6話
朝のダイニングは、再び異様な空気に包まれていた。セフィリアは目の前の椅子が空なのを見て、壁に控えた侍従長を見上げた。彼は気まずそうに目を逸らす。
「陛下は?」
「気分が優れず、朝食はいらないと仰っていました」
「なるほど……」
セフィリアがじっと侍従長を見る。侍従長は気まずそうに視線を逸らした。変な沈黙がダイニング中に満ちる。全員が固唾を飲んでセフィリアの動向を窺った。
「分かりました。陛下にはご自愛ください、と伝えてくださいね」
あからさまにホッとした顔をした侍従長を見送り、セフィリアは朝食に手をつけた。広い食堂に、食器の触れ合う音がする。
セフィリアは空っぽの向かいの席を見つめた。結婚生活の中で食事だけは一緒にしてきた。思いのほか、寂しい思いが胸にこみ上げてきたりする。
「……セフィリアさま……!」
食事をするセフィリアの背中が寂しそうに見えて、エリサの胸に熱いものが沸き起こる。だが、次のセフィリアの言葉に、その思いも一気に冷めた。
「次なる作戦を考えなくては……」
まだ諦めていなかったのか。この場に居る全員がそう思った。
セフィリアはサラダを咀嚼しながら昨日のルシアンの様子を思い返す。昨日の様子を考えると、用意した絵姿や調査書に目を通すことをしないだろう。ならば、他の方法を考えなくては。
さて、どうしようかな。そう思って、ふとあることを思い出した。
「侍従長、」
「はい? 何でしょうか?」
「確か来週に舞踏会を予定してましたね?」
セフィリアの言葉に侍従長がおっかなびっくり頷くと、セフィリアの顔が嬉しそうにほころんだ。一瞬、侍従長の顔が引きつる。
なんて素晴らしいタイミングなんでしょう。これぞまさに天の采配。
「それが、何か……?」
「いいえ。招待客のリストができたら見せてくださいね」
そう言って微笑むセフィリアに、侍従長は黙って頷いた。
セフィリアは早急に上がってきたリストを確認する。招待客には見慣れた名前が並んでいた。まぁ、予想通り。
考えながらセフィリアは何人かの名前をリストに書き込んだ。それから侍女にリストを侍従長の元に持って行かせる。その背中をエリサは何とも言えない顔で見送った。
「今度は何をしたんです?」
背後を振り返れば、満足そうなセフィリアの姿。昨日のルシアンの激昂を考えると、エリサの胸の中には悪い予感しか起きなかった。
行動力ばかりあるのだが、どうしてこんなにも見当違いなのだろうか。第一、昨日ルシアンがあんなに怒っていたのに、セフィリアはちっとも堪えた様子がない。それがまた恐ろしい。
「また陛下が怒りますよ?」
「今は怒っていてもいずれ分かります。私のしていることが正しいと」
そうだろうか。離れたところで剪定をしていた庭師も含め、全員が疑問を抱いた。感謝するどころかまた怒ると思うのだが。
セフィリアは花壇に咲き誇る花々を眺めながら、今後の計画を綿密に考える。
「舞踏会に何を仕組んだんですか?」
「仕組むなんて……。ただ出会いを増やしただけです」
そう言ってセフィリアはにっこり笑う。セフィリアがしたのは貴族のご令嬢の名前を書き込んだだけ。ただし先日、届いた調査書と絵姿を眺めながら、吟味に吟味を重ねた方々ばかりだが。
どの方も素晴らしく教養のある人たちで、おまけに容姿も整っている。陛下の好みが分からなかったのが残念だが、おかげで色とりどりの方を揃えることができた。
「陛下の気に入る方が居るといいのですが……」
「……どうでしょうね」
物憂げな溜め息をこぼすセフィリアに、もはや説得することを諦めたエリサ。一度走り出した馬――セフィリアとも言う――は誰が言っても止まらないだろう。
紅茶のおかわりを用意し、エリサはただひたすらに祈る。
無事に舞踏会を終えますように。
◇ ◆ ◇
セフィリアに計画などまったく察知できていないルシアンは、執政室でひどい頭痛に悩まされていた。執政室にはルシアンのうめき声が響いている。
「無茶な飲み方をするからですよ。おまけに寝てないんでしょう」
「お小言はやめろ。余計に頭痛がひどくなる……」
呆れ顔で説教するラウルから顔を背け、ルシアンは溜め息をこぼす。その息がまだ酒臭いことに気づき、再びうんざりとした気持ちになった。
久々に大量の酒を飲んだ。頭痛でひどい眩暈がする。寝れなかったのも辛い。
「なんで執政室のソファーで寝てたんですか?」
「……寝室に戻る気力がなかったんだ」
嘘だった。ラウルが戻ってすぐ、ルシアンも飲むのを止めた。酔っ払っている自覚はあったが、動けないほどではなかった。ほんの少し酔いを冷まして部屋に戻るつもりだった。――最初は。
ただ一人になると、考えずにはいられなかったのだ。セフィリアが言った言葉の意味を。セフィリアが行おうとしていることを。
突然側室を持て、と言い出したセフィリア。その行動理由はさっぱり分からないが、本気だというのは嫌というほど理解した。ルシアンも本気で抵抗しないと、明日にも側室が王宮に来ているかもしれない。
「ある日突然、見知らぬ女がセフィリアによって紹介されるんだ。……悪夢だ」
すっかり項垂れた己の主に、ラウルは思わず目元を取りだしたハンカチで拭う。あぁ……これが大国エスパドールの国王だなんて。
「この国を潰すにはセフィリアさまが一人いらっしゃれば十分ですね」
笑えなかった。現にルシアンはセフィリアに翻弄されっぱなしだ。
頭が痛い。こればっかりは二日酔いだけが原因ではないだろう。
「なんで妻に浮気を勧められるんだ」
「本人に言ってください」
「妻が恐い……」
「世の恐妻家の気持ちが手に取る様に分かったでしょう」
世の恐妻家だってこんな思いをしていないはずだ。ルシアンはふて腐れながら机に突っ伏す。自分の妻が何を考えているか分からない、とは思っていないはずだ。
昨日の楽しそうなセフィリアの様子がルシアンの目に焼き付いている。あんなに楽しそうなの、久しぶりに見た。側室相手を選ぶためだと考えたら、どうしようもなく複雑だが。
「どうにかして諦めさせないと……」
「その前にセフィリアさまとちゃんと会ってください」
ラウルの正確な指摘に、ルシアンは黙った。
セフィリアがルシアンの元に嫁いできて二年。大きな波もなく今までやってきた。このまま穏やかに過ごしていけると思っていた。
「……いや、まだ間に合う」
駄目にはさせない。というかさせるものか。こんな形でセフィリアを失うわけにはいかないのだ。
――やっと、手に入れたのに。
「まずはセフィリアさまとしっかり話し合ってくださいね」
「……はい」
汐らしく頷くルシアンに、ラウルがにっこり笑った。