生き延びた、その先で
第九話
生き延びた、その先で
朝は、静かに来た。
昨日までの戦場が嘘のように、
集落には音が戻っている。
焚き火の爆ぜる音。
水を汲む音。
土を踏み固める足音。
生きている音だ。
――足りないものも、あった。
重い足取り。
低く太い笑い声。
無遠慮に肉を引き裂く音。
それが無いことを、
誰も口にはしなかった。
僕は少し離れた場所で、
干し肉をかじっていた。
硬い。
味も薄い。
それでも、
昨日よりは、うまく感じる。
噛み切れずにいると、
視線を感じた。
グラウンドルだ。
「……歯、弱いな」
「慣れてないだけ」
そう言うと、
グラウンドルは短く息を吐いた。
ブルード達が居た頃なら、
何も言わずに、
肉を裂いて渡していただろう。
そのことを、
誰も言葉にしない。
集落のあちこちで、
小さな声が交わされていた。
グラウンドル達は、
転がした岩の位置を巡って言い合っている。
「もう少し高ければな」
「次は、二列にするか」
スカーミル達は、
影の落ち方を指差しながら、
素早く意思を交わしている。
モル=ティアは、
高台の縁に腰を下ろし、
魔法で焦げた岩を見つめていた。
「……割れ方が、悪かった」
独り言のような声。
それでも、
周囲の誰かが頷く。
昨日までは、
無かった光景だった。
それぞれが、
それぞれで生きていた。
今は――
同じものを失い、
同じ場所に立っている。
僕は、本を開いていた。
また、同じ頁。
擦り切れた角を押さえ、
指で行をなぞる。
「まだ読むのか」
スカーミルだった。
「覚えてるだろ」
「覚えてるけど……」
言葉を選ぶ。
「……確かめてる」
スカーミルは肩をすくめた。
「変なの」
そう言いながら、
本から目を逸らさない。
「でも……」
少し間を置いて、
「昨日のは、
お前のやり方だった」
その一言で、
胸の奥が、わずかに熱くなった。
それから、数日が過ぎた。
人間は、来なかった。
誰も口にはしないが、
それだけで、空気は変わる。
罠はそのまま残り、
岩も動かされず、
見張りは続けられる。
完全に気を抜く者はいない。
「次は来る」
その前提だけは、
誰の中からも消えなかった。
それでも――
生きている時間が、戻ってくる。
食事の回数が増え、
火が長く焚かれ、
言葉が増える。
「ここは、どうする」
グラウンドルが、
岩の配置を指して聞いてきた。
僕は、本を開く。
「……この角度なら、
転がらない」
言い終わる前に、
グラウンドルはもう動いていた。
誰も、
それを不思議には思わない。
夜。
焚き火がいくつも灯る。
酒は無い。
温めた水を回す。
誰かが、
戦いを口にしかけて、
やめる。
代わりに、
影の話をする。
岩の話をする。
誰も、
ブルード達の名を出さない。
それでも――
彼らが前に出なければ、
この輪は無かった。
僕は、焚き火の外で、
本を抱えて座っていた。
まだ、手放せない。
でも、
昨日より少しだけ、
視線を上げている自分がいる。
火の揺らぎが、
紙面を照らす。
何度も読んだ文字。
弱き者が、
知恵を集め、
強き敵に抗う物語。
視線が、
自然と表紙に落ちる。
擦れた文字。
短い題名。
僕は、それを、
もう一度、読み直した。
ARK
つづく




