第三章 暁の旅団(3)
面倒なことになったなぁ、とヘキサは内心でため息を吐いた。彼の眼前には、ぽっかりと口を開く洞窟。周囲に生い茂った木々に隠されたこの洞窟は、新たに開放された森林フィールドに存在する新規ダンジョンである。
それもおそらくヘキサたちが一番乗り。まだ誰も踏み入ったことのない未攻略ダンジョンであることは、ほぼ間違いなかった。だからこそ彼らはここにこうして、雁首を揃えているのだから。
ダンジョンの前に集合したメンバーは、総勢で十八名。全員が≪暁の旅団≫に所属するプレイヤーである。その中に憂鬱そうにした白髪の少年の姿があった。
≪暁の旅団≫のメンバーが偶然このダンジョンを発見したのが、二時間ほど前のことである。それから急遽、ダンジョン攻略のためのメンバーが編成され、運が悪くその場に居合わせたヘキサも、その攻略メンバーに組み込まれてしまったのだ。しかも何故か六人編成で三組のPTのうちのひとつで、リーダーを務めさせられるといういらないオマケ付きだった。
プレイヤーがダンジョンの初回攻略に拘るのには理由がある。未攻略のダンジョンには手付かずのアイテムが多くあるし、ボスモンスターからは初回攻略限定の希少アイテムが入手できる。なによりも初回攻略の得点として、ボスモンスターの討伐後に、様々なレアアイテムを含む『財宝』が進呈されるのである。
普段、ヘキサがPTのリーダー役になることはないし、なりたいとも思わない。本来ならば今回も謹んで辞退したいところではあるのだが、クライスからの頼みとあれば無下にするわけにもいかなかった。
眼鏡の青年には≪暁の旅団≫に入団した後も、気が合いそうなメンバーをそれとなく紹介して貰ったり、なにかと世話になる機会が多い。恥ずかしくて口には出せないが、彼には感謝している。渋々ながらリーダーを引き受けたのも、ちょっとでも恩を返せればと思ってのことである。
『師匠。そろそろ時間です』
横を向くとそこには片手剣と盾で武装した黒髪の少年がいた。カイトである。不幸中の幸いというべきか。彼が同じPTにいるのが、せめてもの救いだった。少なくともPTで孤立する事態だけは避けられそうだ。とはいえ――、
師匠、ね。もう何度も呼ばれているが慣れそうにない。時々、それが自分のことを指す単語だと気づかないときもある。
カイトが自分を師匠と呼ぶようになったのは、例の地下迷宮での一件の直後であった。ボスであるマミーレイドが砕け散ったとき、その場に立っていたのはヘキサとカイトだけだった。他のメンバーは健闘も空しく、マミーレイドの手によって死亡してしまったのだが、そこは自業自得だと諦めてもらうしかない。
なんにせよ、そこで白髪の少年になにかを見いだしたのか、カイトはヘキサを師匠と呼ぶようになっていた。
それからは共にPTを組む機会が多くなり、一緒に狩りをするようになった。もっとも師匠らしいことをしているかと言われれば、正直なところ怪しい。せいぜいカイトの戦い方を横目に、ちょこっとアドバイスをする程度だ。
『師匠?』
『ん? ああ、わかった』
カイトの言葉にぼんやりとしていたヘキサは頷くと、離れたところで待機しているPTメンバーを一瞥した。
小柄な金髪な少女を数人の男性プレイヤーが取り囲んでいる。談笑している――というよりは、男たちが金髪少女をもてはやしているといった感じだ。
彼女たちの存在こそ、クライスが自分にリーダーを頼んだ理由であり、そして≪暁の旅団≫が抱える最大の問題点でもあった。
ヘキサにとっても少女は苦手とする人物である。単純に相性が悪いのだ。それにとある事情から彼女を機嫌を損ねると、色々とめんどくさいことになりかねない。
尽きぬ不安に嫌な予感を覚えつつも、ヘキサは声をかけるべく、少女たちに近づく。自分の嫌な予感はよく当たる。彼が眼鏡の青年の言葉を思い出したのは、それからそう遠くない未来でのことだった。
「――ふむ」
レストランを出て行くヘキサを見送り、クライスは空になった皿にスプーンを置くと嘆息した。
「相変わらずだな、ヘキサ君は」
本当に変わらない。陰のある気弱な表情も同じく。一ヶ月前、自分の前に顔を出したときのままだ。
「なにかきっかけがあれば変わると思うのだが――君たちはどう思うかね?」
と、突然クライスは自分の正面のテーブルに座る二人組みの少女に話を振った。彼から見える長い黒髪と赤毛の短髪の少女の肩が、びくりと震えた。ゆっくりと二人の少女が振り返った。探るような口調で黒髪の少女が口を開いた。
「……人違いでは?」
「その割には私たちの話に熱心に耳を傾けていたようだが? ……もっとも、ヘキサ君は自分の後を追うように入ってきた君たちに気がつかなかったようだがね」
ヘキサが座ってすぐ、彼の後ろの席についた彼女たちは、頼むモノも頼まず自分たちの話に耳を澄ませていた。背中越しだったヘキサは気づく様子はなかったが、クライスからはその様子がよく見えた。
「ヘキサ君の知り合いかね?」
「ええ。そうです。……貴方はどうなのですか? ずんぶんとヘキサと親しそうでしたが」
「それはそうだ。彼とはギルドにいた頃からの付き合いだからね」
「ギルド? では、貴方は」
黒髪の少女が身を前に乗り出す。赤毛の少女も興味深げな表情をしている。クライスは静かに微笑すると、二人の少女に恭しく一礼した。
「ああ……自己紹介がまだだったね。私はクライス。かつて≪暁の旅団≫で副団長の地位にあった者だ」
「副団長? あんたが?」
「その通り。とはいえ戦闘にはあまり参加せずに、ギルドでの事務関連を主に引き受けていたのだがね。……こちらに来たらどうだね?」
クライスに促されて二人の少女は彼の向かい側、先程までヘキサが座っていた場所に席を移動した。テーブルの上で両手を組んだ黒髪の少女が口を開いた。
「事務というと具体的にはなにを?」
「なに実質雑用みたいなモノさ。アイテムやリラの管理。他のギルドとの交渉。団員の悩み相談。あとは新規メンバーの勧誘かな。……実をいうとヘキサ君を≪暁の旅団≫に勧誘したのは私なのだよ」
「貴方がヘキサを?」
「てか、よく勧誘できたわね。あたしにはそっちのほうが驚きよ」
頬杖をつく赤毛の少女の言葉に眼鏡の青年は口元を歪めた。
「同感だ。私も声をかけたのはいいが、断られるモノだとばかり思っていたからね。了承されたときはこちらのほうが驚嘆したよ。何事もやってみるモノだ」
そこでクライスは二人の少女を眺めると楽しげな口調で言った。
「しかしヘキサ君も隅に置けない。リグレットにハズミ。彼が君たちのような有名人と交友があったとは。……君たちこそヘキサ君とはどんな関係なんだい?」
「保護者です」
「宿敵よ」
なるほど。彼も大変だね。ここにはいない白髪の少年の今後を思い、クライスは苦笑いをした。
「それで保護者と宿敵が私に聴きたいこととはなにかね? その為にヘキサ君が店を出た後も、君たちは席を立たなかったのだろう?」
「ええ、そうです。貴方が元≪暁の旅団≫。しかも副団長だというのなら尚都合がいい」
言って、リグレットは口の端に笑みを浮かべる。
用事があるとヘキサが彼女たちの前から消えてすぐに、リグレットとハズミは無粋だと知りつつも彼の後をつけていたのだ。ちなみにシルクも彼女たちに同行したがっていたのが、友人との狩りの先約があったので泣く泣く諦めたのだ。
ログアウトするならそれでよしと思っていたのだが、ヘキサの過去を知っているであろう人物と接触できたのは予想外の収穫だった。
「単刀直入に言いましょう。一ヶ月前に起きた≪暁の旅団≫の解散――その真実を教えていただきたい」
「ふむ。やはりそれか」
質問を予想していたのか、クライスに驚きはなかった。
「タダでとは言いません。話していただけるのであれば、それ相応の報酬をお渡しするつもりです」
「報酬は結構。……しかしそれを私に尋ねるのはお門違いではないのかね? それは本人が自分で話すべき事柄だ。第三者である私が軽々しく口にしていいことではない。君たちだって自分の与り知らないところで、かってに話題にされるのは嫌だろう? 君たちが彼を思うなら、本人に訊ねるべきではないのかな?」
「あー無理無理。ヘキサから直接聴きだそうとしたら、どんだけかかるのかわかんないわよ。あいつのヘタレは筋金入りだからねー。適当にはぐらかされるのがオチでしょ」
「私も同意見です。確かに貴方の意見は正論ですが、ことヘキサにおいては当てはまりません。どうもヘキサはその話題を避けている節がありますから。大方、話したら嫌われるとでも思っているのでしょう。うじうじして先送りにされるのが関の山です」
「……本当にヘキサ君の性格を熟知しているのだね」
悩む素振りすらなくあっさり言い放つ少女たちに、クライスは感嘆を滲ませた口調で言った。その意見については彼も同じだった。よほどのことがない限り、ヘキサがあの事件を自分の口で語る機会はないだろう。基本的に臆病で小心者なのだ、彼は。つまりそれを知るくらいには、ヘキサと少女たちの仲は深いということか。
思案顔でクライスは視線を下に落とした。そして考えが纏まったのか、面を上げると彼は二人の少女を真っ直ぐ見据えて言った。
「……いいだろう。教えてあげるよ。一ヶ月前――あの日あの場でなにが起こったのかを。何故ヘキサ君がレッドネームプレイヤーになってしまったのかを。私の知るすべてを君たちに話そう」
「ホント!?」
「ありがとうございます」
「うむ。……だが、その前に確認しておきたい。君たちはあの事件についてどれだけ知っているのかね?」
「ほとんどなんにも。≪暁の旅団≫を潰したのがヘキサで、その一件が元でPKになったってくらいかな。それも人づてに聞いただけで、ホントかどうか確かめたわけじゃないし……リグレットは?」
「私も同じです。知ってる知らないで言えば、他のプレイヤーとそう大差はないでしょう。しかも本人が口を開かない以上、それすら憶測でしかない。……しかし、そういえば――」
なにか思い出した様子でリグレットは言葉を繋げた。
「事件が起きる少し前なんですが、ヘキサと思われるプレイヤーが、露天であるアイテムを大量に買い込んでいるのを見たとギルド仲間から聞いた記憶があります」
「あるアイテムって?」
「確か……そう、蘇生の紫結晶だったかと」
魔法という概念のあるMMORPGとしては珍しく、ファンシーには回復魔法はあっても蘇生魔法は存在しない。
ファンシーではプレイヤーのHPがゼロになる――つまり『死亡』すると、デスぺナを適用された上で予め登録しておいたホームポイントで蘇生される。
それが通常の蘇生シーケンスなのだが、唯一の例外が蘇生の紫結晶である。
死亡後、六十秒以内に蘇生の紫結晶を使用するとホームポイントではなくその場での蘇生が可能になり、そのためボス戦などで重宝されるアイテムなのだ。ただ蘇生の紫結晶はその場で蘇生されるというだけで、デスペナ自体はしっかりと適用されてしまう。当然ミストも減少する。ただしその際の減少は、対象がボスだろうとPKだろうと1ポイントですむという、蘇生の紫結晶だけの例外が適用されるワケではあるが。現在の段階で唯一、対象外になるのはヘキサの【捕食】くらいだろう。あれはミストの減少ではなく、ミストの吸収であり略奪行為だからだ。
元々蘇生の紫結晶や転移の白結晶を始めとする『結晶』アイテムは、モンスターのレベルや種類を問わず極低確率で入手可能なアイテムで、それ以外ではほぼ入手方法のないアイテムだ。『結晶』は他のアイテムよりも効果が高く、入手手段が限られていることもあり、露天でかなりの高値で取引されている。
蘇生の紫結晶は確かに使い方次第では有効なアイテムではあるが、露天価格と釣り合いが取れているかというと微妙なところがある。少なくとも大量に買い漁るようなアイテムではないはずなのだが。
「なんだってあいつは蘇生の紫結晶だなんて微妙なモノを。買うなら普通、生命の赤結晶でしょ?」
ハズミは頭にハテナマークを浮かべて首を傾げた。
生命の赤結晶はHPが最大値まで回復するアイテムである。三秒毎ごとに段階的に回復するポーションとは違い、一瞬でHPが回復する為あらゆる場面において非常に有効的なアイテムだ。
「……私も君と同じだ。その話を噂で耳にしたときはそう思ったよ。だが――」
ぎりっと噛み締めた歯が鳴った。
普段は柔和な笑みを浮かべるクライスの顔は苦渋で歪んでいた。彼はまるで自分を責めるような口調で言葉を吐き出した。
「それが間違いだった。私は気がつくべきだったのだ。その可能性に。そうすればいまとは違う結果になっていたかもしれないというのに」
「可能性、ですか?」
「――コトの起こりは≪暁の旅団≫解散のさらに一ヶ月前。ヘキサ君が組んでいたPTでの出来事がそもそもの発端だった」