第三章 暁の旅団(4)
目的は偶然発見された未攻略ダンジョンの攻略。
ダンジョン攻略は六人編成のPTが三組。総勢十八名で行われた。他の誰かに発見される前に、出来るだけ速やかに攻略してしまおうとしたのだ。
ダンジョンで発見されたアイテムは後でまとめて山分けに。モンスタードロップはPT内でランダム設定で、入手した者のモノになることが決められていた。ボスモンスターからのドロップもこれに含まれている。これらのルールは≪暁の旅団≫として活動するときのルールであり、ギルド内での要らぬ諍いを避けるために予め定められたモノだった。例外はない。決まりを破った者には厳しいペナルティが与えられることになる。
三組のPTのうちのひとつをヘキサが受け持つ――ようするに、リーダーを務めることになった。
周知の通りヘキサは人付き合いが苦手だ。≪暁の旅団≫でもクライスを含めて友人と呼べる人物はあまりいなかったのだが、ヘキサのPTのメンバーの中に彼と仲がいい――というより、慕っていた子がいた。カイト、という名のプレイヤーで人懐っこくて明るくて、ある意味ヘキサと正反対の性格なのだが不思議と気があったようだ。カイトはヘキサを師匠と呼び、彼も満更ではなかったようだった。師弟関係ではなく、友人のノリで彼らは通じ合っていたと、眼鏡の青年は語った。
未攻略故にダンジョンの情報こそなかったが、モンスターのレベル帯は三十台後半と攻略に望んだプレイヤーで十分対処可能だった。ダンジョン自体そう広くなかったこともあり、一時間ほどでマッピングも終わり、残されたのは最奥――ボスモンスターがいると思われるフロアのみとなった。
そのボスモンスターにしても、数人の『死亡者』こそ出したモノの、それ以外は目立った被害もなく思いのほかあっさりと倒してしまった。
ボスモンスターを倒したことで出現した、初回攻略得点である財宝からアイテムを回収して、その日の攻略は大成功と呼べるモノで終わりはずだった。
「だった? アイテム清算で揉めたの?」
「いや。さきほど話した通り、宝箱から入手したアイテムについては、後でまとめて清算するから問題にならない。財宝も同様に処理されることになっていた。問題になったのは、カイト君がボスモンスターからドロップしたアイテムなのだよ。――アイテムの名はワルプルギス。片手直剣の幻想武器さ」
その言葉に二人の少女は息を呑んだ。
幻想武器とは、概念駆動という強力な特殊能力を秘めた武器の総称である。
そのゲームバランスを壊しかねない逸脱した能力故に、保有者は運営公認チート呼ばわりされ野次られることも間々ある。
現在、所在が確認されている幻想武器は三つ。≪聖堂騎士団≫の団長、ルシオのクラウソラス。≪天上神歌教会≫のトップ、マリアの右腕ラルクのゲイボルグ。そして≪仮面舞踏会≫の首領、ナハトのグリムゲルデである。
「嘘……あの噂ってマジだったの?」
話に聞き入っていたハズミが、驚きが混じった口調でつぶやいた。
≪暁の旅団≫が解散した当時、最終的にマンイータ――ヘキサが原因で解散したという結論に達するまでに、プレイヤーの間では様々な憶測が飛び交っていた。そのうちのひとつに、偶然ドロップした幻想武器の所有権争いが原因だったという噂が確かに存在していたのだ。
「私もその噂――というより事実なのだがね――は知っている。情報源は不明だが大方、真相を知っていた元メンバーの誰かが流したのだろう。もっとも残念なことにマンイータの存在に霞んでしまい、すぐに与太話扱いされて掻き消されてしまったようだね。……なんにせよ、幻想武器のドロップが結果的に≪暁の旅団≫解散のきっかけになってしまったのだよ」
「ちょっと待って。おかしいじゃない。ボスを含めたモンスタードロップは、取得者のモノになるってことで、決まってたんでしょ? なら、問題ないんじゃないの?」
「普通だったらね。事実、ルールで定められている以上、渋々とはいえ攻略に参加したプレイヤーたちは納得をせざるを得なかった。……一人のプレイヤーが駄々を捏ねるまでは。そのプレイヤーの名前がミフィル。そもそもの発端となった少女の名だよ」
少女たちはその名を知っていた。仮面のPKによってもたらされた名前だ。ヘキサの過剰反応からなにかしらの関係性はあると睨んではいたのだが。
「彼女は実に可愛らしい容姿をしていてね。思わず護ってあげたくなるといえばいいのか。≪暁の旅団≫のマスコット的な位置づけだったのだが、それがいけなかったのだろう。周りが甘やかしてチヤホヤしているうちに、いつしか彼女はそれが当たり前だと思うようになってしまったのだよ」
ミフィルを庇うわけはないが、彼女も最初からそうだったわけはない。周囲の取り巻きに『お姫さま』扱いされて、自分が望むモノをなんでも与えられる環境にいれば、誰だってそうなる可能性はあるのだ。
とはいえ、ミフィルの場合はあまりにも酷すぎた。彼女の日頃の行いには目に余るモノがある。あの日もそうだ。喜ぶカイトに近寄るとこともあろうに、幻想武器を自分に譲ってくれないかと言い出したのだ。周りも取り巻きもそれを強要し、強引に幻想武器を奪おうとしたのだ。ここまでもくると最早恐喝以外の何物でもない。
そもそもミフィルは短剣使い。片手剣であるワルプルギスを手に入れたところで、ステータス面での条件を満たしていないため装備が出来ずに、宝の持ち腐れになるのは眼に見えていたというのに。
「周りにいる他のプレイヤーは、ミフィルという娘の行為を静止しなかったのですか?」
無論、≪暁の旅団≫の中にも、ミフィルの普段の行為を快く思っていないプレイヤーもたくさんいる。そういうプレイヤーは、その場にもいたにはいたのだが。
リグレットの問いに、クライスはゆっくり首を横に振った。
「入りたくても入れなかったのだよ。なにせ≪暁の旅団≫の団長だったジェクトも彼女の『ファン』の一人だったからね」
「うわぁ。それって最悪じゃない」
そう吐き捨てて、ハズミは顔をしかめた。
実際、それは『最悪』だった。ギルドにおけるギルドマスターの権限は絶対だ。なにしろ事前手続き抜きで、メンバーを脱退させることすら可能なのだ。
結果、ギルドマスターという強力な後ろ盾を得たミフィルはますます増長することになる。面と向かって止めるプレイヤーがいないのだから当然だった。
「その場はヘキサが半ば力ずくで丸く治めたようなのだが、むしろ問題になったのはその後だった。他人には秘密裏にミフィルはカイト君を脅迫していたようなのだよ。幻想武器を渡せと、ね。……その事実をヘキサ君が知ったのは、耐えられなくなったカイト君がミフィルに幻想武器を渡した後のことだった」
「……ヘキサはどうしたの?」
「むろん、ヘキサは激怒した。ミフィルだけはなくジェクトにも幻想武器をカイトに返すよう抗議したのだが……」
「無駄だった」
「その通り。まるで聴く耳を持とうとはしなかった。挙句には、これは本人から譲り受けたモノなのだから返す必要などないと言い出し、これ以上突っかかるようならセクシャルハラスメントで運営に通報すると言い出す始末だ。そして――」
ヘキサが本気でキレた、とクライスは重い口調で言った。
「君たちも知っているかもしれないが、キレたヘキサ君は普段の大人しさが嘘のように、なにをしでかすのかわからない危険な一面を持ち合わせている。大人しい人間ほどキレると危ない典型例――と言えばいいのか」
それこそスイッチが切り替わったかのように反転する思考。本気でキレたヘキサは非常に危険な存在だった。
「ヘキサ君はなんとしても幻想武器をミフィルから奪い返そうとしていた」
「でもさ。どうやってよ? 本人が返さないって言ってる以上、取り戻す方法なんてないんじゃない?」
「――いえ。あります」
ハズミの言葉に答えたのはリグレットだった。彼女はテーブルに視線を落としたまま続けて言った。
「たったひとつだけ、本人の意思とは無関係に幻想武器を奪取する方法が。確実とはいえませんが……なるほど。そういうわけですか。――ハズミ。蘇生の紫結晶の効果とデメリットは?」
「え? なによいきなり」
「いいですから言ってみてください」
「もうっ。わかったわよ。……えっと、効果はホームポイントに戻らずにその場での蘇生が可能になる。デメリットはデスペナが適用されてしまうこと」
「そのデスペナとは?」
「はあ? そんなのいまさら言うまでもないじゃない。ミストの減少に経験値のマイナスと一定確率での装備品の――」
ハズミの言葉が途切れ、彼女は沈黙した。
「どうやらわかったようだね」
椅子に背中を預けて、天井を仰ぎ見る。
「そう、ヘキサ君は予想していた。ミフィルが幻想武器を自慢するために、いまは不可能でも将来的に必ず装備するであろうことを。故に彼女は幻想武器の存在をひた隠しにし、知っている者に口止めをしていたのだ。そして彼は虎視眈々とそのときのための準備をしていたのだよ」
つまり――、と二人の少女の視線を正面から受け止めて、眼鏡の青年は平坦な口調で口を開いた。
「蘇生の紫結晶を使用しての意図的な連続キル。それによる幻想武器のランダムドロップ。それこそがヘキサ君が取った選択肢だった」
「連続キル……それでレッドネームに?」
「いや、その段階ではまだカーソルは紫――通常のPK扱いだったらしい。彼がレッドネームになったのはミフィルをPKしたことで激昂して、ヘキサ君に報復しようとしたジェクトたちを返り討ちにしてからのようだね」
当時のことを思い出しているのか。クライスの瞳は、ここではないどこか遠くを見ているようだとリグレットには感じられた。
「よほど腹に据えかねたのか。ジェクトは二十人ばかりのプレイヤーを引き連れてヘキサ君を襲い、そして彼はそのこと如くを一人残らず殺害した」
「はあっ!? ちょ……二十人!?」
二十人。それだけの人数をたった一人で撃退したというのか。あの白髪の少年は。それは驚異的といっていい数字だ。まして相手は初心者ではなく、レベルも高く装備も整った上級のプレイヤーだ。
確かにヘキサの強さは尋常ではない。傍で見ていて、また何度も戦いを挑んだことのあるハズミはそれを重々承知しているが、だからといっても限度がある。いくらヘキサでも二十人相手に立ち回って勝てるとは思えなかった。
「ハズミ。声が大きい。みんなこちらを見ていますよ」
反射的に声を張り上げたハズミは、リグレットに指摘されて口元を手で押さえた。周りを見回すと、何事かと店内のプレイヤーたちが彼女のほうを振り返っている。
「……あ、あはは。……ごめんなさい」
「続けてください」
顔を赤らめて俯いてしまった赤毛の少女を横目に、リグレットは素知らぬ顔でクライスに先を促した。すると眼鏡の青年は肩を竦ませると言った。
「期待しているところ悪いが、私の話はこれでおしまいだ。その後の結末は君たちも知っての通り。逆恨みしたジェクトによってヘキサは≪暁の旅団≫を強制追放され、ギルド自体も次第に勢力を失い遂には解散してしまった」
だがね、と言葉を繋ぎ、
「遅かれ早かれこうなるのは容易に想像出来たことなんだよ。例えヘキサの件がなかったとしても、そう遠くない未来にギルドは解散する事態に陥っていたはずだ。事実、緩やかではあるが、≪暁の旅団≫の構成人数は下降傾向にあったからね。我侭にしたい放題のお姫様にも、それを擁護する団長にも。飽き飽きしていた団員も多かった。惰性で≪暁の旅団≫に留まり続けていたプレイヤーも、ヘキサの件がよい区切りになると思ったのだろうよ」
「≪暁の旅団≫の解散はヘキサのせいではない、と?」
「皆無とは言わないがね。ようはタイミングの問題さ。将来的に解散は避けられなかった、と私は考えている。……と、随分と話し込んでしまったようだが、退屈ではなかったかね」
「いいえ。大変『参考』になる話でした。包み隠さずに話していただきありがとうございます」
店内の柱時計を一瞥したクライスに、リグレットは微笑した。彼女の滅多に見せない笑顔に、クライスは満足そうに頷いた。
「それは結構。……さて。ここまで私の長話につきあってくれた礼に、渡したいモノがあるのだが」
「そんな。礼だなんて。本来なら私のほうが礼をつくさなければならないというのに」
「いいのだよ。どうせ私には無用の長物。持っていても仕方がない。それにこれは、私よりも君たちこそが持つに相応しい」
「それは――」
どういうことでしょう? と続けるはずだった言葉は、目の前に展開されたトレードウインドに尻すぼみに消えた。
画面に記されたアイテムはひとつだけ。
――ワルプルギス。
それが表示されているアイテムの名称だった。
「これって……」
横からトレードウインドを覗き込んだハズミが息を呑んだ。
幻想武器、ワルプルギス。クライスの話についぞ出てこなかったミフィルをPKした際の結末。これがここにあるということは、ヘキサの目論見が見事に成功したのだろうか。いや、だとしても何故これを彼が持っている?
クライスの真意を測りかねリグレットは眉をひそめて問うた。
「……これを私たちに譲ると?」
「ああ。私には不要だからね」
「本気? ……つか、なんであんたがこれを持ってるのよ?」
「本人に渡されたのだよ。自分には必要ないと言ってね。……なに、遠慮することはない。受け取ってくれたまえ」
「……本当にいいのですか? 露天で売ってしまうかもしれませんよ? 幻想武器ともなれば、それこそ値がつけられないくらいの高値で売買がなされるでしょうから」
「構わん。売るなり捨てるなり譲るなり好きにするといい」
挑発とも取れるリグレットの言葉にしかし、クライスは平然とした様子で言った。
「それはもう君のモノだ。どう使うかは君の思うようにしてくれたまえ。……ただ願わくば、それが『きっかけ』になってくれることを私は切に願っているよ」
「で? どうするのよ、それ」
「……ヘキサに返そうと思います」
唐突なハズミからの問いかけにリグレットはそう答えた。
クライスと店で別れた二人は、目的もなく街をブラついていた。思っていたより話し込んでいたのか、店に入る前は青一色だった空もいまは茜色に染められている。
「ふうん。いいんじゃない。あたしやあんたが持ってても仕方がないからねー」
けど、とハズミは茜色の空を見上げた。
「問題なのは、ヘキサが素直に受け取るかってこと。どうも自分の意思であのヒトにせっかく取り戻した幻想武器を渡したみたいだし。そこんトコの詳しい事情はわかんないけど、あいつも意外に強情だから。正面から渡そうとしても突っ張り返されそうな気がしてならないのよ。……己。ヘタレのくせに生意気なっ」
「……ハズミはヘキサのことをどう思っているのですか?」
「な、なによ、突然」
「聞くところによると貴女は、ヘキサに少なからず敵愾心を持っていたはずです。実際キプロス鉱山で彼に突っかかっていましたし。……なのにいまはこうしてヘキサの身を心配している。そこのところ貴女自身はどう考えているのです?」
「……どうなのかな?」
ハズミの足が止まった。つられてリグレットもその場に立ち止まる。夕焼け空を仰ぎ見たまま、どこか戸惑った調子で彼女は口を開いた。
「あたしにもよくわかんない」
最初こそヘキサに本気で腹を立てていたが、彼と行動するようになってそれも薄らぎつつある。ヘキサが由もなくPKするような人物でないことを薄々感じていたからだ。クライスの話でそれは確信に変わった。
ヘキサにはヘキサなりの理由が存在する。考えてみれば当たり前のことだった。むろんPKを快く思わないのはいまもそうだし、彼の行為を全肯定するわけではない。だが、ヘキサを見る目がまた少し変わったのは事実だ。彼の助けになれればとも思う。それを何故かと問われれば、
「……ただ。なんか似てるんだ。あいつがあたしの兄貴にさ。……雰囲気なんてもうそっくり。それでかなぁ。なんか放っておけないんだよね」
「仲がよろしいのですか?」
その何気ない質問に、ハズミは視線を下に落としてしまった。
「あはは。それが全然。どっちかっていうと嫌われてるのかも。最近なんて話すどころかまともに顔すら合わせてないし。……リグレットにはいるの? 兄弟」
「私には……」
今度はリグレットが俯く番だった。地面を見たまま彼女は腹の底から搾り出したようなか細い声で言った。
「私にはいません」
「そっか。いないんだ」
「はい」
それ以降、彼女たちの間に会話のやりとりはなかった。
店を出て行く二人の少女を見送り、クライスは瞑目した。
ヘキサがクライスの元を訪れたのは、ジェクトに≪暁の旅団≫を脱退させられてすぐのことだった。クライスが用件を尋ねると、彼は無言でワルプルギスを差し出したのだ。
自分にはこれを持つ資格がない。戸惑った表情でそう問うクライスに、一言そう言うと半ば強引に剣を押し付け、逃げるように彼の前から立ち去った。
ちなみにこのときクライスは、一連の事件の詳細をヘキサ本人の口から聴かされていた。しかし、これはクライスの想像なのだが、おそらくヘキサは自分にまだ秘密にしていることがある。
なんの根拠もないのが、自分の直感が間違っていないことをクライスは確信していた。それをヘキサに問わなかったのは、自分では聴きだすことが無理だと判断したからだ。
故に、クライスは少女たちにワルプルギスを託したのだ。彼女たちなら自分には不可能だったことを、見事にやり遂げてくれるのでは期待して。
「これでヘキサ君が立ち直ってくれるといいのだが。どうなるかねぇ」
「――お客様」
「ん?」
ウエイトレスが声をかけてきたのは、彼がそうつぶやいたときだった。
「なにかご注文はありませんでしょうか?」
無表情に言ってくるNPCのウエイトレス。その表情が若干、怒っているように感じるのはクライスの気のせいではあるまい。
そういえば随分と長い間、ここに居座っていた気がする。むろん、注文していたビーフカレーなど、とうの前に平らげてしまっている。
注文もせずに長時間、席を独占されては店側もいい気がしないのだろ。まったく。芸が細かいというかなんというか。
こうしていると時々クライスは、プレイヤーとNPCの区別がつかなくなるときがある。ファンシーの各所に存在するNPCの中には、それこそカーソルの色でしかNPCと判断出来ない者もいる。
それだけファンシーのNPCは精巧に造られているのだ。ひょっとしてカーソルを偽装しているNPCがいたら、プレイヤーと勘違いしてしまうかもしれない。
そんなくだらないことを思いつつクライスは、自分を見下ろす電子仕掛けのウエイトレスにコーヒーを注文するのであった。