第12話「軌跡」
進路を塞ぐものは跳ね殺すとでもいわんばかりの勢いで校門から飛び出す青いスポーツカーもといランサーエボリューション。略してランエボ。
明日が学園祭じゃなかったら呼び出しをくらっていたに違いない。
「音楽とか適当に聴いていいよ。夏雪ってどういうのが好きだっけ?」
「特に決まってない」
舞依がハンドルを操作しながら含み笑いをしたのが青葉には不思議だった。
「なにか可笑しいこと言ったか?」
「ん〜? いや、相変わらず彼女がいないんだな〜って思ってさ。いつもツンケンしてるからね夏雪は」
余計なお世話だと青葉は答え、舞依は笑いながらごめんと謝る。
「でもさ、彼女とか出来るときっと世界が変わるよ? 好きなアーティストとかできたりね」
「舞依姉の言ってることは分かるけど。俺は他人に合わせるなんてごめんだ」
赤信号の内に舞依はプレイヤーにCDを放り込む。
読み込みに少しの時間が掛かった後にピアノの優しい前奏が聴こえ始めた。
「何の曲?」
「なんだっけかな〜? 何かゲームの曲」
「意外だな。舞依姉もゲームとかするんだ」
「そうよ〜。優依よりもずっと強いわよ」
青信号になると同時に車は加速し、舞依は流れている歌を口ずさむ。
「あっ。思い出した。この曲の名前」
狭い道から見通しの良い広い直線の道に出たところで嬉しそうに舞依が言う。
「知りたい?」
「どちらでも」
「じゃあ知っておこ〜。この歌はね『僕と君とあの日の約束』」
「僕と……君とあの日の約束……?」
どうしてかは分からないが名月院の顔がフラッシュバックのように思い出された。
青葉は頭を左右に振り、それを振り払おうとする。
青葉の変調を察したのか舞依は無言で助手席の窓を開けて、当たり障りのない話題を振る。
勉強に部活は? 高校生活は楽しいか。学校で優依は大人しくしているか。
一つの質問に答えるとすぐに次の質問を投げ掛けてくるため、余計なことは考えられない。
そうこうしている内にランエボは国道脇の小道に逸れ、すぐの場所の駐車場に車を停める。
「着いたわよ。ここの喫茶店は私のお気に入りなの」
車から降りた青葉は目の前に立つ一軒の喫茶店を見る。
レンガで造られている少しレトロな感じの喫茶店だ。入り口のすぐ脇には店内を見通すための大型のガラス窓があるがブラインドが降りているので店内の様子は分からない。
少し上に視線を向けると小さい盾のような形をした看板には『軌跡』と書かれていた。
「そんなにこのお店の名前が珍しい?」
傍から見て不思議に思われるほどじっくりと見ていたのだろう。
入り口のドアを押し開けようとしていた舞依は変なのと笑う。
「……なんでもない」
冷たい口調で青葉は答えた。
舞依になにもないと言ったのは嘘だ。青葉は映画のシーンのように誰かの記憶を思い出した。いや観えたというのが正しいのかもしれない。
見えた映像の軌跡の看板を掲げた喫茶店は別荘やコテージを思わせる丸太で造られていて、今、目の前にある喫茶店とは似つかなかった。
店内に入ると仏頂面でのマスターが出迎えた。
軽い足取りでカウンター席に向かう舞依の後に続いてカウンター席に座る。
「元気してる〜?」
「まぁな……そっちの少年は?」
マスターは口元だけで小さく笑うと青葉に視線を向ける。
「弟よ。ほら、高校の時に話したじゃない」
「あぁ君があの青葉夏雪君か」
なにがあのなのかは知らないが青葉は自己紹介をする。
「俺はこの店を経営している塩谷登」
握手した相手。塩谷を青葉は訝しく見つめる。
どこかの喫茶店のカウンター席に塩谷が座っている記憶が見えた。
「私。コーヒーとレアケーキ。夏雪は?」
突然でもないごく自然な流れでの舞依の問い掛けに青葉は虚を突かれたようにとっさに答えることが出来なかった。
「えっ……あ、あぁ。じゃあ舞依姉と同じ物を」
青葉も同じ物を頼んだが塩谷は苦笑いしながらメニューを差し出してくる。
「こらこら。この店にレアケーキなんてメニューはないぞ」
舞依が当然のように注文したのでてっきりあるものだと思っていた青葉は驚いた。
右隣の席の舞依は冗談が通じないなどと呟きながらメニューを広げる。
青葉はコーヒーを。舞依はコーヒーと特製パフェを注文し塩谷がコーヒー豆を取りに行く。
「それで、頼んでおいたことは?」
「もう終わってるわ」
鞄から書類を取り出した舞依はそれを青葉の目の前に差し出す。
「ありがとう。後でじっくり見させてもらう」
「同級生の経歴を調べて欲しいって言われた時はびっくりしたわよ」
青葉は事前に考えていた理由を答えようとしたが、
「待った。当てるから」
青葉の目の前に手の平を出して舞依は止めた。
それからしばらく難しい顔をして考え込む舞依に何を言っても無駄だった。
ことごとく無視されてしまう。というよりも声が聞こえているかも怪しいくらいだ。
「そいつは考え込むと周りの声がまったく聞こえなくなるのさ。高校の時もそうだったよ」
目の前にコーヒーが置かれる。
「そうですね。ところで塩谷さん」
「ん? なんだ?」
「前に俺と会ったことありますよね? ここじゃない『軌跡』って名前の喫茶店で」
他人を見下すように冷笑を浮かべながら出来る限り真実味が溢れる口調で尋ねる。
これで何かしらの表情の変化かヒントとなる言動が出れば、先程の映像が何なのか分かるかもしれない。
「……まさか、浅井誠之……なのか?」
しばらく無表情で青葉を見つめていた塩谷が不意に聞き慣れない名前を口にする。
やはり、何かを知っているようだ。だとしたら次に取るべき行動は、
「久しぶりですね」
何もかも知っている風を装って塩谷が持っている情報を引き出そうとする。
「…………お前」
「わかったっ!! 謎は全て解けたぁっ!」
大声を張り上げながら机を叩く舞依に視線が集中した。
「……なにを?」
少しの間を置いてからようやく青葉が尋ねた。
「づばり! 恋ね! 恋したんでしょ、ラブストーリーなんでしょ!!」
何がだよ。
思わず突っ込みそうになった青葉はコーヒーを啜る。
「ところでさっき何の話をしてたの? 二人で」
適当に嘘を答えた青葉は店内を見渡す。
舞依が会話に入ってきたことによって塩谷を追求する機会を逃してしまった。
収穫があったのは浅井誠之って名前くらいか。
店を出る時間まで青葉は舞依の愚痴とも言える世間話に付き合わされ、家に帰る頃には六時を過ぎていた。
「ごめんね。今日は付き合わせちゃって」
「悪いと思うんなら早く彼氏でも作って愚痴ることだな」
「ふふっ。考えておこうかしら。じゃあね」
遠ざかって行く車を見送ると青葉は家に入る。
「あっお兄ちゃんおかえりなさい〜」
キッチンからコップを片手に雪夏が出てくる。
リビングに行こうとしていたのだろう。
「悪いな雪夏。今すぐ夕食作るから、少し待っててくれ」
二階に続く階段の一段目に右足を乗せながら青葉が言うと、雪夏は首を横に振った。
「お兄ちゃんが作る必要ないよ」
笑いたいのを堪えたいのかニヤニヤしている雪夏を見て青葉は不思議に思う。
雪夏がニヤついている理由を青葉はすぐに悟った。
キッチンから学校の制服にエプロンを着けた名月院が出て来たからだ。
「お帰りなさい。ご飯なら出来ていますよ。それともお風呂にします?」
柔らかい笑顔を作りながら言う名月院に対して青葉は無表情のまま尋ねる。
「どうして名月院がここにいる?」
「お姉ちゃんはね、夕御飯を作りに来てくれたんだよ。御礼言わなきゃ」
「お姉……ちゃん!?」
冷静な青葉が思わず大声を出してしまうほどに、雪夏の言葉は衝撃的だった。
「あらあら。将来を誓い合った仲だと言うのに、そんなに照れないで下さいな」
あの名月院が頬を紅潮させ上品に手を当てている光景は信じられなかった。
一体、何がどうなっているのだ。
「ちょっと、これからのことについてでも話そうか名月院」
「まぁ。わたしにするのですか?」
「少し黙れ。頼むから」
取り敢えず名月院の腕を掴むと有無を言わさず二階の自分の部屋に連れ込み、鍵を掛けた。
「なんのつもりだ?」
「別に? お前があたふたと慌てる姿を見たかっただけだ」
青葉のベットに座っている名月院は当然のように言った。
ついさっきまでの大和撫子みたいな面影はどこにもない。
「物静かなクラスメイト。今の名月院。秋山の妹。そして今度は俺の婚約者か。一体、どれが本当の名月院なんだ?」
「言ったはずだぞ。これが本当のわたしだとな」
「……俺をからかう為だけに来たのか?」
「質問が多いな。まぁ良い。もう一つは確認をしたかっただけだ」
「確認? なにをだ?」
「そこまでは伝える義理はないな。ユキも早く来ないとご飯が冷めるぞ」
するりと青葉の横を通り、名月院は部屋から出て行く。
名月院と雪夏との三人で囲んだ食卓から一夜明けた学園祭当日の朝。青葉は生徒会室で昨日、舞依から渡された報告書に目を通す。まさか頼んでからたった半日で調べあげるとは青葉も思ってはいなかった。やはり、警察ではない別の何かが舞依にはがあるということか。しかし、今はそちらの問題ではない。
現在の時刻は八時四十五分。
まだ少しだけ時間に余裕がある。
青葉は細いため息をつき窓から空を見上げる。
報告書を一通り見ても不自然な点は見当たらない
秋山の言っていた血が繋がっていない妹とは養女を指していた。
一ヶ月前。両親を事故で亡くした名月院は秋山家に引き取られて、川上高等学校に転入。
一見してありそうな話なのだが、青葉は引っ掛かりを覚える。
名月院が秋山家の養女になるのは事実上は不可能のはずなのに。秋山は両親と妹を事故で亡くし一人暮しをしていたはずだ。
秋山は未成年で学生だ。後見人にはなれるはずがない。
『なぁに暗くなってんだよ。死なんてありふれたものなんだ。落ち込むより今を楽しもうぜ』
秋山の声と同時に秋山に羽交い締めにされている少年の姿が浮かぶ。
その少年は楽しそうに笑っていて、どこか青葉と似ていた。
この記憶はなんだ? 自分の記憶ではない。しかし確かに覚えている。秋山の家に泊まり、両親がいないことを告げられた後に羽交い締めにされたことを。
そうだ、確かあの時に初めて名月院瑞希と出会ったのだ。
────ベットに寝ている俺を見つめていた神秘的な少女。彼女は。名月院瑞希は俺に言った。
『青葉夏雪じゃない貴方に興味はない。自分が躍らされている道化だと自覚していない貴方は――――』
――――所詮、浅井誠之でしかないと。
また浅井誠之か。随分と人気者だな。
一体誰のことだ? それに昨日といい今日といいどうして知っているはずがない記憶が蘇るのだろう。知っているはずなどないのに。
「ごめ〜ん。お待たせ。待った?」
生徒会室のドアが勢いよく開きメイド服を着た優依が入ってくる。
一年二組はメイド喫茶なんて青葉に言わせてみれれば微妙な出し物をしていた。
「いや、これあたしが好んで着てるんじゃないわよ? 雪夏がどうせ校内をうろつくのなら宣伝してきて〜って無理矢理着せられたのよ」
何も聞いていないしどうでも良いことなのにあれこれと理由を言う優依を見ていると思わず笑ってしまいそうになる。
不思議な奴だと青葉は思う。
悩みなんて何もないように底抜けに明るく優希にしろ雪夏にしろ周囲には何時でも人が集まりその中心で輝いている。まるで太陽という表現がピッタリかもしれない。
そう優衣は太陽なのだ。良い意味でも悪い意味でも。優衣の近くにいれば居るほど青葉は自分が許せなかった。他人を信じず、付き合おうともせず、人の痛みを分からない。そんな冷たい自分の心が青葉は堪らなく嫌いだ。だが、そんな自分をどうすることもできない。
「どうしたのユキ? 眩しそうな顔をしてるけど陽の光は当たってないわよね?」
「何でもない。早く見て回るぞ。時間は限られているんだからな」