第四章 憧憬(2)
宿屋から出たヘキサは、大きく深呼吸をした。
何度も深呼吸を繰り返すうちに頭痛は消えて、気分も大分マシになった。新鮮な空気が胸に蟠ったモノを浄化してくれたようだった。むろん仮想データでしかないワケだが、そこは気分の問題だ。
一度上体を大きく逸らして伸びをすると、リグレットの店に行こうとして、視界の端に偶然映りこんだ光景に踏み出しかけた足を止めた。
ヘキサの視線の先にはプレイヤーの一団がいた。その一団は、一人のプレイヤーを三人のプレイヤーが捕りこむようにして歩いている。中央にいる幼い顔立ちをした黒髪の少年は、困惑した表情で自分を取り囲むプレイヤーたちを見回している。
歩く方角からするに街の外に向かっているようなのだが、どう控えめに見ても仲良く狩りに出掛けるような雰囲気には思えない。
「あちゃー。嫌なモン見ちまったな」
遠ざかる彼らの背中を眺めるヘキサは、苦虫を噛み砕いたかのような顔つきをしていた。やがて一団の姿は建物に隠れて見えなくなってしまった。
ヘキサは棒立ちのまま左右を見るが、運が悪いことにその日に限って、周りには他のプレイヤーの姿は見えない。
「さて、と……どうしよう?」
見なかったことにして、予定通りリグレットの元に行くのもひとつの手だ。ただでさえ争いことに巻き込まれやすい身分なのだ。なにも自分から進んで厄介事に首を突っ込むこともあるまい。
「うん。そうだよな」
それになにかあると決まったわけではない。もしかしたら自分の勝手な思い過ごしで、本当にただ狩りに行くだけなのかもしれないし。それにこちらにも先約がある。あんまりリグレットを待たせるわけにはいかない。これ以上迷惑をかけられないのだ。
そう結論づけ、ヘキサは止まっていた足を動かす。
いつものように舗装されている通りの端を、目立たないように歩く。だが、その足取りは重い。徐々に歩く速度が遅くなり、後ろから来る人々に追い越されていく。
そしてリグレットの店まであと少しの地点で、ヘキサの歩みは完全に止まってしまった。
「……仕方ないか」
はあっ、とため息をひとつ。
白髪の少年は身体を反転すると、目的地とは真逆の方向に走り出した。あれからまだそう時間は経っていない。全力で走れば城門付近で追いつけるはずだ。
瞬発力にモノをいわせて全力で街を駆け抜けたおかげで、思ったよりも早く城門に辿り着いた。首を巡らして、周囲を見回す。
さきほどのプレイヤーたちの姿はどこにもなかった。
もうどこかに行ってしまったのか。それとも方向が間違っていたのか。そう考えたとき、視界に人影が飛び込んできた。遠くで輪郭しかわからないが、街を囲む城壁の傍に屯するプレイヤーたちの姿があった。
もしやと思いそちらに行くと、間違いなかった。さきほどの一団だ。さらに近づくと、そこには案の定な光景が展開されていた。
「いいから! よこせよ、ソレ!」
「……で、でも。さっきは手伝ってくれるって……」
「はぁ!? ンなモン、知らねーよ」
「つーか。本気にしてたの? ばっかじゃね?」
黒髪の少年は城壁に背中を押し付けられ、その周りを三人のプレイヤーが囲んでいる。三方向をプレイヤーに、一方向は壁によって身動きがとれなくなっている少年は、逃げることが不可能な状況に追いやられていた。
「うざってぇなぁ。……いいからよぉ。早いトコそいつを――」
「そこまでにしとけよ」
三人組の台詞を遮り、ヘキサは前に一歩踏み出した。突然の闖入者の声に、彼らは驚いたようにヘキサのほうを振り返った。
「放してやれよ。嫌がっているじゃないか」
「ンだ、お前?」
正義面した馬鹿な奴とでも思っているのだろう。割り込んで来たのが一人だけだとわかると、三人組みは表情を一変させて小馬鹿にした笑みを浮かべた。
「邪魔すんじゃねーよ。手前も痛い目にあいたいのかよ?」
「お、おい」
少年の前に立つ男が手に持つ短剣をチラつかせると、仲間がその肩を掴んで揺らした。男は不愉快そうに自分の肩を掴む仲間を見やった。
「ああ? なんだよ」
「こいつ、ヤバい。カーソルの色が」
短剣を持つ男の顔色が変わった。ようやくヘキサのカーソル色に気がついたのだろう。赤いカーソル。レッドネームプレイヤーの証に。
「白髪に片手剣。……う、嘘だろ。こいつ、マンイータだ!?」
口から洩れる声は最早、悲鳴だった。
仮面舞踏会の首領ナハトと並び恐れられる最凶のPK。そのマンイータがいま彼らの目の前にいるのだ。その事実に彼らは震え上がった。
「な、なんだよ」
唾を飲み込んだ男が、歪んだ声色で言った。
「お前には関係ないだろ。どっか行けよ」
「そ、そうだ。こいつをどうしようと俺たちの勝手だろ。部外者が口出しするなッ」
その一言に、ヘキサは目を細めた。
「ふうん。――じゃあ、あんたらをキルするのも俺の勝手だよな?」
言って、腰の剣の柄に手をやり、鞘から半ばまで剣を引き抜く。陽光を反射して、刀身がギラついた光を放つ。
これにはプレイヤーたちは顔を青ざめさした。どう対応しようかと、彼らは黒髪の少年とマンイータを交互に見回した。
「く、くそがぁ……!」
自棄になったのか。目の前の男が短剣を掲げて、ヘキサに襲いかかってきた。振り下ろされる短剣が白髪の少年の胸に突きたてられる――その刹那、ヘキサの右手が霞んだ。
それは一瞬の出来事だった。
弾かれた短剣が宙に舞った。中空をくるくると回転する短剣が地面に落下する。呆気に取られ尻餅をつく男の眼前には、剣が突きつけられていた。
「次は容赦しない」
それがトドメだった。
顔色をなくした男はよろよろと立ち上がると、地面に転がる短剣を回収して、そのまま街のほうに歩き出した。他の二人もそれに倣う。三人組はそれぞれ小声で悪態を吐くと、彼らはヘキサの脇を小走りに通り過ぎて、街の中へと姿を消した。
その場には、ヘキサと黒髪の少年の二人だけが残された。
「あー……大丈夫か?」
片手を伸ばすと黒髪の少年は、口から呼気を洩らして壁に張りついた。その動作はまるで白髪の片手剣使いから少しでも遠くに離れようとしているようだった。
自分を脅迫する相手が代わった。少年からしてみれば、そういう認識なのかもしれない。
慣れないことはするべきではない。ヘキサはつくづくそう思った。やっぱり柄ではないのだ。人助けなんて。
「んっと。大丈夫そうだから俺、行くわ」
剣を鞘に収めたヘキサは頬を指先で掻き、怯える少年に背中を向けた。
「恐喝まがいなことするプレイヤーもいるんだから気をつけろよ。じゃ――なごぉッ!?」
自分の意思とは無関係に肺の空気が吐き出される。
黒髪の少年が後ろからヘキサの襟首を掴み、思いっきり引っ張ったのだ。そのために首が絞まったヘキサは、上体を後ろに仰け反らせてしまう。
「待って下さい。僕の話を聴いてください!」
無我夢中で引っ張るので、さらに首元が絞まる。ぐえっ、と変な言葉が口から勝手に溢れる。
「わ、わかった。聴く、聴くからっ。とりあえず手を離せって!」
「……え? あ……ご、ごめんなさい!」
ヘキサの言葉に少年は慌てて手を放した。咳き込むヘキサは息を整えると、改めて少年のほうに向きなおった。
「ごほっ。びっくりした。……あーいいって。別に気にしてないから」
ぺこぺこと頭を下げる少年に苦笑すると、彼が頭を上げるタイミングを見計らって言った。
「で? 話ってなに? 俺に用でもあるのか?」
「は、はいそうです。あ、あの……」
そこまで言って少年は口を噤んだ。黒い髪の少年は目を左右に泳がせると、意を決した様子で口を開いた。
「僕を――助けてください!」
真剣な表情でそう言った黒髪の少年に、ヘキサは目を瞬かせた。少年は腰にある自分のポーチに手を伸ばすと、茶色っぽい種のようなモノを取り出した。
「これを見てください」
首を傾げながらも、その種を受け取るヘキサ。
「……! これは……」
指の間で胡桃によく似た形状の種を転がしていたヘキサの顔色が変わった。転がすのを止めると、眼前に掲げて目を凝らした。
「断末魔の種……だっけ? フラグクエストのキーアイテムの?」
少年は無言で頷いた。
クエストはそれぞれの都市にあるギルドの斡旋所で受けることが出来る。クエスト内容はモンスターの討伐からアイテムの運送まで様々あり、一度しか受けられないクエストもあれば、何回でも繰り返し受けられクエストもある。
通常、クエストは斡旋所で受けるのだが、それとは別にモンスタードロップのアイテムによって進行する特殊なクエストがある。通称、フラグクエスト。それは滅多にお目に掛かれるモノではなく、それだけにクリア報酬も群を抜いている。
ヘキサの手に中にある断末魔の種は、植物系統のモンスターが極低確率でドロップするモノで、とあるフラグクエストを進行させるために必要なキーアイテムである。
クエスト名は≪草刈り≫。正式な呼称ではない。フラグクエストには名称がないため、プレイヤーたちが呼びやすいよう勝手にそう呼んでいるのだ。
≪草刈り≫はすでにクリア者のいるフラグクエストで、一応の攻略法が確立されている。ヘキサも以前に攻略サイトで見た記憶がある。
そのときの記憶が間違っていなければ、確かクエスト報酬は――、
「魂魄の虹結晶」
それは現在のファンシーで、もっとも稀少価値の高いレアアイテムのひとつだ。このアイテムは使用すると、現在のステータスポイントに4ポイントが追加される。つまり魂魄の虹結晶を使用したプレイヤーは、約1レベルアップ分に相当するポイントを入手可能なのだ。
「それはさっきの連中も必死になるよな」
指先の種をしげしげと眺めながら、ヘキサはつぶやいた。
たかが4ポイントと侮るなかれ。プレイヤー――特に上級と呼ばれる人種は、その1ポイントのために気の遠くなるような作業を延々と繰り返しているのだ。
来る日も来る日も、狩りに明け暮れる日々。1ポイントに価値を見いだす。それがネットゲームの世界ともいえる。そんな彼らにとって、無条件でポイントが加算される魂魄の虹結晶は、喉から手が出るほど欲しいアイテムなのである。
魂魄の虹結晶が市場に出品されることは滅多にないが、一度出品されれば消費アイテム――結晶アイテムとしても――異例の高値で売買される。売り捌けば億万長者も夢ではない。売る側と買う側、双方にとって正に夢のアイテムなのだ。
「俺も実物ははじめて見たよ。……えっと――」
「あ、僕、リトって言います。あなたはヘキサさん――、ですよね?」
「……ああ。そうだ。……でだ。こいつを持ってるってことは、リトは≪草刈り≫に挑戦するつもりなんだよな。言いたくなければいいけど、レベル訊いてもいいかな?」
「ええ。僕のレベルは――」
リトが口にしたレベルは平均レベル帯より頭ひとつ抜け出していたが、攻略サイトで見た情報と彼のレベルとを照らし合わせたヘキサは、渋い顔になり眉をしかめた。
「そのレベルだとソロはちょっと無理じゃないか?」
彼と同程度のレベルのプレイヤーが、あと二人……いや、三人は欲しいところだ。
「僕もそう思ったんで、最初はギルドの人たちと一緒に行くつもりだったです」
けど、と黒髪の少年は俯き、
「間が悪いというか。メールを送っても返事が返ってこないんです。それでギルドの斡旋所で募集をかけてみたんですけど……」
「それがさっきの奴ら?」
「……はい」
無茶するなぁ。それが肯定するリトに対するヘキサに感想だった。
モノがモノだけに、オープンで募集してしまえば、はじめから横取り目当てで近づいてくる奴らもいるだろうに。現に彼は危うく断末魔の種を奪われかけているのだ。
「なにもいますぐじゃなくても。連絡がついてからギルドのメンツと一緒に行けばいいじゃないか?」
「それはですね。……ちょっといいですか?」
ヘキサから種を受け取った少年は、手の平の種を指先で二回叩き、ポップアップメニューを表示させた。そこには断末魔の種の使用方法と共に、3:15という時間が表示されていた。ヘキサが見ていると表示されている時間が、3:14に切り替わった。どうやらそれはカウントダウンのようだ。
その時間表示に、ヘキサは過去に見た≪草刈り≫クエストの情報を思い出した。この時間表示は制限時間を示しているのだ。カウントがゼロになるまでに、断末魔の種を特定の場所で使用しないと、このアイテムは消滅してしまう。無論、その時点でフラグクエストを進行させることは不可能になってしまう。
残り時間は三時間少々。移動時間を考えるとギリギリかもしれない。リスクを承知で攻略メンバーを募ったのは、この時間制限が原因なのか。
「お願いします。ヘキサさん!」
リトはヘキサに詰め寄ると、レザーコートを握り締めた。
「ギルドのみんなを待っていられるほど、時間が残されていないんです。僕に力を貸してください!」
よほど切羽詰っているのか。白髪の少年に頭を垂れて、レザーコートを握る彼の手は、小刻みに震えていた。
「……あの、さ。俺が横取りするとは考えないのか?」
「え?」
「いや、だから俺が種を掻っ攫うとは、思わなかったのかなってさ」
きょとんとするリトは、ゆったりと口調で言った。
「確かに最初は怖かったですけど。助けてくれましたし。……僕にはあなたが悪いヒトには思えないから」
その言葉と敵意のない眼差しに、ヘキサは目を丸くした。悪いヒトには見えない。初対面の相手にそう言われたのは、いつ以来であろうか。
照れくさいやら恥ずかしいやらで、彼はリトから視線を外す。
「俺としては、手を貸すのは構わないんだけど」
「ホントですか!?」
「けれどな……」
顔を輝かせるリトに、頬を掻きながらヘキサは言いづらそうに口を開いた。
「実は先約があってさ。そいつのトコに行く途中だったんだよ」
「あ……そう、ですか……」
みるみるうちにリトから笑顔が萎んでいく。裾から手を放すと、肩を落として、無理やり作った笑顔で言った。
「それじゃあ……仕方がない……ですね。僕、これからもう一度、ギルドの斡旋所に行ってみます。……すみませんでした……無理言っちゃって」
「おい。ちょっと待てって」
気落ちした背中に声をかけるヘキサ。振り返るリトにヘキサは言った。
「早合点するなよ。確かに先約があるって言ったけど、断るとは一言も言ってないだろ」
「え。それじゃあ」
「まあ、これもなにかの縁だし……いいよ。手伝うよ。……ただその前に、あいつに狩りにいけなくなったって、言いにいかなくちゃならないから。ちょっと寄り道することになるけど」
それに事情を説明すれば、手を貸してもらえるかもしれない。声には出さずに内心でつぶやく。一人でも戦力が多いに越したことはない。
「は、はい! 全然、大丈夫です。それくらいの時間はありますから」
「ンじゃ、行こうか」
安堵した様子のリトにそう言うと、二人は街の城門に向かった。ヘキサの少し後ろから着いてくる黒髪の少年。
その光景にヘキサは、以前に所属していたギルドでの日常を思い起こした。あのときもこうして彼は、自分を師匠と呼ぶ少年と行動を共にしていた。
それはいまとなっては戻り得ぬ日々。色褪せた思い出の過去。
「? どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
白髪の少年は過去の残滓を掻き消し、当初の目的地へと足を踏み出した。
「おっそーいッ!」
ドアを開けたら間髪いれずに店内に響いた怒声に、ヘキサは目を丸くした。カウンターの前で赤毛の少女が、腰に手を当てて仁王立ちしている。
「まったく、もう。どこで道草食ってたのよッ」
「ハズミ……? なんでここにいるんだ?」
呆けた口調の言葉に、ハズミはむっと眉をしかめた。
「なによ。あたしがいちゃ駄目なの?」
「駄目ってことはないけどさ」
予想外の人物にどう対応したモノか戸惑っていると、奥の工房のほうから物音がした。店内と工房を繋ぐドアが開き、黒髪の少女が顔を覗かせる。
「私が誘ったんです。狩りは人数が多いほうが、なにかと便利ですし。いけませんでしたか?」
「いや……俺は構わないけど……」
リグレットの言葉にヘキサはもごもごと口の中でつぶやいた。
「よかったですね、ハズミ。同行しても問題ないそうですよ」
「な、なに言ってんのよ。あたしはリグレットが誘ったからここにいるんだから。別にヘキサの同意なんて必要ないわよっ」
「そうですか。これは失敬」
なにやら挙動不審な仕草をするハズミに、リグレットは薄く微笑んだ。
少女たちのやりとりにヘキサは、頭にハテナマークを浮かべた。この二人が一緒にいるところを目にする機会が増えたが、こんなに仲がよかっただろうか。この前のキプロス鉱山が初対面だったはずなのだが。
「あ、あの……」
と、後ろからレザーコートの裾を引っ張る手があった。肩越しに振り返ると、すっかり蚊帳の外に置かれたリトが、所在なさげに立っていた。
そうだった。早いトコ彼女たちに事情を説明してしまわなければ。いまは少しの時間も惜しい。
「ん? ヘキサ。あんたの後ろにいるの誰よ?」
そこでヘキサの背後の人影に気がついたハズミが、リトを指差しながら口を開いた。ちょうどいいとばかりに、ヘキサは背後のリトを前に引っ張り出した。
「リトって言うんだ。ついさっき偶然会ったんだけど……すまん。俺、今日の狩りに行けなくなった」
「はあ!? なんでよッ」
「実は――」
鼻息を荒くするハズミを宥めながらヘキサは、簡潔に経緯を話した。リトがフラグクエストのキーアイテムを入手したこと。クエストの時間制限が迫り、ギルドのメンバーと連絡がつかなかった彼が、斡旋所で募集をかけたところ性質の悪い連中に捕まり、キーアイテムを強奪しかけられたこと。それを偶然目撃した自分が割って入り、なりゆきでリトの手助けをすることにした、と矢継ぎ早に説明した。
「――というわけで、俺はこれからリトとクエストに行くから、リグレットたちとは行けなくなったんだよ」
約束してたのにゴメン、と頭を下げるヘキサ。だが、いまのは経緯を説明しただけ。彼女たちに話さなければならないことは、むしろこれからなのだ。
「……それでなんだけど。よければリグレットとハズミにも、クエストを手伝ってもらいたんだ。……駄目かな?」
「あの、僕からもお願いします。出来る限りのお礼はしますから、手を貸してもらえませんか?」
ヘキサの言葉に倣うように、リトも口を開く。対してリグレットからの返事はない。やっぱりムシがよすぎるか。その沈黙にヘキサはそう思ったのだが、
「ええ。いいですよ。……ハズミも構いませんか?」
「いいわよ。断る理由もないし」
あっさりとそう言った二人に、ヘキサは感謝しつつも逆に拍子抜けしてしまった。
「……頼んでおいてなんだけどさ。リグレットたちはリグレットたちで、狩りの予定立ててたんじゃないのか? 確かに手を貸してもらえるのはありがたいんだけど」
「そのことなら心配しなくても大丈夫です」
「どこに行くかはヘキサが来てから決めるつもりだったからね。……大体、ヘキサが来な――もがぁっ!?」
「え? 俺がどうかしたのか?」
「な、なんでもありません。そうですよね、ハズミッ」
口をリグレットの手で塞がれているハズミは、その言葉に目を白黒させながらも頷いた。その光景に疑問を持ちつつも、ヘキサは協力を得られることに安堵した。特にハズミがいたのは僥倖だった。目的地である七色湖は植物系統のモンスターが徘徊するダンジョン。火系統の魔法使いである彼女の参戦は心強――、
「――しまった。忘れてた」
そう思案したとき、ヘキサは大切なことを忘れていたことに気がついた。
「リト。移動手段はどうするつもりなんだ?」
当てはあるのか? と血相を変えるヘキサの言葉に、リトは顔を青ざめさした。その表情を見たヘキサは、内心で舌打ちした。どうやら仲間を集めることに没頭するあまり、ダンジョンまでの移動方法まで考えていなかったようだ。
七色の泉は湖面都市ブルミアより北に徒歩で十五分くらいの位置に存在している。ブルミアは湖面都市の名前の通り、巨大な湖の中央に建造された街だ。このブルミアは美しい街並みと景色で知られていて、観光スポットとして有名な都市だ。他の都市より物価は高いが、ここに自分のギルドホームを持つのが、一種のステータスになっている。
とはいえ、ギルドを持っているわけでも観光に興味があるわけでもないヘキサは、跳躍の翼にブルミアを登録していない。レアドロップがあるでもなく、経験地が美味しくもない七色の泉なんて、それこそ論外だ。
長距離間の移動手段は何通りか存在する。
ひとつ目は転移の白結晶での移動だが、このアイテムは予め登録しておいたホームポイントに転移するモノであり、今回は使用しても意味がない。
ふたつ目はワープポートという魔法を使う方法だが、風属性の上位魔法であるワープポートを使用出来る魔法使いは、現状のファンシーでは数が少ない。またこの魔法は一度行ったところにしか転移出来ないため、例え習得している魔法使いを見つけても無駄なる可能性がある。
となると、みっつ目の手段。もっとも確実で目的地までの最短ルートは、まず登録してある城塞都市クルシスに転移し、そこでクゥを借りて七色の泉に向かうルートだろうか。
クゥとは、ファンシーではもっともポピュラーな騎乗動物だ。外見は大きな嘴を持つ白い鳥で、強靭な二本脚で地面を蹴り、徒歩とは比べモノにならない速度で移動することが可能になる。クゥという名前は彼らの鳴き声からきている。その愛くるしい外見に魅了され、【捕獲】スキルで野生のクゥを捕まえて、自分専用として乗っているプレイヤーも数多い。ヘキサも以前、自分のクゥを手に入れようかと考えた時期があったのだが、【捕獲】スキルの獲得には色々と面倒な前提条件があり、断念した過去を持っている。
主に長距離を移動する際に重宝されており、ヘキサもクゥを乗りこなせる程度には、【騎乗】スキルの熟練度を上げている。聞いてみないとわからないが、いざというときに便利なのでリトたちも同様だろう。
ヘキサはクゥを使った移動を提案しようとし、その前に一応彼女たちにも移動方法に心当たりがないか訊いてみることにした。
「リグレットとハズミはどうだ? ブルミアなり七色の泉なりまでの移動手段ってあるか?」
「うーん。あたしはないかなぁ」
「私はありますよ」
「やっぱりないか。……って、いまリグレットなんて言った? 移動手段を持ってるって聞こえたんだけど」
「そう言いましたから。私の跳躍の翼にはブルミアが登録されています。これを使うのが、七色の泉に向かう一番の早道だと思いますよ」
なんというか。意外だった。こういっては失礼だが、ハズミはともかくとして、観光に目を光らせるリグレットというのを想像出来なかった。
「へぇ。なんか意外かも。リグレット、ブルミアに興味なんてあったんだ」
「興味があるといいますか……。私用で何度か足を運ぶ機会がありまして。今後のことも考えて、一応登録したままにしているんです」
ふうん、と頷くハズミ。
「なんにせよ助かった。頼むよ、リグレット。あんまり時間がないし、急ごう」
ヘキサはそう言い会話を打ち切り、メニューウインドを表示させると、画面をPTウインドに切り替えた。
鋭い牙を生やした大きな口から苦悶の叫びを上げて、巨大な緑蛇が地鳴りを打ち地面に叩きつけられた。衝撃で泥が跳ね、茶色く濁った沼に斑紋が広がる。
緑蛇は棘の生えた尻尾を一度だけ揺らすと、それっきり動きを停止させた。頭上のHPバーが消滅し、光沢のある滑った緑色の鱗が淡い粒子に変換されて、濃霧で白濁した空に解けて霧散した。
「ちっ。――またか」
気怠そうな動作で右手の大鎌を肩に担ぎ、ナハトは上空を仰ぎ見た。白く濁る視界に目を細めて、仮面の隙間から憂鬱そうな電子音声が洩れる。
「今回は割といい線……行ってると思ったんだがな」
「なーに? ひょっとして『また』なの?」
静寂の沼地に涼やかな声が響く。白く塗り潰された視界に影が差し、道化師の横に長身の少女が着地した。道化師と同様に彼女もまた、黒で白く模様が刻まれた仮面で素顔を覆い隠している。
ただしナハトのそれとは違い、彼女の仮面には音声を変える機能は備わっていないようだ。加工されていない澄んだ声色が、彼の鼓膜を打った。
「途中までは、気分よさそうだったじゃない」
「ああ……終わってみればいつもどおりってやつだ。やっぱりそう簡単にはいかないみたいだな」
ぐるりと首を巡らし、【索敵】で周囲に反応がないのを確認して、そう独白するナハト。
「あんたも難儀よねぇ。なにしたって、達成感がないなんてさ」
言って、彼女は明るい茶髪を、黒いグローブを装備した片手で払う。その際に、グローブの指先についている金属の爪が擦れて、小さな金属音を奏でた。
「こんな湿気たところまで、わざわざ出っ張ってきたのに。泥に塗れた挙句、結局いつもみたく無駄になったわね」
まったくだ。我が愛しの副首領セラの言葉に、ナハトは内心で深く頷いた。
そもそも彼らがこの『ホロロッカ沼』を訪れたのは、ギルド斡旋所で受託したクエストをクリアするためだった。クエスト名は『沼地に潜む緑蛇』。高レベルのモンスターの巣窟として知られる『ホロロッカ沼』の主、緑蛇バルクロアの討伐クエストである。
本来、このクエストはレベル55以上のプレイヤーで構成された、ふたつのPTで臨むのが妥当だとされている。
というのも、まず討伐対象であるバルクロアのレベルが60と高く、加えてバルクロアが出現するフロアには、レベル50越えのモンスターが複種類存在しているのだ。ふたつのPTというのは、緑蛇を討伐するPTと周囲のモンスターを掃討するPTが必要だからである。逆にこれ以上のPT構成は経験値やドロップの関係で、効率が悪いとされ避けられている。
また沼地にたちこめる濃い霧による視界の不明瞭。足場の悪いぬかるんだ泥の地面が加わり、ただでさえ高い難易度をさらに高いモノへと押し上げていた。
故に、『沼地に潜む緑蛇』は現状で受託可能なクエストの中でも、屈指の難易度として知られており、クエストのクリア率は五割を切ると云われている。
――にも関わらず、それをナハトとセラは、たったの二人でクリアしてみせたのだ。PKギルド≪仮面舞踏会≫の首領と副首領。彼らもまた、一般プレイヤーから逸脱した存在だと、まざまざと思い知らせるには十分過ぎる行為だった。
「ま、いまは片っ端に試してる最中だしな。そのうち当たりを引く機会もあるだろうよ。……きっと、な」
しかし、ナハトの声色は深く沈んでいた。彼女の言うようにそこには強敵を倒した達成感など皆無であり、不可能を可能としたプレイヤーにあるまじき、諦観が彼の胸を去来していた。否、諦観というよりは、ある種の徒労感というべきか。
この不愉快な感覚からそう簡単に開放されるとは思っていないが、ここまで手応えが皆無だといい加減に辟易としてしまう。
と、ナハトが独白したときだ。霧に霞む沼地にそぐわぬ、軽快な効果音が響いたのは。それは彼が設定したメールの着信音だった。
耳朶を打つ着信音にナハトはメール画面を開いた。新規の未読メールが一件。送信者は≪聖堂騎士団≫に所属している間者からだ。
≪仮面舞踏会≫はこうした協力者を、様々なギルドに潜り込ませている。こちらから送り込むこともあれば、今回のようにあちらから協力をしたいと申し出てくることもある。
彼はメールに記された文章を一瞥し、その内容に喉の奥でくくっと笑った。
「セラ。お前は先に帰ってろ」
メール画面を閉じたナハトが言った。端的ながらもその口調は軽く弾み、さきほどまでの陰鬱とした空気は消え去っていた。
「ナハトはどうするのよ」
「なに。ちょいとばっかし用事が出来たんでな。少し出かけてくるわ」
「――ふうん。それって例の彼のことかしら」
その返答が意外だったのか。ナハトはセラのほうを振り返った。彼の視線を感じて、仮面の少女は踵で地面を打った。
「わからないワケないでしょ。最近のナハトは、例の彼のことになると、露骨に目の色を変えるんだから。なんていうか、不純よね。……やらしい」
冷めた言葉を吐く彼女に、ナハトは肩を竦めると苦笑した。
「おいおい、妬くなよ。帰ってきたらいくらでも相手してやるからさ。塒で飯の準備でもしといてくれや」
「ふん。まあ、いいわ。不味い飯を作っておいてあげるから、さっさと行ってきなさい」
副首領のありがたい言葉に、ナハトは「任せとけ。ばっちり決めてやるよ」と不敵に笑った。お気に入りの玩具を手にしたかのようなその態度は、無邪気にはしゃぐ子供そのものだった。