心を置く
第三十二話
心を置く
合図は、
ゾフ族の一声だった。
高く、乾いた鳴き声が、
壊れかけた拠点に響く。
「おーい!
集まれ集まれ!」
軽い。
だが、迷いがない。
その声に応じて、
周囲の影が動く。
ノーヴァ族が、
瓦礫の向こうから現れる。
たてがみを揺らし、
足取りは荒い。
「なんだなんだ」
「また面倒か?」
「腹減ったぞ」
好き勝手に言いながら、
しかし円の外には出ない。
亜人種のフェッロ族が二体、
ほぼ同時に姿を見せた。
一体は男。
壁に背を預け、腕を組む。
もう一体は女。
足を組み、視線だけで場を見渡す。
「で?」
男が言う。
「今日は何を壊す?」
女が口角を上げる。
「壊す前提なのね。
嫌いじゃないけど」
ゾフ族は、
嘴を鳴らして笑った。
「いや、今日は壊される前の話だ」
ノーヴァ族が、
一斉に顔を上げる。
ざわり、と空気が揺れた。
僕は、
少し離れた場所で、
紙束を抱えていた。
人間の文字。
整いすぎた書式。
何度も見返しているのに、
頭が追いつかない。
ここは低い。
逃げ場がない。
それなのに――
人間側は、
“落ちる前提”で動いている。
理解すればするほど、
喉が渇く。
「おい」
ゾフ族が、
こちらを振り返る。
「その紙、
そんなに面白いのか?」
答えられない。
フェッロ族の女が、
ちらりと僕を見る。
「顔色悪いわね」
「吐くなら外でお願い」
ノーヴァ族の一体が、
地面を踏み鳴らす。
「難しい話はいいからさ」
「敵が来るか、来ねえかだろ?」
ゾフ族が、
その言葉を遮った。
「来る」
「それも、上からだ」
軽口だった声が、
一段落ちる。
フェッロ族の男が、
目を細めた。
「……根拠は?」
ゾフ族は、
僕を見る。
「こいつの顔だ」
全員の視線が、
一斉に集まる。
逃げ場がない。
僕は、
紙を握りしめた。
「……ここは、
中継拠点です」
声が、
思ったよりも小さい。
「落ちることを前提に、
物資と人員が集められてる」
ノーヴァ族が、
首を傾げる。
「つまり?」
「囲まれる」
「上を取られて」
言葉にした瞬間、
背筋が冷えた。
フェッロ族の女が、
静かに息を吐く。
「最低ね」
男が続ける。
「でも、
人間らしい」
ゾフ族は、
しばらく黙っていた。
嘴を閉じ、
地面を見ている。
そして。
「……あー」
短く、
間抜けな声。
「ここ、底だな」
その一言で、
ノーヴァ族の空気が変わる。
笑いが止まり、
足が止まる。
本能が、
理解した。
「……マズいな」
「逃げ道、ねえ」
僕は、
紙を見下ろした。
分かっている。
でも、
どうすればいい?
考えれば考えるほど、
迷走する。
運び屋が、
いつの間にか、
すぐ隣に立っていた。
嘴が、
紙の端に、
とん、と触れる。
「焦るな」
低い声。
「こいつらは強い。
間違いなくな」
一呼吸。
「だから――
お前は引き出せ」
風が、
わずかに吹いた。
「繋げ。
それが、お前の役割だ」
その瞬間。
胸の奥で、
何かが、
決まった。
これは、決意じゃない。
逃げでもない。
ただ――
信じると決めた。
僕は、
紙を取り上げ、
顔を上げた。
そして、
一つの道を選ぶ。
つづく




