シェリス・ラグエンス
第五十二話
シェリス・ラグエンス
豪奢な宿の一室だった。
広い天蓋付きのベッドの中央で、
シェリスが仰向けになり、口を開けたいびきをかいている。
「……ぐごぉ……」
フィロは無言で近づき、
ずり落ちかけていた布団を引き上げた。
乱暴にではない。
慣れた手つきで、肩口まで掛け直す。
一瞬、シェリスの寝顔を見下ろし――
そのまま、何も言わずに身を引いた。
部屋の端では、
オリヴェットが弓の整備をしていた。
影のようにそこにいて、
だが、確かに「居る」。
リラは小さく息を吸い、
それから口を開いた。
「……フィロさん」
その声に、フィロは振り返らない。
代わりに、椅子を引く音がした。
リラは窓際の椅子に腰を下ろす。
背筋は伸ばしたまま、だが、表情は硬い。
「シェリスさんの力……
正直に言って、異常だと思います」
静かな指摘だった。
責める意図はない。
ただ、確認するための言葉。
フィロは視線を窓の外に向けたまま、
一拍置いて問いを返す。
「リラ。お前は魔法の訓練を受けていたな」
「はい。幼少期に、回復魔法を少しですが」
「なら分かるだろう」
フィロは、ようやくリラの方を見た。
「魔力には“量”があり、“質”があり、
そして必ず、底がある」
リラは小さく頷く。
「はい。
どれだけ才能があっても、
無尽蔵ということは……」
「ない」
フィロの声は、低く、はっきりしていた。
「だからこそだ。
シェリスの力を疑問に思うのは、
魔法を知る者として、自然な反応だ」
リラは、息を詰める。
「……では、フィロさんも?」
フィロは、わずかに目を伏せた。
「私とて、
シェリスの魔力の底は見切れていない」
椅子の脚が、かすかに鳴る。
リラの指先に力が入った音だった。
「量も、質も、
私の知る理から外れている」
「それでも……
止めようとは、思われないのですか?」
問いは慎重だった。
だが、逃げはない。
フィロは答えるまで、少しだけ間を取った。
「危険だから止める、
という選択もある」
「だがそれは、
危険なまま放置するのと同じだ」
オリヴェットが、
わずかに体重を移動させる。
言葉はない。
だが、話を聞いているのは明らかだった。
「力を恐れて遠ざければ、
行き場を失った力は、
いずれ誤った方向に向かう」
リラは、ゆっくりと息を吐く。
「……魔族と、同じにしてしまう」
「そうだ」
フィロは否定しなかった。
「だから私は、
止めるのではなく、
“向けさせる”と決めた」
「正しい先へ?」
「人としての先へだ」
再び、シェリスのいびきが響く。
何も知らず、
何も気にせず、
ただ眠っている。
「……だから、
私たちにも目を離すなと」
「ああ」
「シェリスは危険だ。
だが、だからこそ見捨てない」
「それが、
私たちの役目だ」
リラは、深く頷いた。
オリヴェットもまた、
何も言わず、その場に居続けている。
三人の視線の先で――
布団に包まれた“危険な存在”は、
変わらず、気持ちよさそうに眠っていた。
つづく




