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青紫の太陽3

館内に入ってすぐ足元の違和感に気づいた。ねっとりした感触。絨毯から足を上げるとそのまま絨毯の色がこびりついたかのような赤い液体が靴裏に付着していた。クロックのものだろう。内窓からちらりと中庭を見るとやはりクロックの姿は見つからなかった。

この館でブロンズが僕らにとって異質な存在なように、ブロンズにとっても僕らはまた異質な存在だろう。

 それではクロックはどうかと言えば、彼は僕らの思考の外にいる。異質といってもブロンズがブロンズである理由は少なからず分かるというのにクロックだけは全くもって理解出来ない。

 体の潰れる痛みがあるだろうに、どうして身を投げることに固執するのか。狂っているといえばそれで終わりだが、それでいて一定の時間を置いて正確に時間を刻んでいるところがまた分からない。

 ペンが言うには

 正確に時間を刻む壊れた時計こそ意味の分からないものはない。

 最上階を目指し階段を登る途中で図書室に寄って行こうかと考えた。ペンに意見を聞いてみたかった。ウォーターが最上階に何を求めているのかを。話したかった僕は図書室の階を無視して階段を上がった。

ペンとの会話は簡単に想像できる。彼はきって手に持ったペンをくるくると回しながら言うのだ。

「ウォーターに最上階へ行くよう言われたんだって。君は本当にお人好しだな。やめとけよ。そのうちクロックと一緒に館まで飛び降りろって言われるぞ」「そうかな」「そうさ、それよりも面白い本を見つけたんだ。君の好きな冒険SF。きっと気に入るぞ」

 そうなれば本の誘惑に負けないほど僕の精神は強くない。

 最上階は六階。図書室は三階。まだ半分以上も登っていないというのに僕の足は限界に近づいていた。 最初に大量の本を持ったまま階段を降りて行ったのも応えたが、それよりも日頃の運動不足の方が明確な原因だろう。四階手前で階段に腰をかけた。乱れた息を整えながら、下に降りるとき見かけた青いシャツを着たブロンズのことを思い出した。

 またいつの間にか移動したようだ。

 この館に僕らの他に全く話すことをしないブロンズという存在がいる。ペンが名付けた。

 彼らは館のそこかしかにいて銅像のように座ったまま動かない。それでいて少し目を離すとそこから消えてまた別の場所で座り込んでいる。座り込むというのは分かるような気もするが、なぜ頻繁に移動するのかよく分からない。聞いてみたところで応えが帰ってくることもないので、この謎は僕とペンの間でいい暇つぶしとして話題になる。

 有力なのは彼らが僕たちの監視員だということだ。実はこの館が僕らを観察するためだけの場所であり、ブロンズ達は僕らを観察するために目を光らせている。目的は分からないし、そもそもどこに報告しているか分からない。

 きっとウォーターにはまたSFの読みすぎだと言われるだろう想像である。また暇なときに挑戦するのもいいかもしれない。ブロンズの観察日記。ウォーターの意見も聞きたいな。有意義な自由研究になりそうだ。休憩を終えてそんなことを考えていると登るべき階段がなくなった。

 最上階といっても他の階と変わるところはない。赤い絨毯。中庭を見下ろす内窓と廊下を挟んで等間隔で並ぶ幾何学模様の扉。これ以上登る階段がないだけだ。部屋の中はどうだろうとさっそく近くにあった扉に手をかける。

 図書室より少し小さいぐらいの部屋にベッドと小さなテーブルが置かれていた。窓はなく少し優雅な牢獄にしか見えない。やはり他の階にある部屋と変わりはなかった。一応この館には図書室やらラウンジが階ごとにあるがそれも三階の図書室までで他はすべえ質素な部屋で囲まれている。

 そんな代わり映えのない部屋を半分ほど探して、もしかしたらウォーターにかつがれたのかもしれないという考えがよぎった。ウォーターならやりかねない。彼女は今ごろ休憩所で笑っているのだろうか。

 そう思うと急激に気分が萎えた。唾でも吐き落としてやろうと内窓を近づき、息が止まった。

 天井に青紫の色が視界一杯に広がっている。頭では分かっていた。中庭から見れば手でつかめるほどの青紫の太陽も、きっと間近で見れば大きなものなのだと。それでも、実際にその大きさを目の当たりにすると咄嗟に反応ができなかった。

 中庭と同じ大きさをしているのだ。

 青紫の太陽はその姿を誇示するように堂々とそびえている。禍々しいほどの色彩を放ち触手のような突起物をくねらせている、ように見えた。

 まじまじとその太陽を見つめる。

 青紫の太陽こそ、この館で一番謎ではないだろうか。今まで気づかなかったことに驚く。今まで近くにありすぎて、馴染みすぎて意識することすらなかった青紫の太陽。

 どれだけ世界に太陽の色があろうと青紫という色は絶対に有り得ない。青い薔薇と同じ矛盾。館の天井に描かれている太陽にはいったいどのような意図が隠されているのだろうか。

 考えれば考えるほど。見つめれば見つめるほど、僕の視線は青紫の太陽に絡め取られていく。蛇に睨まれているようなひしひしと太陽の視線を感じ、僕もそれに応えるようにじっと太陽を見つめる。

 青紫色しかない。太陽という形は段々と現実味はなくなっていき、球体の周りに絡む触手がゆらゆらと動いているように錯覚する。少しずつ青紫の太陽が近づいているようだった。紙に垂らしたインクのように僕の視界の中に染み渡っていく。

 僕はそこで青紫の奥にある世界に気づいた。じっと見つめる青紫の中に洞窟に似た奥行きがある。そこは青紫でありながら色濃く深い闇が広がっている。

 耳の奥に違和感があると思えば、それはどこか遠くの方で響く声だと気づいた。それが少しずつ近づいてくる。まだ何をいっているか分からない。

 青紫の濃い闇がもぞもぞと動いている。魚の卵のようにひしめき合っている何かがゆらゆらと蠢いている。その突起物のひとつひとつに目と口があった。線を細く書いたような目と口が不規則に開いて閉じる。曲がって伸びる。

 くぐもった音が次第に鮮明になっていく。遠くではくちゃくちゃとささやくような音だったが、次第に多くの人間が話しあうざわつきにも聞こえた。そして次第にその声はカエルが合唱をしているざわつきにしか聞こえなくなった。

 青紫をした洞窟の中を必死で見て回る。ふと、洞窟の壁にこびりつく突起物が、こちらを見つめていることに気づいた。すべての突起が怪しく光る二つの目をこちらに向けていた。細かった口が開きけらけらと大きな口を開いて笑っている。上も下も関係なくぞわぞわと突起物は餌を待つ雛のようにこちらを見て騒いでいる。

 誘うように僕に向かって喚いていた。

 ようすきあうふぐふぐふと。

 まるで歌うように幾重にも重なって聞こえる。はっきりとそう言っているのが分かった。

 ようすきあうふぐふぐふと。

 異様にはっきりとその言葉聞こえてくる。他の声は重なり不鮮明であるにもかかわらず、一つの声だけまるですぐ側でささやかれているように聞こえる。

「ようすきあうふぐふぐふと」

 それが自分の口から発せられたものだと気づいたとき、喉を引き裂くような声にならない悲鳴がこみ上げてきた。


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