14話
目の前には煌びやかな衣装を纏った淑女諸君。隣には笑顔の自分の妻。恐ろしいことに目の前に居る淑女が自分の愛人候補だと言う。しかもそれを勧めているのが自分の妻。悪夢だ。
ルシアンはセフィリアに言われるまま、隣に座っている。はっきり言って居心地が悪すぎた。
ここに居る女性は愛人になりたい、と言うだけあって誰もが自信に満ち溢れた顔でルシアンの前に立っている。愛人候補の多くが豊満な身体を見せつけるようなドレスを身に纏い、媚びるような視線をルシアンに向けた。
だが、それを見てもルシアンには何の感情も沸かない。むしろ不快感しか沸き起こらなかった。
「セフィリア、」
「どうしたんです? 気に入った方が居ましたか?」
笑顔のセフィリアに泣きたくなってきた。どうして愛人を探すのに、こんなに笑顔なんだろうか。実はやっぱり嫌いなんじゃないかな、って思ったらますます泣けてきた。
ルシアンの繊細の心は崩壊寸前である。これをラウルに言ったら失笑されるだろうな、と思いながらルシアンは自分の妻を見た。
「ちなみに参考までに聞きたいんだが」
「なんですか?」
「俺が側室を受け入れた場合、セフィリアはどうするつもりだ?」
それは常々気になっていたことだった。まさか側室と仲良く分け合う、とは言わないよな。そう思いながらルシアンは真剣な表情でセフィリアを見た。
ルシアンの質問が意外だったのか、セフィリアが少し考えるような仕草を取る。やがてゆっくりとルシアンを見つめ返した。
「公式の場では側室は出ることができません。そういった場合のみ、私は姿を現すことになると思います」
「……は?」
唐突な言葉にルシアンは面食らった。なんの話をしているのか、とセフィリアを見るが彼女は真剣な表情で考えている。
「なるべく居室とは離れたところに部屋を頂いて……陛下が望むのなら郊外の離宮で暮らしてもいいと思っています」
セフィリアは本気だった。ルシアンが側室を手に入れた瞬間、今言った全てを完璧に行うだろう。ルシアンは本能的に悟った。それどころか側室の準備も滞りなく進め、その人が気まずい思いをせずに城内入りをさせるに違いない。
足場を固められている。凄腕の軍史並みに着々と外堀を埋められ、ルシアンの額に汗が流れた。
「ちょっとこっちに来い」
無邪気に書類とにらめっこを始めたセフィリアの腕をルシアンが強引に引っ張る。ふたろはそのまま審査会場の横にある部屋へと入った。
入った途端、ルシアンがセフィリアの身体を壁際に追い詰める。自分の身体で覆いかぶさるように立ち塞がり、彼女の瞳を覗き込んだ。
「陛下?」
「止めろ。今すぐに」
「え?」
「必要ない。何度言えば、それが分かる……!?」
身を切り裂くような声がセフィリアの鼓膜を震わせた。感情を押し殺すことができなかったルシアンは、思いの限りをぶつけるように拳を壁へと叩きつける。
呆然と見上げれば、ルシアンは泣きそうな顔をしていた。そのことにセフィリアは何も言えなくなる。
「俺はいらないと言ったんだ。側室なんか必要ない、と。何度も何度も言っただろう」
「ですが……」
「他の女なんて意味がないんだ!」
ルシアンの慟哭に、セフィリアが刺されたような表情になった。思いがけないその表情の変化に、ルシアンもつい怒りを忘れる。
セフィリアは何度か口を開いたが、結局最後には口を真一文字に引き結び、消えそうな声で「申し訳ございません」と呟く。その変化に、ルシアンは戸惑った。
「おい、セフィリア――」
「先ほどの方たちには帰って頂きます。勝手をして申し訳ございませんでした」
早口にそれだけ言ってセフィリアがルシアンの胸を押す。ルシアンは黙ってセフィリアを解放した。
後を追いかけようとするが、セフィリアの背中が無言の拒否を示しているように見え、ルシアンは追いかけることはおろか、声をかけることもできなかった。
セフィリアはエリサを呼び、皆さまに帰って欲しいと伝言を頼む。張り切っていたセフィリアのあまりの変わりようにエリサは戸惑ったが言うことを聞くことにした。
エリサが候補者のみんなに謝罪するのを見て、セフィリアはそっとその場を後にする。奥庭までやって来て、誰も居ないことを確認してから大きく息を吐き出した。
「『他の女は意味がない』ですか……」
予想外にその言葉はセフィリアに重く響いた。いくらセフィリアが国内屈指の公爵家の出身であり、現国王妃であってもできないことはある。
「さすがにお姉さまを用意することはできませんね……」
花のような笑顔。文字通り社交界の宝石と呼ばれた美しい姉。本来なら、ルシアンの隣に居たのはセフィリアではなく彼女だったはずだ。
しかし姉は別の人の元に嫁ぎ、ルシアンはセフィリアを妻にした。それはルシアンの優しさからだった。
「わたくしたちの間に愛が芽生えるはずなんてありませんものねぇ」
セフィリアはルシアンに恋しているとは言えないだろう。少なくとも恋愛感情があれば、側室を当てがおうとは思わないはずだ。もちろん嫌いではない。好きか、と聞かれれば好きと応えられる自信もある。
しかし恋と友情の違いが分からないセフィリアには、その感情が恋愛から来るとは思えない。そもそもそんな風にルシアンを見たことがないのだ。
ルシアンはセフィリアの姉が好きだったのだと思う。明らかにセフィリアに対する態度と彼女に対する態度が違ったから。ルシアンが王位を継承する際に伴侶が必要だった。その時、セフィリアの姉は既に結婚していた。
ルシアンがセフィリアを結婚相手に指名したのは、二人が幼馴染みであったことも多いだろうが、セフィリアに求婚者が一人も居なかったことが関係していると思われる。セフィリアはレナヴィスト公爵家の娘でありながら、求婚してくれる男性が居なかったのだ。
ルシアンが求婚したとき、セフィリアに言った言葉を思い出す。
『結婚してくれ。幸せにする努力をするから』
その時、セフィリアは思ったのだ。ルシアンは努力が必要なのだと。セフィリアと結婚生活を送って幸せになるには努力が必要なのだと言われた気がした。
嫁の貰い手もない幼馴染み。仕方がないから引き取った。そんな風に思った。
「私は、陛下を幸せにはしてあげられません」
この二年間でセフィリアはそれを実感した。――だからこそ。
「陛下には幸せになっていただきたいのです……」