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第9話

まだ見ぬ異国の戦術と、時折顔を出すサラの残像に胸をときめかせながら、廊下の角を曲がったとき、隅に座る人の影を目がとらえた。


たじろぐと同時に、ミオが剣に手をかける。


「アキト……ごめん、僕だよ!」

本を胸に抱えてモジモジしている、少し頼りなさげな青年。いきなりの“呼び捨て”。


(え、誰……? そんな距離感で来るやつ知らないんだけど)


すかさずリョウカが一歩前に出る。

「レイジ様。将軍様は“就任直後”です。いかにご身内でも、まずはしきたりに従ってご挨拶を」


「あ……そ、そうか。ごめん」

青年──レイジはあわてて背筋を伸ばす。


「カミシロ・レイジ。……あなたの兄……です」


(兄⁉︎ 聞いてないよ……!)


きっと長年の付き合いのはずなのに、どう振る舞うべきかわからず、ぎこちなく返す。

「よ、よろしく……です」


レイジは胸に抱えていた本を落としそうになり、照れ隠しのように抱え直した。自分よりも身長も体も大きい。それなのに、猫背で縮こまっているように見える。


落とした表紙には見慣れない人物の肖像と名前が書かれていた。歴史書というより“特定人物の逸話だけをまとめた研究本”みたいな雰囲気。


ふとアキトの口から疑問が漏れた。

「それ……誰の本ですか?」


レイジはビクッと肩を跳ねさせる。

「えっ、あ……これ?いや……あの……マキシマス・ユニウスって言う人で、みんなアウリス皇帝って言うと初代のルキウス・ブルティウスをイメージする人が多いんだけど、マキシマス・ユニウスは大昔の暴君の血筋でありながら皇帝の座についた最初の皇帝で、現代アウリスの礎を築いた一人なんだけど…… あっ……ごめん。興味ないよね、こういう話」


そうでもなかった。むしろ、戦略シミュレーションを好んで遊んできたものにとって、歴史は結構好きな部類だ。この世界についてももっと知りたい。


「いや、どんな人物なのか気になって」


レイジの目がほんの少しだけ見開いた。

息を吸い込み──火が点いたように語り始める。

「この人、“マルクス・ユニウス"って言って……暴政アウリス時代に正皇ブルティウスに倒されたユニウス王家の血筋なんだけど、地道に元老院の下積みから始めて、積極的な融和政策と同盟を結んでいったことで、崩壊の兆しが見えていたアウリスの体制を補強した人なんだよね。元々征服した地域の人たちを取り込もうとする仕組みはあったんだけど、一部のエリートたちや解放奴隷みたいな長い時間がかかるやり方ではなく、誰も理解してなかった改革案をたった一人で“正しい”と信じて推し進めた人物なんだ。功績は大きいのに、同時代ではほとんど評価されなくて……むしろ蛮族が増えたって非難ばかり浴びてでも思い返せば今のアウリスの繁栄の半分はこの人が作ったんだよ……!しかもね、その思想の背景にはガウレア人の隣人と育んだ友情がね。友情と言うべきか、もしかしたらそれは愛だったという説もあってね」


語りながら、レイジの肩の震えが止まらない。オタクが“好き”について語るとき特有の熱量が広がっていく。

アキトは内容を全て理解しているわけではない。けれど、笑ってしまうほど伝わってくる“好き”の勢いに引っ張られた。


「へぇ……制度だけじゃなくて“人物の成り立ちも好きなんですね」


レイジは一瞬固まり──ぱっと花が咲くように表情を明るくした。

「そ、そう!!制度は結果でしかなくて、それはそれで面白いんだけど、根っこをたどると“なぜそう動いたか”という思想の土台が見えてくるんだよ。そこを追うと、一気に歴史が立体的になるんだ!」


(あ、すごい……この人、めちゃくちゃ楽しそうだし、僕も楽しい)


気づけば会話はどんどん弾んでいった。


「マルクスはね、晩年に──」

「反対派は結局どうなったんですか?」

「それが! そこがまた面白くて──!」

絡まなさそうだった二人が、気づけば時間を忘れて語り続けている。


そんな二人を見ていたリョウカが、しばらくするとやや強めの声で割って入った。

「レイジ様。将軍様はこれより次のお仕事がございます」


レイジはハッとして本を持ち直す。

「あっ……う、うん……ごめん、つい話しすぎた……!」


それでも、どうしても伝えたかったのか、去り際に言葉をねじ込むように声を返した。


「アキト……!もし……困ったことがあったら……その……オレでよければ、何でも力になるから……!」


「……ありがとう。レイジ」


レイジは嬉しそうに目を細め、何度も振り返りながら廊下の奥へ消えていった。

その背中は、さっきより少しだけ誇らしげだった。


それを見送りながらリョウカが、表情を変えぬまま静かに言う。

「──カミシロ様。レイジ様とは……あまり深く関わられないほうがよろしいかと」


(え……なんで?お兄さんなのに……)


そんなことを一瞬考えながらも、アキトは次の公務へと意識を切り替えた。

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