第五章:兆し<サイン>
第五章:兆し<サイン>
僕がこの世界に生を受け、レイという前と同じ名前を授かってから、早三年が経過していた。
最初は十五年も生きていたのだから、こっちの世界でも問題なくやっていけると思っていたが、森の中に一人で遊びに行ってRPGよろしくのスライムにヒノキの棒で挑んで、あとちょっとで死に掛けたのは良い経験となった。
結果、何が足りていないのか、戦闘技術である。
こっちの世界の両親、オズさんとナタリアさんはこの歳からソレを身につけるのは早すぎる、と言い最初は頑なに拒み続けていた。
でも、僕がある事を口にした瞬間、二人はしぶしぶ了承してくれた。
それは、平凡な僕が憧れていた、唯一の平凡じゃ成れない者。二人と同じ、生き方だった。
「いくぞ、レイ!」
「はい!」
朝日が差し込む森の中。父であり、師匠でもある騎士、オズ・アーヴェクルスと木剣を持って向き合う。
お父様(ナタリア事、母の希望で様付け呼称)は騎士が身にまとう甲冑などは一切装備しておらず、気慣れくたびれた草色のシャツに、ズボン、僕に合わせた小さい木剣を軽々と片手で持ち、不適な笑みを作る。
周囲からは小鳥の囀りと、風が頬を撫ぜ、その風によって運ばれる木々の葉と葉のこすれる音や、村から聞こえる環境音が耳に入る。
だがそれらは今、「要らない情報」だ。
今必要なのは、眼前に立つ脅威の情報だけ。
とても「子供」に向けるプレッシャーなどではない、お父様が纏っているのは完全に魔物と相対するときのソレなのだと思う。甲冑など身にまとっておらずとも、その圧だけで、身体を何重にも守っている様な感じさえする。
「シッ!」
そうお父様が口にした時、お父様の像は一瞬で大きく、否、近づき一気に距離を詰められたのだと遅れて理解する。
同時に右の片手一本で斜め上へと切り上げられる木剣の剣速も、突進の威力と相まって、速い。やはりどう考えても「子供」に向ける物じゃない。
このまま放置したら確実に身体に当たる事が目に見えていたたため、後方に飛びのきつつ、襲い来る木剣を僕が持っている物で受け止め、後ろに飛びのいた勢いで両手にかかる負荷を減らし、手から木剣が弾かれ、落ちるのを未然に防ぐ。
が、それさえもお父様には悪手と取ったのだろう、表情を険しくして、一喝。
「レイ!木剣とはいえ、真剣のつもりで戦え!なんだ今のは!木剣でなければ防げないものだぞ!何度も言うが、真剣同士ならこんな重く、太い面での攻撃ではない!剣撃を受けるにしても角度を重視しろ!」
放たれた剣撃に対し、ほぼ直角で受けた両手にかかる負荷を後方に飛びのくという事で防いだ僕に対し、手首の力で受ける剣の角度をもって剣をいなして見せろ、という意味。
ここ最近何度も同じ事を言われ、頭には入っていても身体が付いていかない。怖い、というのとは少し違う。
「もう一度だ!」
同じように突進と、右手一本で放たれる切り上げる剣撃。
それを今度は臆することなく、後ろへ飛びのくこともせずただ手首で角度を付けた木剣で受ける。
確かにさっきよりも手にかかる威力は殺せたのかもしれないが、まだ握力が未成熟な分、手の中で柄が暴れる。それをギュッと力を込めて握りなおす。
出来た――、そう感じ目の前のお父様の顔を見ると、ニィッと不適に笑っていた。それが何を意味するのかは知っている。
ただお父様は、「――甘い」と言いたいのだ。
僕の目線が、お互いの木剣を注視していたのがわかったのだろう。お父様の左つま先が地面を抉り、迫っている事にさえ気づけないほどだ。
やがて訪れたのは砂塵。そして体全体に訪れる衝撃。自然と力強く握っていた木剣の柄さえ落としてしまう程だった。
さっきは意識して後ろに飛んだ事に対し、今度は無意識というよりも強引に後ろに吹き飛ばされる。お父様の全体重の乗った体当たりで。
地面を二転、三転してやっと止まり、かすむ視界でその所業を成した人物を見上げると、右手にもった木剣で己の右肩をトントンと叩いており、挑発するかのように僕の琴線に触れる一言を悪気も無く放つ。
「なんだレイ。お前は「騎士」になりたいのか?ただ正々堂々とした、格式ばった決闘にのみ明け暮れて、地位を上げたいのか?……可笑しいな。たしかお前は、三年前に俺たちに言ったよな――」
「……ッ!……もう一本!」
土埃を纏い、所々擦りむいた傷に意識を向けず、手から離れた僕の木剣を拾い上げ、剣先をお父様に向ける。
そして毎朝の日課が繰り広げられる。太陽が一番高く上るその瞬間まで。
○●○●○●○●○●○●○●○●
「イタタ……」
太陽が真上に上った時、お父様はようやく僕を開放してくれる。
僕の身体的な疲労、というものの為ではなく、ただお父様自身が「仕事」へと赴き、その日のうちに帰るためだ。
僕はと言えば、歩くたびに痛みが増す身体を引きずって、二人分の木剣を抱えたまま、村への帰路。
最初は所々、擦り傷や打ち身の痕があって、家庭内暴力的なのを村の人に心配されないか、不安だったが、何れも皆さん「しかたないよね」といった感じで受け入れてくれた。
しばらく森の中を歩くと、見慣れた景色で視界を埋め尽くす。
野生動物にしか効果を発揮しないであろう小さい柵に囲われた、人口わずか五十人弱の小さな村。ファッゾ。
これが僕が今暮らしている場所であり、帰るべき場所だ。
村は中央から、その村にとって重要な人物が住んでいるらしく、村長宅、小さい教会、お店、自警団の詰所、といった具合だ。
我が家は当然村の端にあり、何故かお向かいが鍛冶屋となっている。
母曰く、小さい村にとって鍛冶屋はそこまで重要視されない、との事。鍋や道具が古びて、穴でも開けば、直すよりも中古の鍋を時折やってくる金物屋に頼んだ方が安いとの事。
では何で商売として成り立っているのか、と尋ねると完全に趣味の世界らしい。鍛冶屋の主でもあるアレクシスさんは昔、王都におられ名うての鍛冶屋だったとか。それ故に今でも冒険者風の人が週に何度か訪れている。
それが何でこんな所で金づちを振るっているのかは全くの謎だったが、あまり突っ込むべきではないと、お母様に言われた。
いつも練習で使ってボコボコにしている木剣を、次の日の朝には綺麗に整えてくれているのもアレクシスさんで、とても感謝している。
「おや、今日も訓練お疲れ様です。どうですか、オズ様には勝てそうですかな?」
二人分の木剣を抱えたまま、帰路についている途中一人の御爺ちゃんと遭遇する。
お隣に住む、ゾルス御爺ちゃんだ。
少しだけ腰が曲がったゾルスさんは、杖をついて歩かれるが、その足にいつもくっついている子を知っている。
「……まだ全然ですよ。お父様も加減をしてくださいませんし……。それと、こんにちは。ユリアちゃん」
ゾルスさんの足にしがみつくようにして隠れているもう一人の人物に話しかけるが、足に隠れきれていない青白く短い髪が微かに揺れるだけで、顔を見せてくれない。
ゾルスさん曰く、僕の同い年らしいのだが、人見知りが激しいようで、あまり打ち解けていない。
「すみませんな。レイ様。相変わらずの人見知りで……」
「いえ、構いませんよ。それと僕に「様」は要らないです」
「ふふ、そうでしたな。この老骨どうも物覚えが悪いようで」
この村において、お父様とお母様は何故か敬われている。結果二人の子である僕にもそういった言葉遣いをする人が多い。
日本で生まれ育った僕としては、年長者や偉業を成した人、目上の人を敬うべきであり、その血縁だからといって敬ってほしくないし、敬いたくない。
「……レイ、くん。これ……」
めったに聞かない声に、一瞬誰かとも思ったが、声の主はやはりゾルスさんの足に隠れているユリアちゃんで、ゾルスさんの影から差し出された手には淡い桃色の四つの花弁を有す花が握られていた。
その仕草を見つめたゾルスさんは静かに笑みを作り補足してくれる。
「もらってやって下さい。ミュルの花にございます。花弁を水に浸してから磨り潰して傷に塗れば、傷の治りが早くなります」
ゾルスさんは薬草師をしていて、よく朝の鍛錬を終えた後に森の中で出会っていた。その時はユリアちゃんは連れていないのだが、家の周りに出るときはいつもユリアちゃんを連れている。
「ありがとう。家に帰ってから使っておくよ」
そういい受け取ると、微かに彼女の顔がゾルスさんの影からのぞき見え、微かに微笑むと同時に、ゾルスさんの傍から離れ家へと駆けていった。
最初は言葉すらまともにかわせなかった事を思えば、遥かな進歩だとは思うが、少し複雑な気分だ。
その様子を見送ったゾルスさんも僕に一礼してから、家へと歩を進め、ドアの前で待っていたユリアちゃんと一緒に家の中に入っていく。
残された僕は受け取った花を、親指と人差し指を使ってクルクルと回転させ、その花弁が放つ甘い香りを楽しみつつ、鍛冶屋を目指した。
鍛冶屋に扉は無く、外からでも工房内を見る事が出来、目的の人物アレクシスさんは簡単に発見できた。
赤と橙の中間色のような髪色を短く乱雑に切り、身長がお父様と同じくらい180cm近くあるため、ぱっとみ男に見えるが、耐熱エプロンの下、さらしを巻いて隠してはいるが出る所は出ており、お父様の言うとおり横乳はなかなかのものだった。
徒弟さんなどは無く、アレクシスさん一人で経営している工房からは夕暮れまで金槌で金床を叩く音で木霊して、僕はそれが嫌いじゃない。
「アレクシスさーん、またお願いしまーす!明日、いつもの時間に取りに来ますー!」
外からかけた声に、アレクシスさんは軽く手を挙げるだけで、それ以上の会話などはない。
お父様から寡黙な人だ、とは聞かされていたが、僕は向かい側に住んで三年、ただの一度も声を聞いたことがない。
頷くか、首を振るかの二択で、自己主張しておられ、表情も素顔なのだろう、めったな事じゃ崩れない。
一度、僕がまだ一歳を迎える前に抱き上げられた時は、僕を抱えたまま固まり、身動きが出来なくなるという謎の展開があったがそれはまた別の話。
工房に入らず、壁に木剣を立て掛け、百八十度反転。後に直進して、我が家である。
本当にただの真向かいで、玄関から玄関まで10メートルもないほど、近い。
村の中では珍しく木造二階建ての家に、白い両開きの戸が玄関であり、両手で押し開くように通ると、天井スレスレの所を一羽の白堊色の梟が飛んでくる。
アヴルネ。お母様の使い魔<ファミリア>にして、お母様がよく感覚を共有している梟。お父様が浮気していた現場も押さえた事があるらしく、お父様はこのアヴルネが苦手で、アヴルネ自身もお父様の事が嫌いらしくあまり懐いていない。
「アヴー。お母様の所に案内してください」
僕が略称で名前を呼ぶと右肩に降り立ち、頬に嘴をこすりつけてくる。可愛いのだが、カラス大の梟が耳元で羽ばたくとちょっと怖い。
一通り愛情表現?が終わってアヴーは満足したのか、肩から飛び立ち、目の前をゆっくりと飛んでやがて一つの部屋へとたどり着く。
アヴーはそのまま部屋の前に突き出ている止まり木の枝にとまり、毛づくろいをはじめる。
「ありがとうございました、アヴー」
そっとアヴーの頭を撫ぜようと手をかざすと、アヴーの方から頭をこすり付けてくる。
胸キュンである。犬派か、猫派かと聞かれれば胸を張って梟派である、と答えてしまうほど可愛い。
ひとしきり撫ぜた後、小さく深呼吸をしてから、眼前の扉を二度ノックする。
返事はいつもなく、念のため確認として扉を開けるが、お父様とお母様の寝室があるだけで、中にお母さまは居ない。
扉を閉めて、小さく咳払いを一回。そして呪文を口にする。
「聞け 知識の探求者 我が前に集いて 道と成せ」
何が変わるわけでもない。ただ、扉が「目的地」へと繋いだだけのこと。
ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回し、押していくと隙間から光が差し込み、少しホッとする。
やがて完全に開けた戸の先は、森の中のように木々が生い茂、清らかに流れる川と、無数の本棚。
そして本棚に囲まれているテーブルに座る、白銀色の髪を宿し、優しく微笑む女性が一人。
その弧を描いていた口がゆっくりと開く。
「おかえりなさい、レイ。――「英雄」の卵さん」