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無事なら上出来

第三十六話

無事なら上出来


火は、もう起きていた。


焚き火というより、焦げた匂いのほうが先にそこにあった。

乾いた枝が折られ、赤い芯が走り、煙が細く立ち上る。

夜はまだ深い。けれど、彼らは「終わった」から休むわけじゃない。


生き延びたから、食う。


それだけだ。


焼けた肉の表面が、ぱち、と小さく弾ける。

脂が落ちて、火が短く明るくなる。

その光に、フェッロの男の輪郭が浮かんだ。


壁に背を預けるように座り、片膝を立てている。

硬質化の名残はない。だが、あの落下の衝撃を受けた体が、

今こうして平然と呼吸していること自体が、異様だった。


隣で、フェッロの女が串を回す。

火に近づけすぎず、遠ざけすぎず。

熱を測る手つきが妙に上品で、顔の造りも整っているのに――


さっきまで空から落ちてきたのだ、この二体は。


「……ねぇ」


フェッロの女が、串の角度を変えたまま、僕のほうを見る。

視線だけ。声は柔らかい。けれど温度はない。


「あなたの提案って、親切よね」


僕は反射で肩が強張る。

怒られているわけではない。

むしろ、楽しんでいる側の音だ。


フェッロの男が、口元に笑いを貼った。


「親切だな。ほんとに」


女が続ける。


「落ちる途中で後悔する暇がないもの。ね?」


男が、わざとらしく頷く。


「人生で一番スピーディーな自己反省だ」


女が軽く鼻で笑い、火に顔を向けた。


「反省する暇もないわ。落ちたら終わりだもの」


男が、さらりと返す。


「終わりなら、気楽でいい。次を考えなくて済む」


その言い方が、冗談なのに冗談じゃない。

フェッロの笑い方には、いつも薄い刃が混ざる。


僕は言葉を探し、結局、出てきたのは短い声だった。


「……すみません」


女が、ようやく僕のほうを向き直る。

口角が、少しだけ上がる。


「謝らなくていいわ。落ちたのは私たちだし」


男が、追い打ちを入れる。


「でも次は、せめて“落とす場所”に花でも添えてくれ。景色がないと、死にがいがない」


僕は、思わず反応してしまう。


「死なせる前提なんですか」


その瞬間、フェッロの二体が同時にふっと笑った。

空気が緩む。

――ここが、彼らの狙いだ。


重くしすぎない。

身体を硬くさせない。

戦いが終わっても、呼吸の仕方を忘れないための、悪趣味な優しさ。


その脇で、ノーヴァ族の数体が火のまわりをうろついていた。

四足。たてがみの根元が、時折ぱちぱちと小さく光っている。

爆ぜる力が、毛並みの奥に溜まっているみたいに。


「腹減った」


誰かが言った。

たぶん、さっきも言った。


「さっさと食おうぜ。話は噛んでからにしろ」


別のノーヴァが、焼け具合も確かめずに肉へ伸びる。

フェッロの女が、串の先で軽く小突く。


「まだ」


「細けぇ!」


「細かいのは、あなたの爆発よ」


ノーヴァが牙を見せて笑い、引っ込める。

素直だ。頭は良くない。けれど、場の空気は読む。


ゾフ族は少し離れて、地面に座っていた。

ダチョウじみた脚を折り、首をくねらせ、豪快に肉を齧る。

口元が汚れても気にしない。気にする器がない。


「勝ったら食う。逃げたら食う。

 どっちにしろ食う。最高だなぁ」


軽口は軽い。

でも、その眼だけはときどき鋭い。

あの突破の瞬間、指示が飛んだときの“ズバズバ”が、今も皮の下に残っている。


――そのとき、風が変わった。


煙が、ふっと横に流れる。

火の粉が、短く舞う。


影が一つ、焚き火の光を横切った。


運び屋が降りた。


羽音は小さい。着地も静かだ。

翼を畳み、首を軽く振る。

夜の冷気が羽を滑って落ちていく。


誰も立ち上がらない。

歓迎でもない。警戒でもない。


「戻ったか」


ゾフ族が言う。

口の端に肉の脂を付けたまま。


運び屋は、焚き火の熱圏に入らない位置で止まり、短く告げる。


「追ってくる気配はない」


それだけ。


ノーヴァの一体が、ほっと息を吐く。

フェッロの男が鼻で笑い、フェッロの女が肩の力を抜く。


僕は――

その短い報告が、胸の奥に沈むのを感じた。


追ってこない。


つまり、今は生きている。


そして、

追ってくるときは――追ってくる。


運び屋は余計なことを言わない。

その沈黙が、逆に“世界の広さ”を運んでくる。


ゾフ族が、肉を齧りながら言った。


「そりゃそうだろ。

 あいつら、今ごろ“底”を見上げてる」


僕が眉を動かす。


「底……?」


ゾフ族は首をくねらせて笑う。


「穴だよ、穴。

 あいつら、穴を掘ってたつもりで自分の足場を削った」


運び屋は何も補足しない。

否定もしない。

ただ、焚き火を一度見た。


火。肉。影。

ここにいる者たち。


そして僕。


フェッロの女が、僕にまた声を投げた。今度はもっと軽く。


「ねえ」


僕が、反射で背筋を伸ばす。


「次はどこに落とすの?」


男が続ける。


「できれば“落下の先”に、私の美意識が耐えられる地面を用意してほしい」


ノーヴァが笑い、ゾフ族が吹き出し、運び屋が小さくため息を吐く。

――このチームの音だ。


僕は、口を開きかけて閉じる。

次。行き先。


「……この先、どこへ行くんですか」


ゾフ族が、串を振った。指示じゃない。ただの癖みたいな動き。


「味方の拠点に戻る」


あまりにあっさり言う。


「補給して、寝て、また動く。

 ここで止まったら、腐る」


ノーヴァが頷く。


「寝るの大事!」


フェッロの男が肩をすくめる。


「腐るのは、あなたの思考よ」


フェッロの女が、焼けた肉を僕のほうへ差し出した。


「ごはん食べてから寝なさい。

  元気の元はお腹からよ。」


僕は、受け取る。

熱い。重い。

生きている重み。


一口かじる。

塩気が舌に広がり、遅れて肉の甘みが来る。

喉が鳴る。自分が飢えていたことに、遅れて気づく。


焚き火がぱちりと鳴った。


運び屋が、僕の反対側に腰を落とす。

翼を畳み、火の光から少し外れた場所に影を作る。


その影が、妙に落ち着いた。


――ここまで来た。

逃げ切った。

追撃はない。


たったそれだけの事実が、

心臓の奥の固いものを少しだけ溶かす。


僕は膝の上の本に手を置いた。

ページは閉じている。

何度も開いた、角の擦れた本。


まだ、開かなくていい。


今は、

ここにいる。


風がまた吹く。

煙が流れ、火が揺れる。


ゾフ族が、肉を齧りながら笑った。


「いい夜だなぁ」


フェッロの男が返す。


「“いい夜”の基準が低すぎる」


フェッロの女が、にやりと笑う。


「生きてるだけで上出来よ。

 基準は、最初から底にあるの」


僕は、息を吐いた。


そして――


本を、閉じた。


音は小さい。

でも、夜の中で、それはやけに鮮明だった。

つづく

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