第四章 憧憬(1)
「これは由々しき事態だ!」
ダンッ! と黄色の篭手に覆われた腕がテーブルに打ち据えられた。否、腕だけではない。声の主である女性は黄色の金属鎧で全身を覆っていた。
顔も金属製の兜で隠されているため表情を伺い知ることは出来ない。それにも関わらず女性だと判断出来たのは、激昂する声色が若い女のモノだったからである。
「これを見ろ!」
黄色を纏う騎士が腕を振るうと、中空に複数の画像が表示された。各種のグラフや資料が描かれた画像を指差し、声を荒げて彼女は言った。
「『霧』の発生回数は減るどころか増加し続けている。いまはまだ表立って騒ぎになっていないが、このまま増加し続ければそれも時間の問題だ!」
特にこの間は本当に危険だった。
いままでは高くてもレベル20代クラスのモンスターしか出現しなかったのに、よもやアームドタイタンなどというボスクラスのモンスターが現れようとは。甚だ不愉快ではあるが、その際は奴が干渉したことでことなきを得たが、次も上手くいくとは限らない。どうやら早急に対応策を考えねばならないようだ。
不幸中の幸いというべきか。『あちら側』と『こちら側』は連動しているため、現在のファンシーでの攻略状況。最前線であるバロウズ活火山のボスモンスター、アームドタイタン以上のモンスターが出現することがないのが唯一の救いだった。
それに今回開いた穴はすでに塞いである。今後ボスクラスのモンスターが現れる可能性は低いが、依然として楽観視出来る状況ではない。
「ふむ。ようするにですね」
説明する荒々しい声とは正反対の涼やかな声が割り込んだ。
声を挟んだのは、赤い金属鎧を纏った男性だった。もっとも女性同様に兜で素顔がわからないために、声から判断すればであるが。
「大変なんですか?」
「当たり前だ。この大馬鹿者が!」
「いやですねぇ。軽い冗談じゃないですか。そんなに怒らないでくださいよ。……小じわが増えますよ?」
「巨大なお世話だ!」
テーブルに女性が両腕を叩きつける音が、木霊しながら天井の闇に呑み込まれる。
奇怪な空間だった。床には真っ赤な絨毯が敷かれて、無数の本棚が左右にどこまでも地平線の彼方まで伸びている。天井は遥かに高く、虚空の闇に紛れて本棚の天板を確認することが出来ない。
静謐に満たされた広大な空間は書架に埋め尽くされ、さながら図書館のようだった。それも本ひとつ探すのに年単位の時間を要しそうな実用性が皆無の無限規模の図書館。
その図書館の片隅に置かれたテーブルの周りには、三つの人影が存在していた。
「ルベド。貴様は本当にことの重大さを理解しているのか!?」
「そうは言われましても。いや、貴方の言いたいことはわかりますよ。……ですがねぇ」
「なんだその根の葉にモノを挟んだような物言いは。意見があるのならハッキリと言わんか。見ていてイライラしてくるぞッ」
「では、言いますが……お母さんはなんと言っていますか?」
ルベドと呼ばれた赤騎士の言葉に黄騎士は沈黙した。さっきまでの威勢のよさが嘘のように、気落ちした様子の彼女は俯くと小声で言った。
「……お母様は……その、待機していろと」
「まあ、そんなトコでしょう。いままでのお母さんの行動から顧みるに。……というか、待機、様子見、出方待ち以外の指示ってありましたっけ?」
「言うなッ」
緊張感が欠如した赤騎士の声色に、彼女は頭を抱えてしまった。「うーん」とルベドは金属に覆われた指先で頬を掻くと、ふいに後ろを振り返った。
「……アルベド。貴方はどう思いますか?」
彼の視線の先には床に体育座りをする白い全身甲冑の騎士がいた。彼は面を上げると子供のような幼い声で言った。
「別に。僕は母の命令に従うだけ」
それだけだった。言い終わると白騎士はまた視線を下に落とした。アルベドが観ているのは、絨毯に展開された画面だった。
画面にはモンスターに戦いを挑む、剣を構える剣士や魔法を詠唱する魔法使いの姿が映し出されている。アルベドは彼らの冒険を食い入るように観ている。
「ですって」
肩を竦めるルベド。黄騎士は頭を抱えたまま身動ぎすらしない。
「あーその……元気を出してくださいよ、キトリニタス。実際、いまの私たちに出来ることはそう多くありません。せいぜいウィリディタスの監視とニグレドの動向を――」
「言うなッ!」
ルベドの台詞を遮り、黄騎士――キトリニタスの怒号が、周囲に響き渡った。机に両腕を叩きつける彼女からは、烈火の如き怒りが感じられた。
「あの裏切り者のことは金輪際、口にするなと言ったはずだぞ! 忘れたのか、ルベドッ!」
「声を荒げなくても覚えていますよ。……ですが、彼が裏切ったとは限らないではないですか。あわや大惨事になりかねなかった事態を未然に防いでくれたのも彼ですし」
「ならば、どうして私たちの前に顔を出さない! 例の件以降、一度も私たちの前に姿を見せないのは何故だ!? 申し開きしてもよいではないか!」
「きっと彼にも彼なりの考えがあるのでしょう。……それともニグレドがウィリディタスと組んでいるとでも? 貴方は本気でそう思っているのですか?」
「そうは言わん。しかし……ッ」
それから先は言葉にならなかった。悔しげに身を震わせる黄騎士に、赤騎士はため息混じりに口を開いた。
「確かに彼にも過ちはあります。貴方の言う通り、こちらからの召集を無視しているのは事実ですからね」
「……きっとなにか疚しいモノがあるんだ。そうに違いない」
言って、黄騎士はそっぽを向いてしまう。まるで拗ねた子供みたいな彼女に、赤騎士はやれやれと嘆息する。
「でしたら三姉妹でも使いますか? アレなら一発で片付きますよ? 山済みの問題も綺麗さっぱり消し飛びます」
トリニティ。その単語に空間が凍りついた。黄騎士だけではなく、白騎士までもが正気かと問いたげに赤騎士のほうを見やる。
「気は確かか。元はといえば今回の『霧』の原因は、トリニティを不用意に使用したせいでもあるのだぞ!? アレを使用しなければ事態がここまで悪化することはなかったはずだ!」
「わかっています。ちょっと場の空気を和めようとしただけです。本気じゃないですよ。……それにトリニティの使用には、私たち四騎士全員の合意が必要です」
詰め寄るキトリニタスにルベドは涼しげな口調で言った。
彼らの切り札であるトリニティは、赤騎士・白騎士・黒騎士・黄騎士。四騎士の合意の下でしか行使出来ない。例えこの場にいる三人の同意が得られたとしても、黒騎士がいない以上、トリニティの発動は不可能なのだ。
「なんにせよです。現状ではこちら側の管理と『霧』発生の際の防壁再構築作業を継続させるのが妥当ではないでしょうか? 幸い向こう側の問題はニグ――ごほんっ。失礼。他の方が受け持ってくれているようですし」
黄色の兜の奥から感じる圧力に、言葉を訂正するとそれに、と言葉を繋ぎ、
「ウィリディタスの目的は間違いなくこのアーカイブ(図書館)の占拠。パラダイムシフトまでの残りの猶予が僅かな以上、遅かれ早かれ彼のほうからこちらにやって来てくれるでしょう」
言い終えるとアルベドはポンッと金属に覆われた手を合わせた。
「ま。なんとかなりますよ」
「なるなる」
「こいつらは……!」
他人事とばかりな彼らの口調と態度に、黄騎士の身体がわなわなと小刻みに震えている。金属鎧が擦れ合いカチャカチャと音を立てる。
「だ、ダメだ! 私まで我を忘れてどうする! この状況を打開出来るのは最早、私しかいないのだぞッ」
頼れるのは自分のみ。世界の秩序を護れるのは自分しかいないのだ。例えこの身が朽ち果てようとも世界は私が守護するのだ。
暢気な二人を尻目にして、黄騎士は独り悲壮な覚悟を決めるのであった。
「……おや?」
自分の世界に閉じ篭ってしまったキトリニタスから視線を外すと、ルベドは空に展開されている無数の画面のひとつに注視した。
画面にはベットに腰掛けてウインドを操作する、白髪の少年が映し出されている。
「さて。ニグレドは彼を使ってなにを企んでいるのでしょうかね?」
誰にも聞こえぬよう小声でつぶやくと、白騎士はさり気ない動作でその画面を消した。その行為に他の二人が気がつくことはなかった。
目を開くと木製の天井が見えた。
ここはヘキサが普段から使用している、中央都市パンゲア南区画の宿屋である。ベットとタンス、それに椅子がひとつあるだけの簡素な部屋だ。
宿屋にもランクがあり、宿泊費用が高い宿屋ほど内装も豪華で機能も充実している。この部屋はごく一般的なランクである。
昔はここよりもよい部屋を買い取り塒にしていたのだが、蘇生の紫水晶を購入するための資金を捻出する過程で、解約して売り払ってしまったのだ。
この部屋の機能はふたつ。
ひとつはベットでのログアウト。基本的にファンシーではダンジョンか戦闘中以外でならどこででもログアウト可能なのだが、その際にはログアウトするまでの三十秒間、無防備状態を強制させられてしまう。その間にキルされたりアイテムを盗まれたりする危険性があるので、よほどの理由がない限り安全地帯――宿屋や所属するギルドなど――でログアウトするプレイヤーがほとんどである。
もうひとつはタンスのアイテム収納機能。普段は使わないアイテムや稀少アイテムなど、持ち歩く必要のないアイテムを収めておくことが出来るのだ。戦闘時のアイテム操作を円滑にする意味もある。収納できるアイテム数は宿屋によって違う。ヘキサの部屋の場合、格納スペースは百。同一の消費アイテムや素材アイテムならひとつの収納スペースに五十個まで格納できる。装備品はひとつのアイテムに対して、ひとつの格納スペースを必要とする。多いように思えるかもしれないが、計画的に収納しないとすぐ一杯になってしまう。
「……はあ。なにがどうなってるのやら」
知らずため息が洩れる。
学校から帰宅したら、まずはファンシーに接続。最早、習慣になってしまった日常行動であるがしかし、ヘキサはなにもする気になれず、ベットで横になったままぼんやりと天井を見ていた。
原因など言うに及ばず。昨夜、自分の身に起きた異変が頭から離れないのだ。なにがなんだがわからない。ヘキサの心境を言葉にするならその一言に尽きる。
現実世界への仮想世界の侵食。漫画や小説で使い古いされた陳腐な設定――だが、異常体験をした張本人であるヘキサは笑い飛ばすことなど出来るはずもなかった。
左手で右腕を掴む。いまはもう傷跡すら残されてはいないが、あのときは確かに痛みを感じたのだ。あれは妄想ではない。現実で起きた出来事なのだ。
ベットを軋ませて身体を起こすと、腰の後ろの鞘から剣を抜き放ち、眼前に掲げる。使い込まれた刀身に、白髪の少年の顔が映し出されている。
リグレットとはじめて一緒にクエストをした記念にと、彼女に鍛ってもらった片手直剣は手によく馴染んだ。
「……使ったんだよな、俺。これを現実で」
熱に浮かされたような感覚の中で、ヘキサをこの剣を無我夢中で振るっていた。蜥蜴男を切り裂く感触が手に残っている。
「気味が悪い」
いまわかっていることはひとつだけ。あの異常現象にファンシーが関わっているであろうという曖昧模糊な事実のみ。確証があるわけではない。なんにせよ、これは一個人の手には余る。ただの高校生にどうしろというのだ。
「……ん?」
嘆息を吐きながら剣を鞘に収めたときだった。メールの着信を知らせる軽快な効果音が、耳に飛び込んできた。
「メール? 誰からだ……クライスさんかな?」
なにかミフィルの情報を掴んだのかもしれない。昨日の今日で、いくらなんでも早すぎる気もするが、それだけ真剣に調べてくれたのだろう。
だが、差出人はクライスではなかった。
メール画面を開くと未読メールが二通ある。一通は昨日の夕方に送られてきている。差出人はリグレットのようだ。もう一通はヘキサがログインする直前に着信している。差出人の名前は、ヒューリ。題名はないようだ。無題の二文字が簡素に表記されている。
「……誰だ、こいつ?」
首を捻りながらつぶやく。
基本的にメールアドレスは本人にしかやりとりが出来ない。メールアドレスの譲渡が不可能な以上、過去にこのヒューリなる人物と直にフレンド登録をしたということなのだが。
いくら記憶を探ってもヒューリの名前に覚えがない。そもそもヘキサは滅多にフレンドリストの登録をしないので、登録した相手の名前を忘れるはずがない。もし忘れていたとしても、名前を見れば思い出せるはずなのだが、どれだけ記憶を掘り返してもまったく手ごたえがない。ここまで見覚えがないと、最早初対面としか考えられない。
「間違いメールか?」
いまどきメールアドレスの直打ちをする人間がいるのか疑問ではあるが、考えられる選択肢の中ではそれが一番可能性が高い気がした。
ヘキサは黙考していたが、怖いモノ見たさ半分にメールを開いた。内容は一文だけだった。数字と記号、アルファベットの組み合わせ。
「これは……チャットアドレス?」
チャットには二種類ある。
誰でも参加可能なオープンチャットと特定の人物しか参加出来ないクローズチャット。アドレスの横に明記されているのはパスワードのようなので、どうやらこれはクローズチャットのアドレスのようだ。
若干の躊躇こそあったモノの、ヘキサは指定されたアドレスにアクセスした。するとパスワードを求めるメッセージが現れたので、メッセージ下の空欄に記述されていたパスワードを入力した。ウインドに表示された黒地のチャット画面。そこには現在の入室者が一名であると書かれている。その入室者の名前は、
「――、ヒューリ」
謎のメール差出人であるヒューリが発言したのは、ヘキサが入室したのとほぼ同時だった。
ヒューリ :よお。
ヒューリ :昨日の夜は大変だったみたいだな?
その発言にヘキサは目を見開いた。
昨日の出来事を知っている? 自分の見た限り周りに人影はなかったはずだ。そもそもヘキサが樋口友哉だと、どこで知ったのだ。ヘキサはファンシーで現実での話は一度もしたことがないというのに。
脳内を巡る様々な疑問に背中を押され、ヘキサは画面下の仮想キーボードに指を走らせる。
ヘキサ :お前は誰だ?
ヒューリ :おいおい。オレのこと忘れたのか?
ヒューリ :ひでぇな。
妙なことを言う奴だ。その書き込みにヘキサはそう思った。少なくとも初対面の相手への物言いではない。これではまるで――
ヘキサ :まるで古い馴染みみたいな言い方するんだな。
返信が返ってくるまでには若干の間があった。なにかを思案しているかのような間を置き、チャット画面に返信が書き込まれた。
ヒューリ :そうだって言ったら?
それこそありえない。
自分の知り合いにそんな名前のプレイヤーは――い、――な、い。
「ああ……くそっ。またか」
一瞬、思考に走ったノイズに顔をしかめる。症状が悪化しているのか、ここのところ頭痛の回数が目に見えて増えている。
「……これはマジで一回、医者に行ったほうがいいかもな」
余韻を残す鈍痛を頭を振り掻き消すと、チャットに文字を打ち込む。
ヘキサ :用件はなんだ? どうして昨日のことを知っている?
ヒューリ :見てたからさ。遠くからだけどな。
ヒューリ :今日、呼び出したのは他でもない。そのことについてなんだが。
ヒューリ :手伝ってほしいことがある。
ヘキサ :なにを?
ヒューリ :モンスター退治。
その一言に、ヘキサの心臓が跳ねた。モンスター退治。その単語が導き出される結論はひとつしかなかった。
ヘキサ :やっぱりアレは夢なんかじゃなかったんだな。
ヒューリ :当然。痛みを伴う夢なんてあるわけないだろう?
ヒューリ :オレが断言してやる。昨日の夜、おまえが体験した出来事は紛れもない現実だ。
ヘキサ :手伝えって言ったな。また同じことが起こるっていうのか?
ヒューリ :起こる。
即答だった。
幾ばくかの躊躇もない。
ヒューリ :正直に言うと、おまえに頼むつもりはなかった。だが、今月に入って街でのモンスターの出現数が右肩上がりに上昇し続けている。
ヒューリ :人手が足りないんだ。
ヒューリ :このままだとそう遠くないうちに、一般人にも被害者が出るだろうよ。
ヘキサ :どうして俺なんだ?
ヒューリ :その理由はおまえ自身が一番よく知ってるだろ?
加速する視界。溢れ出す戦闘衝動。現実世界における仮想世界の再現。樋口友哉へと上書きされる白髪の少年の愛剣――片手直剣ペルシダー。
ヒューリ :リアライズ。
ヒューリ :オレはそう呼んでいる。
ヒューリ :詳しい理屈は省く。ようは自身の肉体に対する仮想データの複写。
ヒューリ :おまえの場合はヘキサを構築するデータの一部が、現実の樋口友哉を構成する情報に上書きされたんだ。
ヘキサ :そんな馬鹿なことがあるのか? それこそアニメやゲームの世界の話じゃないか。
ヒューリ :けど、現実だ。おまえだって体験しただろう?
その言葉にヘキサは咄嗟に反論しようとしたが、指が震えて文字を打つことが出来なかった。ヒューリの言う通りだからだ。
皮膚を裂き滴る鮮血。腹部の鈍痛。それを疑うのならば、まずは自分自身を否定する必要がある。世界を否定するのか。自分を否定するのか。二者択一。どちらを選択すればいいのかヘキサには皆目検討もつかない。情報が圧倒的に不足しているのだ。
ヒューリ :モンスターが出現するのは霧が出ている間だけ。おまえがリアライズ可能なのも霧の中だけだ。
ヒューリ :さっきは上書きって表現したけど、リアライズは霧中のみの一時的な現象にすぎないんだよ。
煩悶するヘキサの心情を察したかのように、画面に新たな文章が打ち込まれる。
確かにそう言われるとヘキサが体験した異常な経験は、濃度の差こそあれ白い霧が出ているときだった。
ヘキサ :もし引き受けた場合は俺がひとりで倒すのか?
ヒューリ :いや、違う。
ヒューリ :すでに手伝ってもらっているやつらがいる。
つまりあの現象は自分にだけ起きているワケではないということか。このヒューリなる人物の言っていることが、真実であるならばだが。
ヘキサ :俺たちが退治する必要があるのか?
ヒューリ :というと?
ヘキサ :例えば警察に知らせるとか。
ヒューリ :やめとけ。
ヒューリ :変人扱いされるのがオチだ。最悪、おまえが病院に担ぎ込まれかねないぞ?
それにはヘキサも同意見だった。なにしろ当の本人である彼自身が半信半疑なのだ。これでそうやって事情を説明しろというのだ。
ヒューリ :で。どうする?
ヒューリ :手伝うのか? 手伝わないのか?
ヘキサ :少し考えさせてくれ。
悩んだ結果、そう打ち込むヘキサ。返答が返ってくるまでには若干の間があった。
ヒューリ :オッケ。
ヒューリ :また連絡する。
ヒューリ :まあ、そんな深刻にならずに気楽に考えてくれ。
ヒューリ :じゃあな。
ヘキサはその文章を最後に、相手のチャット接続が切れるモノだと思っていた。だが、いつまで経っても、ヒューリは退室する気配はない。なにか言い忘れたことがあるのか。それともこちらからの返答を待っているのか。
そう考えたヘキサはキーボードをタイピングしようとして、唐突に表示された一言に動きを止めた。
ヒューリ :世界で一番綺麗なモノ。
過去最大級の頭痛がヘキサを襲った。目に涙が滲む。頭痛が去るのを待ち、目の端の涙を擦るとチャット欄には『ヒューリさんは退室しました』とメッセージが表示されていた。
画面を凝視していたヘキサだったが、のろのろとした怠慢な動作で自身のチャット接続を切断する。画面が一瞬黒くなり、メール画面に切り替わった。
「あっ。そうだ。リグレットからも来てたっけ」
いまはなにも考えたくない。
ふとそんな思いに囚われたヘキサは、機械的な動きで未読メールを開いた。内容は、一緒に狩りにいかないか、というモノだった。
「これは……」
気を使わせているよな。明らかにそうだった。先日、あんな別れかたをしたのを気に病んでくれているようだ。ここは素直に好意を受け取っておこう。
了承の旨のメールを送り返すと、彼女からの返答はすぐに来た。待ち合わせ場所と時間が記されている。場所はいつも通りリグレットの店。時間はいまからだった。
ヘキサにとっては好都合だった。余計なことを考えないで済むぶん、いまは身体を動かしているほうがよかった。
世界で一番綺麗なモノ。
それがなにを示しているのか。ヘキサにはわからなかったし、考えてはいけない気がした。何故ならばそれは、護れなかったとても大切な――
「……うるさい」
そんなのは知らない。記憶にない。
再び了解メールを送信すると、ヘキサはメニュー画面を閉じて、ベットから立ち上がった。よろける身体を壁に手をつき支えると、おぼつかない足取りで彼は部屋を後にした。