底から見る
第三十三話
底から見る
低地に、
風が溜まっていた。
盆地の底。
囲まれた拠点。
周囲はなだらかな斜面と、途切れのない林。
見た目だけなら、
逃げ道はあるように見える。
街道が三本、外へ伸びている。
だが、踏み固められているのはそこだけだ。
他は柔らかい土。
砂を含んだ地面。
重心を預ければ、足を取られる。
――人間なら。
「ふん。
つまり、ここは踏ん張れねえってことだろ?」
ゾフ族が軽く地面を蹴る。
乾いた音。
「問題ねえ。
突っ込めば抜けられる」
その言葉に、周囲がざわつく。
ノーヴァ族が鼻先で地面を掻いた。
たてがみが、微かに帯電する。
「森が邪魔だな。
視界が切れる」
フェッロ族の男が、壁に背を預けたまま言う。
「柔らかい地面、
逃げ道は限定。
歓迎されてる感じはしないな」
女のフェッロが肩をすくめる。
「嫌いじゃないわ。
分かりやすい罠って、だいたい退屈だもの」
笑いが起きる。
――魔族の会話は、ここまでだ。
力。
地形。
感覚。
それ以上は、掘らない。
僕は、
その輪の外で、紙を広げていた。
書簡。
報告書。
補給の記録。
どれも、
文字しかない。
図はない。
配置図もない。
ただ、淡々と書かれている。
・包囲を開始する条件
・突破を許した際の対応
・突破を許さなかった場合の動き
一文ずつ。
感情も、比喩もない。
――人が、人を囲むための文章。
喉が、ひくりと鳴る。
「……」
ゾフ族が、ちらりとこちらを見る。
「おい。
なんだその顔」
返事はしなかった。
読めば読むほど、
“逃げ道”という言葉が、消えていく。
突破すれば、
両翼が動く。
突破しなければ、
左右から圧縮される。
包囲は、
固定じゃない。
動く。
囲む側が、
状況に応じて、形を変える。
――人間は、
これを“管理”と呼ぶ。
ノーヴァ族の一体が、低く唸る。
「……なんだ。
空気が変わったな」
フェッロの女が、僕を見た。
「ねえ。
それ、面白い?」
面白くない。
ひどく、
よくできている。
最後の一通。
定期報告の末尾。
そこだけ、
少し筆圧が強い。
空からの攻撃、移動手段は確認されず
警戒は地上に限定してよい
……そこか。
紙を握る指に、力が入る。
運び屋が、
何も言わずに近くへ来た。
視線は紙ではない。
僕の手元でもない。
ただ、
その場に立っている。
「……」
僕は、ようやく顔を上げた。
「普通に突っ込むと、
終わります」
それだけ言った。
説明はしない。
できない。
ゾフ族が、
一瞬きょとんとする。
「は?」
フェッロの男が、鼻で笑った。
「随分と悲観的だな」
ノーヴァ族は、何も言わない。
ただ、たてがみの電光が、静かに消えた。
運び屋が、
低く、短く言う。
「……続けろ」
その声に、
場が静まる。
僕は、
懐に手を入れた。
自分の本に、触れる。
「……まだ、他にもあります」
僕は一度、息を吸い、
それから、
自分の本を開いた。
つづく




