第7話「僕と君と……」
川上高等学校の立地条件は高台に位置している。それは言い方を変えれば山の麓と言える。
事実、校舎の裏側には小高い山があり、その山の中腹に人の手が入った公園が作られている。その公園からは川上高校の校舎と体育館などの施設が見渡せる。
ベンチには嬉々とした表情で体育館を見つめている浅井美樹が座っていた。
もうすぐ、あの体育館は粉々に吹き飛ぶだろう。考えただけでも美樹の心は踊る。
こんなにもワクワクするのは始めてだった美樹は携帯の画面の時計がが二時を指すと同時に一呼吸してから爆弾の起爆装置を押す。
体育館に仕掛けた爆弾は時限式ではなかった。他の簡易な手作り爆弾とは違い、プロの爆弾処理班でも解体するには難しいと判断する最高の出来だ。仕掛けたのは体育館の天井に四箇所。足場が確保できない為、爆弾を見つけられてもどうすることも出来ない。
いや、出来ないはずだったのだ。
「な、なんでっ!?」
美樹は思わず叫んでしまっていた。
起爆装置を押したにも関わらず体育館は健在し、拡声器の声がここまで聞こえてくる。
何度押しても反応がない起爆装置を乱暴に投げ捨てるとほぼ同時に後ろから草が踏まれる音が聞こえた。
「遅いよ」
咄嗟に振り返った美樹の額に銃を突き付けたのは長い髪の左右の一部をツインテールにしている美樹と同い年である少女のだった。
「監視者っ!? どうしてこの場所を!?」
「お前の性格を考えれば近くから見物するだろうと思っていた。高校の敷地内をほとんど見渡せ、しかも絶対安全なのはこの場所しかないからな」
勝ち誇ったかのような余裕の表情を見せる監視者の存在は美樹の神経を逆なでした。
「なんのつもりだ? 第一段階への介入は禁止と指示したはずだが?」
監視者は静かに問い掛けてくる。静かな声だが形容しがたい迫力を持った声だ。
美樹の手の平を汗が濡らし始める。
「十三の使徒は計画の変革を望んでいる。だからこそ改変者である私が介入した。それだけよ」
もっともらしいことをもっともらしく美樹は口にした。しかし、それはまったくの出まかせだ。
本当はいつもいつも人を見下しているような哀れんだ瞳をしている監視者が目障りだった。だからこそ美樹は監視者始末する為に新参者の助言に従ってこの計画に介入した。
美樹の嘘を見抜いているのか監視者は小さく鼻で笑った。
その笑い方に美樹はドキっとする。監視者の笑い方が美樹がよく知っている少年の笑い方とそっくりだったからだ。
驚きと共にある種の諦めにも似た感情が込み上げ、それはやがて憎悪となった。
美樹はいつも武器を携帯する為、夏でも上着を羽織っている。今日は男物の黒の革ジャンを羽織っていた。
服の袖に隠しておいたナイフを逆手に持ち直し、右腕で監視者が銃を持っている腕弾きを素早くナイフで喉を狙う。
避けられるはずがない。それは確信だった。事実として完全に虚を突かれた監視者は身動き一つ出来ない。
しかし、美樹は監視者の顔を垣間見た瞬間、凍りついた。監視者は身動き出来ないのではない、避けようともしていないのだと。美樹は微笑を浮かべる監視者を見てそれを悟った。
ナイフの刃が喉を切り裂く寸前に監視者の後ろに潜んでいた人間が躊躇いもなく腕を伸ばし監視者を庇う。
ナイフを腕に突き刺した後に、反撃を怖れた美樹は後ろに後退する。
鋭利なナイフは見事に肉と骨を貫通してはいたが監視者の喉に到達するには長さが足りていなかった。
監視者を庇った人間は腕からナイフを引き抜くと無造作に後ろに投げ、監視者の横に並ぶ。
監視者を庇った人間はボディアーマーを着込み、顔も防弾性のヘルメットで隠している為、顔は分からないが、監視者と同じ背丈から小柄な男あるいは女かもしれない。
「ありがとう」
監視者に礼を言われても答えることはなく、美樹を正面に捉えていた。何時でも行動に移せるように身構えている。
「わたしを殺そうとするのは勝手だが殲滅者が黙ってはいないよ」
「殲滅者……」
十三の使徒でも動かすことが出来ない監視者直属の特殊部隊。殲滅者と呼ばれている者達を美樹も噂には聞いていたことがあったが実際に見るのは初めてだ。
「改変者。お前が選べる道は二つ。一つは今回の介入における黒幕を正直に吐くこと。もう一つはここで死ぬか……どちらかだ。どちらを選ぶ?」
「くっ……」
一対一なら監視者を殺す自信はある。しかし、忠実な特殊部隊、殲滅者がいるのでは手の出しようがない。
形勢は圧倒的に不利。監視者は言ったことは必ず実行する。拒めば本当に殺されるだろう。
美樹が進むべき道はもう一つしか残されていない。
「……計画への介入は十四番目の使徒『断罪者』からの指示だった」
「十四番目……? 使徒はわたしを含め十三人のはずだが……」
「私も詳しいことは分からない。テープレコーダ―が郵送で送られて来たから直接は会ってない」
疑う眼差しを向けてくる監視者の瞳を真っ向から見る。
少しでも視線を逸らせばどうなるか分かったものではない。
「信じられないな」
「なっ! 私は本当のことを……!」
「と言いたいところだがどうやらお前は本当のことを言っているようだ。今回だけは見逃すことにしようか」
「……」
わざと信じないふりをして相手が慌てる姿が見たかっただけだったようだ。
「やっぱり最低な女ね……!」
「せいぜい、晩餐会の意向に添えるように計画への介入を行うことだ。もっともお前達には期待していないけど」
嫌みったらしく監視者は吐き捨てると踵を返して公園から出ていく。
出来ることなら後ろからナイフを突き刺したいと思う美樹だが、殲滅者がいるせいで叶わない願いとも言えた。
うまく録音出来たかは分からない。距離が離れていたし、そもそも携帯用のボイスレコーダーの使用限界距離はどれくらいだったかと青葉は考える。
すぐに考えを中断した。そんな考え事など逃げに過ぎないからだ。
青葉はその場にしゃがみ込むと時計を見る。
爆破時刻の二時はとっくに過ぎていた。
体育館の天井の四箇所に爆弾が仕掛けられていると知った時には青葉は愕然とした。どう考えても爆弾の解体など出来はしないのだから。
しかし、名月院は慌てなかった。携帯で誰かに何かの指示を出すと青葉に、
「あの爆弾が爆発する心配はない。ユキは集会にでも出ていろ。わたしは行く場所がある」
とだけ言い残して何処かに行こうとした。
青葉も最初は名月院の言葉通りに行動しようと思っていたが、名月院がどうしても気になった。
今回の事件について名月院はなにかを知っている。だから青葉は知りたくなった名月院瑞希という少女の正体を。
そして青葉は名月院の後をつけて山……学生からは関噂山とそう呼ばれている学校の裏手にある山に入った。
名月院は山の中腹にある公園で同い年くらいの女の子と会っていた。
聞こえた内容はとぎれとぎれだが確かに青葉は監視者という単語を聴いた。
今までの情報と示し合わせれば、監視者は名月院なのかもしれない。いや、名月院が監視者としか考えられない。
つまり、名月院は最初から爆弾魔と共犯だったのだ。目的は分からないが少なくても名月院に誰かを殺すつもりはないらしい。
爆弾は爆発しなかったのだから。
「……ネズミか」
心臓が止まったかと思った。実際に数秒止まったかもしれない。
寄り掛かっている木の反対側からドスの効いた男の声が聞こえてきた。
青葉は声を発することも出来ず、呼吸すらままらない。正対しなくとも分かる。向けられているものは敵意なんて優しいものではない。今、自分に向けられているのは圧倒的な殺意だ。
手の平は既に汗で湿っていて汗が頬を通り地面に落ちていく。
「どうかしたのか?」
名月院の声が聞こえ青葉により一層、強い緊張が走る。
やばい話を聞いてしまったのだ。もしかしたら……確実に消されるだろう。名月院の目的がなにでどうして転入生としてここに来たのかは分からないが、自分が名月院の立場だったら話を聞いた者を生かしはしない。
「迷い込んだネズミに話を聞かれたかもしれません。排除の許可を」
堂々とこちらに聞こえるように会話をするとは今まさにこの瞬間に青葉が駆け出しても追いついて殺す自信が男にはあるのだろうか。
どうする? 二人が会話をしている内に走り出すか? それともこちらから打って出る? どちらも生存の可能性は低そうだ。
助かる為の方法をめまぐるしく頭を回転させて考え出そうとする。
「ふふっ。迷い込んだのがネズミであれネコであれ人間であれ、見逃してやれ」
「しかし……」
「このわたしの命令に従えないとでも?」
「……わかりました」
次第に遠ざかっていく足音を聞きながら青葉は地面に座り込み、右腕で額の汗を拭うと同時に名月院の声が聴こえた。
「今度こそユキがわたしのいる場所まで辿り着いてくれることを。わたしを助けてくれることを期待しているよ。もう、わたしを裏切らないで」
最後の方は今にも泣き出しそうな悲痛な声色をしていた。
足音が聞こえなくなってもしばらく青葉は動けなかった。我を忘れたように呆然としている内に時間は流れ、ようやく青葉が立ち上がった時は空は夕焼けに染まり始める頃だった。青葉は名月院と男が歩いて行ったであろう方向を見つめながらたった一言だけ呟く。
「俺に助けを……? 名月院瑞希……俺は彼女と過去の何処か遠い場所で会っている……?」
この話を持ちまして文庫本で言うところの、第1章の終わりです。次の話からは少し場面が切り替わりますので御了承下さい。