第10話
宮殿の回廊を歩いていると、遠くから蒸気の音が聞こえてきた。
配管を流れる圧力音と、歯車の噛み合う規則的な振動。石と機械でできたこの城は、静かなのに落ち着かない。
「……外、行きたいな」
思わず漏れた独り言だった。
「承知しました」
即座に返ってくる声。
隣を見ると、リョウカがいつも通りの顔で立っている。
「視察という形であれば問題ありません。段取りを組みます」
そこから先は、正直よく覚えていない。予定が組まれ、移動手段が確保され、人員が決まり、気づけば「翌日出発」という話になっていた。
翌日。宮殿の外、蒸気車の前に向かうと、すでに数人が集まっていた。
「おはようございます、将軍!」
ミオが元気よく頭を下げる。
その隣にリョウカ。
ここまでは想定内だ。
「将軍様、今日は外出やって聞きましたけど」
サラとミサキが、当然のようにそこに立っていた。
「……シノミヤ局長も同行されるのですか」
「そらそうですやん。将軍様の動向を把握するんも、情報局の仕事やしね」
軽い口調だが、内容はもっともだ。
「……妃も一緒なんですね」
「はい。ご同行いたします」
いつも通り完璧なお辞儀。
「今日は堅いのなしでいきましょ。無礼講にしときましょか」
「……は?」
「外出ですし。どうぞサラちゃんって呼んでくださいな」
「サ……サラちゃん?」
思わず復唱してしまう。
その瞬間、空気が一段冷えた気がした。
車に乗り込む
左にミサキ。窓の外を見てこっちを向いてくれない。
正面にはリョウカとミオ。こちらもアキトの方を向いてくれず、お互いに別の方向を見ている。これは先ほどの発言以外にも理由がありそうだ。
そしてそうなると…… 当然のようにサラが右隣に座ってくる。
蒸気車は高鳴る心臓の音とは裏腹に低い音を立てて動き出た。
金属の車体がわずかに震え、歯車が噛み合う感触が床越しに伝わってくる。
窓の外では、首都の街並みがゆっくりと後ろへ流れていった。
外壁に露出した歯車を組み込んだ建物。
通りを走る小型の蒸気機関。
頭上には配管とワイヤーが張り巡らされ、白い蒸気が断続的に噴き上がっている。
どこを見ても、機械と人が一緒に生きている街だ。
通りを行き交う人々を眺めていて、ふと気づいた。
「……」
考えるより先に、独り言みたいに口をつく。
「女性と子供、多いな」
一瞬だけ、車内が静かになる。
サラは読んでいた報告書をパタンと閉じると、すぐに頷いた。
「男の人らはほとんど軍役に出てますし、どうしてもねぇ」
「ああ、なるほど」
本当は、知らなかった。
でも、ここで「知らなかった」と言うのは違う。
将軍として、分かっているふりをして頷く。
「街の雰囲気も、自然とこうなりますやんか」
納得したところで、サラがこちらを見て少し首を傾げた。思わず顔を赤らめてしまう。
「あのシノミヤ局長……」
「ん〜?」
「何か御用でしょうか?」
「……あかんわぁ。サラちゃん、やんか」
言われて、はっとする。
思考が追いつかない。
サラは満足そうに頷ずき、
わざとらしく、ぱん、と手を叩いた。
「ほな、せっかくですし」
完全に場の主導権を握られた。
「楽しい質問の時間に、しましょか」
身構える間もない。
「まずは軽いところから」
サラは楽しそうだ。
「将軍様、好きな女性のタイプは?」
一瞬、頭が真っ白になる。
(タイプ……?)
考えたことが、ほとんどない。
そもそも、そんな話題に縁がなかった。
黙り込んでいると、サラが首を傾げる。
「……お考え中です?」
「いや」
違う。考えているふりをしながら、必死に答えを探しているだけだ。
「……明るくて、元気な人、かな」
無難。逃げの回答。車内に、ほんの一瞬だけ、間が落ちる。
ミオが「へえー」と声を上げるが、その声が少し浮いたように聞こえた。
「ほな次いきましょか」
サラは止まらない。
「年上と年下、どっち派なん?」
(派って……)
また考える。
「……年上、ですかね」
理由はない。直感で選んだだけだ。
誰かが、小さく息を吸う音がした。
「甘えたい派なん?それとも……甘えられたい派?」
(難易度上がってないか)
「……甘えたい、かも」
今度は、つい即答してしまった。車内の空気が、少しだけ変わる。誰も何も言わない。
サラだけが、ゆっくり頷いた。
「なるほどなあ」
視線を一巡させてから、にやりと笑う。
「将軍様、なかなか正直ですやん」
そのときになって、ようやく気づく。視線の端のミサキは静かに窓の外を向いている。表情は変わらない。
ただ、目元が、わずかに潤んでいた。
(……あ)
サラは、注意を呼び戻すように手を叩く。
「そうやねぇ……。次は、将軍はんの昔の話、聞きたいなぁ。リョウカちゃんとは留学、一緒に行ってはったんやっけ?」
一瞬、答えを考える前に、リョウカが口を開いた。
「はい。事実です」
即答だった。
「遠い異国に、二人きり」
サラが、わざとらしく間を取る。
「きっと、あんなことやこんなことが……あったんやろねぇ」
「不敬です! シノミヤ局長!」
リョウカが即座に声を上げる。
「それに……妃の面前です!」
その言葉と同時に、窓の外を向いたままのミサキの目元が、さらに潤む。
(ミサキさーん!)
内心で呻く。
「冗談やんかぁ」
サラは楽しそうだ。
「ほな次いきましょか」
今度はミオに向き直る。
「ミオちゃん、まだ14歳で護衛筆頭やん? 異例の大抜擢やって、あちこちで噂になっとったよ」
「はい!」
ミオが胸を張る。
「私はアキト様に、直々にご指名いただいたっす!」
一瞬、言葉に詰まり――
「……です」
慌てて言い直す。その様子を見て、ミサキの目が、さらに潤んだ。
(……もうヒットポイントが残ってません……)
「それにそれに」
サラが楽しそうに続ける。
「ミサキちゃんまでいてなあ」
ちらりとこちらを見る。
「うちみたいな美女まで侍らせて」
わざとらしく胸を張る。
「……将軍はんも、隅に置けへんお人やわぁ」
「ですなー」
ミオが悪ノリする。
完全に顔が熱い。言い返す余裕も、考える時間もない。車は、そのまま郊外へと進んでいく。騒がしくて、落ち着かなくて、正直かなり恥ずかしい。
でも。誰かを傷つけた感じはしない。からかわれてはいるが、悪意はない。
(……まあ)
心の中で、そっと息をつく。
(楽しいかもしれない)
気づけば、車内の空気は最初よりずっと柔らかくなっていた。




