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境界を呼ぶもの 前編 -現実反転-  作者: ミッチー


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第一話 【序章】


—— —— —— —— —— —— —— ——


ヒナがいなくなったことに、誰もすぐには気づかなかった。


廃病院の中は、思っていたよりも明るい。


割れた窓から夕方の光が差し込み、埃が空気の中でゆっくり舞っている。


怖い、というより、どこか懐かしい匂いがした。


消毒液とカビが混ざったような匂い。


「ねえ、ヒナは?」


ミサキが言ったとき、タマキはスマホ画面に映るコメント欄から

視線を外さなかった。


「トイレじゃね? 女の子あるある」


「勝手に行くなよー」


軽い笑いが返ってきて、それで終わった。


配信は続いていた。

 

コメント欄には

「出る?」「やばくね?」と流れている。


レイコがそれを読み上げて、わざと大げさに悲鳴を上げた。


「無理無理、絶対なんかいるってここ」


「そういうの言うなって」


タケルが笑いながら言った。

 

いつも通りの軽い口調だった。


ヒナは、地下へ続く階段の前に立っていた。


階段は途中で闇に飲み込まれていて、下から冷たい空気が流れてくる。


立入禁止のチェーンは錆びて、簡単に外せそうだった。


「……ここ、病院っていうより……」


誰もいないのに、ヒナは声を出した。


「神社、みたい」


自分でも理由は分からなかった。


ただ、そう思った。


空気が違う。


病院特有の死の匂いじゃない。

 

もっと古くて、湿った、土の匂い。


スマホのライトで照らすと、階段の入り口あたりの壁には

読めない字のような何かが書かれているのが見えた。


文字のようで、文字ではない。

 

円と線が絡み合った模様。

 

その横には、かすれた墨字の祝詞のような文字。


「……なに、これ」


ヒナは指でなぞろうとして、やめた。


なぜか、触ってはいけない気がした。


下から、音がした。


水音でも、風でもない。


呼吸の音に近い。


逃げなきゃ、と思った。


でも、体が動かなかった。


背後で、何かがひざまずく気配がした。


振り返ってはいけない、と本能が叫んでいた。


けれど、ヒナはゆっくりと顔を上げ、天井を見た。


そして自然に、手を合わせていた。


 ——誰に? 何に?


その瞬間、気配が消えた。


代わりに、頭の中に声が流れ込んできた。


意味は分からない。


言葉でもない。


ただ、「在る」という圧力。


ヒナは悟ったように笑った。


「……あ……」


怖くなかった。


ただ、帰れないと分かった。


ヒナが見つかったのは、それから十分後だった———


廃病院内、倉庫。


両膝をつき、手を合わせたまま。


首は折れていた。


血はほとんど出ていない。



———— まるで、拝まされていたみたいに。





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