王の間
第三話
王の間
最後の扉が、音もなく開いた。
玉座の間は、静かだった。
天井は高く、壁には無数の紋様が刻まれている。
魔力が満ち、空気そのものが重い。
魔族の王が、そこに在った。
巨大な体躯。
呼吸ひとつで、城全体が応じる存在。
王は、玉座から動かない。
視線だけを向ける。
「人の身で、ここまで来たか」
声は低く、落ち着いていた。
驚きも、苛立ちもない。
ただ、評価だけがある。
過去にも、ここまで来た者はいた。
だがそれは、迎撃が崩れ、混乱の果てに辿り着いた偶然にすぎない。
四人揃って、
整った足取りで踏み込んだ者はいない。
フィロが、一歩前に出た。
剣は抜かない。
シェリスは、その少し後ろで欠伸を噛み殺す。
オリヴェットは周囲を一瞥し、退路と遮蔽物を即座に把握した。
リラは盾を構え、王を見上げている。
王は、立ち上がった。
それだけで、
玉座の間を満たしていた魔力が軋む。
「――来い」
短い言葉。
終わらせるつもりの声音だった。
次の瞬間、空間が焼ける。
王の魔法が放たれる。
圧縮された魔力の奔流。
受け止めるという発想自体が、本来は存在しない一撃。
リラが、前に出た。
思考より先に、身体が動いている。
巨大な盾を構え、
その身を差し出す。
衝撃。
床が砕け、空気が弾ける。
それでも、盾は砕けない。
魔法の光が、王の視界を覆った。
その瞬間だった。
弓の弦が、引かれる音がした。
光の中から、フィロが落ちる。
騎士の型ではない。
光を刃に収束させた、異形の剣。
振り下ろされる。
王の障壁が、それを受け止めた。
光と魔力が衝突し、
フィロの身体が後方へ弾かれる。
だが、彼女は着地する。
片膝をつき、
その姿勢のまま、光を覆った。
翼が広がる。
王の間が、一瞬、白に沈む。
光が収まる。
王の両腕に、矢が突き刺さっていた。
いつ放たれたのか。
どこから来たのか。
ただ、確実に。
フィロが立ち上がる。
両手を合わせ、光を集める。
剣が、再び生成される。
今度は、長く。
強く。
背に、光の翼を広げて。
突き。
光の奔流。
王は反応する。
魔法を生成し、迎撃する。
だが、わずかに体勢が崩れた。
その瞬間を、逃さない。
リラが、踏み込んでいた。
開幕から、すでに懐に。
盾を構え、全体重を乗せる。
突撃。
鈍い音が、王の腹部に叩き込まれる。
巨大な身体が、わずかに浮いた。
フィロが、突き刺す。
光の剣が、王を貫く。
音は、しなかった。
すべては、ほんのわずかな時間の出来事だった。
王は、崩れ落ちる。
最初に異変を感じたのは、玉座の間の外にいた者たちだった。
魔力が、途切れる。
満ちていたはずの力が、急激に薄れていく。
理解が追いつかない。
だが、身体が先に反応した。
「……王?」
誰かが、そう呟いた。
返事はない。
命令が届かない。
魔力が循環しない。
城が、“応えなくなる”。
それは、これまで一度も起きたことのない事態だった。
最初に逃げ出したのは、弱き者たちだった。
理屈ではない。
本能が告げていた。
ここにいては、死ぬ。
続いて、戦士たちが動く。
戦うためではない。
退くために。
誰も指示していない。
誰も責めない。
王がいない。
それだけで、十分だった。
城の外へ、魔族たちが溢れ出す。
断崖を越え、森へ、谷へ、海へ。
秩序はない。
計画もない。
ただ、生き延びるために。
魔王城は、機能を失った。
崩れはしない。
だが、中心が空いた。
それだけで、すべてが変わった。
遠く離れた森の中で。
名も知られぬ魔族の少年が、
薪を落とし、しばらく動けずにいた。
怖いわけではない。
悲しいわけでもない。
ただ、胸の奥に空白ができた。
小さな角が、ひとつ、震れる。
知らないはずのものを、
失ったような気がした。
つづく




