1話:正妃さまの秘密の計画
その日の午後、中庭で開かれるお茶会に王は姿を現さなかった。セフィリアはその報告を静かな面持ちで受ける。
「陛下はいらっしゃらないんですか?」
「はい。政務が忙しく、時間が取れないと言っておられました……」
それが嘘であるということは、この場に居る全員が気づいている。今朝の王の逃亡っぷりを見れば、セフィリアと顔を会わせたくないと思ったのだろう。
侍従はびくびくしながらセフィリアの言葉を待った。引きずってでも連れてこいと言われたらどうしよう、などと考えながら。
しかしセフィリアはにっこり微笑んで「そうですか」と言っただけだった。そのことに侍従は安堵する。
「分かりました。陛下には仕事を頑張るように伝えてくださいね」
明らかにホッとした表情の侍従を見送り、セフィリアはすっかり温くなった紅茶を口に含む。思い出すのは取り乱した今朝の王の姿。
どうせお茶会には来ないだろう、と思っていたので予想通りの展開だ。紅茶を飲みながら、セフィリアは今朝の出来事を思い返す。
側室を持て、と言った瞬間、王は目に見て分かるほど動揺していた。てっきり喜ぶと思ったのだが。
理由が分からないセフィリアはただ不思議そうに首を傾げる。
「なぜ怒ったのでしょう?」
「普通は怒ります」
飲み干したカップを置きながら悩ましげに溜め息をこぼすセフィリアに、お代わりを注いでいたエリサが呆れたような顔をする。セフィリアは意外な思いで自分の側付き侍女を見上げた。
「なぜ? 正妃が側室を持っていいと言ったのだから堂々と持てるでしょう?」
「そうではなくてですね……」
「まさか私に遠慮してるとか……?」
真剣に悩み始めるセフィリアにエリサは頭が痛くなる思いだ。
王が怒ったのは正妃が「側室を娶れ」などと言ったからだ。まさか自分の正妃がそんなことを言うとは夢にも思わなかっただろう。実際、エリサだって思わなかった。
そんな言葉を正面から受け止めた時の王は、まさに顔面蒼白で茫然自失といった状態だった。
「陛下もあのように仰っていたのですから、側室のことは考え直したらいかがです?」
王は側室など考えたこともないだろう。あの驚きっぷりを見れば、それは火を見るよりも明らかだ。しかし、セフィリアは納得できないのか、いまだに難しい顔のまま黙り込んでいる。
確かに正妃の立場であるセフィリアが、側室を促すというのはまずかったような気もする。しかし、これも長い目で見れば必ずや王の――ひいては国のためになる。だからこそ、王が拒否したくらいで頓挫にするつもりはなかった。
「私に遠慮しているとしたら、その必要はないと説明しなくてはいけませんね」
「だから陛下は遠慮しているわけでは……」
「陛下には素晴らしい愛妾を手にしていただかなくては!」
変に闘志を燃やす己の主に、エリサは説得することを諦めた。たとえ言っても彼女には何も耳に入らないのだろう。
エリサはお代わりを用意しながら、最近の二人について思い返してみた。
取り立てて大きな問題があったようには思えない。いったい、何を思って側室などと言い出したのだろうか。
悩むエリサと考え込むセフィリア。やがてセフィリアが「そうだわ!」と言って手を叩いた。
「どうしたんですか?」
「思いつきました!」
「何を?」
紅茶の入ったティーカップを差し出しながら、エリサが尋ねる。セフィリアは穏やかに、それでいて実に晴れやかな笑顔をエリサに向けた。
「陛下に愛妾を取っていただく方法です」
◇ ◆ ◇
その頃。エスパドール国王であるアルフレート=ルシアン・エスパドールは執政室で頭を抱えていた。すっかりうなだれたその姿に、ラウルは思わず忍び笑いを漏らした。
それが聞こえたらしいルシアンは恨みがましい目で彼を見上げる。それがまたラウルの笑いを誘った。
「……笑い事じゃない」
「失礼しました。つい、面白くて」
まったく悪いとは思っていないその言葉にルシアンはますます膨れた。
面白くない。断じて面白くなどない!!
朝、己の正妃であるセフィリアから言われた衝撃の一言。まさか「側室を娶れ」などと言われるとは露ほどにも思っていなかったルシアンは、最初悪い冗談だと思った。
だがセフィリアの顔は真剣そのもの。おまけにいっこうに訂正の言葉がない。そこに思い至ってようやく事態が深刻なものだと悟った。
「側室だと? 冗談じゃない。絶対に俺は娶らないぞ」
一人で呟くルシアンに、ラウルは一つ溜め息をこぼす。この状況、普通なら喜ぶべきところのような気もする。なんといっても妻の許しが出ているのだから。言わば、公認というやつだ。
そう指摘するが、ルシアンは不機嫌に顔をしかめるだけ。ルシアンからしてみれば、ありがた迷惑というやつだ。側室など望んでいないのだから、余計な気など回して欲しくはない。
「ですがどうして急に側室なんて仰ったんでしょうね……。何かありました?」
問われて考えてみる。心当たりは――
「あるような……ないような……」
「どっちなんです」
目を泳がせるルシアンに、ラウルは溜め息をこぼした。そんなラウルの態度にルシアンはムッとしながらも目の前の書類に判を押していく。
取り立てて大きな問題はない。少なくともセフィリア側に都合の悪いことは起こっていないはずだ。今まで文句や不満を言われたことはないから、それは確かである。
ならばなぜ、今頃側室なのだろうか。何かそれを匂わせるような発言でもしただろうか?
「……まったく分からん」
自分の正妃なのに、考えていることはさっぱり分からなかった。それがまたルシアンを落ち込ませる。どんよりとした空気を纏うルシアンに、ラウルは軽く肩を叩いて励ました。
「まぁまぁ。陛下がきっぱり断ったんですから、セフィリア様もきっと諦めたと思いますよ」
「そうか。そうだな!……そうでなくては困るのだが……」
少しだけ元気を取り戻したルシアンに残りの書類を押しつけ、ラウルは執政室から退出する。己の執務室に向かいながら、ちらりと今出てきたばかりの執政室を振り返った。
「本当に諦めたでしょうかね……。セフィリア様はあれで結構、行動力のあるお方ですから……」
ラウルの不安そうな呟きは、もちろんルシアンには聞こえなかった。




