交わる島
第四十八話
交わる島
島に近づくにつれて、
海の色が変わった。
外洋の深い藍が、次第に薄れ、
幾層にも重なった青と緑が、潮の流れごとに混じり合う。
船の数が増える。
漁船だけではない。
大型の輸送船。
護衛付きの商船。
帆の意匠も、船体の作りもまちまちだ。
一つの国の港ではない。
ここは“通過点”だ。
複数の大陸を結ぶためだけに存在する島。
行き交う者の数だけ、事情と目的を抱え込んだ場所。
港は、
騒がしかった。
荷の積み下ろしに怒鳴り声が飛び、
価格交渉の言葉が重なり、
酒と油と魚の匂いが、湿った空気に溶け込んでいる。
石造りの埠頭は何度も拡張された跡があり、
古い部分と新しい部分が、継ぎはぎのように並んでいた。
倉庫は巨大だ。
一棟、二棟ではない。
通りを一本挟むごとに、
似たような建物が延々と続く。
そのさらに奥、
港を見下ろす小高い丘には、街がある。
低層の建物が密集し、
その合間を縫うように市場と宿屋が並び、
遠目にも人の流れが途切れない。
「離島」と呼ぶには、あまりに重い。
ここは島であり、
同時に節点だった。
――だからこそ。
この街には、
本国の旗も、
他国の紋章も、
等しく掲げられている。
港を中心に、
段々畑のように建物が重なり、
石畳の道が蜘蛛の巣状に伸びている。
船が寄るたびに人が流れ、
荷が積まれ、
言葉が交差し、
匂いが混ざる。
海の塩気。
油。
焼き物。
香辛料。
ここは「中継地」だ。
どこにも属さず、
どこにも繋がっている。
交易都市。
列島を渡る船が必ず立ち寄る、
人と物の交差点。
「着いた着いた着いたぁ!!
なにここ! でっか!!
臭い!! 最高!!」
シェリスが、腕をぶんぶん振り回しながら先へ進む。
「シェリスさん! 待ってください!
人が多いです! 迷います!」
リラが慌てて追いかける。
オリヴェットは何も言わず、
荷を抱えたまま歩調を合わせていた。
その時だった。
「――フィロ・ライトフィールド様」
硬い声が、背後からかかる。
振り返ると、
王国の紋章を刻んだ外套を着た男が立っていた。
年は若い。
姿勢は正しく、
だが、明らかに緊張している。
「本国よりの伝令です」
一礼の角度が深い。
フィロは一瞬だけ相手を見て、
小さく頷いた。
「用件は」
「は、はい。
これまでの行動報告について……
正式な書類をお預かりするよう命を受けております」
言葉が少し詰まる。
英雄に直接話しかけること自体が、
この男にとっては試練なのだろう。
フィロは、少しだけ考える素振りを見せてから言った。
「分かった。
詰所でいいのか」
「は、はい。
港の管理詰所にて」
「同行する」
即答だった。
「ここでまとめた方が早い」
男の肩から、
目に見えて力が抜けた。
「ありがとうございます……!」
深々と頭を下げる。
フィロは、仲間たちの方を一度だけ振り返る。
「少し席を外す」
それだけ言って、
伝令と並び歩き出した。
フィロはふと足を止め振り返り、
シェリスを見下ろす。
「シェリス」
「ん?」
「くれぐれも」
そう言って、
一歩踏み出す。
指が胸元に当たる――
否、押し倒す勢いだった。
「くれぐれもだ」
港の雑踏が、一瞬静まる。
「面倒は起こすな。いいな」
まるで突き刺すかのような視線。
「返事!」
「へいへーい」
シェリスは耳をほじりながら返す。
フィロはそのまま視線を移す。
「オリヴェット。リラ」
「は、はい!」
「こいつから目を離すな」
そう言い残し、
伝令と共に詰所へ向かった。
残された三人。
――そして、枷が外れた一人。
「オッシャアアアア!!」
シェリスが拳を鳴らす。
「観光だ!!」
「えっ、えっ!?
宿を探すのが先では……!」
「うるせえ!
クソ真面目はもういねえ
人が多いってことは店がある!
店があるってことは――」
ずんずん進む。
人の流れに逆らい、
屋台の並ぶ通りへ。
「おっ」
巨大な甲殻。
白い湯気に垣間見える赤い姿――
「ロブスター!!」
シェリスが即座に手を伸ばした。
「こら!!
商品に勝手に触るなクソガキ!!」
店主の怒号。
「はぁ?
買えばいいんだろ買えば!」
シェリスは振り返る。
「おいデカ女。金」
「えっ!?
わ、私ですか!?」
「他に誰がいんだよ」
リラは震える手で財布袋を取り出す。
「えっと……
お、おいくらでしょうか……」
だが――
数分後。
「ガハハハ!!
今日はたっぷり食えるぞ!!」
ロブスターを抱え、
シェリスは満面の笑み。
リラは、
財布袋の中を覗き込んで固まっていた。
「……こんなペースだと……」
その直後。
「おい筋肉女」
「……?」
「荷物持て」
ドンッ。
シェリスの蹴りが、
オリヴェットの脚に入る。
オリヴェットは――
一歩も動かず、
涙目。
シェリスはロブスターを抱え直す。
「ほら行くぞ。観光続行!」
街は広い。
露店。
市場。
石造りの回廊。
上層へ伸びる階段。
人の密度が変わるたび、
店の質も変わる。
「お、そこの嬢ちゃん!」
炭火の向こうから、
油と香辛料の匂いが押し寄せてきた。
「島名物!
香辛料ロブスターだ!」
赤黒い粉が、
火の上で弾けている。
「……なにそれ」
シェリスの足が止まった。
「島の名物だよ!
一口で分かる!」
「ふーん」
次の瞬間。
「買う」
「えっ!?」
リラが声を裏返す。
「シェ、シェリスさん……」
「だって名物だろ?」
当然のように言う。
シェリスは一切、
金に触れない。
視線だけが、
リラに向いた。
「……お、おいくらですか」
店主が値段を告げる。
リラの手が、
財布袋の中に消える。
「……はい」
ロブスターを受け取ったシェリスは、
すぐにかぶりついた。
「うっま!
なにこれ辛っ!
でもうっま!」
「…………」
リラは、
財布袋を一度だけ見て、
そっと閉じた。
何も言わない。
ただ、
心だけが削れていく。
そして――
「ここ!!」
即断。
正面に構える宿は、
とにかくデカい。
白い外壁。
磨かれた木の扉。
玄関脇には――
「うわ、大浴場あるじゃん」
蒸気が、堂々と立ち上っている。
「風呂。
でかい。
最高」
「え、えっと……」
リラは看板を見上げる。
宿名。
装飾文字。
その下に、小さく刻まれた料金表。
「……」
一拍。
「……た、高いです……」
リラの声が震える。
「一泊……えっと……
シェリスさん、これ……
普通の宿の、三倍以上します……」
「は?」
シェリスは覗き込む。
「……あー」
一瞬だけ考えて、
「まあ、いいだろ」
「よ、よくありません!!」
リラは財布を覗き込み
「今後の滞在も考えると……
フィロさんが戻るまでに……」
シェリスは腕を頭の後ろに組み
「だから?」
「疲れてんだろ。
でかい風呂で寝る。
それが正解」
「正解じゃありません!!
予算というものが……!」
オリヴェットは、
すでに扉を開けていた。
中を一瞥し、
静かに頷く。
――広い。
――清潔。
――強度も問題なし。
「オリヴェットさんは
判断基準が違います!!」
そのとき。
宿の中から、
柔らかい声が響いた。
「いらっしゃいませ」
一瞬で空気が“整う”。
シェリスは満足そうに笑った。
「決まり」
「……ああ……」
リラは財布袋を抱え、
天を仰ぐ。
「……フィロさん……
早く戻ってきてください……」
「聞こえねー聞こえねー」
シェリスはそのまま、
ずんずん中へ入っていった。
「……高そうです……」
「だからいいんだろ」
数刻後。
湯気。
広い湯船。
「っはぁ~~~~~」
シェリスが湯の中を泳ぐ。
「し、静かにしてくださいシェリスさん……」
「リラ。」
フィロが戻ってきていた。
「よくこの規模の宿を取れたな。
船旅のあとだ。よくやった」
「えっ!?
あ、ありがとうございます……!」
リラはうつむき冷や汗をかく。
その時。
湯の中から、
にゅっと顔が出る。
「そうだろそうだろ」
「……?」
「一番デカい宿選んだからな!」
「……」
フィロが、
静かにリラを見る。
「リラ」
「は、はい!」
「説明しろ」
「え、えっと……
その……
えっと……」
沈黙。
湯気。
「予算、超えてます」
ぴしっ。
次の瞬間。
「――シェリス」
げんこつ。
「いったぁ!!」
「報告書に一文増やす」
フィロはそう言って、
湯船を出た。
シェリスは笑う。
「ま、いっか!」
リラは、
項垂れていた。
港の夜は、
まだ騒がしい。
――報告書の最後には、
こう書き足されることになる。
「予算超過」
それだけだ。
つづく




