3話
妙な肌寒さを感じてルシアンは目を覚ました。薄明かりに浮かぶのは静かな寝室だ。カーテンの向こうはまだ暗く、夜明けには程遠いらしい。
肌寒さから振り返れば、隣に眠るセフィリアはずいぶんと遠いところに寝ていた。彼女は今にも落っこちそうなほど、ベッドの縁へ寄っている。
セフィリアが向こう側に寄っているので、二人の間には隙間ができていた。それがベッドの中の熱を逃がし、ルシアンに少しの肌寒さを与えていた。
「またか……」
ルシアンは身体を丸めるようにして眠るセフィリアに小さく苦笑を漏らした。それから落ちそうなほど端によるセフィリアの身体を、起こさないように注意しながらゆっくり引き寄せる。
まるで幼い子供のようなあどけない寝顔に思わず頬が緩む。小さくなる肩に上掛けをしっかりかけてやり、その寝顔をぼんやりと眺めた。
昼間のセフィリアは「正妃」という立場からか、妙に大人びた態度を取る。だけど寝ているときのセフィリアは年相応の、ともすれば幼い顔をしていた。その寝顔が幼いころのセフィリアを思い出させる。
ルシアンがセフィリアに出会ったのは、父に連れられて行ったレナヴィスト公爵家のカントリーハウスでだった。当時のセフィリアは母親の足元にくっついている小さな子で、初めて見たルシアンを警戒しながらも興味深そうに見つめていた。
あれから長い年月が経ち、彼女は自分の妻としてこの場に居る。
王位を継ぐと同時に、レナヴィスト家の次女であるセフィリアを正妃に迎えた。それは周囲を驚かせたようだったが、セフィリアが国内屈指の大貴族であるレナヴィスト公爵家の出身であり、何よりルシアンが彼女を強く望んだので受け入れられる結果となった。
俗に言う幼馴染みという関係であるせいか、二人の間には結婚後初々しさはなかった。それでもやっぱり幼馴染みという気安さから、穏やかで慎ましい結婚生活を送っている。少なくともルシアンはそう思っていた。
「なんで側室なんて……」
結婚生活に不満でもあったのだろうか。今さら、この結婚に嫌気がさしたのだろうか。
昔はルシアンを名前で呼び、飾らない穏やかな笑顔で微笑みかけてくれたセフィリア。今は尊称しか口にせず、笑顔も貼り付けられたようなものばかり。
かつてはあんなに近かった二人の距離は、結婚してから広がるばかりのようだ。そう考えてルシアンはまた落ち込む。
「んっ……」
無意識にセフィリアを抱き寄せれば、苦しかったのか胸の中でセフィリアが小さく身をよじる。それを見てルシアンはセフィリアから身体を離し、少し躊躇ってから、その白い額に軽く己の唇を押しつけた。
もう一度上掛けがかかっているのを確認し、ルシアンはベッドから這い出る。眠気はとっくにどこかへ飛んでいってしまっていた。仕方なく、サイドテーブルに置いたままの書類を手に、寝室を出ようとする。
部屋を出る直前、もう一度ベッドの中で眠るセフィリアを振り返る。その目がしっかり閉じているのを確認して、今度こそルシアンは寝室を後にした。
◇ ◆ ◇
セフィリアはカーテンを開ける音で目が覚めた。薄く目を開ければ、カーテンを束ねるエリサの姿を見つける。隣を見ればそこはすでにもぬけの空。
「陛下は……?」
「私が部屋に入ったときにはすでにいらっしゃいませんでしたが……」
「……そうですか」
すっかり冷たくなったシーツにまたか、と思う。それと同時に仕方のないことだとも。心配そうにこっちを見てくるエリサに微笑み、セフィリアはベッドから出た。
「着替えます。準備してくれますか?」
「はい。すぐに」
隣室に消えたエリサの後を追いかけるようにセフィリアも寝室を出る。当然、そこにルシアンの姿はなかった。この分だとすでに執政室の方に行っているのだろう。
セフィリアは用意されてあった洗面具で顔を洗い、エリサが用意したドレスに袖を通す。すぐに他の侍女たちがやってきてセフィリアの髪を整えてくれた。
丁寧に梳る侍女たちを、セフィリアはぼんやりと見つめる。最高級品に身を包み、贅沢な暮しをしている。それでも鏡に映る自分は「地味」なままで。それはルシアンの隣に並ぶとより際立ってるように思えた。
平凡であることはもはやどうしようもない事実だ。そんなことはとっくの昔に受け入れているし、セフィリア自身が一番よく分かっている。
「できました」
言われて再び鏡を見れば、やっぱり地味な自分がそこに居る。そのことに今さらがっかりしてもしょうがない。セフィリアは自分の顔が映る鏡から目線を外し、部屋から出た。食堂にはすでにルシアンが席について待っていた。
容姿の整った、美しい自分の夫。彼は自分を妃に望んだ。周囲が他の縁談を用意しても、決して譲らないほど強く。
でもセフィリアは知っている。彼がどうして自分を妃に望んだかを。
「セフィリア?」
入口に立ったまま入ろうとしないセフィリアに、ルシアンが怪訝そうな顔をする。その顔を見つめて、セフィリアは微笑んだ。
――絶対に素敵な側室を見つけ出しますからね。
改めてセフィリアは固く誓う。己の夫が、そんなことはまったく望んでいないとは夢にも思わないで。