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空の下

第二十八話

空の下


風は、

高いところでは音を持たない。


羽の振動も、

空気を裂く感触も、

すでに感覚として身体に馴染んでいた。


下を見ると、

大陸はまだ続いている。


森。

谷。

乾いた平原。


どこも、

生きてはいるが、

息を潜めているように見えた。


集落は、点だ。

小さく、脆く、

いつ消えてもおかしくない痕跡。


火は少ない。

動く影も少ない。


「……静かだろ」


背後から声が落ちてくる。


運び屋だった。


風を切る音に紛れて、

それでもはっきり届く声。


「空から見ると、

 どこも同じに見える」


言葉を選んでいない。

慰めでもない。


「だから、下に降りる」


高度が、

ゆっくりと落ちていく。


翼が角度を変え、

風の流れが変わる。


遠くに、

崩れた城壁が見えた。


かつて、

人が使っていた形。


石の配置。

道の幅。

意味の残骸。


今はもう、

別のものに使われている。


壁は補修されていない。

門も閉じていない。


だが、

近づくにつれて分かる。


ここは、

捨てられてはいない。


影が動く。


四足のもの。

二足のもの。

羽を持つもの。


魔族だ。


それぞれが、

それぞれの役割で動いている。


荷を下ろす者。

傷を運ぶ者。

見張る者。


誰も、

声を上げない。


必要以上の動きもない。


「ここは、

 交換地だ」


運び屋が言う。


「物資。

 情報。

 時々、道」


下方から、

風が巻き上がる。


焚き火の煙。

獣の匂い。

鉄の擦れる音。


戦場ではない。

だが、平和でもない。


生き延びるための場所。


「人は、いない」


その言葉は、

確認だった。


「ここに来るのは、

 同じ側のやつだけだ」


高度がさらに下がる。


翼が、

一度だけ大きく広がった。


着地。


石の上に、

確かな重さが伝わる。


周囲の視線が、

一瞬だけ集まる。


敵意はない。

好意もない。


値踏みだけだ。


運び屋は、

翼を畳むと、

首だけで周囲に合図を送る。


返事はない。

だが、動きは再開する。


「降りるのは、

 ここまでだ」


そう言って、

こちらを振り返る。


「この先は、

 歩くやつの世界だ」


空を見上げると、

雲が流れていた。


さっきまで、

そこにいたはずなのに。


「……怖いか」


問いではない。


「空は、

 逃げられる」


運び屋は続ける。


「だが、

 地面は、

 逃がさない」


砦とは違う。


守られていない。

だが、ここには――

選んで残った者たちがいる。


「覚えておけ」


低い声。


「上から見える世界と、

 下で生きてる世界は、

 同じじゃない」


風が、

地面を這う。


もう、

背中はない。


ここから先は、

足で進む場所。


それでも――

空の感覚は、

まだ、身体の奥に残っていた。


見てしまった。


広さを。

静けさを。

終わっていない場所を。


空から見た世界は、

やさしくはなかった。


だが、

嘘もついていなかった。


運び屋は、

再び空を見上げる。


「……次に飛ぶときは、

 もう少し遠くだ」


それだけ言って、

翼を休めた。


風は、

まだここにある。


だが、

もう、

ただ運ばれるだけではいられない。


世界は、

下にあった。

つづく

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