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仁美は、熱心に携帯に向かっていたところだった。
泰子の目が追いつかないくらいの速度で、指がキイを叩いていく。そして、画面から顔を上げた仁美は、引き出しを漁って数札のノートを取り出す。
それをパラパラとめくって白紙である事を確認すると、それを泰子に手渡した。
「このノートやすちゃんにあげる。ペンとかノートはここのおにーさんに言えばもらえるよ」
「そうですか。ありがとうございます」
泰子がぺこっと頭を下げると、仁美はちょっとぉ、と笑いながら言い、泰子の肩を叩いた。
「やすちゃん、敬語はヤメよ? あたしがタメなのにやすちゃんが敬語じゃおかしいじゃん」
朗らかに笑う仁美に、泰子は戸惑いながら頷いた。
「それじゃあ、私、看守さんのところへ行ってきます」
「うん。じゃーね」
仁美は部屋の入り口まで見送りに来た。その時も、右手には携帯電話が握られている。
「仁美さん……いつも持っているの? その電話」
思わず子供を叱る母親のような声が出てしまった。
そんな泰子に、仁美は少し悲しそうな顔をする。
「メール、返信来ないかなーって。何通も送ってるんだけどね、返事が来ないんだ。いや、来ないのは分かってるよ。分かってるけどさ、期待しちゃうんだよ」
切なげに俯いた仁美に、悪い事を聞いてしまったのでは、と胸が痛んだ。
けれど、顔を上げた仁美の表情はいつもの、太陽のような眩しい笑顔だった。
「さ、やすちゃんも早く行った方がいいよ。ここの時間って案外短いから」
ポン、と軽く背中を押されて、扉が閉まった。
扉が閉まる直前に、仁美の目に光るものがあるのを見た気がした。
ペンをもらい、部屋へ戻ると、あっという間に昼食が運ばれてきた。
仁美が言う通り、ここの時間はあっという間に流れてしまうようだ。
ただ開いて見つめていただけのノートを閉じると、昼食に目をやった。若者が好きそうな、パスタとパン。
焼きたてのパンは香ばしく、口に含むとほんのりとバターの風味が広がる。
「おいしい。……でも、このメニューはおばさんにはちょっと、ねえ」
目を細めて唇の端を持ち上げた泰子は、パンだけを完食すると、再びノートを開いた。
“亜実と拓へ
亜実の事分かってあげられなくてごめんね。拓にも辛い思いをさせちゃったね。私は本当に駄目な母親だね”
泰子はそこまで書いてペンを置いた。そして、そのページを破ると、丸めて塵箱へ押し込む。
もうかれこれ三日、この繰り返しをしている。
申し訳ないという気持ちはあるのだが、それをうまく言葉にできない。だから、書いては破り、破っては書き直した。
その繰り返しで得た物は、膨大な書き損じの塵山と、残りのページが少なくなって薄くなってしまった仁美のノートだけだった。
それでも泰子は書かずにはいられない。
一度は自分の過去の過ちを、思い出せる限り全て書き出したりもした。しかし、それを書き出すうちに、自分が救いようのない悪人のように思われて、気が付けばそのページは塵箱の中へ収まっていた。
手紙を書こうと机に向かうも、納得のいく文章は書けず、諦めて床へつけば、夢枕に亡き娘や息子が立って泰子をなじる。
ここへ来て、まだ一週間も経っていないのに、泰子の精神は相当に追い詰められていた。
気晴らしに、と仁美の部屋を訪ねても、仁美は常に携帯電話をいじり、泰子の話を聞く素振りを見せない。
「そうだ。やすちゃんに言わなきゃいけない事があるんだった」
ポン、と手を打つと、仁美は携帯電話を閉じる。
「あたし、来週にはここを出てくから」
何気ない会話のようにさらりと、それでいて嬉々として語った仁美に、泰子は戸惑いを見せる。
「寂しくなるよね。でも、やすちゃんも頑張ってね。あたし、ずっとずっとやすちゃんの味方だから!」
目に涙をためながら、泰子の手を包み込むように握ると、仁美は何度も何度もコクコクと頭を上下させた。
「あ……ありがとう。……ところで、仁美さんってどのくらいここにいるの?」
仁美の勢いに押されがちになりながらも、泰子は尋ねた。
「あたし? あたしはね……いち、に、……十ヶ月かな」
思案を巡らせるように視線を動かし、指を一本ずつ折って仁美は答えた。どこか幼さの残るその仕草が、泰子には愛おしく思えた。
「長かったでしょう?」
心配げに言う泰子に、仁美は小首を傾げた。
「んー……、でも、言うほど長くなかったかも。十ヶ月って言ったら、他の人達より短いみたいだし。やすちゃんって期間、どんぐらい?」
一瞬、迷ったような表情を見せて泰子は口を開く。
「私は……五年」
「五年!? ちょっと、やすちゃんって何やらかしたのさ!?」
驚きでただでさえ大きな瞳をさらに大きくした仁美は、裏返った声を出し、机に手を付いて腰を浮かせた。
「やっぱり……長いのかしら?」
静かに零した泰子に、当たり前よぉ、と椅子に座りなおした仁美が頷く。
「あたし、聞いた事もないよ。ふつー、長くても二、三年だって言うし。やすちゃん、ここのおにーさんから何か恨み買ってるんじゃない?」
真顔で言う仁美に、泰子はとんでもない、と首を横に振る。
「一回おにーさんに話したらいいと思う。絶対長すぎるもん。やすちゃん、悪い事なんてしてなさそうなのに……」
力弁する仁美に、泰子は苦笑を漏らした。そんな泰子の様子を、仁美は不思議そうに見つめる。
「いいのよ、五年で。私、二人殺してるの」
泰子の口から零れ落ちた言葉に、仁美の表情が目に見えて引きつる。
「ちょ……ちょっとぉ、変な冗談はやめてよね」
「冗談じゃ、ないのよ」
悲しげな泰子の口調に、部屋は沈黙に包まれる。
壁にかけられた時計だけが、規則的に音を発生させている。その音に引かれて、時計に視線を向けた泰子は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「こんな時間。今日は失礼するわね」
ぎこちなく笑う泰子に、気まずそうに仁美が見送りについてきた。
「また今度、仁美さんがいなくなる前にお話ができたらいいんだけど……」
俯き、自分の指先を見つめた泰子に、思いがけない言葉が向けられる。
「じゃあ、今夜はあたしの部屋に泊まんなよ。夕飯食べたら、枕持ってここに来て。二人で語り明かそ?」
修学旅行に来た学生のような、明るい声。顔を上げれば、戸惑いながらも優しい視線を向ける仁美がいた。
「あたしの事、やすちゃんには何も話してないし、あたしもやすちゃんの事何も知らない。そんなままでお別れなんて寂しすぎるじゃん?」
もちろん、やすちゃんが嫌だったら無理にとは言わないよ、と付け加えると、仁美は上目遣いに泰子を見た。




