第三章 暁の旅団(1)
『すまないが、少しいいかね?』
白髪の少年が振り返るとそこには、眼鏡の青年が立っていた。緑色のローブを身に纏った眼鏡の青年は、口元に柔和な笑みを浮かべている。ヘキサは周囲をきょろきょろと見回す。指先で自分を指し示す彼に、眼鏡の青年は大きく頷いた。
『はじめまして。私はクライス。少々時間をもらいたいのが、構わないかね?』
『……なにか用?』
目を細める少年に、クライスと名乗った青年は微苦笑し、両手を軽く上げて見せた。敵意がないと言っているのだろう。
『そう警戒しないでほしい。今日は君に折り入って話があり、こうして声をかけさせてもらったのだよ』
そこで言葉を区切り、クライスはヘキサの目を覗き込むように続けて言った。
『単刀直入に言おう。私たちのギルド――≪暁の旅団≫に入るつもりはないかね?』
≪暁の旅団≫。その単語にヘキサは目を見開いた。
『それは勧誘ってこと?』
『そう受け取ってもらっていいよ』
『……≪暁の旅団≫が直接、勧誘してるだなんて話は初耳だけど?』
≪暁の旅団≫は斧使いのジェクトが団長を務めるファンシーの第三勢力。大型ギルドだけに、構成する人数も桁違いに多い。そのためこのギルドは、一ヶ月に一度試験を開き、そこで合格したプレイヤーを採用する入団制度を導入している。
『その通り。だからこれは私の独断になるね』
『独断……それってマズいんじゃ』
あっさりと言ってのけるクライスに、ヘキサは顔をしかめるが、眼鏡の青年は「安心したまえ」と胸を叩いた。
『こう見えても私は≪暁の旅団≫で、それなりの立場にあるのでね。多少の独断は許されている身の上なのだよ』
はあ、そうなんだ、と曖昧につぶやきながら、ヘキサはクライスの真意を確かめるように、彼の顔をじっと見据えた。
『……ちなみに、どうして俺を? 勧誘する奴ならもっと他にいるんじゃないの?』
『そうかね? 私は至極まっとうだと思うが』
ヘキサは知らないようだが、クライスは彼のことを以前から知っていた。正確にいえば偶然に目撃したのだ。白髪の少年の戦闘する姿を。それからだ。眼鏡の青年は機会があれば、ヘキサをギルドに勧誘しようと決めていた。その機会が今回訪れたに過ぎない。
『それに勿体ないと思ってね』
『勿体ないって、なにが?』
『それは――いや、いまはよそう。自ずとわかることだし、そうでなくては意味がない。それでどうかね。≪暁の旅団≫に入団してみないかい? いまなら特典で旅団三点セットがついてくるよ』
その言葉にヘキサは視線を落とすと思案した。いまいち理解できない発言や旅団三点セットを脇において置くとしてだ。≪暁の旅団≫への入団。どうしたモノか。
これが普通のプレイヤーなら、願ったり叶ったりだと喜ぶところなのだろうが。考えるまでもない。生憎とヘキサにとってギルドとは、避けるべきモノでしかない。ここは謹んで辞退しよう――というのが、普段の彼の反応である。今回もそのはずだったのだが――、
『いいよ。≪暁の旅団≫に入っても』
『……本当かね?』
自分で言い出したことではあるが、白髪の少年の了承に、クライスは驚きの声を発していた。正直、こうもあっさりとことが運ぶとは思っていなかったのだ。
『ただし――条件がある。確か次の月一の試験は一週間後だったよね? 俺はそれに出ることにするよ』
『ふむ。つまり正式な手続きで入団しようと?』
『流石に俺だけ特別ってのは気が引けるから。まあ、落ちたら落ちたで、今回は縁がなかったってことで』
『いいや。断言しよう。君は必ず合格する。――なに。いざっとなったら、私が強引に捻じ込むから問題ないさ』
『ちょっとッ!?』
不穏な発言を洩らすクライスに、思わず声を荒げるヘキサ。冗談だよ、と笑う眼鏡の青年に、彼は早まったかもしれないと手で顔を覆った。
そして、そのやり取りから一週間後。白髪の少年は試験に合格する。
『改めてこれからよろしく頼むよ。ヘキサ君』
『……こっちこそ、よろしく。クライスさん』
一週間ぶりに顔を合わせた眼鏡の青年に、彼はそう答えると、差し出された右手に自分の右手を重ねた。
現在から四ヶ月前。それが白髪の少年が≪暁の旅団≫に入団した瞬間であり、まだマンイータと恐れられる以前の出来事であった。
「ギルドをつくる……?」
呆けた口調でつぶやくヘキサに、リグレットは「はい」と静かに頷いた。
「以前に貴方は言いましたよね。自分を入れてくれるようなギルドはない、と」
確かに言った。だって事実だから。誰が好き好んでPKを、ましてレッドネームプレイヤーにしてマンイータと恐れられる自分の所属を認めてくれるというのだ。
もしそんなギルドがあるとすれば余程の変わり者か、そのスジ――犯罪者プレイヤーによって構成されるPKギルドぐらいだろう。
前者の場合、入ったトコですぐに脱退するのがオチだろうし、後者など死んでもお断りだ。こちらから熨斗をつけて送り返してやる。自分はあんな連中とは違う。そう、違うのだ。……違うはず、なのだ。
最後のほうは半ば自身に言い聞かせるかのようになっていることに、ヘキサは気がついていなかった。
思考にノイズ。いつものアレだ。同じ光景がぐるぐると脳裏を巡る。
緑の景色。瞬く閃光。乱れ散る燐光。泣き叫び許しを請う金髪の少女。そして少女に無慈悲に何度も何度も執拗に凶器を振り下ろす白い――。
忘れてしまいたいのに幾度となく反復しているため、細部に渡って鮮明に思い起こすことが可能になってしまった。知らず左胸を強く掴んでいた。
「それで考えたのですが。……所属出来るギルドがないのでしたら、ヘキサが自分のギルドをつくってしまえばいいのではないでしょうか?」
「……いや、でしょうかって言われても」
さも名案だとばかりに提案するリグレットだが、どう返答すればいいのか。言葉に詰まってしまう。
ギルドをつくる? 俺が……?
考えたこともなかった。最初からヘキサの頭にはなかった選択肢だ。仮にあったとしても、真っ先に切り捨てたであろう。
「いいんじゃない? それ」
合いの手は意外なところからきた。ハズミだった。彼女は店内に飾られた武器を眺めながら言った。
「ソロばっかしてるからちょっとしたことでグチグチ悩んだりするのよ。ったく、くだらないことで深刻になっちゃってさ。あんたは少し人付き合いも覚えなさい。……シルクもそう思うでしょ?」
「うーん、そうだねー。ギルドをつくるのには私も賛成かなー。きっと楽しいギルドになると思うよー」
「……マジで言ってるの、それ」
意外に乗り気な彼女たちに、思わず聞き返してしまった。正気かと思った。よりにもよって俺がギルドを……? メンバーはどうする。
ギルドは各街にあるギルド斡旋所で登録することが出来る。ただしギルドをつくるには、登録料とギルドメンバーが三人以上いることが条件になっている。
登録料はともかくとして、メンバーはどうすればいいのか? 一から集める? 無理だ。出来るはずがない。そんなことが出来るのならはじめから苦労なんてしなかった。
「無理だって」
濁った思考は否定となって吐き出された。
ヘキサは早口で捲くし立てるように言葉を連ねる。
「俺にギルドをつくるなんて出来っこない。大体、メンツがいない。ギルド登録にはメンバーが三人以上いなくちゃならなかったはずだ。俺に集められるわけがない。……第一、ガラじゃないだろ……そんなの」
「ヘキサ」
単なる言葉の羅列をリグレットは遮った。
「私はそんなことを訊いているのではありません。私は貴方がどうしたいのかを訊ねているのです。……ギルドをつくるのは嫌なのですか?」
黒い少女の双眸がこちらを見つめている。色素の薄い瞳に白髪の少年が映されている。我ながらひどい顔だと思った。
泣く寸前の子供みたいな表情をする自分の姿に、ヘキサは視線を足元にズラした。
「俺は――」
その先の続きを彼は言うことが出来なかった。
「――はっ。こいつは驚いた」
ドアが軋む。
振り返ると店の入り口に、一人のプレイヤーの姿があった。
奇妙なプレイヤーだった。ローブに軽装鎧を合わせたような赤と白の装束を身に纏い、その顔には白に黒で模様が彫られた仮面がつけられている。
仮面による効果なのか。機械音じみた電子音が不快に耳朶を打つ。仮面の男は金色の前髪を撫でると身体を震わせた。笑っているのだ。
「申し訳ありませんが」
仮面の男の態度に不気味なモノを感じつつもリグレットは彼に声をかけた。
「武器をお求めでしょうか? でしたら、いまは少々取り込んでいますので、また後で、」
そこで彼女は言葉を切った。否、切らざるを得なかった。
――ヘキサが無言で剣を抜き放ち、仮面の男に斬りかかったのだ。
一瞬で間合いを詰めたヘキサは、躊躇なく仮面の男に剣を振り下ろし――直後、二人の間で炸裂した白い閃光に後方に弾かれた。
街などの中立エリアでは、決闘を除くすべての戦闘行為が禁止されている。そのためヘキサの挙動を戦闘行為と見なしたシステム側が、彼の行動を強制的に中断させたのだ。
弾かれたヘキサは宙で一回転すると足から着地。剣を下段に構える。
「ちょ、あんたなにしてんの!?」
その一連の行動に驚愕したのは、その場にいた他の者たちだった。
口元を両手で押さえて沈黙してしまったシルクの横で、ハズミが声を荒立てる。リグレットすら驚きに固まっている。
確かに仮面の男は見るからに怪しいが、だからといって問答無用で斬りかかるなどヘキサらしくなかった。普段の彼からは想像出来ない事態に、三者三様の驚きを見せる少女たち。
その沈黙の中、ゆらりと仮面の男が声を発した。
「おいおい。いくらなんでも早漏すぎるだろ。早すぎると女に嫌われるぜ?」
「……なんの用だ」
仮面の男の軽口には一切取り合わず、ヘキサは鋭い目つきで睨みつけながら彼を問いただす。その問いに男は肩を竦ませた。
「いや、別に用なんてねぇよ。ただお前がこの店に出入りしてるって噂を耳にしてたんでな。近くに来たついでに寄ってみたんだが……やっぱオレとお前は赤い糸で結ばれてるのかもな。こうもドンピシャだと運命のひとつも信じたくなっちまう」
「……十秒だけ待ってやる。その間にとっとと失せろ」
「嫌だって言ったら?」
「殺す」
そこに宿る意思は純粋な殺意。
端的な物言いこそが、彼が本気だということを如実に物語っていた。凡そゲームの世界とは程遠い感情を見せる少年に、少女たちは絶句してしまった。
確かにヘキサがときどき、そうした昏い感情を見せるときがあるのを、彼女たちは知っていた。普段は大人しくてどちらかといえば気が弱い少年なのに、ときどきひどく好戦的になることがある。まるでスイッチが切り替わったかのように反転する思考。
聖堂騎士団の連中に囲まれたときもそうだった。
だが、あのときはそれ相応の理由があった。しかし今回はその理由が見当たらない。加えて突然すぎる。
「ヘ、ヘキサ……?」
「ハズミ」
凍った刃のような声色だった。名前を呼ばれた赤髪の少女は肩を震わせた。構わずヘキサは続けて言った。
「あいつをよく『見て』みろ」
「え?」
「見ろ」
「は、はい!」
言われるがまま仮面の男を『見た』ハズミの動きが止まった。意識の焦点を合わせたことで出現した二重円。その色は、赤。
「PK? ……それもレッドネームプレイヤー?」
呆然としたつぶやき。
「おお、そうだった」
と、周りの反応とは裏腹に、気だるげな雰囲気をした赤いカーソルの男は、芝居がかった仕草で手を叩いた。
「いけない。いけない。オレとしたことが……伝言を頼まれてたのをすっかり忘れちまってた」
「伝言?」
「そうだ。お前に会ったら伝えといてくれって言われてたんだよ。……ミフィルからお前へのラブレターを、な」
その単語に白髪の少年は劇的な反応を示した。
視線で射殺さんばかりに仮面の男を睨むヘキサ。異常に力が込めれた右腕が小刻みに震え、剣先が小さく音を発する。
それが警告音に聞こえ、ハズミは身を竦めた。
「ナハト……ッ!!」
「はは。その反応。まだあのときのことが忘れられないのか。……まあ、当然か。なんせ――」
一端、言葉を切る。このとき仮面の男は笑っていた。仮面で表情が判るはずもないのに、ヘキサはそうだと確信した。
「あのお姫様を『壊した』のはヘキサ。――お前なんだからな」
そう言って、PKギルド『仮面舞踏会』首領ナハトは愉快そうに嗤う。
ナハト。その名を少女たちは知っていた。
面識こそなかったが、彼は悪辣を持ってファンシーに名を馳せている。単純に知名度で言えば、彼のマンイータにも勝るであろう。
比較的新規のギルドでありながらファンシーでも一・二を争う過激派のPKギルドとして知られる仮面舞踏会の首領。仮面の道化師。
三十人以上のPKで構成されたギルド、≪悪魔の爪≫ を「気に入らない」の一言で叩き潰した事件は未だに記憶に新しい。
そうしていま、仮面舞踏会の首領と人食いと畏怖される白髪の少年は、僅かな距離を挟み対峙していた。
「……壊した?」
仮面の男の言葉を鸚鵡返しにつぶやいたのはリグレットだった。
ヘキサがお姫様を壊した。その言葉の生々しさに顔をしかめる少女。それはヘキサを知る彼女からしたら、あまりにも彼には不釣合いに思えてならなかった。
そんなリグレットの反応に、ナハトはくつくつと咽の奥を震わせた。
「意外かい、お嬢ちゃん? こいつこんな顔して中々に鬼畜なんだぜ? ……いや、ホント見せてやりたかった。あのときのヘキサときたら、嫌がるあいつに馬乗りになって無理やり――」
ナハトの台詞は再度炸裂した閃光に遮られた。
剣を跳ね返されたヘキサが踏鞴を踏む。
攻撃を禁止されても尚、ヘキサの敵意が納まることはなかった。少年の敵意を象徴するかのように、手に持つ肉厚の刀身がギラリと光る。
だが、刃のような鋭い殺気を向けられているのにも関わらず、ナハトの飄々とした態度が変わることはなかった。
「そうカリカリしなさんなって。カルシウムが足りてないんじゃないか。牛乳飲めよ、牛乳。健康にもいいんだぜ?」
「っるせいよ。そこを動くな。いま殺してやる」
「いいや、無理だね。お前にオレは殺せない」
ヘキサの殺意を一蹴するナハト。彼は首を竦めると口を開いた。
「勘違いするな。オレは中立エリアの戦闘禁止区域だから無理だって言ってんじゃねーぞ。……ま、なんだ。ゲームらしく言うなら、まだフラグが立ってないんだよ」
判るか? とナハトは問う。
「ヒロイックRPGのお約束だ。初っ端からボスと戦う馬鹿はいない。よそ様のタンスからアイテムを横取り、雑魚を集団でボコってせっせとレベルを上げて、そいつらから剥ぎ取った金品で装備を買い漁る。ボスと戦うのはそのあとの話。つまり――条件が揃ってないんだよ。オレとお前はまだやりあうときじゃない」
故にフラグを立てろ、と仮面のPKは言った。
「知ったことか」
言い捨てて、床を蹴る。
忌々しいナハトの仮面目掛けて剣を突き出す。風を切り裂き突かれた切っ先はしかし、システムによって弾かれることはなかった。その一歩手前で、ヘキサ自身が剣を止めていた。否、止めさせられたのだ。
ヘキサの鼻先には刃が突きつけられている。
「……やめとけって」
歪な大鎌を気だるげに構え、ナハトは嘆息した。
硝子のように磨かれた黒い肉厚の刃。直線のみで構成されたそれは宛ら断頭刃。一撃で命を奪う死神の刃だ。
「幻想武器……?」
ぽつりとリグレットがつぶやいた。
横で見ていた彼女たちにも、彼が武器を手にした瞬間がわからなかった。まるで手品だ。いきなり出現したようにしか見えなかった。
「言っただろ? まずはフラグを立てろって。いまのお前とオレは対等じゃない。勝負は対等じゃなくちゃ意味はない。話はそれからだ。……大体、いまやったらオレが勝つに決まってるだろ。勝敗の判るギャンブルほどツマラないモノはない。興醒めもいいところだ」
さも当然とばかりのナハトの言葉に、意外にもヘキサからの反論はなかった。その事実にリグレットたちは目を見張った。
「つーわけで、今日のトコは退散するわ。そっちで怖いお譲ちゃんたちがこっちを睨んでるしな」
どこまでも軽薄な口調でそう言うと、仮面の道化師は踵を返した。その手元から現れたときと同じ唐突さで、大鎌が消失した。
「……っと、いっけね」
ドアに手をかけたところで彼の動きが止まった。
「また忘れるトコだった」
金髪を掻きながらつぶやくと、ナハトは肩越しに白髪の少年を見た。仮面の奥から声が響いた。すべてをせせら笑うような歪な電子音。
――今度『遊び』に行くからお菓子を用意して待っててね。
それがいつかの少女の託だと気づいたのは、仮面のPKが去ってしばらく経ってからだった。誰も動かない。まるで時間が凍りついたかのように、動こうとする者はいなかった。
沈黙の中、まず最初に動いたのはヘキサだった。
彼は胸に燻る殺意を吐息と一緒に吐き出すと、怠慢な動作で剣を鞘に納めた。
「――、リグレット」
ナハトが消えたドアを睨みつけながらヘキサが口を開いた。ぴくりとリグレットの肩が震えた。
「悪い。用事が出来たから帰る」
前を向いたまま彼女のほうを見ることなく告げる。その言葉に感情はなく、どこか機械の合成音じみている。皮肉にもそれはどこか仮面の道化を連想させた。
「ギルドの件だけど、いまは答えをだせそうにない。次までに考えておくから、今日のとこ
ろはそれで勘弁してくれ」
「ヘキ――」
声がヘキサに届くことはなかった。背に拒絶を滲ませる彼の姿が遠ざかる。少女たちはその背中を無言で見送った。見送るしかなかった。
ゆっくりとドアが閉まる。それが自分と彼とを隔てる壁のようだと、そのときの彼女たちには思えてならなかった。