第5話「日本で最も危険なゲーム 後編」
生徒会室を後にした二人は二階の渡り廊下を目指した。
青葉としてはあまり目立ちたくは無かったのだが、名月院が居る限りそれは無理だろう。 腰まである長い黒髪はもちろん。アイドル並の容姿を持った名月院と肩を並べて歩いているのは目立つものだった。おまけに名月院は自分の身の丈以上もあるケースを肩に掛けている。これで目立つなというのが酷な話だ。
早く用事を済ませてしまおうと青葉は渡り廊下の前まで来ると名月院に向こう側を確認するよう指示を出すと自分は渡り廊下の窓を開け放し、窓から身を乗り出す。
渡り廊下の内部には爆弾を設置する場所などは存在しない。必然的に誰の目にも触れないように爆弾を仕掛けるのなら外部だ。
真上を眺めると三階の渡り廊下の下部に爆弾が付けられているのが見えた。ボイラー室で見たのと同じ物だ。
それだけを確認できれば充分と思ったのか青葉は身を引っ込めて廊下の窓を閉めるとほぼ同時に名月院が戻ってくる。
「どうだった?」
「お前の読み通りだ。あったぞ爆弾が」
「行くぞ」」
ここまでは読み通り。そしてこれからも青葉の読み通りなら名月院が持っているケースの中身が何なのか青葉には分かっているも同然だった。
二階にある人気の無い教室。名義上は会議室になっているが今はもう使用されていない空き教室だ。
「人気のない教室に連れ込んで。何をするつもりだ? もし襲うつもりなら人生を辞める覚悟は出来てるのだろう?」
「残念だが、俺にはそんな趣味はないな。それよりさっさとケースの中身を出してもらおうか」
「お見通しか? まぁ多分、君が考えている通りの代物。狙撃銃だよ」
名月院は二秒だけ考えて本物のと付け足した。
自分の発言で青葉がどんな反応がするのかが楽しみなのか名月院の声は嬉しそうで明るい。
特に表情を変えなかった青葉は内心である心配をしていた。
もし名月院の言ったことが本当なら完全に日本の法律における銃刀法を違反していることになる。警察官の神菜舞依が飛んで来るかもしれない。
「なんだつまらないな。特に驚いたリアクションもなしか」
今度は一転して本当に不愉快そうに名月院は言った。
「そんなに無反応が不満か」
「あぁ不満だな。面白くもなんともない。君を撃ち抜いてやろうか?」
不満そうに名月院はケースを床に下ろし、蓋を開け中から黒くて銃身が長くスコープが取り付けられたをあるもの取り出した。
「ふふっ。本物のアンチ・マテリアルライフルを見たことがあるか?」
喜々として言葉を向けてくる名月院に青葉は無表情で愛想なく答える。
「……普通に考えてあるわけないだろ。ここは日本だからな」
「そうか。ふふっ。まぁそうだろうな」
そんなにも嬉しいことなのか名月院は機嫌良くスコープの倍率を選び始める。
日の光を浴びたことがないような白い指を眺めていた青葉は後ろに退がり名月院の後ろ姿を見つめる。
不機嫌かと思えばすぐに上機嫌になるなんて分かりにくい、いや、扱い難い女だと青葉は内心思う。しかし青葉は同時に思う。名月院と接していると、とても懐かしい気持ちが込み上げて来るのは何故だろうかとも。
「この距離なら四倍で充分だな」
スコープの倍率を決めると窓を開け放ちスナイパーライフルを角度のある支えの上に固定した名月院は寝そべりスコープを覗き込み、トリガーに白い指を添える。
アンチ・マテリアルライフル(対物スナイパーライフルとも言う)は精密射撃用専用弾を使用した狙撃銃で、そのパワーと衝撃力で主に対物目標用(建造物、軽装甲車両や重陣地、航空機や軍用ヘリコプター等)として用いられている。
「名月院。起爆装置だけを撃ち抜く自信はあるのか? 少しでもずれれば爆発するぞ」
「あぁ。その心配はまずない。それよりもだ────」
「分かっている」
名月院が心配しているのは渡り廊下を誰かが歩いていてはトリガーを引けないことだ。対物スナイパーライフルの威力では爆弾の起爆装置はおろか外壁さえも突き破るだろう。もし誰かが歩いていれば巻き込まれないとも限らない。
青葉は踵を返して教室から出て行こうとする。
「おい、何処に行く?」
トリガーから指を離して顔だけを後ろに向ける名月院を見ながら青葉は微笑む。
「俺が渡り廊下の安全を確かめてから携帯を鳴らす。マナーモードにでもしてその辺に置いておけ。さっきもらった携帯の番号を有効利用させてもらおうじゃないか」
「危険な役目だな。もしわたしが手元を誤って爆弾を爆発させたらどうする?」
「ふん。信頼してるさ。それなりにはな」
教室から出た青葉は廊下を見渡す。相変わらず学園祭の準備に勤しむ生徒でひしめていて、お祭り騒ぎだ。だから青葉がこの教室に入ったことにもたった今出てきたことにも気付いている生徒はほとんどいない。
青葉は三階の渡り廊下まで移動しながら自分で言った言葉をぶつぶつと繰り返していた。
「信頼してる……か。嘘だなそれは」
そう。青葉は名月院のことを信頼している訳ではない。普通に考えても転入生で猫を被っていて対物スナイパーライフルを持っている人間のことなど信用できるわけがない。ただ、渡り廊下の爆弾を処理する為に利用させてもらうだけだ。
それに。もし渡り廊下の爆弾が爆発しても、渡り廊下の手前で待機している自分には何の被害も出ない。何故ならあの大きさから見ても火薬量は大したものではない。渡り廊下を落とす為の爆弾だ。威力はたかが知れている。
充分に離れていれば問題はない。
それよりも問題はライフル発射時の音だろう。いくら授業がなくて学校中が騒がしくてもさすがに銃声はまずい。
爆竹の音ではごまかし切れないだろう。
様々な可能性を青葉が模索しているとポケットの携帯が震え出す。
すこしくらい、じっとしてはいられないのか。青葉は軽く舌打ちをしながら携帯を取り出しディスプレイを見るとディスプレイには予想外にも優希の名前が表示されていた。
「あ、ユキ? いまどこにいるの?」
「柏木か。悪いが今は手が離せない。演劇の件なら……」
優希は青葉の言葉を遮り苦笑した後に溜め息を漏らす。
「実は先輩が景気付けに花火打ち上げるって言うんだ。僕だけじゃ止められなくて。ユキも来てくれないかな?」
「悠緋先輩が? 柏木。今すぐ電話を代われ俺が話す」
花火なんて願ったり叶ったりだ。うまく時間を調整させれば完全に銃声を隠すことが出来る。
電話の向こうから悠緋の不満げな声が聞こえ、やがて悠緋に電話の持ち主が変わった。
「ちょっと、ユキまで反対するつもり? ちゃんと生徒会(圭一)の許可は取ってあるわよ」
「いえ。俺は悠緋先輩の味方ですよ。いいですか? 一度しか言いませんのでよく聞いていて下さい」
鏡が無いので自分の顔は見れないが、自分は今笑っているのだろうかと青葉は一瞬考えた。
通話を切った青葉は腕時計で時間を確認する。十時十五分。
始まりの花火が打ち上がるのが五分後。
悠緋の性格上、打ち上げ花火一発だけで終わるのは良しとしないだろう。しかし一発打ち上げた時点で教師が飛んでくるのは火を見るよりも明らかであり、それに対して青葉は少しの助言をしておいた。
携帯電話を取り出し名月院の携帯の番号を入力し後は通話ボタンを押せば電話を掛けられる状態にしておき腕時計を確認する。
悠緋達が時間通りに打ち上げ花火をセットしているなら、最初の花火が打ち上げられるまであと二分。人通りは相変わらずあるが、爆弾の上を通っている生徒はいない。
眼を閉じて、呼吸を整える。
一分を切った後も秒針はゆっくりと一秒ずつ時を刻んでいく。
三十、二十五、二十、十五。
青葉は左手に握った携帯の通話ボタンを押すとほぼ同時に花火が爆発した音が青葉の耳に届く。
予定より十秒早い。成功したかどうかは名月院次第というところだ。
青葉が溜め息を吐き右手で額を押さえていると二発目の花火が打ち上がる。
銃声らしき音は少しも聞こえなかった。それでもしばらくは額を押さえたまま青葉は動こうとしない。
「どうした? 考える人の真似でもしているのか?」
声に顔を向けると対物スナイパーライフルが入ったケースを左肩に掛けている名月院が立っていてあくびをしていた。
「終わったのか?」
「終わっていなかったらここには来ていないだろう」
「なら、次はこの階から四階の渡り廊下を……」
「あぁ……その必要はない。もう全て終わった」
眠たいのか瞼を擦りながら投げやりに名月院は言った。
「どういうことだ?」
「どうもこうも爆弾処理はもう全て終わった。ユキも爆弾の事は忘れて学園祭の準備でもすると良い」
限界が近いのか名月院は頭をふらふら動かしながらあくびをかみしめる。
「わたしは寝るぞ……このところ徹夜で働いていたからな。今日ばかりはユキの特等席はわたしのものだ。ユキは学園祭の準備に勤しむと良い」
それだけを言い残し、名月院はおぼつかない足取りで屋上へと続く階段を一歩、一歩ゆっくりと上がり始めた。
青葉は名月院の後姿を見送ると、名月院が言ったことが真実かを確かめに渡り廊下の窓を開けようと手を掛けたが、窓を開ける事無く手を離す。
もう一度、名月院が上って行った階段に顔を向けながら考える。
まさか無いとは思うが、屋上に辿り着く前に階段で寝ているなんてことはないだろうか。あのでかくて目立つケースを抱えて。
名月院がどこで転寝をしていようが青葉には何一つとして関係がないこと。関係がないことなのだ。
そうだ。自分は今までそうやって生きてきただろう。壁を作り他人を寄せつけず。自分以外の人間は全て無能だと驕って。人がどうなろうと関係がないと思っているのだろう。
どうして屋上に向かったのかは青葉にも分からない。もし途中で名月院が力尽きていたら屋上のベンチくらいまでなら運ぶつもりだったのか。それとも別の理由があったのか。
考えている内に屋上に続く分厚い扉の前まで来てしまった。青葉は引き返すか屋上に出るか少し迷ったが屋上のドアに右手を掛けた。
ドアノブを回すと分厚いドアが少しだけ動く。力を入れてドアを押し開けると眩しい太陽の日差しに顔を顰めた。
雲一つない青空の下で、名月院はライフルが入ったケースをベンチの脇に無造作に置いてベンチで眠っていた。
物音を立てないように近付くと規則正しい寝息を立てている。とても気持ち良さそうな寝顔だ。
おぼつかない足取りで屋上まで辿りつけたのかと心配になって来たのがとても徒労のように思える。いや、思えるのではなく、実際に徒労だったのだ。
しばらくの間、青葉は名月院の寝顔を観察していたがふと部室にクーラーボックスがあったのを思い出す。
九月とはいえまだまだ真夏日の様に暑い中で寝ていたら起きた時に喉が渇くだろうと思い青葉はクーラーボックスを取りに屋上を後にした。