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モグラのマウル

作者: 稲葉孝太郎

 あるところに、マウルというモグラの農夫が住んでいました。マウルはとっても働き者。大きな鼻と大きな爪で、せっせせっせと土を掘り、ダイコンを育てているのです。

 ある寒い冬の朝、マウルは北風にも負けずに元気一杯、畑の世話をしていました。太くておいしそうなダイコンが、土の中からこっそり顔を出しています。お日様が真ん中にくるまで働いたマウルは、ふぅと一息、空を見上げました。白い雲がダイコンみたいで、マウルはにっこり、収穫の日がとっても楽しみです。

「こんにちは、マウルさん、今日も精が出ますね」

 柵の向こう側に現れたのは、お隣に住んでいるハーゼさん。長い耳と真っ赤な目をした、ウサギさんです。彼も自分の畑で、ニンジンを育てているのでした。

「こんにちは、ハーゼさん」

 笑顔で挨拶したマウルは、ハーゼさんが何か持っていることに気づきました。ハーゼさんのふさふさした手には、真っ赤なニンジンが握られていたのです。色も艶も見事なもので、今日引っこ抜いたばかりなのでしょう、あちこち泥がついています。

 マウルはまだ一度も、ニンジンというものを食べたことがありませんでした。マウルが住んでいる村では、食べるものも着るものも、住むところも遊ぶところも、すべて自分で作る決まりになっているのです。それはマウルのおじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの頃から続く、古い古い決まりごとなのです。

 マウルはじっと、ニンジンを見つめました。ニンジンは恥ずかしそうに、バラ色の顔でマウルを見つめ返します。マウルはだんだん、そのニンジンを食べたくなってきました。どんな味がするのでしょう。甘いのでしょうか、それとも辛いのでしょうか。

 とうとう我慢ができなくなったマウルは、ハーゼさんに尋ねました。

「どうです。あなたのニンジンと、ぼくの畑で穫れたダイコンを交換しませんか?」

 ハーゼさんはびっくりしてぴょんと飛び上がり、耳をひくひくさせました。

「交換ですって? そんなことは、私たちのおじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの頃から、だあれもしてないじゃありませんか。ニンジンを食べたかったから、自分でお作りなさい。それが一番ですよ」

「でもね、ハーゼさん、聞いてくださいな。ぼくはニンジンの作り方を知らないから、あなたみたいにうまくはできないと思うんです。それに今から種をまいても、ニンジンが穫れるのは、来年の冬ですものね。とても待ちきれませんよ」

 そう言うと、マウルは大きな爪で、ダイコンを一本掘り返します。そして、柵の向こう側にいるハーゼさんに、その立派なお野菜を差し出しました。

「さあ、どうぞ。今年はお日様も優しくて、とってもおいしいですよ」

 ハーゼさんは、自分のニンジンとマウルのダイコンを、ガラス玉みたいな目で何度も見比べて、にっこりと笑います。

「そうですね。とってもおいしそうです。なんだか食べたくなってきましたよ」

 ふたりはニンジンとダイコンを交換し、空いた手で握手を交わしました。

 マウルはすぐにおうちへ帰り、奥さんにシチューを作ってもらいました。いつもはダイコンしか入っていないクリームスープに、赤い赤いお野菜が浮かんでいます。

「いただきます」

 マウルはスプーンでひと掬い、ニンジンを頬張りました。

 すると、とっても甘い香りと味が、マウルのとがったお口の中に広がります。

 マウルは「おいしいなあ、おいしいなあ」と呟きながら、シチューを何杯もお代わりしました。

 

 あまりにもシチューがおいしかったので、マウルは次の日も、また次の日も、ハーゼさんとお野菜を交換しました。そして幾日かが過ぎたとき、そばを通りかかった犬のフントさんが、ふたりのやりとりを興味深そうに眺めて言いました。

「マウルさん、ハーゼさん、こんにちは。さっきから何をしてるんですか?」

 声をかけられたマウルとハーゼさんは、ちょっとだけ恥ずかしそうに頬を掻きます。

「お隣のハーゼさんに、ダイコンとニンジンを交換してもらっていたんです」

 とマウル。ハーゼさんも、うんうんと頷きます。

 これにびっくりしたのは、フントさんでした。

「ダイコンとニンジンを交換ですって? そんなことは、私たちのおじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの頃から、だあれもしてなかったじゃありませんか。どうして自分で作らないのです?」

 マウルとハーゼさんは、この前の出来事を、フントさんに話しました。するとフントさんは、その湿っぽい鼻をくんくん鳴らして、感心しながらワンと吠えます。

「それはいい考えですね。どうですか、私もひとつ仲間に入れてもらえませんか?」

 そう言うとフントさんは、その素早い足でサッと納屋に飛び込み、ジャガイモを一杯抱えて戻って来ました。

「このジャガイモと交換してください」

 マウルはぴかぴか光るジャガイモを見て、思わずヨダレを垂らしてしまいます。

「ああ、これはいいジャガイモですね。ぜひ交換してください」

 マウルとハーゼさん、それにフントさんは、ダイコンとニンジンとジャガイモを同じように分けて、嬉しそうにおうちへ帰って行きました。

 こうして、次の日にはニワトリのヘンネさん、また次の日には牛のクーさんも加わり、交換仲間はどんどん増えていきました。そしてとうとう、マウルの庭には、足の踏み場がなくなってしまったのです。

 マウルは困った顔をして、仲間たちに話しかけます。

「すみません、これでは僕の畑がめちゃくちゃになってしまいます。どこか他のところで、ゆっくり交換しませんか? 川辺の原っぱなんかがいいですよ。春になれば花が咲いてきれいですし、夏になれば水遊びもできますからね」

 反対する動物は、誰もいませんでした。みんなで力を合わせて、原っぱにテントを作り、そこで好きな人と好きなものを好きなだけ交換できるようになりました。


 市場(いちば)は毎日毎日、大勢の動物たちで賑わいました。冬が過ぎ、春が過ぎ、とうとう夏が訪れます。麦わら帽子をかぶったマウルは、今日もとことこ、川辺の原っぱに向かいました。すると道ばたに、犬のフントさんがぽつり。フントさんは、何だか元気がないみたいです。

「どうしたんですか、フントさん? お日様にやられたんですか?」

 フントさんは、舌を垂らしてハァハァ言いながら答えます。

「それもあるんですけどね。実は、交換するものがなくなってしまったんですよ」

「ええ? ジャガイモがなくなったんですか?」

 マウルがびっくりすると、フントさんは慌てて首を振りました。

「いえいえ、違います。私が食べる分のジャガイモはあるんです。でも、次の収穫は秋だから、もうこれ以上は他のものと交換できないんですよ。だから毎日ジャガイモばかり食べていて、そろそろ飽きてきちゃいました」

 マウルは、ふと思い出しました。マウルの倉庫にあるダイコンも、今では雪だるまくらいの大きさしかなくて、ちょっとばかり節約する必要があるのです。市場でも、秋や冬に穫れるお野菜を育てている動物は、ほとんど見当たりませんでした。みんながみんな、トマトやキュウリ、キャベツなんかを交換しているのです。

「それはお気の毒に」

 マウルはしばらく、自慢の長い髭をひくひくさせた後、ぽんと手の平を叩きました。

「そうだ、ラーベさんのところへ行って相談しましょう。いいアイデアをくれますよ」

 マウルはフントさんと一緒に、森へ向かいました。ラーベさんは、とっても頭のいいカラス。木の上におうちを作って、ひとりで暮らしているのです。

「こんにちは、ラーベさん」

 マウルが大きな声で挨拶すると、星形の窓からカーカーと返事が聞こえます。

「はいはい、その声はマウルさんだね」

 大きな眼鏡をかけたラーベさんが、ひょいと窓から飛び出して来ました。マウルとフントさんの頭上を一周し、ふわりと地面に着地します。

「おひさしぶり。何か困ったことでもあるのかい?」

 年上のラーベさんは、マウルとフントさんの顔色を窺います。マウルはちょっとばかり照れ笑いをしてから、これまでの事情を打ち明けました。

 話を聞き終えたラーベさんは、黒くてつやつやした羽を組み合わせ、首を左右にくいくいと捻りました。

「ダイコンは冬に、ジャガイモは秋にしか穫れないから、夏になると在庫がなくなってしまうんだね。こいつは難しい問題だよ」

「何かいいアイデアはありませんか? ニンジンのシチューを食べたいんですよ」

 マウルは真っ赤なニンジン入りのシチューを思い出し、ごくりとツバを飲み込みます。

 けれどもラーベさん、なかなか答えてはくれません。目を閉じたまま、じっと考え込んでいます。これが涼しい森の中でなかったら、マウルもフントさんも、ばったり倒れ込んでしまっていたでしょう。

 太陽が西の空へ傾きかけたとき、ラーベさんはこくりと頷きました。

「あしたのお昼に、みんなを市場へ集めてください」

 それだけ言うと、ラーベさんはどこかへ飛んで行ってしまいました。

 おいてきぼりになったマウルとフントさんは、おたがいに顔を見合わせて、それからとぼとぼとおうちに帰って行きました。


 次の日、村のみんなは市場の真ん中で、ラーベさんを待っていました。けれどもラーベさんは、なかなか姿を現しません。みんな待ちくたびれて、マウルもそろそろ畑仕事へ戻ろうとしたとき、東の空に何か光るものが見えました。それはだんだん近付いて来て、ぐるりとお空を一周した後、ひらりと市場に舞い降ります。

 それはラーベさんと、森の仲間たちでした。鳥たちはめいめい、小さな袋を背負っていましたが、ラーベさんだけは何も担いでいません。その代わり、ラーベさんの嘴には、ぴかぴか光る丸いものがくわえられています。ラーベさんはそれを羽先で持ち上げると、こんな話を始めました。

「みなさん、ご覧ください。これはとっても珍しい、銀でできたチップです。これと同じものを、みなさんがそれぞれ十分持てるだけ作って来ました」

「銀ですって? そんなものは食べられないじゃないですか」

 とニワトリのヘンネさん。みんなうんうんと頷きます。

「まあまあ、確かに銀は食べられません。でもみなさん、これはとっても便利なものなんですよ。例えばマウルさんが、自分のダイコンとクーさんのミルクを交換したいと思います。でも今は夏ですから、マウルさんは自分が食べるダイコンしか持っていません。そこでマウルさんは一度、このチップをクーさんに渡します」

 ラーベさんはそう言って、チップを渡す真似をしました。

 すると名前を呼ばれたクーさんは、モォ〜と怒ります。

「あたしゃそんなものいりませんよ。ダイコンをくださいな」

「まあまあ、続きをお聞きなさい。今度は冬になりました。クーさんは、寒くてあんまりお乳が出なくなります、そこでクーさんは、このチップをマウルさんに返して、ダイコンと交換してもらうのです。また夏が来たら、マウルさんはクーさんにチップを、冬が来たら、クーさんはマウルさんにチップを。こうして、おたがい好きなときに、好きなものを手に入れることができるのです」

 ラーベさんの説明に、みんなは感心しました。だけど、納得しない動物もいます。

「でもそのチップを、誰かが勝手に増やしたらどうするんですか?」

「ご安心を」

 ラーベさんは右の羽を高々と掲げて、自信満々に胸を膨らませます。

「この銀は、村からずっとずっと遠く離れた山奥に、ちょっぴりしかないのです。ですから誰も、勝手にチップを増やしたりはできないのです」

 みんなはラーベさんの説明を聞き終えた後、夕方まで話し合いました。そしてみんな納得したので、チップを平等に分けてもらうことにしたのです。

「はい、これはマウルさんの分ですよ」

 マウルはきらきら輝くチップを十枚もらい、にこにこ笑っておうちに帰りました。そして次の日から、マウルはチップを持って市場をうろうろ、ニンジンをもらっては一枚、ミルクをもらっては一枚と、楽しい買い物を始めました。

 秋になると、もうみんなチップを使い切ってしまったので、ラーベさんにお願いして、さらに十枚のチップを配ってもらいました。だけどそれもすぐになくなって、またまた十枚。だんだん村の中に何枚のチップがあるのか、誰にも分からなくなっていきました。

 そしてそのうち、チップとチップを交換する動物や、誰かのために働いてチップをもらう動物が現れます。村はどんどん大きくなって、誰がどこに住んでいるのか、とうとうそれすらも分からなくなってしまいました。

 マウルも畑を耕さなくなり、保険会社のセールスマンになりました。


 あれから何年もの歳月が過ぎて、マウルはすっかりおじいちゃんになっていました。会社も去年退職し、今は悠々自適、小さなおうちで家庭菜園を楽しんでいます。

 ある寒い日の夕方、裏庭の畑へ出ようとしたマウルを、奥さんが呼び止めました。

「スーパーで、ニンジンを買ってきてくださいな」

 そう言って奥さんは、マウルに銀貨を一枚渡します。

「ああ、分かったよ。今夜はシチューだね」

「そうですよ。あなたの大好きな、ニンジン入りのシチューですよ」

 マウルは家を出て、大通りを西へ向かおうとしました。けれど、畑仕事を先に済ませようと思い、裏庭に戻ります。スーパーの従業員さんと違って、お日様は夜まで待ってくれないからです。

 マウルは大きな鼻と大きな爪で、せっせせっせと土を掘り、ダイコンを引き抜きました。顔中泥だらけにして働いていると、ふと柵の向こうに誰かの影が見えます。でも、それが誰なのかは分かりません。マウルはおじいちゃんなので、すっかり目が悪くなっているのです。

 マウルは目をしょぼしょぼさせながら、何度も眼鏡を上げ下げしました。すると、大きな耳と真っ赤な瞳が、ぼんやりと霞のように浮かんできます。

 柵の向こう側に立っているのは、お隣のハーゼさんでした。

「こんにちは、ハーゼさん」

 マウルが挨拶すると、ハーゼさんは今気付いたみたいに、ゆっくりと顔を上げました。

「こんにちは、マウルさん」

 ハーゼさんのふさふさした手には、真っ赤なニンジンが握られていました。色も艶も見事なもので、今日引っこ抜いたばかりなのでしょう。土がたくさんついています。

 それを見たマウルは、おつかいのことを思い出しました。

「どうです。あなたのニンジンと、ぼくの畑で穫れたダイコンを交換しませんか?」

 マウルがお願いすると、ハーゼさんはぴょこりと耳を立て、首筋を伸ばします。

「すみません、私も年を取って、あれだけよく聞こえた耳も、今じゃすっかり遠くなってしまいました。もっと大きな声で話してもらえませんか?」

 マウルはお腹の底から、頑張って声を出しました。

「あなたのニンジンと、ぼくの畑で穫れたダイコンを交換しませんか?」

 ハーゼさんはびっくりして、垂れた耳をうんしょと持ち上げます。

「交換ですって? そんなことは、お金が生まれてから、だあれもしてないじゃありませんか。ニンジンを食べたかったから、スーパーへお行きなさい。それが一番ですよ」

「でもね、ハーゼさん、聞いてくださいな。スーパーでニンジンを買うよりも、ここで交換した方が安くつくと思うんですよ。このダイコンだって、ニンジン一本のお値段では買えませんからね。おたがいに儲かっていいじゃないですか」

 マウルはその大きな爪で、ダイコンを一本掘り返します。そしてハーゼさんに、その立派なお野菜を差し出しました。

「さあ、どうぞ。今年はお日様も優しくて、とってもおいしいですよ」

 ハーゼさんは、自分のニンジンとマウルのダイコンを、ガラス玉みたいな目で何度も見比べた後、にっこり笑って言いました。

「そうですね。とってもおいしそうです。なんだか食べたくなってきましたよ」

 ふたりはニンジンとダイコンを交換し合い、空いた手で握手を交わしました。

 そして、おたがいにさよならを言いました。

 帰り道、マウルはふと、自分が何か大切なことを忘れているような気分になりました。でもマウルはおじいちゃんなので、それが何だか、思い出せないのです。

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