第二章:二人の逃避行 中編
目が覚めると、昼過ぎだった。
「エリシア...」
見ると、エリシアは木に寄りかかって、眠っていた。
結局、一人で見張りを続けていたらしい。
「...起こさないと」
そう思った時、森の奥から音がした。
ガサガサと、何かが近づいてくる。
「っ...」
ラケットを握る。
茂みが揺れ、そして——
「グルルル...」
狼のような魔物が現れた。
いや、狼よりずっと大きい。牙も、爪も、鋭い。
魔物だ。
初めて見る、本物の魔物。
訓練場の木人形とは、まるで違う。
「...っ」
心臓が、激しく鳴る。
魔物は、俺を睨んでいる。
獲物を見る目だ。
「エリシア...起きて」
小声で呼びかけたが、エリシアは起きない。
魔物が、じりじりと近づいてくる。
「...くそ」
ラケットを構えた。
卓球の構え——レシーブの姿勢。
魔物が、飛びかかってきた。
「うわっ!」
咄嗟に体を捻る。
魔物の牙が、俺の肩をかすめた。
「痛っ...!」
でも、致命傷じゃない。
魔物が、再び襲ってきた。
今度は、構えることができた。
「カット!」
魔物の爪が、ラケットに当たる。
ガキン、という音。
爪が、ラケットに弾かれた。
「...防げた」
エリシアの魔法と同じだ。
魔物の攻撃も、「カット」で受け流せる。
でも——
魔物は、怯まない。
何度も、何度も襲いかかってくる。
「カット!カット!」
必死に受け流すが、体力が削られていく。
このままじゃ、ジリ貧だ。
攻撃しないと——
「サーブ!」
ラケットを振る。
光の球が、魔物に向かって飛んだ。
魔物の体に当たり——
「グルル!」
魔物が、怯んだ。
ダメージは入った。でも、まだ倒せない。
「もう一発!」
「サーブ!」
もう一度、光の球を放つ。
今度は、魔物の頭に直撃した。
「ギャウン!」
魔物が、倒れた。
動かない。
「...やった」
勝った。
初めて、魔物を倒した。
「楽間さん!」
エリシアが、飛び起きた。
「大丈夫ですか!?」
「あ...なんとか」
足の力が抜けて、その場に座り込んだ。
「すみません...私、寝てしまって...」
エリシアが、慌てて駆け寄ってくる。
「怪我は!?」
「肩を、少し...」
エリシアは、俺の肩を見て、すぐに魔法を唱えた。
「ヒール...」
温かい光が、肩を包む。
痛みが、引いていく。
「...ありがとうございます」
「こちらこそ...ごめんなさい」
エリシアは、申し訳なさそうにしていた。
「でも...楽間さん、すごいです」
「え?」
「魔物を、一人で倒したんですよね?」
「...まあ、はい」
「すごい!」
エリシアは、目を輝かせた。
「楽間さんの力、本物じゃないですか!」
「でも...必死でしたよ」
「それでも、勝ったんです」
エリシアは、嬉しそうに笑った。
「これなら、きっと大丈夫。私たち、やっていけます」
その笑顔に、俺も少しだけ自信が持てた。
そうだ。
俺は、戦える。
まだまだ未熟だけど、でも——
戦える。
森を抜けて、街道に戻った。
そこから、さらに北へ歩く。
途中、行商人とすれ違った。
「おや、旅の方ですか?」
「はい」
エリシアが答えた。
「北の村に向かっているんです」
「北の村...ああ、グリーンヒルですか」
行商人は、心配そうな顔をした。
「あそこ、最近魔物が出るって聞きましたよ。大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
エリシアは、にっこりと笑った。
「私たち、魔物退治に行くんです」
「え...若いのに、感心ですね」
行商人は、少し驚いたようだった。
「気をつけてくださいね」
「ありがとうございます」
別れ際、行商人は俺たちに干し肉と水をくれた。
「お礼に」と言っても受け取らず、「困った時はお互い様ですから」と笑って去っていった。
「...いい人でしたね」
「はい」
エリシアは、嬉しそうだった。
「こういう人たちが、辺境で頑張ってるんです」
街道を進むうち、日が傾いてきた。
「今夜は、野宿ですかね」
「そうですね。明日の昼には、村に着けるはずです」
エリシアは、地図を確認していた。
街道脇の開けた場所で、野営の準備をする。
といっても、簡単なものだ。焚き火を起こして、行商人にもらった干し肉を食べる。
「楽間さん、今日は本当にすごかったです」
焚き火を挟んで、エリシアが言った。
「魔物を倒すなんて...もう立派な冒険者ですよ」
「いや...まだまだです」
「謙遜しないでください」
エリシアは、真剣な顔で言った。
「楽間さんがいなかったら、私たちは今頃...」
「エリシアの回復魔法がなかったら、俺も危なかったです」
「それは...」
「だから、お互い様ですよ」
俺は、エリシアの言葉を真似て言った。
エリシアは、少し驚いたように俺を見て、それから微笑んだ。
「...そうですね。お互い様です」
焚き火の炎が、二人の顔を照らす。
「でも、本当に...楽間さんと一緒で、よかった」
エリシアは、空を見上げた。
「一人だったら、きっと怖くて城を出られなかった」
「俺もです」
正直に答えた。
「エリシアがいなかったら、俺も城で腐ってたと思います」
「じゃあ、私たち、いいコンビですね」
「...そうですね」
しばらく、二人で黙って炎を見ていた。
「明日、村に着いたら...何をしましょう」
エリシアが、聞いた。
「魔物退治、ですよね」
「はい。でも、どんな魔物が出るのか...」
「分かりません。でも」
俺は、ラケットを見た。
「なんとかします」
「...はい」
エリシアは、頷いた。
その夜、俺たちは交代で見張りをしながら眠った。
幸い、魔物は現れなかった。




