帰らぬ像
第四十七話
帰らぬ像
石の庭に、
一体の彫刻が立っていた。
硬質化したまま、
二度と戻らなかったフェッロ族の男。
表情は、
作戦前と変わらない。
少しだけ口角が上がっているようにも見える。
僕は、その前で立ち尽くしていた。
拠点は騒がしい。
いつも通りだ。
帰還した者たちが、負傷者を支え、
笑いながら、罵り合いながら、
死んだ者の戦いぶりを語っている。
称える声。
笑い声。
誇らしげな背中。
それでも、
この場所だけが、静かだった。
――少し前。
拠点は、出撃前の慌ただしさに包まれていた。
誰も彼も、準備に追われている。
僕の周りに、
誰も集まらなかった。
フェッロ族の男が、
焚き火のそばから手招きした。
「そこ邪魔だ。
死にたいなら別の場所にしろ」
軽口だった。
いつもの調子で。
僕は火の番の横に腰を下ろす。
「梁、覚えてるか?」
「……え?」
「屋敷の時だ。
あんなデカいもん、
俺に一人で持たせるとは思わなかった」
肩をすくめて、
男は鼻で笑った。
「まあ、嫌いじゃなかったがな。
無茶振りは」
炎を見つめたまま、
彼は続ける。
「今日も行くんですか」
僕が聞くと、
男は少しだけ黙った。
「行くさ」
「それが俺たちだ」
間を置いて、
低い声で言う。
「怖くねえわけじゃない」
「ただな――」
焚き火を離れ、
立ち上がる。
「何もせずに死ぬ方が、
もっと嫌いなだけだ」
歩き出してから、
振り返る。
「……それに」
「死にたくない理由も、増えた」
それだけ言って、
男は戦装束の中へ消えた。
――そして、今。
石の彫刻になった彼が、
庭に立っている。
翼将の判断で、
ここに置かれることになった。
「いいでしょ」
「こんなに格好いいんだし」
そんな軽い一言で。
魔族たちは散っていく。
治療へ。
報告へ。
次の戦いへ。
残ったのは、
硬質化した男と、
その前のベンチに座る女フェッロだけだった。
足を組み、
頬杖をついたまま、
彼女は男を見ている。
僕が声をかけようとした、その前に――
女フェッロが、ぽつりと話し始めた。
「ここにいるフェッロ族、
私とこいつだけだったのよ」
独り言のように。
「いがみ合って」
「酒を飲んで」
「いつ死ぬか、なんて話も散々した」
少し間を置いて。
「私たち、限界を超えたら」
「硬質化から、戻れなくなるって」
指先が、膝を叩く。
「……いつも言ってたのに」
声は、揺れない。
でも、空気が沈む。
「いざ、そうなると」
「思った以上に、虚しいわね」
彼女は立ち上がり、
顔を伏せたまま歩き出す。
涙は見えなかった。
けれど、
そこにあったものは、
確かに、重かった。
僕は、その背中を見送った。
――分かっていた。
皆、分かっていた。
悲しくないわけがない。
覚悟していないわけがない。
それでも、
僕は目を背けていた。
前の砦にも、
同じような本は、いくらでもあった。
戦術。
陣形。
死を前提にした、知恵。
いつも、通り過ぎていた。
生活の知恵を選び、
壊れないものを直し、
守れる範囲だけを見て。
逃げていたのは、
体じゃない。
心だ。
僕は、書庫へ向かった。
棚の前に立ち、
手を伸ばす。
避け続けていた、
あの一冊へ。
その瞬間――
胸元で、
アクアイアが、青く輝いた。
静かに。
しかし、はっきりと。
逃げるな、と。
そう言うみたいに。
僕は、
その光を見つめながら、
本を引き寄せた。
目を逸らしても、
死は、訪れる。
なら――
僕は、僕のできることから、
逃げるのをやめよう。
そう、決めた。
つづく




