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濁流の前に

第五十話

濁流の前に


海は、よくできた舞台だった。


風は安定し、

波は低く、

航路としては文句のない穏やかさ。


――だからこそ、

違和感はすぐに際立った。


「……来るな」


フィロが、そう言った。


次の瞬間だった。


水面が弾けるように割れ、

影が跳ね上がる。


半魚人。


「多っ」


シェリスが欠伸交じりに言う。


そのまま、

腰の革袋から瓶を取り出した。


蓋を開け、

柑橘の匂いが弾ける。


「うわ、塩っ気強そ。

 これ、絶対喉渇くやつだ」


ごくり、と飲む。


――フィロは、迷わなかった。


甲板を蹴り、

そのまま水面へ。


沈まない。


蹴った足元から光が走り、

水が“足場”として固まる。


「な――」


跳ね上がった半魚人の声は、

途中で消えた。


光の剣が一閃。


斬られたというより、

存在が削除された。


水面を駆ける。


一体、二体、三体。


動線上にいる敵を、

光のような速度で消していく。


「はは……」


シェリスが笑う。


フィロは次の跳躍に入っていた。


空中。


そこへ、

矢が重なる。


オリヴェットの放った一射。


貫いた。


一体目の頭部。

そのまま勢いを落とさず、

背後の二体を串刺しにする。


三体分の質量を抜け、

ようやく矢が止まる。


水面に落ちる前に、

すでに次の矢。


音だけが残った。


「はぁああああ」


リラが低く言う。


槍を構え、

船体の揺れに合わせて重心を沈める。


船に張り付こうとした半魚人が、

跳び上がった瞬間。


――突き。


刺さったのは、

わずかに触れた程度。


だが次の瞬間、

衝撃だけで肉体が破裂した。


水と肉片が弾け、

船体を汚す前に海へ落ちる。


「……ふぅ。」


リラは一息つき、

次の一体を迎え撃つ。


戦いは、

一方的だった。


海竜に近い形の個体も現れたが、

フィロが水面を蹴って頭部に乗り、

そのまま剣を突き立てる。


消える。


抵抗は、ない。


「暇だなあ」


シェリスは甲板の手すりに腰掛け、

足をぶらぶらさせている。


ライムジュースをもう一口。


その時だった。


海が、静かになった。


波が、止まる。


音が、消える。


フィロが足を止め、

甲板に戻る。


オリヴェットの弓が、

自然と下がる。


リラは、

船体を支えたまま視線を上げた。


水面の中央。


そこが、

ゆっくりと盛り上がる。


跳ねない。

弾けない。


粘度のある液体が、

重さを持って持ち上がる。


形を作る。


腕。

胴。

肩。


人の形。


シェリスが、

ジュースの瓶を止めた。


「……あ?」


その瞬間で、

話は途切れる。

つづく

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