16話:嵐の前の静けさ
その日の夕食は、ルシアンにとって恐怖でしかなかった。セフィリアの様子を終始窺い、その一挙手一投足に敏感に反応している。
しかしルシアンの心配はよそに、セフィリアはいたって普通だった。いつも通りに食事を行い、特にルシアンを責め立てたり、新たに提案をすることもなかった。
それこそがルシアンには怖かった。セフィリアと視線を合わせることが恐かったが、その場を離れることも怖かった。
「何をそんなに脅えているんです?」
「え!?」
「食欲がないのでしたら、終わりにしたらどうですか?」
淡々と言われた一言にルシアンは息を呑み、やがて意を決したようにナイフとフォークを手に取る。食事を始めたルシアンをセフィリアはちらりと見て、何も言わず食事を続けた。
会話のない食事に、ルシアンも侍従も給仕係も言いようのない緊張感を覚える。やがてセフィリアが食事を終え、視線を上げた。そしてルシアンをまっすぐに見つめる。
静かなまなざしで見つめられ、スープを口に運んでいたルシアンはスプーンを口にくわえたまま固まった。
「陛下、週末に舞踏会は予定通り行いますか?」
「へ? そのつもりだが」
「最初から出ますよね? 私、支度を済ませてお部屋に向かいますから待っていてくださいね」
一瞬、ルシアンは何を言われたのか分からなかった。それでもにこにこと笑っているセフィリアを見て、ルシアンの頬も緩む。
久しぶりに邪気のない、年相応の笑顔を見た気がする。それを嬉しく思うと同時に一抹の寂しさも感じた。
昔はもっとお互いに穏やかで近い距離にいた。無邪気な笑顔を向けられ、それを受け取る喜びを常に感じていた。最近では、ルシアンには型どおりの笑顔しか見せてくれなくなったが。
「新しいドレスを作ったらどうだ?」
「なんです?」
「最近、宝飾品やドレスを作ったりしていないだろう。新作なんかを作ったらどうだ?」
気分が乗ってルシアンがセフィリアに提案すれば、セフィリアが目を丸くする。そういえばずっとドレスなんか作ってなかった。宝飾類も買ったりしてない。
でもセフィリアはそれらを特に欲しいとも思わなかった。元々着飾ることにそんなに興味がないセフィリアは、新しいものを作る必要性を感じない。だから淡々と「いらないわ」とだけ返した。
「どうして? 欲しくないの?」
「えぇ。いっぱいあるし」
そう言ったらルシアンだけでなく控えているエリサもしょんぼりというような表情をした。その理由が分からないセフィリアはきょとんとするばかりだ。
セフィリアは自分のことに興味がないので、セフィリアの身の周りのことをしているのは、エリサを初めとする侍女たちだった。それでも必要最低限のことしかさせてもらえなかったので、エリサたちは非常につまらない思いをしている。
「また作ればいいのに……」
「足りてるもの」
「新作とかさ」
「必要性を感じないもの」
セフィリアのさっぱりとした言葉にエリサだけでなくルシアンもがっくりと肩を落とすのだった。がっかりした理由が、セフィリアにはやっぱりわからなかった。
食事を終え、ルシアンは執務室へと戻る。セフィリアは離れて行くルシアンの背中を見送り、部屋へと戻ろうとする。途中、図書室に立ち寄って本を二・三冊見繕った。
部屋に戻って湯浴みを済ませ、また髪をほったらかしにして寝台に上がる。布団の中に潜り込んで、ゆっくりと本を広げた。
本を広げながら、週末の舞踏会のことを考える。ふふっと笑えば、寝室の扉が反対側から開けられた。
「そんなに面白い本なのか?」
ルシアンが寝巻にガウン姿で入ってくる。予期しない人物の登場に、セフィリアは固まった。おかしい。来るとしても、もっと遅いはずなのに。
「どうした?」
「早くないですか?」
つい本気で聞いたら、ルシアンも目を丸くしてセフィリアを見下ろした。それから困ったようにルシアンがベッドの縁に腰かけた。
ルシアンがそっとセフィリアの頬に手を伸ばす。指先がゆっくりと頬を撫でて、それにセフィリアは戸惑った。いつもとルシアンが違う気がする。
「何かありましたか?」
「ん? いや……」
「いつもはもっと遅いですよね」
そう言ったらルシアンが微笑んで寝台の中に入り込んでくる。慌てて横にずれれば、ルシアンがセフィリアから本を取り上げた。
そっとサイドテーブルに本を置き、寝るように説得される。なんだこれは。ちょっと怖いぞ。
常にないルシアンの様子に、セフィリアは警戒する。甘いトキメキはない。ただひたすら警戒していた。
そんなセフィリアにちょっと笑って、横になりながらセフィリアの方を向いて横になった。
「結婚してだいたい遅くにここに来てたけど、いつも起きて待ってたなぁと思って」
「それは私も本を読みたかったら……」
「うん。そう言うと思ってた」
焦ったように視線を彷徨わせるセフィリアの髪をルシアンが優しく梳く。その髪がまだ少し湿っているの見て、ルシアンの顔が少し歪んだ。
その手つきがなんだか懐かしいような気がして、セフィリアの顔がわずかに緩んだ。
昔、本当に小さかった頃。まだお互いの立場に敏感じゃなかったころに、こうやってよく撫でてもらった気がする。
セフィリアは横に寝転がるルシアンを見つめる。今となっては夫となった人。家族となった人。――不幸にしてしまったかもしれない人。
「……俺は、お前を不幸にしたのかもしれないな」
一瞬、自分が思ってたことが口に出てしまったのかと思った。思わず両手で口を押さえたら、何してんだ? って笑われた
セフィリアは話していない。と言うことは、この言葉を言ったのはルシアンということで。
セフィリアは呆然と、ルシアンのことを見た。
「不幸にしていると思ってるんですか……?」
セフィリアの言葉に、ルシアンは何も答えなかった。