第13話「せめて優しさと共に」
学園祭には日常とは違う活気と熱気があった。
普段は怠そうでやる気のない奴らもここぞとばかりに騒ぎ、それを見ていると青葉は馬鹿らしく思う。
生徒会室から出た青葉と優依は行く宛もなくぶらぶらしていたが、両手は既にチラシやらチケットやらで塞がっている。
「どうしようか? 焼きそばとかの食べ物ツアーかお化け屋敷とかの見世物ツアー」
後者は願い下げだ。そう言いかけた青葉は慌てて口を紡ぐ。
「……神菜の好きにすればいいさ。俺は黙って付き合うだけだ」
「そう? じゃあまずは優希のコミケ部の展示から見て回ろうか」
そんな選択肢はあったか?
焼きそばかお化け屋敷の二者択一ではなかったのだろうか。まあいい。
自然と顔を綻ばせた青葉は優依の後について歩く。
コミケ部の部室には意外なことに多くの人が詰めかけていた。その人の殆どが川上高校の生徒ではなくその筋の人達だった。
「はいはいはいっ! 在庫はまだあるからっ! ほらっそこ奪い合いしない!!」
黄色いメガホンを片手に迫り来る客を見事に捌いているのは悠緋だ。
客が持っている本を見た目で判断し冊数と種類を計算し暗算で値段を算出している。
これだけ混雑している中で同じことをやれと言われても流石の青葉にだって出来ないかもしれない。
仕方ないので青葉と優依は部屋の片隅で展示されている漫画を見つめていた。
漫画と言っても正規の物ではなく所謂、同人誌という物だ。
展示されている場所が学校だけに青少年に悪影響を及ぼしそうな内容の物はないようだが。
「凄いわね……」
「あぁ。俺には想像も出来ない世界だ」
顔だけを後ろに向け、二人はオタク達の塊を見る。
握手して下さい。それは駄目。写真を撮らせて下さい。それも駄目。ビデオは……。駄目に決まってるでしょうが!
あまりのしつこさに勘忍袋の緒が切れた悠緋は優希に命じて強制退室をさせた。
今更になって気付いたが悠緋の着ている制服が川上高校の物ではなかった。もしかしたら何かのゲームかアニメの物かもしれない。
「あれ……? 君達は……」
私服の少年が青葉と優依を見て、親しげに声を掛けてくる。
青葉は怪訝そうに少年を見るが、優依の表情はぱって明るくなる。
「鏡夜君っ! どしたのこんなところで」
「あはは。学園祭に来るように言ったのは優依さん達でしたよね?」
人懐っこい笑顔を向けてくるのは天河鏡夜。夏休みにある事件がきっかけで知り合った同い年の他校生だ。
「あぁ、思い出した。あの時は世話になったな」
「助けられたのはこっちですよ」
優依に向けた笑顔と同じ笑顔で笑う。
憎めない爽やかな笑顔だ。きっと性格が良いからだろう。
「やっほ〜。ひっさしぶり」
紙袋を両手に持った女の子が鏡夜の横に立つ。
「桜香ちゃんも久しぶりね」
後からやってきた少女は御船桜香。鏡夜と同じ学校に通っているらしい。
桜香からは夏休みに会った時とはまったく別の印象を青葉は感じた。上手く言い表せないが、何かが違う。
「話には聞いていたけど、凄いわね〜悠緋さんは。ここまで質の高い同人はそんなに無いわよ、ねえ鏡夜」
「そうだね。光輝がいたら泣いて喜びそうだ」
「KISS★SUMMERの同人は貴重よね。それもハイレベルだから尚更ね」
青葉と優依は顔を見合わせ、優依は困ったように笑った。
話についていけそうにないと感じた取った二人は早々に部室から外に出た。
優依は鏡夜と桜香も一緒に見て回ろうと提案したが、断られてしまった。恐らく鏡夜と桜香なりに気を使ったのだろう。
「なんかあいつらキャラ変わってなかったか?」
「ユキもそう思う? あたしもなのよね」
前に会った時とはやはり違っていた。しかし、何が違うのかは上手く表せない。
堂々巡りの思案は優依の性分ではないのか速攻で根を上げて、一年が出している屋台の焼きそばを買う。
「はい。青葉の分」
「悪いな。いくらだ?」
「いいよ別に。あたしの奢り。こう見えてもお金持ちだから」
屈託なく笑った優依の顔がいつかの誰かと被って見えた。
川上駅前で夏の陽射しが降り注ぎ、蝉の声が聞こえる中、少女は笑っていた。
────お金なら大丈夫大丈夫。全然平気だから。私は結構お金持ちなの。
「……キ? ユキ? ……ユキっ!」
「っ……なんだ?」
「なんだ? じゃないわよ。どうしたのよぼんやりして。らしくない」
らしくない。か。確かにそうだ。
解らないことに頭を使っても無駄なだけだ。無駄な労力は使わないほうが良いに決まっている。
「次はどこ行くんだ?」
「そうね〜。演劇とか科学部のビックリ実験ショーとか。あぁでも食べ物ツアーとかお化け屋敷も捨て難いな〜」
行きたい所は山のようにあるが時間は限られているのが悲しいところだと優依が呟く。
学園祭のパンフレットを見ながら難しい顔をしながら考え込む優依を見ていた青葉は口を挟む。
「……そんなに悩むことか?」
「悩むことよっ!!」
青葉は驚いた。即答でしかも大声で返されるとは思ってもいなかった。
「明日もあるだろう?」
「今日、多く回らないとダメなのよっ!」
「どうして?」
「どう……って。ど、どうしてもよ!」
どういう訳か頬を赤く染めながら優依はパンフレットに向き直る。
青葉は青葉で、どうして明日では駄目なのか
その理由を考えていた。
五分程、経過した後に優依は回るルートを決めたのか、青葉の右手を掴んで速足で歩き出す。
お化け屋敷、科学部、野球部主催のストライクアウト、ウェイトリフティング部のカレー、
お化け屋敷(二回目)の順番で回った。
お化け屋敷では下心丸出しの男子が優依に襲い掛かり、ボコボコにやられていたし、野球部では的ではなく近くに立っていた教師にボールをぶつけた。
その後にカレーを比較的静かに食べて、食後のお化け屋敷ではまた男子生徒が優依に襲い掛かり、返り討ちにあった。少しは学習をしろと言いたい。
「ほらほら、早くしないとビンゴ大会終わっちゃう」
「お、おい。そんなに引っ張るなよ。ただでさえ人が多くて歩きづらいのに」
肩が他人にぶつかり軽く謝る。
小さな子供の風船を蹴飛ばしそうになり態勢を崩された。
普通はこんな人混みを走ってはいけないだろ。
そんな事が頭を過ぎった瞬間。前を走っていた優依が立ち止まる。
「っ! いきなり立ち止まるなよ!」
苛立ちながら少し大きめの声で言った後に優依の前に一人の女子生徒が仁王立ちしていることに気が付く。
「神菜優依……今日こそ積年の怨みを!」
何の事だ? 優依が怨みを買うはずが……。
青葉は疑問に感じながら優依の隣に立つ。
「おい、あんた。いきなりなんだよ? 神菜があんたに何をした?」
意識した訳ではないが、喧嘩腰の口調になってしまい青葉を女子生徒は睨み付ける。
「あの〜。これからパソコン部主催のビンゴゲームに出たいのでまた今度に〜……」
「今日という今日は逃がさないわよ?」
「ちょ……勘弁して下さいよ〜』
不敵に微笑んだ女子生徒はがっちり優依を捕まえると無理矢理、引きずって行こうとするが、青葉が行く手を遮る。
「なによ?」
「神菜を放せ。お前ごときに予定を乱される覚えはないし、俺はお前みたいに自分の都合を押し付ける奴が嫌いでな」
「随分とでかい態度ね……一年の癖にっ」
場に険悪な雰囲気が流れ、辺りも静まり返っていた。
「あ、あの〜。あたし、やりますから。早く格技場に行きましょう」
「神菜?」
「あたしは大丈夫だからさ。あたしのせいで他の人の雰囲気まで悪くしたくないから」
「ふんっ。ようやく観念したようね」
格技場に向かって歩き出す優依の後を追う青葉は内心ではかなり苛立っていた。
今の女子生徒のように自分の都合だけを押し付け、年上という理由だけで端から上目線で傲慢な人間が一番嫌いだからだろう。
意外なことに格技場には多くの人だかりが出来ていた。
競技を行う中央を囲むように多くの人間が畳に座っていたり、座れない者は立っている。
女子生徒に特等席に青葉は案内され優依は別な場所に連れて行かれた。
そういえばさっき渡されたチラシの中に剣道部がどうとか書かれていたような気がする。それに関係しているのか。
「凄い人だね。流石は全国で優勝しただけはあるね」
「柏木か……」
いつの間にか隣に立っていた優希には顔を向けずに呟く。
「なにかを知っているような口ぶりだな?」
「って、もしかしてユキは何も知らないの? 三年の朝吹真琴さんて言ったら今年の全国大会で優勝した人だよ」
少し前にそんな話題があったかもしれないが、基本的に興味がないことは覚えていない。
「そんな奴がどうして神菜に用があるんだ?」
「さぁ? これは僕の推論だけど舞依さんが関係してると思うよ。朝吹先輩のお兄さんが舞依さんと同級生で剣道やってたみたいだから。以前から付き纏われているって優依がぼやいていた」
「ゆ……神菜が?」
それは初耳だ。
「要は自分の兄がボコボコにやられて泣き帰ったから妹が仇を討つ。分かりやすい構図だ……それよりも。甘すぎるぞ、これは」
左側から青葉の目の前に食べかけのクレープが差し出され、思わず受け取ってしまう。
「……名月院、自分で買った物は最後まで責任持って食べろよ」
「わたしに説教か?」
「違う。一般常識だ……それよりも」
それとなく名月院に分かるように優希の方を促す。
「あぁ。優希にはわたしの本性は見られた。だから隠す必要もない。言い触らすような奴ではないだろ」
「そうか」
「まぁ、人の秘密を言い触らす趣味はないけど……あっ」
優希の声で青葉と名月院も中央に目を向ける。
準備が整ったようで防具を付けた朝吹と白い神菜の道着姿の優依が向かい合っていた。
周囲に居る観客がどよめく。
防具も無しに試合をするのか等の声がそこら中から聞こえる。
「あれは『莉遠』の……さて。僕はもう行くよ、これ以上見ても面白くもなさそうだし」
「そうなのか?」
「うん。この勝負は優依の圧勝だよ。じゃあ僕は行くね」
名月院の質問に答え終えた優希は出口に向かって歩き出した。
「……っ! 柏木っ!」
少ししてから名月院にクレープを押し付け青葉は優希の後を追った。
嫌な感じがする。青葉の中の何かが伝えようとしている。優希を行かせてはいけないと。
幸い格技場の玄関で優希に追い付く。
「なんだい? 僕はこれから明日の為の客引きをしなきゃならないんだ」
言われてから初めて気が付いた。優希はコミケ部による有志の演劇の衣装を着ている。
「いや……引き止めるつもりは……だが」
何て言えば良い? 嫌な予感がするから行くなとでも言うのか?
信憑性に欠けるし自分が優希の立場ならまず信じないだろう。
今の青葉には上手く言葉に出来るはずがない。
「いや……その、なんだ。気をつけろよ? 学園祭で不特定多数の人間が来ているからな。何が起きても不思議は……。なんだよその顔は?」
「……いや。ユキが最近、変わったと思ってさ前のユキは他人の心配なんてまずしなかったよ」
呆気に取られていた優希は真顔に戻り、何時もの笑顔で答える。
「嬉しいよ。心配してくれて
「……当たり前だろう。俺達は友達だからな」
「じゃ、また後で」
「あぁ……」
格技場を出て行く優希の背中を見送りながら青葉は優希の言葉を心で繰り返していた。
変わったか……。それは多分。いや、きっと……。
刹那、地面が揺れた気がし、地震かと思ったがそうではなかった。
観客の歓喜の声が原因だ。
中で一体何が?
「ユキっ! ビンゴに行くわよっ! 後5分、何としても間に合わせてみせる!」
中から道着のまま飛び出して来た優依は青葉の右腕を掴むと、全力で駆け出す。
「お、おいっ! 少し待て……!?」
「待てないっ!!」
この後に、ビンゴ大会にはぎりぎりで飛び入り参加した男子生徒と女子生徒が居たのは言うまでもないだろう。
学園祭の熱気は夕方になっても少しも衰えない。何故なら今日は前夜祭があるからだ。
川上高等学校ではキャンプファイヤーを二回行う。前夜祭と当日祭。何故二回なのかは誰も知らない、昔からの伝統だ。
各教室には一般の客よりも学生の割合が多いだろう。
一年二組を見てみると優依や雪夏がウェイトレスとして忙しく動き回り、高宮を始めとした男子陣が料理を作っている。
仕切りに男子生徒が柏木と青葉を呼べぇ!! あの野郎共がぁサボりかぁ!! と叫んでいた。
そしてその青葉本人はと言うと、屋上のベンチに座りながらビンゴゲームの賞品としてもらったキャラ物のハンカチを眺めていた。
「それにしても暑いな。ありとあらゆる意味で」
暗くなり始めていて分かり辛いが青葉の背中越しのベンチには名月院が座っていた。
「こういうのは初めてか?」
「遠い昔に経験していたが、最近は無かったから新鮮に見えるだけだ」
射的で手に入れたクマのぬいぐるみを抱きしめながら楽しそうに言う。
事実、名月院は優しい笑顔をしている。
「……遠い昔か。まるで何年、何百年も生きているような物言いだな」
「知りたいか? わたしのことを。自分のことを。そして、この世界の真実を」
「……監視者。殲滅者。改変者。十三の使徒。晩餐会とは一体何だ? 目的は?」
「…………ユキ。本当に君は『あの世界』のユキに似ているな。いや、似てきたが正解か?
いいだろう。晩餐会とは────」
その時。優依は教室で動き回り、秋山は体育館で明日の日程を確認し、圭一は生徒会室で居眠りをしていた。
そして名月院の言葉は空を切り裂く程の女の悲鳴に掻き消される。
悲鳴は下の方から聞こえた。名月院と青葉は顔を見合わせ、不思議がっている。どちらも心当たりがないらしい。
「悲鳴?」
「慌ててコーラをこぼしたとか、痴漢されたとかではなさそうだな。予想外のもの、信じられない物又はショックが計り知れない何かを見た時のリアクションだ」
悲鳴に続いて半端じゃないざわめきと怒号が聞こえ始め、泣き声も混ざり始めた。
混乱どころの騒ぎではない。暴動が始まったのではないかと誰もが誤解する規模の騒ぎになり始めている。
「……気になるな。名月院はここにいろ。何があったか確かめる」
「あぁ……気をつけろ。何か嫌な感じがする」
返事はせずに青葉は屋上を後にして階段を駆け降りる。
下の階に行けば行く程に騒ぎの核心に迫って行くのが手に取るように分かる。
泣きじゃくる女子生徒。神妙な面持ちの男子。怒号を飛ばす教師。
どれもこれも普通ではない。
騒ぎの中心は外のようで青葉は昇降口をくぐり外に出る。
人が集まる方向。校舎の裏手に歩先を向けた。
「それ以上は、近づくなっ!」
生徒や一般の客を掻き分け、集団を抜けると教師に止められる。
力任せに教師達を押し退け、視界が開ける。
見慣れた学校裏の風景。見慣れた左手の山。そして見慣れない地面に横たわっている誰か。
辺り一面に赤黒い色が飛び散っていた。
近くには何本かの日本刀が散乱している。
そして青葉は横たわっている人間の顔をしっかりと見つめた。
「……柏木……優希」
それは紛れも無く優希の姿だった。普段の笑顔とは違う。幸せそうな安らかな顔をしている。
青葉は駆け寄ることはしなかった。状況から見て既に優希が生きてはいないことを知っているから。警察が来るまで現場を保存しなくてはならないから。だから青葉は力無くその場に膝をつく。
その時の青葉の頬を涙が伝ったのは他人は勿論。青葉自身も気付いてはいないだろう。
一方の一年二組の教室では時を同じくして優希のことが伝えられた。
「嘘よっ!! そんなの嘘っ!!」
「……ゆーちゃん」
取り乱す優依を雪夏が慰めている。
「優希が殺されるはずなんてない! だって優希は……優希は!!」
「そこまでです。それ以上は言わない方が良いですよ」
思わず優希が隠していたことを口走りそうになった優依を名月院が止める。
「苦しいのなら泣きなさい。わたしが傍に居ますから。ずっと……」
名月院は悲しさも苦しさも全てを包み込むように優依を抱きしめた。
「ほら。貴女達も辛いのなら一緒に泣きなさい。我慢しないで。誰も格好悪いなんて思いませんよ。悲しいことがあれば泣くことは当然ですから」
一人が堪えられなくなり名月院に駆け寄り傍で泣きじゃくると歯止めが効かなくなったように全体に波紋して行った。
名月院の周りで泣く女子達に背を向けて男子も声を押し殺して泣いている。
どれだけ優希が慕われていたか。どれだけ優希が大きい存在だったか。知った今では言い表せない脱力感。
その頃コミケ部の部室には鍵が掛かっていた。
中では悠緋が一人で椅子に座っている。
「……さようなら優希」
優希の死の真相を知る者は、この学校の中に居るのだろうか。それとも優希は自殺だったのか。それを知ることは今は誰にも出来ない。出来るはずがなかった。
はい。どうも作者です。今回はなが〜い話です。三日程遅れたお詫びとしまして大増量です。軌跡の物語はまだまだ続きます。どうか最後までお付き合い下さい。