第9話「柔らかな日差しの中で 1」
期末試験と春休みと進級に当たってのクラス替えを生き抜き、神菜優依は川上中学一年五組出席番号二十四番から二年一組出席番号二十四番になった。
クラス替えで幼なじみの青葉と違うクラスになるのではと危惧したが、杞憂だったようでまた同じクラスだ。
大多数の人は青葉を嫌っている。
愛想がないし成績がいいから人を見下しているとか。そんな意見が大半を占めている。
しかし優依はそうは思わない。
確かに青葉は掴みにくいところがあるし愛想もないが、勉強にしても何にしてもどんなことでも教えてくれる。
優依には青葉が知らないことなんて何もないように思える。何時でもどんな疑問にもちゃんと答えを出してくれる。
例えば人生ってなにか? と学校の先生に聞いても答えが帰ってくるはずがない。だが、青葉はそんな質問にも青葉なりの考えと答えを教えてくれた。
だから青葉のことを嫌いとか。頭が良いから見下しているとか。そんなのはただの嫉妬から来る妬みだと優依は思う。
青葉は聞けばなんでも教えてくれるのだから。
青葉の良い所を見ようともしないでクラスの一部の人間は青葉をいじめの対象にしていた。
きっかけは些細なことだ。
二年生になってから一ヶ月くらいが過ぎ、ある男子生徒がいじめられるようになった。
どうしてそうなったのか優依には詳しいことは分からないし知りたいとも思わなかった。どうせ自分には関係がないと見てみぬ振りをしていた。
そんなある日のこと、青葉がいじめを行っていた数人の生徒にいじめを止めろと言い放った。
その後は誰でも容易に想像がつくだろう。
今度は青葉がいじめの対象になった。皮肉なことに青葉が助けたはずの生徒までもがいじめを行っていた。
そんな状況が我慢できなくて優依は青葉に救い手を差し延べた。
しかし、青葉はその手を振り払った。その時の青葉の言葉を優依は忘れないだろう。
青葉はどうしてあいつの時には救いの手を差し延べなくて、俺の時は差し延べるのかと。誰にでも差し延べることが出来ない救いなどただの自己満足の偽善でしかないとも言っていた。
その時から優依は一つの誓いを立てた。
自分には人を護る。助けられる力がある。だから助けを求める人がいたら絶対に助けよう。いつかどこかで青葉を助けることが出来るように。
時間を過去から現代に戻して学園祭前日の川上高等学校の昼休み。優依は自分の席に座り頬杖をしながらどこか遠い目をしていた。
「ゆーちゃん〜? どうしたのボーとして〜。もうお昼だよ」
ぬっと雪夏が顔を覗き込んでくる。
「少し考えごとよ。考えごと」
物思いに耽っていた優依は頬杖を止めて雪夏の目を見ながら言う。
雪夏は悪戯な笑いを浮かべてはしゃぎ始める。
「あ〜。お兄ちゃんのことでしょ〜。ゆーちゃんが考えることはそれしかないもんね〜」
図星と言えば図星だが、優依は少しも動じない。雪夏が青葉のことでからかって来るのは毎日の日課のようなものだ。
毎日だと流石に慣れるというか耐性がつく。
「あのね。あたしはユキのことなんてなんとも思ってないわよ。ただの幼なじみ」
「残念だなぁ〜」
雪夏が心底、残念そうな顔をしたのが気になった。
「なにがよ?」
「折角、ゆーちゃんがお姉ちゃんになってくれると思ったのにな〜」
優依の頭に?が浮かぶ自分が雪夏の姉になるということはつまり……。
「ゆーちゃんとお兄ちゃんの結婚なら私は大賛成だよ〜」
「結婚……?」
頭の中で落ち着けともう一人の自分が語りかけてくる。
ここで動揺したら雪夏の思う壷だ。何ともない風を装って。
「くだらない冗談ね」
よし。冷静に対処できた。えらいぞと優依は自分を褒める。
「え〜。違うよ〜。昨日お兄ちゃんがね〜『優依が雪夏の姉になるけどいいか?』って聞いて来たんだよ〜」
雪夏の言葉は理性を直撃しありえないと解っていても思わず頬を緩めてしまいそうになる。
頭の中の自分は必死に抵抗を試みていて、落ち着けを繰り返し言っていた。しかし、その声を打ち消すように雪夏の。いや、青葉の言葉が心に響く。
「……ふふっ」
「ってゆう夢を今日見てね。ゆーちゃんがお姉ちゃんならいいなぁと思って……あれ? ゆーちゃん。顔が赤いよ? どうかしたの?」
「……な、なんでもないわよっ!!」
紛らしい妄言を言い出した罰として軽く小突いてやろうと優依は右腕を振り上げる。
「わっわっ。あ、パン売り切れちゃうよ〜」
振り下ろされた拳を雪夏はひらりと避けて教室から飛び出していく。
優依は雪夏が出て行った教室のドアを見つめながら信じられないといった表情をしていた。
本気で殴ろうとした訳ではないが、雪夏にあっさりと避けられたのが優依にはショックだったようだ。
あの子ってあんなに動体視力が良かったかなと優依は疑問にも思う。
「見事な身のこなしだったね」
片手にランチパックを提げた優希が優依の視界に入ってくる。
「……早く屋上に行くわよ」
「雪夏は置いていく?」
「後から来るわよ。ユキが待ってる」
白い手提げ鞄を掴むと教室から廊下に出る。
優希も後ろから追いつき優依の横に並ぶ。
二人は取り留めのない話をしながら学園祭の準備物で溢れた狭い廊下を歩き、屋上への階段を上がる。
優依達はお昼休みを屋上で過ごすのが日課だ。
どうしてそうなったのかと言えば高校に入学した当初、青葉はお昼休みになると決まって教室から姿を消していた。
どこに行っているのか気になった優依は青葉の後を尾行して青葉が屋上で昼食を食べているのを突き止め、偶然を装って青葉と昼食を食べたのが始まりだ。
最初は二人だけだったのだが同じ部活動だからと優希が来て優希が来るとセットメニューのように悠緋が来て、それから雪夏が来て、青葉が生徒会に入ると秋山も来るようになり今では結構な人数になっている。
頑丈で分厚い屋上のドアを押し開ける。
最初に青い空が。そして屋上の中心で佇んでいる青葉と名月院が視界に飛び込んでくる。
それはとても絵になっていて、優依は青葉に声を掛けられないで棒立ちになっていた。
「ユキっ! 待った?」
優依のすぐ横を優希が大きな声を出しながら青葉と名月院に歩み寄っていく。
少し遅れて優依も屋上のコンクリートに足を踏み出す。
青葉達がいる屋上の中央で足を止め手提げ鞄から大きめのシートを取り出し、それを地面に広げながら優依は名月院を盗み見る。
どうして名月院がここに居るのだろうか。
転入して来たばかりだと言うのに性格のせいで、クラスの大半の人間は名月院への興味を失っていた。勿論、優依も例外ではない。
優依は仕方ないと思う。第一にクラスに早く馴染めるようにと話し掛けるのに煩わしそうにされたら誰だって話したくはないだろう。
別に名月院がそういう言動をした訳ではないが雰囲気や表情で分かってしまうのだ。話し掛けられるのをうっとうしそうにしていることくらい。
その証拠に昨日はすぐに教室を出て行った。そんな名月院がどうして青葉と一緒に居るのだ。青葉の性格を考えても青葉から名月院に話し掛けるはずがない。
「……なにか?」
不意を突かれた優依の心臓が跳ね、予想外のことにしどろもどろになってしまう。
「へっ? いや、その。なにも……」
盗み見ていることに気付かれるとは思っていなかった。いや、それよりもまさか名月院から話し掛けられるとは考えていなかった。
敷いたシートに隅っこ四箇所にそれぞれの鞄を置いておもりとして風でめくれないようにする。
四人が向き合うように座り青葉は優希と。優依は名月院と向かい合う。
長い髪の左右をリボンで結び別け、肌は積もりたての雪みたいに白い。
クリクリとした瞳が二重のせいで眠そうな印象を与える。
どこかはかなげで不思議と人目を惹き寄せる魅力がある。
同性の自分から見ても太刀打ちできないほどの可愛さだと優依は思う。
「あの……なにか?」
少しだけ首を傾げ名月院は再度、問い掛けてくる。優希は青葉と話しているのでやはり優依に向けられたものだろう。
「可愛いなぁ」
「……はい?」
意外そうに不思議な顔をした名月院もこの上ないほど可愛い。
ふと自分が危ない考えをしているのではないかと優依は不安になるが、考えてしまうのだから仕方がない。
「やっぱり、可愛いわよ! ねぇユキ!」
「……何の話だ?」
いきなり話題を振られて迷惑そうに青葉は優依の顔を見る。
優依は青葉にも名月院は可愛いという意見に同意を求めたが、青葉は知るかと一刀両断した。
その直後に幾つかの出来事が同時に起こった。
なおも食い下がる優依は身振り手振りを越えて今にも青葉に襲い掛かりそうで、それを見ていた優希は爽やかに笑い、屋上のドアを勢いよく開け放たれて雪夏が、
「パン売り切れた〜!」
と今にも泣き出しそうな声で叫び、ついに痺れを切らした雪夏が青葉の頭を叩き、それに対して青葉は文句と言う名の誹謗、中傷的なことを言って、そして。
「ふふっ……あははは」
明るく柔らかい笑い声が屋上に響き渡った。
他でもない名月院の楽しそうな笑い声だ。
もしかしたら昨日の名月院は新しい環境になって怖かったから他人を避けていただけなのかもしれないなと優依はちらりと思った。
「さて。雪夏も来たことだし、昼ご飯食べましょう」