青紫の太陽6
クロックのつぶれる音が耳についた。あれから、ペンと口論をしてからずっと最上階でうずくまっている。何度クロックの潰れる音を聞いただろうか。それすら分からずに僕は考えるのをやめて座っている。
震えは今でも思い出したように現れて、あの言葉は波のように僕をどん底に突き落とす。その度に体を抱きしめて耐えるしかなかった。まるで病人だと自分でも思う。それでも立ち上がる気はおこらなかった。
気分がいいとき青紫の太陽を見つめた。それ以外にもヨウスキアウフがあの扉を抜けて入って行くのも、クロックが飛び降りる所も何度も見た。最近のクロックは僕が見ているのが嬉しいのかこちらに手を振りながら落ちていく。
「やあロープ」
そして数時間ほどしてから階段を登ってきて親しげに話しかけてくる。血で濡れた体から話すたびに血がこぼれる。絨毯は赤い。
「今日のは一段と酷かったよ。膝から垂直に落ちちゃってね。足の骨がそのまま胴体に入り込んじゃったんだ。痛かったな。内臓がぐちゃぐちゃになって腹からはちきれちゃったし」
笑いながら彼はいつも自分の落ちたことを報告する。気持ちのいいものではなかったのでたいていは無視していた。それでも彼は自分の話を終わると満足したようにどこかへ消えていく。
だが今日は違った。にやにやとこちらをのぞき込んでくる。
「今日は戻る途中に面白いものを見つけたんだ。聞きたい?」
とくに反応を示さない僕に機嫌を悪くすることもなく、クロックは嬉しそう廊下の奥の方を指差す。
「向こうの端にさヨウスキアウフになる直前のブロンズがいるんだ。ヨウスキアウフになる直前の奴は見たことないだろ。あいつら面白いんだ」
乾いていない前髪から一滴の血が落ちた。吸い込むように絨毯は血をすっていく。
それからもクロックが何か言っていたが、いつの間にかクロックは目の前から消えていた。時間の感覚も最近はよくわからない。クロックが去ってからどれくらいたったのか。それを考えながらクロックの言葉が浮かんでくる。
立ち上がった。ヨウスキアウフになる寸前の子供というのが気になった。
青いシャツを着た金髪の子だった。頭を抱え込んだブロンズの格好で細かく震えていた。彼の姿には見覚えがあった。前にウォーターに本を届けたとき階段で見かけた青子だった。前に会った時と同様に彼は廊下に座り込み、腕の中に顔をうずめていた。近づくと同時に生臭い匂いが鼻をつく。
ヨウスキアウフの匂い。
肌のぬめりけ以外はどこも変わっていないように思えた。少年は僕が目の前に歩み寄っても何も反応することはない。しばらく迷ってから声をかけた。
「やあ」
返事はない。無言のまま少年の隣に腰をおろした。ブロンズが元々返事をするという期待はしていなかった。それならば彼が怪物になるのをじっくり観察しようと思った。彼の隣は想像していたより生臭かった。
強引に伸ばされた細くぬめりけのある腕。毛という毛は全て抜け、肌も色素が抜けてしまったように真っ白くなる。はちきれんばかりに太ももの筋肉が発達しカエルのようにしゃがみ込む。
隣にいるブロンズはとてもそうなるようには見えない。手足を引っ張られる以外にどうやったらヨウスキアウフのように細長くなれるのか想像もつかなかった。
「変態って知ってる?」
ウォーターの話を思い出した。
幼虫がサナギになり、その中で一度とけて蛾になる。それなら納得がいく。
サナギの中でぐちゃぐちゃになってヨウスキアウフに姿を変えることを想像しながら、どうしてこれほど現実味がないのか僕には分からない。ペンから聞いた時もそうだった。彼はなぜそんなことであれほど動揺しているのか不思議でならなかった。たかが化け物になる程度ではないか。
それは以前の経験よりも恐ろしいことなのか?
ブロンズの少年を観察してどれほどたっただろうか。少年が腕の中からのっそりと顔をあげた。その姿は水に潜った魚が呼吸をするようだった。
太陽なんてものは見たこともないというような陰気な表情だった。顔中の筋肉はだらしなく弛緩し、しょぼしょぼとした目がこちらを覗いている。不思議そうにするでもなく何の表情を見せることもない。中途半端に開いた口から言葉が漏れることもなかった。
それを熱心に見つめながら、次のアクションを待った。
ようやくヨウスキアウフに変化するのだろうか。興奮を隠し切れずゆっくりと息を履きながらブロンズの少年を見つめていたが彼は動くこともなくゆっくりと視線の方向を変える。その先には青紫の太陽があった。
「あの太陽はなんなんだろうね」
こちらの声に今気づいたというよう彼は目を見開かせこちらに顔を戻す。そのアクションもまた非常に胡乱で、彼は不思議そうにこちらを見つめる。水色をした綺麗な眼だった。泣きつかれた子供のように無垢でありながら濁っているようだった。
少年はまたゆっくりと口を開く。
「ようすきあうふぐふぐふと」
歌うようにその声が響く。一呼吸置いてブロンズは異様にぎょろついた目をさらに見開き、見る見るうちに顔が青ざめていった。表情が驚愕に変わるスローモーションを見ているようだった。それが急に速度を増し、弛緩していた筋肉はわなわなと震え口をさらに大きく開いた。
「ようすきあうふぐふぐふと!」
少年は突然と立ち上がる。自分で言った言葉が信じられないというように口元に手をやった。空気を求めるように口をパクパクと動かす魚に似ていた。震える手で頭に手をやり掻きむしる。ぱらぱらと絨毯に毛が落ちた。少年は目を絨毯に落とし、固まったかと思うと無言のまま口を大きく開き駆けていった。
少年はいったい何を恐れているのか。彼が消えた廊下の向こうを見つめながら考える。
いつか訪れてくる死も、まもなくやってくるヨウスキアウフへの変化も変わらない。最後には死体か化物かの違いない。それならば僕たちこそ怖がる必要がない種類も珍しいはずなのに。




