第43話 命の代償、静寂の終焉
再び放たれた封印魔法が、ヒュドラの動きを縛りつけた。
──時が止まる。
世界が、息を潜める。
霧の向こう、巨体のヒュドラが呻くように音を立てながらも、魔法陣の拘束に抗えずに動きを鈍らせていた。
魔力が足りなかったはずのルーファスは、今や第二陣の魔法を構築しながら、悠然と立っていた。
(……これが、グリュン様の命の時間)
その重みを、ルーファスは誰にも語らず背負う。
「──発動まで、あと十秒。援護をお願いします」
「任せて!」
ユイが前に出る。
契約で得た再構成の力が、また一段階進化し始めていた。
体内に流れる魔力が共鳴し、銀の光がその小さな身体を包む。
霧氷の中に咲く、静かな光。
「《再構成・逆位干渉》!」
ユイが手をかざすと、ヒュドラの紋章が反応したように蒼く脈動した。
構造を“解析”した──
そこが確かに“供給点”であるという証拠。
「ルーファス、あそこ!」
ユイが示した空間座標に、魔法陣がぴたりと重なる。
「感謝いたします──では、撃ちます」
ルーファスの足元から、時間魔法の陣が炸裂した。
「時の楔よ、束ねた因果を断て。
この地に生まれし終端、永久の静止を与えよ──」
彼の詠唱は、もはや“歌”のようであった。
荘厳に、静かに、すべてを終わらせる言葉。
「──《時間断絶陣》!」
空間が、崩れた。
魔法陣から放たれた光が、ヒュドラの中心部へと突き刺さる。
そして、紋章が“逆流”を始めた。
本来、供給されるはずの魔力が一瞬で遮断され、魔力線がねじ切られる。
空間の裏側で、かすかに何かが“消える”音がした。
「……よし、断った!」
ユイが叫んだ。
封印魔法の中心、蒼い核がヒュドラの胸部で“砕け”──
次の瞬間。
ヒュドラの五つの首が、同時に崩れ落ちた。
断末魔の咆哮すら発せられず、再生する暇すら与えられないまま、
それは氷の塵となって地に崩れ落ちていった。
「やった……!」
ルミがその場に膝をつく。
空気が、緩む。
張り詰めていた魔力が、一気に霧とともに静かに引いていく。
フロストヒュドラ──Aランク魔物。
この迷宮最大の敵は、今、完全に沈黙した。
──沈黙のあと。
「ルーファス!」
ユイが駆け寄る。
魔法を二連続で行使したはずの彼は、やはりその代償に膝をついていた。
「……大丈夫、です。ご心配には……及びません……」
「だって、あんな魔法……っ!」
「心配性ですな、ユイ様は」
ルーファスは静かに笑う。
その笑顔は、少しだけ……寂しげだった。
ルミがふと、目を細める。
「……本当に、何も“代償”はないの?」
ルーファスは、答えない。
だがその沈黙が、すべてを物語っていた。
(私は、ただの分身……。この身は魔力の器──代わりに支払われたのは、“主”の命)
声に出すことなく、胸の奥でだけつぶやく。
ユイとルミには、知らせない。知らせてはいけない。
これは、己と主との“契約”だから。
「……さ、帰りましょう。10階層へと──“本当の出口”へ向かうのです」
ルーファスが立ち上がる。
再び微笑みながら、ユイたちを先へ促す。
だが、その背は──少しだけ、揺れていた。
(主よ……私は、あなたの期待に、応えられたでしょうか)
問いかけは、風に溶けていく。
そして、三人は歩き出す。
氷と霧の終わりを越えて、新たな物語の一歩を刻むために。




