよりも楽しくて。まだまだ熟練度が低くて、簡単なモノしか作れないんですけどね」
「そう? こんだけ美味しければ上出来じゃない?」
「私もそう思います」
「そ、そうですか……? そう言ってもらえると嬉しいです。僕にはこれくらいしか出来ませんから」
ヘキサたちの賛辞にリトは照れたように髪を掻くと、自分もサンドイッチにかぶりついた。
「そんなことないと思うぞ? さっきの戦闘見てたけど、十分戦えてたじゃないか。正直、予想してたよりもずっと強かった」
さきほどは被弾して猛毒状態になっていたが、あれはスキル使用後の硬直時間中に、振り回された蔦が偶然、盾をすり抜けてしまったにすぎない。
そこまで言って、ふとヘキサは頭に浮かんだ疑問を口にした。
「そういやリトって、普段は壁剣士なのか? 戦い方がどっちかというと、守りよりに見えたけど」
「あ、はい。そうです」
その言葉に驚いたようにリトは頷いた。
壁剣士とは、前衛で敵の攻撃を受け止めてパーティの仲間を守る役割のことだ。これによって他の仲間がより安全に、敵を攻撃することが可能になる。ヘキサにはリトの動きが、攻める戦い方ではなく守る戦い方に重点が置かれている気がしたのだ。
「凄いですね。動きを見ただけで、そんなことまでわかるんですか」
「いやいや、なんとなくだって。それに盾が手持ちのタイプだったしな」
米粒のついた指先を舐めながらヘキサは言った。
盾には二種類がある。手に持つタイプの盾と腕に固定するタイプの盾だ。
手に持つタイプの盾は大型で攻撃を防ぎ易く、また防御力も高い。対して腕に固定するタイプの盾は小型で攻撃を防ぐのにコツがいるが、片手が空くために戦闘をしながらアイテムを使えるという利点がある。どちらも一長一短で一概には言えないが、戦闘から回復まで一人でこなさなくてはならないソロプレイヤーは後者を、PTプレイを前提にしたプレイヤーは前者を選択する傾向がある。
「攻撃よりも守るほうが、僕の性に合ってる気がするんですよ。攻撃は他のみんながしてくれます。だから僕はそんな仲間を守りたいんです。きっとそれが、僕の役割だと思うから」
「――リトは」
遠い目をする黒髪の少年に、意識せずに口が開いた。
「リトはこのゲームが楽しいか?」
なんでそんなことを口走ったのか。ヘキサ自身にもよくわからなかった。ただ彼の横顔を見ていたら、ふと訊ねてみたくなったのだ。
「ファンシーが好きだって言える?」
若干の間の後、リトは芯の通った口調で言った。
「ええ。楽しいですよ。もちろん嫌なこともたくさんあるし、特に最近は色々とあって辛い思いをすることもありますけど」
それでも僕はこの世界が好きだ、と。仲間と冒険するのが楽しいんだ、と黒髪の少年は笑った。その笑顔にヘキサは、眩しいモノを見るかのように目を細めた。
「ヘキサさんはどうなんですか?」
「……俺? 俺は……どう、なんだろうなぁ」
逆に訊き返されて、ヘキサは首を傾げると沈黙してしまった。
果たして自分が純粋にファンシーを楽しんでいたのはいつのことであろうか。いまの自分はゲームを楽しんでいると、このゲームが好きだと断言出来るだろうか。
……おそらく出来はしないだろう。
それはマンイータであり、現実での霧の件であり、理由を挙げれば様々である。そのどれもがヘキサにとって頭痛の種であり、お世辞にもゲームを楽しんでいるなどとは、口が裂けても言えない。
この胸に在るのはただひとつ。
這いつくばってでも前に進み続けろという、凡そゲームには相応しくない脅迫観念じみた想いだけだ。そこにはゲームを楽しもうだなんて気持ちはなく、ましてやこの世界が好きかどうかだなんて意識の外。まるで眼中になかった。
初めはこうではなかった。最初の最初。製品版のファンシーを手に入れ、初めてこの世界にログインしたとき、そこには純粋な想いがあった。どこまでの広がる世界に心臓を高鳴らせ、興奮と期待で胸を躍らせていたはずだ。
あのときの気持ちを自分はどこに置き捨ててきたのか。ヘキサは自分が最後に笑ったのがいつだったか、思い出すことが出来なかった。
すると無言で俯いてしまったヘキサに、リトは慌てた様子で矢継ぎ早に言った。
「あ、無理に答えてもらわなくてもいいです。僕もちょっと訊いてみたかっただけですから。別に楽しんでいるかどうかなんて、個人の勝手ですよね」
「いや……それは違う」
これはゲームなのだ。
ゲームは楽しいから、好きだからやるモノなのだ。苦痛に顔を歪めながら続けるゲームに、果たしてどれほどの価値があるというのか。それはゲームと呼べる代物なのか。
むろん楽しみ方などヒトによって千差万別だろうが、少なくともヘキサはファンシーを楽しいからではなく、一種の義務感でプレイしている。それだけは確かだった。
「リトの言う通り、ゲームは楽しいモノのはずなんだ」
それは単純で、だからこそとても大切なこと。忘れてはならない正しい在り方。ゲームは楽しい。楽しいからプレイするのだ。
「そうだよな。これはゲームなんだ。楽しまなくちゃ損だよな。……って、あれ?」
と、ふとヘキサが我に返ると、リトだけではなくリグレットとハズミも、手を止めて彼のほうを見つめていた。
途端に、ヘキサは自分の発言が恥ずかしくなって、赤くなった顔を伏せた。思わず本音で話してしまったが、いまにして思い返すとかなり赤面モノである。ハズミ辺りに、なに真面目に語ってるの? などと突っ込まれようものなら、自分で自分のHPを0にして、文字通りこの場から消えてしまいかねない勢いだ。
「――そういえばまだ訊いていませんでしたが、リトさんは魂魄の虹結晶を入手したら、どうするつもりなんですか?」
気を利かせてくれたのか。リグレットは咳払いをすると、首を巡らしてリトに問うた。場の空気を察したのか、彼は彼女に素直に答えた。
「プレゼントするつもりです」
その答えに、ヘキサは感心して頷いた。自分で使わないまでも、売れば一財産築けるというのに。それをプレゼントしようとは、中々出来ることではない。
「誕生日が近いんですよ。今年はちょっと驚かしてやろうと思って」
「今年は?」
「……えっと。その相手は僕の妹なんです。……実際にゲームで会うまで、ファンシーをやってるのは知らなかったんですけどね」
そう苦笑いをするリト。
「……妹、ね」
誰にも聞こえないよう小声でヘキサはつぶやいた。
個人情報なのでそれ以上問うような真似はしないが、リトの表情を見る限り、兄妹の仲は良好のようだ。妹の誕生日を祝う兄。真に素晴らしきは兄妹愛。
さて、では自分はといえば? 自分の妹の誕生日すらうろ覚えな自分は、ひょっとして兄失格なのではないだろうか? というか、最後に奈緒の誕生日を祝ったのはいつだったっけ? ……そりゃ嫌われるわな。
今更その事実に気がついたヘキサは、自業自得な自分を顧みて、重たいため息を吐いた。
「ン? ヘキサいまなんか言った?」
「……別に。……それよりハズミは兄妹いるのか?」
深く突っ込まれたくなかったヘキサは、話をズラそうと咄嗟に小首を傾げるハズミにそう言った。すると赤髪の少女は、苦虫を噛み潰したような表情で沈黙してしまった。
もしかして地雷を踏んだ? と焦るヘキサに、横から涼やかな声がした。リグレットだ。彼女は水筒の紅茶を紙コップに注ぎながら言った。
「ハズミにはお兄さんがいるそうですよ。ですよね?」
「あ……その……うん。いるよ。ひとつ年上の兄貴が、ね。……でも、仲はあんましよくないかな。ここのトコはあんまり話さないし。……あたし、兄貴に嫌われてるのかも」
小声で囁くようにつぶやくハズミ。
なにやら重苦しい雰囲気が周囲を漂う。粘ついた空気を察したヘキサが、慌てて捲くし立てるように言った。
「け、けどさッ! 本人の口から嫌われてるって、言われたわけじゃないんだろ。だったらハズミの勘違いかもしれないじゃないか!」
「最近は話していないとも言いましたよね? 案外、お兄さんも同じように思っているかもしれませんよ?」
「そう……なの、かな?」
「きっとそうだって! 俺にも妹がいるんだけどさ。全然話していないけど、嫌ってなんかいないし! むしろ俺のほうが疎ましがられてるんじゃないかと思ってるし!」
「でも……」
「ハズミはお兄さんのことが嫌いなのですか?」
「……嫌い、じゃない」
「お互いがお互い同士、誤解してるだけかもしれないぜ? 今度、顔を合わしたときにでも、思い切って話しかけてみたらどうだ?」
ヘキサの言葉に神妙な表情をするハズミだったが、一拍の間を置き「わかった」と口にした。その一言に安堵するヘキサ。
だが――、
「ところでさ。ヘキサにも妹がいるんだよね?」
「……そんなこと言ったかな?」
そういえば焦りのあまり、うっかり口が滑ってしまったような気がする。
「言った。あたしと同じような状況だとも。……ってことは、ヘキサも妹に嫌がられてるって、誤解してるだけかもしれないよね?」
そこでハズミは本来の勝気な笑みを口元に浮かべた。対照的にヘキサはその笑みに、猛烈に嫌な予感がした。
「ということで、ヘキサも妹と今度話し合いね」
「そんな!?」
ハズミの断言口調に悲痛な悲鳴を上げるヘキサ。冗談じゃない。ハズミはともかくとして、こちらは本当に嫌われている可能性が大なのだ。なんで自分から傷口に塩を擦り込むような真似をしなければならないのだ。大体、面を合わせて嫌いなんて言われてみろ。その場で首を括りかねないぞ。
「文句あるの? ……まさかあたしにはさせといて、自分は嫌だなんて言うつもりじゃないでしょうね?」
すっかりいつもの調子に戻った彼女の口調に、痛いところを突かれたヘキサは喉の奥で苦しげに呻いた。しばらくの間、抵抗するようにもごもごとしていたヘキサだが、やがて肩を落として降参した様子で口を開いた。
「……わかった。やるよ。やればいいんだろ」
「よろしい。じゃあ、決定ね」
パン、と手を合わせるハズミ。なんというか。藪を突っついたら大蛇が飛び掛ってきた心境だった。がっくりと項垂れるヘキサの耳朶に、リグレットの声が聞こえてきた。
「話がまとまったところで、そろそろ休憩はおしまいにしませんか? 残り時間もあまり残されていないでしょうし」
「え、もうそんな時間? ……ホントだ。ほら、ヘキサ。ぼうっとしてないでゴミ片付けて。そろそろ行くわよ」
「……了解」
時間を確認したハズミの言葉に、手に持っていた紙コップの中身を一気飲みするとゴミを片付け、バスケットと水筒の実体化を解除してインベントリに戻した。そして再度、装備やアイテムのチェックをすると彼らは揃って泉の前に立った。
「さて、と」
思考を切り替えた――問題の先送りともいう――ヘキサは、≪草狩り≫に関する情報を頭の中でまとめた。
前述した通り、この泉にキーアイテムである断末魔の種を投げ込むことで出現する、イベントボスモンスターを倒せばクエストクリアになる。
このとき注意しなければならないことがいくつかある。
ひとつ目は魂魄の虹結晶は、断末魔の種を泉に放り込んだプレイヤーが、ボスモンスターを倒すことでしか入手出来ない点だ。当時、某大型情報掲示板で偶然にこの法則が発見されるまでに、何人のプレイヤーが泣きを見たことか。一時はランダムドロップとさえ言われていたのだ。
ふたつ目はボスモンスターの出現と同時に、周囲に取り巻きのモンスターが現れることだ。しかもこの沸きモンスターは数が減ると自動的に再リポップされる。しかも断末魔の種を使用したプレイヤーを優先的に狙うという、嫌らしい思考パターンをしているのだ。
そして最大の問題点は、どこまで運営の手が入っているかわからない点だ。クリア条件までイジられてたら流石にお手上げである。
「その心配はないと思いますよ」
「なにか根拠でもあるのか」
あくまで私見ですが……、と言ってリグレットがポーチから出したのは、クリップで留められた数枚の紙だった。ここに来る直前にリトから渡された、≪草刈り≫に関する攻略情報だ。前日のうちに一通り、彼がまとめていたのだ。
「この攻略情報と照らし合わせて見ると、ダンジョンの構成や仕掛けが変更された様子はありません。この最深部のフロアにも変更点は確認出来ませんし、以上のことから今回修正されたのは、モンスターの一部変更及び、レベルの引き上げと出現数の調整のみに留められていると私は考えます」
「クエストのクリアフラグに直接関わる修正はされてないってこと?」
「確証はありませんが」
「なくてもやるしかないんじゃない? 他に方法があるわけじゃないしさ」
ハズミの言う通り。他に案がない以上、運営が設定を変更してない可能性に掛けるしかない。
「となると、誰が断末魔の種を使うかだな」
種を使用したプレイヤーがボスを倒す必要があるということは、逆にいえば種を入手したリトが種を使わなくてもいいということだ。ヘキサは植物系統との相性がいいハズミが種を使用するのが、もっとも成功率の高い方法だと考えた。複数でボスを攻撃すると、誤って種の使用者以外が、トドメを刺してしまう可能性があるからだ。攻撃はハズミに任せて、自分たちは彼女の護衛をしつつ、周りの取り巻きの相手をすればいい。なんだったら、自分が使用するのもいいだろう。
そう思ったのだが、
「……種は僕に使わせてもらえませんか?」
強い意志の宿った口調でリトが言った。
「ヘキサさんたちが使ったほうが、成功確率が高いのはわかっています。……けど、最後は自分の手でやりたいんです」
勝手ですけどお願いします、と言う黒髪の少年に、ヘキサは右手で前髪を掻きながら口を開いた。
「別にそれでいいんじゃないか? ……俺たちはリトの手伝いだからな。リトのしたいようにすればいいさ」
リグレットとハズミからも特に反論の声は上がらなかった。
「ほれ。とっととやっちまおうぜ?」
その言葉に頷くとリトは、七色に輝く泉に種を掴んだ右手を伸ばし、そっと指先の断末魔の種を泉に落とした。
七色の泉の水面で小さな波紋が広がって――直後、凄まじい勢いで水面が爆発した。立ち昇る水柱の中から二つの輝きがヘキサたちをねめつける。
「下がれ!」
ヘキサの怒声に四人は、降りかかる水滴を弾き、後方に飛び退った。
身構えるヘキサたちの前方で、七色の水柱を突き破り、白い蕾が躍り出た。蕾の端からは何本モノの太い緑色の茎が螺旋を描き伸び、七色に変化する水面の底に沈んでいる。
ヘキサたちが状況を見据えている中、白い蕾がゆっくりと花開いた。綻ぶ蕾の隙間から黒い影が覗いた。開花する白い花弁から姿を現したのは、健康的な褐色の肌の女性の上半身だった。長い髪を優雅に片手で払う女性の上半身は、豊かな胸だけを木の葉で隠したかなりキワドい格好をしていた。他にはなにも身につけていないので、花弁から生えた上半身の細長いヘソまでもはっきりと見えた。
視界に現れるカーソルの色は黒。名前はドライアード。古い木の妖精は魅惑的な肢体をくねらせると、自身に牙を剥く冒険者たちを睥睨した。
「――、おお」
艶然と微笑む妙齢の美女に、思わず感嘆の声を上げてしまったヘキサだったが、背後から叩きつけられた冷気に、口を噤みざるを得なかった。
「……どこを見ているんですか?」
「なにが、おお、なのかな? 黒焦げになりたいのかな?」
笑いさえ含んだ口調に、ヘキサは振り返ることが出来なかった。額に嫌な汗が浮かぶ。背後からの殺気がボスにではなく、こちらに向いているように思えるのは、自分の気のせいだと思いたい。
「リ、リト。生命の赤結晶をいつでも使えるようにしておけよ。お前が死んだらここまでの苦労は全部、水の泡なんだからなッ」
全身を這う恐怖――主に背後からの重圧――に、多少どもりながら言うと、やや頬を赤くしたリトが首肯した。
そのときだった。突然、ドライアードが口腔を大きく開き、甲高いカナきり声を響かせた。硝子を擦り合わせたかのような雄叫びに、ヘキサたちは本能的に身を竦ませた。
その声に反応して、地面の至るところが盛り上がった。土を掻き分けて這い出して来たのは、植物の根のような外見を持つモンスターだった。マンドラゴラ。古い樹の妖精を取り巻く魔物は、ギィギィと不快な音を発した。
「これはまた……ウジャウジャと出てきたモンだな」
視界を埋め尽くさんばかりの赤いカーソルに、顔をしかめて腰の柄に手をやるヘキサ。リトも半身なり剣と盾を構える。別の意味で殺気だっていたハズミとリグレットも戦闘モードに移行していた。
「来ますッ!」
リグレットが鋭く叫び、ヘキサは鞘から剣を抜き放った。