生き残るための知
第五十五話
生き残るための知
「……一つ、よろしいでしょうか」
濁将は、ほんの少しだけ首を傾けた。
「誰からも聞かれたことは、ないかもしれませんが」
声は丁寧だった。
だが、慎重というより――考える者の声音だった。
「あなたは、魔族が今後どうすれば生き残れると思いますか」
問いは、唐突だった。
「ありえない存在と対峙したとき。
力でも、数でも届かない相手から、どう身を守るべきか」
答えを急かす気配はない。
濁将は、ただ続きを置く。
「実行するかどうかは、ここでは決めません」
それでも、視線は逸らさない。
「ただ――
人の文字に触れてきたあなたの考えを、聞いてみたいのです」
部屋が静まる。
僕は、一度だけ息を整えた。
そして、ずっと前に、
自分自身に言い聞かせた言葉を、そのまま口にした。
「……人に勝てないなら」
一拍。
「人の、真似をすればいい」
「かなり……抽象的な答えですね」
濁将は、即座に否定はしなかった。
だが、そこで終わらせもしない。
「具体的な考えは、すでに持っているのでしょうか。
それとも、それだけが――今の答えなのでしょうか」
問いは静かだった。
試すようでも、責めるようでもない。
僕は、視線を落とした。
「……僕は、負けました」
それだけ言うのに、少し間があった。
「だから、この考えは……
間違っているかもしれません」
勝ち負けという言葉を口にした瞬間、
胸の奥が、わずかに軋んだ。
「勝った、負けた――という点で言えば」
濁将は、淡々と続ける。
「私も、同じ立場です」
その声に、誇りも卑下もなかった。
「ですが、私はあなたに
“正しい答え”を求めたわけではありません」
ほんの一拍。
「あなたなりの考えを、聞きたいと言ったのです」
それでも、濁将は一歩引いた。
「失敗を恐れるな、とは言いません」
わずかに視線を伏せる。
「……少なからず、私も昨夜は眠れませんでした」
その一言で、
この場にいるのが“将”ではなく、
同じ失敗を背負った存在なのだと、はっきり分かった。
「ですが」
声が戻る。
「今は、僅かな知でも集めなければならない段階に来ています」
逃げ場はない。
けれど、追い詰めてもいない。
「辛いかもしれません」
それを理解した上で。
「それでも――
教えていただけないでしょうか」
その時、
女フェッロが、飲み物を手に静かに入ってくる。
会話を見計らい、僕の前にそれを置いた。
「……頭使うと、喉乾くでしょ」
そう言って、今度は濁将へ視線を流す。
口元に、わずかな笑み。
「ずいぶん丁寧ね。
将が“直接”話を聞くなんて、珍しい光景だわ」
濁将は、一瞬だけ目を細めた。
「ええ。
翼将の周囲は、随分と自由闊達だと聞いていましたが……」
言葉を切り、わずかに間を置く。
「なるほど。
こういう“距離感”なのですね」
柔らかな口調。
だが、そこに含まれるのは称賛ではなく、観察と皮肉だった。
女フェッロは肩をすくめる。
「距離感なんて、気分次第よ。
堅苦しいの、嫌いな連中だから」
僕の方を見て、少しだけ声を落とす。
「アンタは気にしなくていい。
ちゃんと、自分の言葉で話して」
僕は小さく息を整え、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
女フェッロは肩に軽く手を置く。
「いいの。
それが一番、面倒で一番マシだから」
そのまま踵を返す。
「続きをどうぞ。
せっかく、ここまで来たんだから」
去り際、振り返らずに一言だけ残す。
「……無理はしないで。
オトナの忠告」
静かに部屋を出ていった。
濁将は、その背を一拍見送り、僕に向き直る。
「……失礼。
では、話の続きをお願いできますか」
先ほどより、わずかに丁寧な声音で。
「……人は」
ぽつりと、言葉が落ちる。
「人は、力も魔力も弱いです」
当たり前の事実。
でも、だからこそ。
「数を揃えれば勝てる、って言われますけど……
それだけなら、いずれ押し切られます」
濁将は口を挟まない。
ただ、聞いている。
「実際、魔族は……
押し切れなかった」
その言葉に、少しだけ苦味が混じった。
「人は、弱い代わりに――
“技”を持っています」
剣の話ではない。
魔法の話でもない。
「力を補う技があって、
魔力を補う技がある」
それは訓練で身につけるもの。
才能よりも、時間と反復で積み上げるもの。
「同じことを、何度も、何度もやる。
失敗して、直して、またやる」
だから――
「鍛錬の“質”が違うんです」
僕は、ようやく濁将を見る。
「それが、人間と魔族の
一番の違いだと思います」
強さの差じゃない。
生まれ持った力の差でもない。
「魔族は強いです。
でも……強いからこそ、
そこを詰めなかった」
沈黙が落ちる。
重くはない。
むしろ、静かに整理されていく時間。
「……なるほど」
濁将は、ゆっくりと頷いた。
「戦場での配置でも、
国の運営でもなく」
視線が、少しだけ遠くを見る。
「“技術としての生き残り方”ですか」
否定はなかった。
「あなたがそれを
戦術書ではなく、生活の中で学んできた理由が……
少し、分かった気がします」
僕は答えなかった。
ただ、
これを言葉にする準備が、
やっと整ったのだと思った。
つづく




