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文字のある場所

第十五話

文字のある場所


目が覚めたとき、

天井は知らない色をしていた。


石だ。

削られたままの、無骨な石。


それでも崩れる気配はなく、

ここが「守られる場所」なのだと分かる。


体を起こすと、

毛布がずり落ちた。


……暖かい。


それだけで、

胸の奥に張り付いていた緊張が、少しだけ緩んだ。


部屋は狭い。

寝床と、壁際の棚。


それ以上は何もない。


――いや。


棚の上に、

積まれているものがあった。


紙。

綴じられた紙。


本だ。


思わず近づき、

一冊を手に取る。


人間の文字だった。


魔族の記号ではない。

刻印でも、象形でもない。


線で組まれた、

あの、文字。


胸が、わずかにざわつく。


内容は分からない。

ぱっと見ただけでは、戦術書か物語かも判別できない。


それでも、

「人の書いたもの」だと分かる。


懐に手をやる。

いつもの場所に、

あの本がある。


擦り切れた表紙。

何度も読み返した、英雄譚。


それがここにあることが、

今は不思議なほど心強かった。


ページをめくる。


一行。

また一行。


読める。


内容は、

どうやら物語らしい。


剣も魔法も出てこない。

誰かが旅をして、

誰かと出会い、

何かを失うだけの話。


――それなのに。


気づけば、

夢中になっていた。


声に気づかなかったのは、

そのせいだ。


「……起きてたのね」


顔を上げると、

入り口に、人に近い姿の魔族が立っていた。


ネム族。

昨日、広場で会った個体だ。


「もう少し寝てると思ってたけど」


そう言って、

部屋の中を見回す。


棚。

本。

それから、僕の手元。


「……それ、読めるの?」


問いは短い。

だが、興味は隠していない。


「はい」


答えると、

ネム族は少しだけ目を細めた。


「そう」


それ以上は追及しない。


「ここね」


彼女は言った。


「文字がいっぱい置いてあるのよ。

 意味は分からないけど、数だけはある」


「あなたみたいなのが来るときのために、

 捨てずに置いてるだけ」


“読める者のため”ではない。

“使えるかもしれないから残してある”。


その距離感が、

この砦らしかった。


「ついてきなさい」


通路を進む。


砦の中は静かだ。

けれど、空ではない。


足音。

物を運ぶ気配。

遠くで交わされる短いやり取り。


戦う者も、

戦えない者もいる。


誰も僕を見ない。

だが、

誰も追い払わない。


やがて、

一つの扉の前で止まる。


分厚いが、古い。

削れ、欠け、

それでも開け閉めはされている。


掃除はされているが、

整えられてはいない。


「ここ」


ネム族は言った。


「戦う場所じゃないわ」


扉を押す。


中に広がっていたのは――


棚。

棚。

棚。


壁際に並べられた、

無秩序な書物。


積み上げられた紙束。

崩れかけたまま放置された箱。


整理されていない。

分類もされていない。


けれど――


確かに、

文字がある。


人間の文字が、

ここに残されている。


息を、忘れた。


驚いたのか。

嬉しかったのか。


分からない。


ただ、

胸の奥で、何かが静かに広がっていく。


ネム族は、

それ以上中に入らず、入口で立っていた。


「無理に何かしなくていいわ」


「今は、

 ここにいるってことだけ覚えときなさい」


「休むのも、

 考えるのも、

 生き延びる側の仕事だから」


そう言って、

背を向ける。


一人、残された。


僕は、

もう一度棚を見回した。


――ここに、文字がある。


その事実だけで、

世界が少し、違って見えた。


まだ何も変えられない。

けれど。


変えられるかもしれない場所が、

確かに、ここにあった。


僕は一歩、踏み出し、

最も近くの棚へと手を伸ばした。

つづく

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