その後
彼がやっと都に戻った時、そこには香辛料と花の匂いが溢れていました。
ああ、もうそんな季節か、と彼は思いました。
ここを旅立ってからやっと九ヶ月がたち、巡礼から戻ってこられたのです。
都のなかではホーリー祭がおこなわれていました。
町中で花と泥水と色粉を投げつけ合う、その姿はめでたいことではあるのですが、巡礼用の旅装束が汚れるのは困ります。
第一、一刻もはやく家に帰りたかったのです。
彼は新婚ながら、新妻のたっての頼みで長旅をしてきたのですから。
初夜も潰れてしまったので、今夜したいと思っていたのに、泥水で汚れてしまってはたまりません。
彼は賑やかな表通りを避けて、すこし遠回りですが小道を通ることにしました。
三つ目の曲がり角は、大通りと交わっていました。
その中で、人混みの奥にすこし浮いた明るい髪の後ろ姿が目を引きました。
それは、いとしの妻とよくにていました。可憐な少女はいま、家の中で町の賑やかさに耳を澄ましているのでしょうか。
いや、天真爛漫な彼女のことです。もしかしたら、町に出て祭りを楽しんでるのかもしれません。
(だとしたらいけない女だ。夫を待ちもせず、外に出て顔をさらしているなんて、妻の風上にも置けない。)
そう思い、改めてその人影をみれば、まさしくその妻本人のように見えました。
少し脅かしてやろうと、彼は通りの中に足を踏み入れた、その時のことです。
亜麻色の髪の持ち主が、こちらを振り返りました。
それは確かに、妻のムリガーンカヴァティーでした。
サリーではなく、からだの線が出にくいゆったりとした外套のようなものを着ていましたが、胸元の豊かさは隠しようがありません。
彼女は彼に向かって手を振りました。
彼がそちらに向おうとしたとき、人混みに飲まれてその姿が見えなくなりました。
人混みが引いて、その姿が再び現れたとき、彼女はその姿を変えていました。
彼より頭一つ分低かったはずの身長は、彼よりも高いぐらいに、豊かだった胸元は平坦だが厚い筋肉質なものに、可憐だった顔は凛々しさを帯び、薄くひげすらはえていました。
男になっていたのです。
他人の空似というにはあまりにも似ていましたが、同じ人ということはできません。
その男は秘密、とでもいうように人差し指を立てて、口のあたりに添えました。風が吹いて、亜麻色の髪が揺れます。
鮮烈な花の香りがしました。茉莉花のような少し甘い香りでした。
そして、その仕草は彼女にとてもよく似ていて、彼はその男はムリガーンカヴァティー本人だとわかってしまったのです。
辺りの喧騒が耳に戻った時には、その男はまた人混みに紛れて消えてしまっていました。
ようやく正気に戻り、泥のつくのも厭わす慌てて家に帰りましたが、家はもぬけの殻で、妻二人ともどこにもいなかったのです。




