第2章 保護局の美女と、あり得ない世界
タケルはベッドの上で固まったまま、凛の言葉を何度も頭の中で繰り返していた。
男性保護局。
明日香村山越が存在しない。
「……もう一度、ゆっくり説明してくれ」
タケルは声を絞り出した。
喉が渇いていた。
ベッドサイドの自動給水器が、音もなく透明なコップに水を注いでくれる。
凛はそれを軽く受け取り、タケルに手渡した。
彼女の指先が一瞬触れただけで、タケルは少しドキッとした。
(……こんな美女に触れられただけで動揺する俺って、相当ヤバいな)
凛はホログラム端末を空中に展開し、淡い青い光の地図と統計グラフを投影した。
グラフはゆっくり回転しながら、男性人口の割合を赤と青の棒で示している。
赤い棒が極端に短い。
「まず、あなた方がこの世界で『未登録』である理由からお話しします。
この世界では、男性の出生登録は100%義務化されています。
出生と同時に自動的にデータベースに登録され、生涯追跡されます。
それなのに、あなた方三人の記録が一切ない……これは、異常事態です。
政府ではこうした現象を『ジン・パーティクル』、通称『宇宙の落とし子』と呼んでいます。
突然、未登録の人間が現れる超常現象で、過去に数例しか確認されていません。
あなた方のような家族単位のケースは、前例なし……まさに奇跡です」
タケルはベッドの端を握りしめた。
「ジン・パーティクル……? つまり、俺たちはこの世界の人間じゃねぇってことか?」
頭が混乱する。
菜摘の言葉がよみがえる――「疑うことも大事だよ」。
今は、疑うどころか、すべてが信じがたい。
でも、双子は無事だ。
それだけが現実だった。
凛は頷いた。
「そうです。あなた方が『ジン事象』であることを前提に、この世界の常識をお話しします。
ここは、男性人口比が1:30の社会です。
男性は全体の約3.5%しかいません。
だからこそ、男性は『国家の貴重資源』として保護されます。
男性保護管は、位置情報・健康監視・接近警報を備えたデバイスです。
18歳未満は特に義務付けられ、女性からの強引な接近は重罪になります」
タケルは息を飲んだ。
「男性が……1:30? そんな馬鹿な……」
凛は静かに続けた。
「でも、この偏りは社会的に『自然』と受け入れられています。
ライオンの群れではオスが1頭に対してメスが複数いるのが普通ですし、
古典の『源氏物語』でも、主人公は多くの女性を愛していました。
生物学的・文化的に、当たり前のことです。
ただ、男性が貴重なことに変わりはなく、保護法が厳格です。
貞操観念は完全に逆転しています。
女性が積極的で、男性は慎み深く守られる側……それが常識です」
タケルは言葉を失った。
その時、ドアがスライドして開き、若い看護師がバイタルチェックの機器を持って入ってきた。
彼女はタケルの胸元を見て、目を輝かせた。
管を外しながら、指先でタケルの腹部を軽く撫でる。
明らかに、検査のためではない触り方だった。
指が腹筋の溝をなぞるように動き、ゆっくりと大胸筋の下まで滑る。
「わあ……患者さん、胸板すごいですね! でかい胸! 絶対腹筋割れてるでしょ♡
触ってみたい……あ、管外し終わりましたよ。動いても大丈夫です!
……本当、すごい体……」
タケルは一瞬固まった。
(なんか、やらしい触り方だな? ……でも、検査中だからか?
ラッキースケベってやつか? いやいや、こんな状況で何考えてんだ俺は……)
凛が即座に割って入った。
「ちょっと待ってください。
男性へのそういった発言と接触はセクハラに当たりますよ。
保護法第12条、性的対象化発言および身体接触の禁止です。
すぐに部屋を出てください」
看護師は慌てて手を引き、頭を下げた。
「す、すみません! つい……珍しい男性患者さんで興奮しちゃって……」
彼女は赤面しながら機器を片付け、すぐに部屋を出て行った。
タケルはまだ呆然としていた。
「……今の、何だったんだ? 腹筋撫でられて……」
凛はため息をついた。
「この世界では、女性が男性の体を『エロい』と想像するのは日常茶飯事です。
男性が少ない分、女性の欲求が強いんです。
だからこそ、保護法が厳格に適用されます。
……申し訳ありません。あなたが不快に感じたなら、すぐに報告します」
タケルはようやく口を開いた。
「……俺たちの世界じゃ、そんなことねぇよ。
男女比はほぼ均等だ。
セクハラをするのは主に男性側だし、男だけで生活していてもおかしくねぇ。
俺みたいに、妻を亡くして子供二人と三人で暮らしてるのも普通だ。
誰も『守られる側』なんて言わねぇし、女性がこんな積極的に体を触ってくるなんて……あり得ねぇ」
凛の目が少し広がった。
「男女比が均等……? セクハラが男性から……?
それは、まるで逆の世界ですね。
ジン・パーティクル事象で、別世界から来た可能性が高いです。
あなた方の存在は、政府としても極秘調査対象になります」
タケルはベッドの端を握りしめた。
「つまり……俺たちは、違う世界に来ちまったのか」
現実味が湧いてくる。
菜摘のいない世界で、双子を守ってきた。
今度は、この異常な世界で……。
胸が締め付けられるように痛んだ。
凛は頷いた。
「そうです。まずは落ち着いてください。
保護局が全力でサポートします。
では、お子さんたちをお連れします」
ドアが開き、中年の女医がヤマトとムサシを連れて入ってきた。
女医は双子を優しい眼差しで見つめ、まるで宝物を見るように微笑んでいる。
その視線は、ただの医者というより、深い慈しみに満ちていた。
「ヤマトくん、ムサシくん。お父さんのところに行っていいわよ」
ヤマトが真っ先に走り寄り、強がりながらも得意げに言った。
「ムサシってば、お父さんに聞かずに、オヤツ貰っちゃったんだよ?
チョコレートみたいなの! すっごく甘かった!」
色白の顔が少し青ざめていたが、笑顔で自慢している。
ムサシも続いて駆け寄り、 タケルのベッドに飛びついた。
「パパ……! 看護師のお姉さんたち、優しかったー!
お水くれたり、頭撫でてくれたり……」
色黒の頰に涙の跡が残っているのに、目は好奇心で輝いている。
タケルは二人を強く抱き寄せた。
「大丈夫だ。パパがいる。絶対に守るから」
双子を交互に頭を撫でながら、繰り返した。
「生きてるだけで丸儲けだろ? 俺たちは三人で、どんな世界でも生き抜く」
女医はベッドの横に立ち、優しい眼差しで三人を見つめていた。
「本当に……珍しいわね。双子の男の子だなんて」
彼女は小さく呟いた。
「この世界で双子の男児は、10,000回に1回あるかないか……。
0.05%以下よ。奇跡みたいな存在だわ」
凛が女医に軽く会釈した。
「ありがとうございます。では、続きを……」
タケルは双子を抱いたまま、凛を見た。
「で、どうなるんだ? 俺たちは……」
凛はホログラム端末に奈良県の地図を投影した。
「このままでは危険です。
奈良県内で保護施設を提供します。
明日香村近辺に適した古民家型施設があります。
生活支援、教育、警護はすべて無償です。
明日退院後、移送します」
タケルは少し迷ったが、双子の頭を撫でながら頷いた。
「……わかった。子供たちのために、この世界のルールに従う。
でも、俺たちは家族だ。誰にも邪魔させねぇ」
凛は静かに微笑んだ。
「了解しました。よろしくお願いします、タケルさん」
女医が優しく双子に声をかけた。
「もう少し休んでから、お父さんと一緒に帰りましょうね」
その眼差しは、まるで失われた宝物を見つけたような、深い愛情に満ちていた。
タケルは窓の外を見た。
廊下を歩く女性スタッフばかり。
遠くの街並みも、女性の姿が圧倒的に多い。
心の中で、菜摘の顔が浮かんだ。
(菜摘……この世界、どうやって生きていくんだ……)
双子がタケルの手を握り返す。
「パパ、一緒にいるよ」
凛が静かに部屋を出る背中を見送りながら、
タケルは小さく息を吐いた。




