断章 遥か遠き残響(2)
「断る」
「はやッ!」
有無を言わせぬ即答に、思わず彼女は叫んでいた。
手に持っていたティーカップをテーブルに叩きつけた。立ち上がった拍子に椅子が倒れて、盛大に音を立てるがお構いなしだ。
「返答早すぎ! そりゃ、そう言われるかなとは思ってたけどさ。ちょっとは悩む素振りしてくれたっていいじゃない! ……そんなに私のことが嫌いなの!?」
「落ち着いて。なんか話がズレてる。ていうか、声がでかい。みんなこっち見てるじゃないかっ」
慌てて忠告するヘキサ。見ると他の席に座ったプレイヤーたちが、何事かと彼女のほうを注視している。場になんといえない空気が流れているのを感じて、彼女は愛想笑いを浮かべた。
「あ、あはははは……。ごめんなさい」
彼女は地面に転がる椅子を元に戻すと、そそくさとその上に腰を下ろして、ミルクと角砂糖がたっぷりと入った紅茶に口をつける。
取り繕ってはいるがやはり恥ずかしかったのか、若干頬が赤い。やがて人々の興味が失せたタイミングを見計らい、再び彼女は口を開いた。
「もうっ。どうしてくれるのよ。恥かいちゃったじゃないっ」
「……僕のせいじゃないだろ」
口を尖らす彼女に、心外だとばかりにヘキサは言った。
「いーえ、ヘキサのせいです! ヘキサが私の頼みを断らなかったら、こんなことにならなかったんだモン! はい、これ決定ね」
そんなめちゃくちゃな。……まったく。誰かどうにかしてくれ。
手元のチーズケーキにフォークをグサグサと突き刺す彼女を横目に、ヘキサは内心で独白した。嫌な予感はしていたのだ。今日、街をブラついていたとき背中を叩かれて振り返ったら彼女がいた。
よっす。……ねえ、いま暇。暇だよね。うん、そうに違いない。暇だったらちょっと私に付き合ってくれない?
後は流されるが如く、だ。腕を引かれて気づいたらこのカフェテラスで、彼女と向かい合い座っていた。
まあ、言われるがまま彼女に付いてきた自分も悪いのだが。彼女と知り合ってからしばらく経つが、その強引さにはいまはもう慣れっこだった。これでまったく嫌味を感じさせないのはある意味才能なのだろう。羨ましいかぎりだ。
彼女に苦笑しつつコーヒーを啜る。砂糖もミルクも入っていない苦い液体が、喉を滑り落ちる。どろりとした感触に顔をしかめそうになるのを必死に堪える。
基本的にヘキサはコーヒーをブラックで飲まない。角砂糖とミルクをこれでもかとばかりにぶち込み、飲むのが彼の流儀なのだがこの日は違った。
彼女に「砂糖いくつ入れる」と聞かれ、咄嗟にいらないと答えてしまったのだ。ふうん。大人なんだね、と角砂糖を引っ込める彼女に、やっぱりいりますとは言えず、飲めもしないブラックを飲む羽目になってしまったのだ。
笑いたければ笑えばいい。ときとして男には、例え自己満足だと分かっていても見栄を張らなければならないことがあるのだ。……張るところを誤っている気もするが。割と本気で。
はあっと息を吐き、ぐるりと首を巡らす。
彼女のお気に入りらしいカフェテラスの店内は、たくさんのプレイヤーたちで繁盛していた。ヘキサのいるテラス席も満員だ。モノトーンで統一された店内を、ウエイトレスがひっきりなしに歩き回っている。
客のほとんどが女性プレイヤーなのはこの際だ。目を瞑ろう。コーヒーは苦いが、チーズケーキは美味しいし。と、フォークでケーキを割り口に運ぶ。
普段、屋台や宿屋の料理しか口にしないヘキサとしては、こうしたプレイヤーが調理した料理を食べるのは中々に新鮮だった。
ファンシーにある無数のスキルの中には、こうした【料理】スキルも存在する。ただ【料理】スキルを選択するプレイヤーの絶対数が少ないため、プレイヤーの料理を口にする機会はあまりない。それに材料費などで値が張るため、お世辞にも初心者向けといえない。現在のファンシーの状況を省みるなら尚更だ。
否、だからこそか。こうしてプレイヤーたちは娯楽に興じるのだ。日常の不安と恐怖を隠すために。例えそれが一時的なモノに過ぎないと知りながらも。
「――、サ。ヘキサってば!」
「ン?」
自分の思考に潜っていたヘキサは、その声で現実に戻ってきた。伏せていた顔を上げると、彼女が大層不満げにこちらを睨んでいる。
「私の話ちゃんと聞いてた?」
「……聞いてなかった」
もうっ、と頬を膨らませる彼女に、ごめんと頭を下げるヘキサだったが、話の内容の察しはついている。
「……ギルドに入ってくれって、話でしょ」
元々そのためにヘキサはここに呼び出されたのだ。他には考えられない。
「そうよ。ね、ね? いいでしょ。お願いっ」
両手を合わせて片目を閉じる彼女にヘキサは言った。
「答えはさっきも言ったはずだよ。……僕はギルドには入らない」
「どうしても?」
「どうしても、だよ」
ケチ! と叫ぶ彼女を尻目に、ヘキサはコーヒーを喉に流し込んだ。
「別にいいじゃない。ギルドに入るくらいさぁ。なんだったら体験入部でもいいよ。ね?きっと楽しいと思うよ。みんないいヒトばっかりだし。ヘキサも気に入るって」
彼女は自分のギルドの良さを手振り交じりでアピールするが、ヘキサの答えが変わることはなかった。
「悪いけど……やっぱり遠慮しておく」
正直に言うと彼女の話に興味がないわけではない。
むしろ逆だ。『ギルド』という単語には心惹かれるモノがあった。普段からギルドに興味がないと一点張りの態度も、裏を返せばそれだけギルドに関心がある証拠でもある。
ただ彼の場合、元々人付き合いが得意でないのに加えて、『不幸』にもプレイヤースキルに恵まれてしまっていた。
無論、プレイヤースキルは、ないよりあるほうがいいに決まっているが、ありすぎるのもときとして弊害を生んでしまうことがある。
これはファンシーだけではなくネットゲーム全般で言えることなのだが、ソロでプレイしているといつか必ず『壁』にぶつかるときがやってくる。
クエストだったりモンスターだったり状況こそ違えど、ソロではどうしてもクリアできない状況が訪れるのだ。
『壁』にぶちあったときプレイヤーが取る行動は大きくふたつに分けられる。同じ状況に陥った者同士で手を組むか、それでも尚ソロプレイを続けるかだ。
大抵のプレイヤーは前者だが、ヘキサが取った選択肢は後者だった。そしてソロでどうにかしてしまえるほどの力量が彼にあった。PTを組まなくても単独でどうにか成し遂げてしまうのだ。結果、ヘキサは友人を作る機会を逃してしまう。
生来の口下手から積極的に話しかけることもできず、それがいまでもずるずると続いているのだ。
ギルドに誘われて全部断ってきたのも、そのほとんどが初対面だったので、どう対処していいのか判らなかったからでもある。
そこで彼女が言うように仮で体験入部してみて、気に入らなかったら脱退するという手段もあったのだが、一度入った以上はそうそう脱退するわけにはいかないんじゃないかと思い、実行に移すことができなかった。
ここら辺の感覚はおそらく本人にしかわからないモノであろう。さらにいうならもうひとつあるのだ。彼がギルド――特に攻略ギルドからの誘いを偏屈なまでに断る理由は。
「……そっか。それじゃ仕方がないか」
気落ちした様子で肩を落とす彼女に、ヘキサは小声でごめんとつぶやく。
普段は明るい彼女のそんなしょげた姿は見たくないにも関わらず、自分が原因で落ち込ませたかと思うといたたまれなくなる。
すると彼女は首を横に振り、自嘲が混じった笑みを浮かべた。
「ううん。ヘキサが謝る必要なんてないよ。私のほうこそ無理に誘ってゴメンね。ちょっと強引すぎたみたい。あははは……失敗、失敗」
「……あのさ、なにそんなに慌ててるの?」
自分の頭を小突く彼女に、ヘキサは自分の疑問をぶつけた。最近、何故か彼女は必要以上に焦っている気がしてならない。
確かに頭数は多いほうがいいに越したことはないが、それには相応のデメリットもある。いままで上手く回っていたチームワークが、新規の加入者によって崩されることだって多々ある。人数が増えればアイテム分配で揉める機会も増えるだろうし、入団者を増やすことはなにもメリットばかりをもたらすわけではない。
そもそも彼の記憶が確かなら彼女がリーダーを勤めるギルドは、数あるギルドの中でも屈指の攻略ギルドだったはず。当然、戦力も充実しているだろう。
なにをそんなに急いで戦力強化を図る必要があるというのか。
「ちょっとね。もう一人くらい強力な前衛剣士が欲しくて。そう考えてたとき見つけたのが、ヘキサだったってワケ。一目見てビビッてきたのよ。いまメンバーを増やすなら君しかいないって、ね。――そうすれば少しは、デュオ君の負担を減らせるだろうし」
彼女が言ったプレイヤーの名前に一瞬、ヘキサは表情を固く強張らせた。会話をしたことはないが、その姿を見る機会は何回かあった。
白髪に白装束。片手直剣を振るう盾持ち剣士。
「デュオ。……そういえば君のトコのサブマスだったっけ」
「知ってるの?」
「有名だから。天剣のデュオっていえば、ファンシーで知らない者はいないハイエンドプレイヤーじゃないか」
付け加えるのなら、ヘキサが自分では勝てないと痛感したプレイヤーでもある。それほどまでに彼の存在はヘキサにとっては鮮烈だった。向こうはこちらなど眼中にないだろうが。
「デュオ君には辛い思いばっかりさせてるから。ファンシーがこんな状況になってからは特にね。だから私がもっとしっかりしなくちゃ」
ギシリとかみ締めた歯が軋む。
理由はわからない。だが、ヘキサは目を細めてはにかむ彼女の姿に、胸の奥からどす黒いモノが湧いてくるのを抑えることができなかった。
黒い衝動はそのまま言葉となり吐きだされた。
「はっ。なにか。つまり僕はデュオの代用品ってワケか」
嘲笑交じりのその言葉に彼女は目を見開いた。
「違ッ。私はそんなつもりじゃ……!」
「……いや、いまのは僕の言いすぎだ。ゴメン」
顔を歪める彼女を見て、ふと我に返る。黒い衝動は一瞬で霧散した。代わりに現れたのは羞恥と罪悪感だった。
なにイラついているんだ、僕は!
手の甲を強く額に押しつける。後悔に唇をかみ締めるヘキサの耳朶に、吐息のようにか細い声が響いた。
「ごめんなさい。確かにそう取られても仕方ないよね。でも、信じて。本当にそんなつもりじゃなかったの。私はただ――」
「わかってる。それ以上言わなくていい。僕が悪いんだから君が謝る必要なんてないよ」
「でも、焦ってたのはホント。明日に備えて戦力を強化しようと躍起になってたモノ」
「――ああ、そうか」
彼女の言葉に合点がいった。ヘキサは椅子越しに背後を振り返り、彼女が見つめているモノを視界に納めた。
――塔、だ。天高く伸びる白い塔。千の層によって構成される巨塔の上層部は雲に紛れて視認することができない。
「そういえば明日だったね。五百階のボスモンスターの討伐は」
彼女の頷く気配がした。
「ヘキサは参加しないの? あんまり興味がないみたいだけど」
「僕は……」
搾り出された声は自分のモノとは思えないほどしゃがれていた。まるで老人のようだ。
「僕は参加しない」
「そっか」
それだけだった。何故、と彼女は理由を尋ねなかった。
「私そろそろ行くね」
「……うん」
「ヘキサにギルドに入ってもらいたい気持ちは同じだから。気が変わったらいつでも連絡してよ。……それから」
彼女は角砂糖をひとつ摘むとそれを、ヘキサの飲みかけのコーヒーに落とした。コーヒーの表面に小さな波紋が広がる。
「我慢しないで砂糖いれたほうが美味しいよ。苦いの苦手なんでしょ?」
呆けるヘキサにそう言い残し、微笑した彼女は踵を返す。遠ざかる小柄な背中にしかし、ヘキサは声を掛ける術を持たなかった。
言えるはずがない。彼がギルドを拒む最大の理由。それは塔のボスモンスターと戦いたくないからなど、と。明日、そのボスに挑む彼女にどの面を下げて言えというのだ。
ヘキサは彼女の消えた雑多の光景をただ黙って見ているしかなかった。