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10話


 セフィリアが浴室から戻ってきたとき、すでにルシアンが寝室に入っていた。常にない光景に、セフィリアは一瞬、固まる。


「そんなところに立ってないでこっちに来たらどうだ? 湯冷めするだろう」

「えぇ……」


 驚いた表情で固まるセフィリアを、ルシアンは手招きする。セフィリアは促されるまま、寝室に入った。ルシアンとは距離を開けてベッドに腰掛け、少し湿った髪をタオルで拭う。

 そんな仕草を、ルシアンは黙って見ていた。

 気まずい。セフィリアは背中に感じる視線に、背後を振り向けないでいた。


「……侍女たちに乾かしてもらわなかったのか? 風邪を引くだろう」

「いつもはちゃんと乾かしてもらってます。ただ、陛下がお戻りが遅いだろうと思って適度に乾いたら良いと断ってしまったんです」

「なんで」

「陛下を待って本を読んでいる間に勝手に乾くだろうと思いまして……」


 そう言ったらルシアンが呆れたような顔をした。しかし、セフィリアにとっては日常的なことである。いつもはルシアンが来るのを待っている間に自然乾燥出来ているのだ。今日はルシアンの方が先に寝室に居たが。

 なんとなく居心地の悪い思いをしながら、セフィリアは髪を拭っていく。初めは黙ってそれを見ていたルシアンは、絹糸のような柔らかそうな髪に我慢できず、つい指先でその髪に触れた。


「っ、」

「あ、悪い。なんだか気になって」

「いえ……」


 セフィリアにとって居心地の悪い空気が流れる。どうしよう。二年間一緒に寝ているが、未だにこの場所に慣れていないセフィリアは、どうすべきか迷った。

 ルシアンは機械的に髪を拭うセフィリアを見て、そっとその手を抑える。突然のことで驚いたセフィリアは咄嗟にタオルを離した。


「陛下……?」

「貸して。俺が拭く」

「でも、」

「いいから。やりたい」


 少し舌足らずなのは酔っているからだろうか。結局セフィリアは断り切れず、タオルを渡して背中を向ける。ルシアンは満足そうな顔でセフィリアの髪に手を伸ばした。

 ルシアンの細くて、それでいて骨ばった手がセフィリアの髪を梳く。思いがけず優しいその手つきに、セフィリアは自分の顔が赤くなるのを感じた。


「髪、細いな」

「そうですか?」

「それに柔らかい。そう言えば昔、髪が絡まるって言ってたな」


 ルシアンの何気ない一言にセフィリアは驚く。確かに言った。ずっと昔、まだセフィリアがレナヴィスト公爵家のカントリーハウスに居たころのこと。正直、ルシアンが憶えているとは思わなかった。

 ルシアンの両手がセフィリアの髪を優しく拭っていく。その優しい手つきに、セフィリアは急速に眠くなるのを感じた。


「セフィリア? 眠いのか?」

「……いいえ」

「嘘言うな。今日の舞踏会で疲れたんだろ?」


 確かに疲れた。ルシアンが気に入る側室候補は居るのだろうか、とそればっかりが気になった。おまけに貴族たちの追従も笑顔で聞いていたのだ。精神的に疲れた。

 だがそれはルシアンも同じこと。特に貴族たちの媚びへつらいは彼の方が酷かっただろう。

 しかしルシアンはそんな様子は微塵も見せず、柔らかく笑いながらセフィリアの髪を撫でた。


「陛下もお疲れでしょう。先にお休みになってください」

「いや、もう少しセフィリアと話したい」


 思いがけない言葉に、セフィリアは向こうを向いたまま固まった。ルシアンにそんなことを言われたのは初めてだった。

 変に緊張してしまい、嫌な汗が出る。せっかくお風呂に入ったのに意味がなくなってしまったような気がした。


「話、ですか」

「そう。まずは側室のこと」

「気に入った方が見つかったんですか!?」

「違う。そういうことはしなくていいから。っていうかするな」


 ルシアンの声が真剣なものになる。思わず後ろを振り返れば、こちらを見るルシアンの瞳と目が合った。セフィリアの鼓動が大きく跳ねる。

 ルシアンの手がセフィリアの頬を撫でた。その感触にセフィリアは動けなくなる。


「不満があるなら言ってくれ。出来る限り改善するように努力するから」


 その言葉に、セフィリアは泣きそうになった。ルシアンが誠実な気持ちで言ってくれていることが分かるだけに、何も言えなくなる。

 セフィリアはルシアンのためを思っているのに、ルシアンはそれを止めろと言う。セフィリアが何かをすればするほど、ルシアンには重荷にしかならないのだろうか。


「セフィリア?」

「不満なんてありません。陛下は良くしてくださってます」

「じゃあなんでこんなこと……」

「陛下は、」


 詰め寄ろうとするルシアンを、セフィリアは遮る。常にない切羽詰まった様子に、ルシアンは目を丸くする。


「え?」

「不満ないんですか? 私に」

「……セフィリアに?」

「そうです。ないんですか? あるなら全部ぶちまけてください」


 そう言ってセフィリアはルシアンに身を乗り出す。ルシアンは思わず身を逸らせた。

 セフィリアに対する不満? そんなものあるはずがない。強いて言うなら今の側室騒ぎくらいだ。他に上げるとすれば――。


「っ、」

「陛下? 顔が赤いですが」


 悩んでいたルシアンは急に顔を赤くしてあたふたし始めた。セフィリアが不思議な顔をして顔を覗き込めば、ますますルシアンの顔が赤くなる。


「どうしたんです?」

「なんでもない! 何でもないからこっちに来るな!」


 ルシアンに力いっぱい拒否され、セフィリアの顔が思いっきり歪む。まずい、と思ったが今さら言った言葉は引っ込まない。

 急速にセフィリアの周りの空気が冷えていった。目が思いっきり据わっている。


「そうですか。失礼しました」

「セ、フィリア?」

「寝室も出て行った方がよろしいですか? 邪魔なようですから」


 そう言って本当にセフィリアが出て行こうとするので、ルシアンは慌てて引き留めた。ベッドから足を降ろすセフィリアを、背後から抱き抱えるようにしてベッドに引き戻す。

 隣にセフィリアを寝かし、肩まで掛布を引き上げた。


「出て行くことない。ここで寝ろ」


 そう言ってセフィリアの隣にルシアンが潜り込む。子供を寝かしつけるように肩を叩くので、ますますセフィリアの顔が不満そうに膨れる。


「……陛下」

「なんだ?」

「……本当にないんですか?」


 それが何を指すのか分かったルシアンは安心させるように微笑む。


「何もないよ、セフィリアに不満なんて」


 だから安心して寝なさい、と囁くルシアンに従ってセフィリアは素直に目を閉じた。それに安心したのかルシアンもセフィリアの隣に横になる。

 静かな眠りが忍び寄る中、セフィリアは自分の胸にぽっかりと穴が開いたのを感じた。それから心の中で自嘲気味に笑う。

 不満を言え、なんて言ってみたけど、ルシアンが言うはずがないのだ。だってルシアンは優しいから。決して不満など言ったりしないだろう。

 言ったら今までの全てが崩れること知っているから。だから彼は口をつぐむ。そして不満を全て胸に溜め込むのだ。


「言うはずがありませんよね。――お姉さまが好きだったなんて」




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