第3話「日本で最も危険なゲーム 前編」
ホームルームが終わると再び教室中が騒がしくなり始め、騒がしい教室から逃げるように青葉は出て行こうとする。
一時間目は移動教室という訳ではない。今日は学園祭の準備期間なので授業がないのだ。だから必要以上にうるさくもなる。
「あの……青葉夏雪君」
後ろから女子生徒の声が聞こえ青葉は立ち止まり、一呼吸おいてから振り返った。
大方、学園祭実行委員の女子がクラスの出し物を手伝って欲しいので呼び止めたのだろうと考えていた青葉は断る口実を数秒で考えた。
部活で製作物があるから。
しかしその口実はまったく意味を成さなかった。何故なら青葉を呼び止めたのは学園祭実行委員ではなく名月院瑞希だったからだ。
気が付けばクラス中の視線が集まっていた。
遠慮がちに横目で見る者。数人で囁き合いながら見つめる者。忙しそうに名簿の確認をしていた優依や装飾品を飾り付けていた優希も例外ではない。
転校生が青葉に何の用があるのかと皆が皆、聞き耳を立てていた。
まさに衆人監視の中で名月院が制服の胸ポケットから綺麗に半分に折られたメモ用紙を取り出し、青葉に差し出す。
一見してラブレターを渡しているようにも見えなくはない。
「登校中に青葉夏雪君に渡してくれって頼まれたの」
最初に切り出したのは名月院だった。青葉はそれを受け取ると、名月院を見る。
「誰に頼まれた?」
「……知らない人です」
少しだけ考えてから名月院は答えた。
違う。考えるそぶりを見せてから答えた。
演技にしては自然だったし、名月院の反応が演技だという確証はどこにもない。ただ、青葉はそう感じた。
スラックスのポケットにメモ用紙を突っ込み。
「ありがとう」
「どう致しまして」
二人とも無表情のまま、互いに背中を向け青葉は廊下に名月院は教室の自分の席に向かって歩き出す。
部室に向かいながら適当な場所で青葉はポケットから折りたたまれていたメモを取り出し開く。
青葉は足を止めた。
黒のボールペンで書かれた奇麗な字。パソコンやワープロで書かれた字ではない。人が書いた手書きの字だ。
書かれている内容は物騒極まりないものだが。
────拝啓。青葉夏雪様。私とゲームをしましょう。私は川上高等学校の校舎内もしくは施設に爆弾を仕掛けました。爆破時刻は二時とします。更に貴方が警察。もしくは第三者にこの事を漏らした場合は即座に爆破させてもらいます。私の計画通りなら今の時刻は九時丁度のはずですから五時間の猶予があるはずですのでご健闘をお祈りします。
読み終えた青葉は無表情のまま破り始め、窓の外に捨てる。
腕時計で時間を確認すると九時を少し過ぎていた。
周囲には誰もいないが青葉は目の前にいる誰かを小馬鹿にするように鼻で笑い部室に向かって歩き出す。
四歩だけ歩き青葉は立ち止まった。
もう一度、腕時計で時間を確認する。
「……やれやれ、こんな悪戯を信じるなんてお人好しになったものだな。俺も」
誰に言うともなしに呟くと身を翻して歩いて来た廊下を走って戻る。
急いでいたので柱の陰から出て来た人影と衝突する。
少しの衝撃に次いで、
「きゃあ」と小さい悲鳴が聞こえた。
「すまない、急いでいるんだ」
短く謝罪をして、階段を駆け上がる。途中で後ろから
「なにあれ?」と不満げな声が聞こえたが構うことはない。
校舎二階の一角にある生徒会室の前で青葉は止まる。
大きく息を吸い込み、息を吐き出しながら、青葉は念じる。
居ますようにと。
「ん? なんだ青葉か。どした?」
幸いなことに目当ての男子生徒が生徒会室に一人でいた。
椅子に座りパソコンをいじくっていた井上圭一が顔だけを向けて来る。
相変わらずやる気がなさそうな退屈そうな表情をしている。よくそんなので生徒会長が務まるなと青葉は思う。
最も今はそんなくだらないことを思っている時間はない。
「ボイラー室の鍵を貸してください。生徒会の管轄のはずですよね?」
「ボイラーマン?」
「……殴り倒しますよ」
圭一は肩をすくめ、微笑を浮かべる。
「ったく。相変わらず冗談が分かんない奴だな」
微笑を崩し珍しく真面目な表情になると、椅子から立ち上がり壁にぶら下げられている鍵の中から一つだけを掴むと青葉に向かって投げる。
「っと……相変わらずノーコンですね」
右手を一杯に伸ばして鍵をキャッチすると皮肉のつもりか圭一と同じような言い回しで青葉は答える。
「うっせぇよ。俺はサッカーしかやって来なかったんだっての」
乱暴にドスンと椅子に座るとパソコンのディスプレイに向き直る。
青葉は一礼して生徒会室を後にしようとするが圭一に呼び止められる。
「何の悪巧みに使うのかは知らんがちゃんと返せよ」
「大丈夫ですよ。すぐに返しますから」
生徒会室のドアを閉め、三学年のテリトリーである廊下を通る。
すれ違う全員が違う学年の青葉に一瞥していく。一年がこの廊下を歩いているのがそんなに珍しいのだろうか。
階段を降りてつい先程女子生徒とぶつかった場所を過ぎて一階の人気の無い廊下を歩く。
それぞれの学年の教室は四階、三階、二階。に割り振られている為、一階には会議室と購買、図書室それに保健室があるくらいだ。何時もなら仮病の生徒で賑わっている保健室も今日はがらがらだった。
空いている保健室を歩きながら眺め、壁になったところで前を向く。
ちなみに一階を除いて各階にはB棟に続く渡り廊下がある。
B棟について補足すれば化学実験室や視聴覚室などの特別教室が割り当てられ一階の大フロアには学生食堂が設置されている。
青葉が立ち止まった。
扉の上の壁にボイラー室と書かれた白い札が掛けられている。
鍵穴に鍵を差し込み、回すと鍵が開く感触が伝わりガチャと音が聞こえた。
素早く周囲を見渡し、誰もいないのを確認してから中に入る。
ボイラー室という名前通り学校全体の暖房器具に供給する為の燃料が保管されている。
さらに職員玄関に近く、ここを爆破すれば周辺は一瞬にして火の海になるだろう。容易に退路を切断出来る。
本気で学生達を殺すつもりなら、まずこのボイラー室と各階の渡り廊下。更に反対側の階段……先程、青葉が女子生徒と衝突した地点の計五ヵ所に爆弾を設置すれば退路を確保できずにほぼ全員が死ぬだろう。
どうして生徒で溢れている教室には直接仕掛けているとは思わないのか。それは爆弾魔がゲームと称したからだ。人を殺すのをゲーム感覚で行っている人間は苦痛を与えないで殺すよりも苦痛を与え、死んでいくのを何処かで見ていることだろう。だから。あるはずなのだ、このボイラー室に爆弾が。
決して広くない部屋だ設置される場所は限られて来る。
つまり爆弾は燃料タンクの周囲。もしくは裏に……あった。
見たところ簡単な手作り爆弾のようだ。
発火装置と見られる簡易タイマーが刻一刻と時を刻んでいた。
タイマーのスイッチを切り爆弾を鑑賞していると突然ポケットの中の携帯電話が震え出す。
震えたままの携帯電話を取り出しディスプレイを開くと非通知設定と表示されている。
何の躊躇いもなく青葉は通話ボタンを押して耳に携帯電話を当てる。
「爆弾魔か?」
「あっははは。爆弾魔とは面白いね」
陽気な女の声だった。女というよりは女の子の方が正しい。
「何の為にこんな事をする? まあ容易に想像はつくが」
「無能な人間が右往左往しながら死んでいくのを見るのは楽しいとは思わない? あっははは」
「俺にそんな趣味はないな。無能だろうと優秀だろうと誰もが懸命に生きている」
向こう側の女は少しだけ関心したような声を出す。
「まさか君からそんな言葉を聞けるとはね。
君を見捨てた『監視者』にも聴かせたいよ。そうそう君は誰もが懸命に生きている。なんてカッコイイこと言ったけど、『監視者』は生きることさえ放棄しているよ。自分の役目も果たさずにね」
「何を訳の分からないことを……まぁいい。お前は自分を優秀だと勘違いしているようだが、こんな誰でも思い付く場所にしか隠せないとは無能としか言いようがないな」
「あれ? もう勝った気でいるの? あっはっははははっ!! まさかっ! ボクのゲームはまだ続いているよ? あっはははは!」
一方的に通話が切られる。
最後まで不愉快な笑い方をする奴だったな。
次に調べるべき所は各階の渡り廊下か。
腕時計に視線を落とすと九時半。まだまだタイムリミットには猶予があった。
さすがに爆弾をここに放置する訳にはいかないので、右手で持ち直し立ち上がる。
「なにしてるの?」
後ろから小さな声が聞こえ、出来る限りの速さで後を振り返る。
「名月院……どうしてここに?」
「なに、してるの?」
会話にすらならない。しかしどうする? 誤魔化すにも適当な理由が少なすぎる。そもそもどうして名月院がここに居るのだろうか、転入したばかりの学校が物珍しくて見学していたら迷い込んでしまったのだろうか。
「それ、見せて」
名月院が三度問うことはなかった。その代わりに青葉の右手から爆弾を引っ手繰るとじっくりと見始める。裏側を見たり表を見たり。
「他には?」
爆弾から青葉に視線を投げかける。その表情は真面目そのものだった。
「さあな。ここじゃない何処かにあるそうだ」
両肩をすくめながら青葉は答える。「見つけたら、今から言う番号に電話を掛けて。あれが必要になるから」
あれって何だよ。と青葉は思う。
まだ会って間もないのだから、あれとかそれで分かり合えるはずがないだろう。
名月院はそんな青葉の心境もお構いなしに携帯の番号を告げるとボイラー室から出て行こうとする。
「何処に行く?」
「青葉の役目は爆弾を見つけて知らせることだけ」
閉められたドアを見ていると、爆弾を持っていかれたことに気が付く。
だからどうという訳でもないが。
何時までもここに居る訳にもいかない。青葉はボイラー室を後にし、二階の渡り廊下周辺から調べようかと歩先を二階に向ける。ついでにボイラー室の鍵も返そうと青葉は決めた。