灯りの続く場所
第十八話
灯りの続く場所
昼の砦は、思ったよりも静かだった。
朝の慌ただしさが過ぎ、
それぞれが自分の役割に戻ったあとの、
少しだけ気の抜けた時間。
僕は、二度目の眠りから目を覚まして、
しばらく天井を見ていた。
体は軽くない。
けれど、重さの質が違う。
昨日の夜が、
まだ体の奥に残っている。
起き上がり、水を飲み、
気づけば足が向いていた。
理由は、はっきりしない。
ただ――
確認しなければならない気がした。
ハク族の区画は、
昼の光が差し込むように作られている。
母親は、起きていた。
横になったまま、
ゆっくりと呼吸を整えている。
そのすぐそばで、
小さな影が動いていた。
生まれて、まだ半日ほど。
それでも、
四本の足で立っていた。
ふらつきながら、
転びそうになり、
それでも踏ん張って、また一歩。
母親が、低く、やわらかく声を鳴らす。
合図のような、
確かな音。
赤子は、その声を聞いて向きを変えた。
そして――
僕のほうへ来た。
足取りは不安定で、
一直線でもない。
それでも、迷わない。
鼻先が、僕の足に触れる。
匂いを確かめるように、
短く息を吸い、
そのまま、すり、と身体を寄せてきた。
僕は、動けなかった。
どう触れていいのかも、
離れるべきかも、分からない。
背後で、気配がした。
「感謝してるのよ」
主任だった。
昼の光の中でも、
その声は落ち着いている。
「助けた相手を覚えるの。
ハク族は、そういう種族」
母親が、もう一度声を鳴らす。
今度は、はっきりと。
肯定の音だった。
僕は、ゆっくりと息を吐いた。
胸の奥で、
何かが、ほんの少しだけ形を持つ。
誇らしさじゃない。
達成感でもない。
ただ――
確かに、ここに在ったという感覚。
主任は、それ以上何も言わなかった。
赤子は、しばらく僕のそばにいて、
やがて母親のもとへ戻っていく。
僕は、その背中を見送りながら、
小さく、手を握った。
昨日の夜、
灯りは消えなかった。
その続きが、
昼の光の中にも、確かにあった。
しばらくして、
ほんのわずかな破裂音が混じった。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
乾いた音。
僕の位置から見えるのは、
高台にいるシャル族の姿だけだった。
葉と棘が、
風を裂いてどこかへ飛んでいく。
狙いは見えない。
音も、すぐに消えた。
主任は、振り返らない。
「たまに、あるのよ」
歩みを止めずに言う。
「人間が、ここまで入り込むことが」
声は落ち着いている。
「でも、大丈夫。
追い返してるだけ」
棘の飛ぶ間隔が、一定になる。
「大きな怪我をさせると、報復に来る。
それは、誰より守護者が知ってるわ」
砦の中は、変わらない。
誰も走らない。
誰も武器を取らない。
日常の延長で、
外側だけが、少しだけ削られる。
「ここは、そういう場所」
主任は、そう締めた。
守られる側が、
守られていることを意識しない。
それが、
この砦の当たり前だった。
だからこそ、
音が止めば、
日常は何事もなかったように戻る。
砦の広場は、いつもと変わらなかった。
誰かが水を運び、
誰かが火を整え、
誰かが眠っている。
さきほどの音の痕跡も、
ここまでは届いていない。
主任は歩きながら、
ふと足を止めた。
「……ねえ」
呼ばれて、
僕も立ち止まる。
主任は、
広場をぐるりと見渡した。
「ここに集まる者たちは、
戦えなくなった者や、
戦うことを選ばなかった者が多いわ」
責める調子ではない。
事実を並べる声。
「だから、
ここでは“使われなかったもの”が、
たくさん残る」
視線が、
砦の内側――
奥へ向く。
「力にならなかったから、
忘れられたもの」
一拍。
「でも、
無意味だったとは限らない」
僕は、
何も言えなかった。
ただ、
懐の重みを、
無意識に確かめていた。
主任はそれに気づいたのか、
気づかなかったのか。
それ以上は、
何も言わなかった。
つづく




