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終わりきれなかった世界  作者: 牧田紗矢乃


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4

 



 仁美は、熱心に携帯に向かっていたところだった。

 泰子の目が追いつかないくらいの速度で、指がキイを叩いていく。そして、画面から顔を上げた仁美は、引き出しを漁って数札のノートを取り出す。

 それをパラパラとめくって白紙である事を確認すると、それを泰子に手渡した。


「このノートやすちゃんにあげる。ペンとかノートはここのおにーさんに言えばもらえるよ」

「そうですか。ありがとうございます」


 泰子がぺこっと頭を下げると、仁美はちょっとぉ、と笑いながら言い、泰子の肩を叩いた。


「やすちゃん、敬語はヤメよ? あたしがタメなのにやすちゃんが敬語じゃおかしいじゃん」


 朗らかに笑う仁美に、泰子は戸惑いながら頷いた。


「それじゃあ、私、看守さんのところへ行ってきます」

「うん。じゃーね」


 仁美は部屋の入り口まで見送りに来た。その時も、右手には携帯電話が握られている。


「仁美さん……いつも持っているの? その電話」


 思わず子供を叱る母親のような声が出てしまった。

 そんな泰子に、仁美は少し悲しそうな顔をする。


「メール、返信来ないかなーって。何通も送ってるんだけどね、返事が来ないんだ。いや、来ないのは分かってるよ。分かってるけどさ、期待しちゃうんだよ」


 切なげに俯いた仁美に、悪い事を聞いてしまったのでは、と胸が痛んだ。

 けれど、顔を上げた仁美の表情はいつもの、太陽のような眩しい笑顔だった。


「さ、やすちゃんも早く行った方がいいよ。ここの時間って案外短いから」


 ポン、と軽く背中を押されて、扉が閉まった。

 扉が閉まる直前に、仁美の目に光るものがあるのを見た気がした。




 ペンをもらい、部屋へ戻ると、あっという間に昼食が運ばれてきた。

 仁美が言う通り、ここの時間はあっという間に流れてしまうようだ。


 ただ開いて見つめていただけのノートを閉じると、昼食に目をやった。若者が好きそうな、パスタとパン。

 焼きたてのパンは香ばしく、口に含むとほんのりとバターの風味が広がる。


「おいしい。……でも、このメニューはおばさんにはちょっと、ねえ」


 目を細めて唇の端を持ち上げた泰子は、パンだけを完食すると、再びノートを開いた。





 “亜実と拓へ

 亜実の事分かってあげられなくてごめんね。拓にも辛い思いをさせちゃったね。私は本当に駄目な母親だね”


 泰子はそこまで書いてペンを置いた。そして、そのページを破ると、丸めて塵箱へ押し込む。

 もうかれこれ三日、この繰り返しをしている。

 申し訳ないという気持ちはあるのだが、それをうまく言葉にできない。だから、書いては破り、破っては書き直した。

 その繰り返しで得た物は、膨大な書き損じの塵山と、残りのページが少なくなって薄くなってしまった仁美のノートだけだった。


 それでも泰子は書かずにはいられない。

 一度は自分の過去の過ちを、思い出せる限り全て書き出したりもした。しかし、それを書き出すうちに、自分が救いようのない悪人のように思われて、気が付けばそのページは塵箱の中へ収まっていた。




 手紙を書こうと机に向かうも、納得のいく文章は書けず、諦めて床へつけば、夢枕に亡き娘や息子が立って泰子をなじる。

 ここへ来て、まだ一週間も経っていないのに、泰子の精神は相当に追い詰められていた。

 気晴らしに、と仁美の部屋を訪ねても、仁美は常に携帯電話をいじり、泰子の話を聞く素振りを見せない。


「そうだ。やすちゃんに言わなきゃいけない事があるんだった」


 ポン、と手を打つと、仁美は携帯電話を閉じる。


「あたし、来週にはここを出てくから」


 何気ない会話のようにさらりと、それでいて嬉々として語った仁美に、泰子は戸惑いを見せる。


「寂しくなるよね。でも、やすちゃんも頑張ってね。あたし、ずっとずっとやすちゃんの味方だから!」


 目に涙をためながら、泰子の手を包み込むように握ると、仁美は何度も何度もコクコクと頭を上下させた。


「あ……ありがとう。……ところで、仁美さんってどのくらいここにいるの?」


 仁美の勢いに押されがちになりながらも、泰子は尋ねた。


「あたし? あたしはね……いち、に、……十ヶ月かな」


 思案を巡らせるように視線を動かし、指を一本ずつ折って仁美は答えた。どこか幼さの残るその仕草が、泰子には愛おしく思えた。


「長かったでしょう?」


 心配げに言う泰子に、仁美は小首を傾げた。


「んー……、でも、言うほど長くなかったかも。十ヶ月って言ったら、他の人達より短いみたいだし。やすちゃんって期間、どんぐらい?」


 一瞬、迷ったような表情を見せて泰子は口を開く。


「私は……五年」

「五年!? ちょっと、やすちゃんって何やらかしたのさ!?」


 驚きでただでさえ大きな瞳をさらに大きくした仁美は、裏返った声を出し、机に手を付いて腰を浮かせた。


「やっぱり……長いのかしら?」


 静かに零した泰子に、当たり前よぉ、と椅子に座りなおした仁美が頷く。


「あたし、聞いた事もないよ。ふつー、長くても二、三年だって言うし。やすちゃん、ここのおにーさんから何か恨み買ってるんじゃない?」


 真顔で言う仁美に、泰子はとんでもない、と首を横に振る。


「一回おにーさんに話したらいいと思う。絶対長すぎるもん。やすちゃん、悪い事なんてしてなさそうなのに……」


 力弁する仁美に、泰子は苦笑を漏らした。そんな泰子の様子を、仁美は不思議そうに見つめる。


「いいのよ、五年で。私、二人殺してるの」


 泰子の口から零れ落ちた言葉に、仁美の表情が目に見えて引きつる。


「ちょ……ちょっとぉ、変な冗談はやめてよね」

「冗談じゃ、ないのよ」


 悲しげな泰子の口調に、部屋は沈黙に包まれる。

 壁にかけられた時計だけが、規則的に音を発生させている。その音に引かれて、時計に視線を向けた泰子は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「こんな時間。今日は失礼するわね」


 ぎこちなく笑う泰子に、気まずそうに仁美が見送りについてきた。


「また今度、仁美さんがいなくなる前にお話ができたらいいんだけど……」


 俯き、自分の指先を見つめた泰子に、思いがけない言葉が向けられる。


「じゃあ、今夜はあたしの部屋に泊まんなよ。夕飯食べたら、枕持ってここに来て。二人で語り明かそ?」


 修学旅行に来た学生のような、明るい声。顔を上げれば、戸惑いながらも優しい視線を向ける仁美がいた。


「あたしの事、やすちゃんには何も話してないし、あたしもやすちゃんの事何も知らない。そんなままでお別れなんて寂しすぎるじゃん?」


 もちろん、やすちゃんが嫌だったら無理にとは言わないよ、と付け加えると、仁美は上目遣いに泰子を見た。

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