第40話 氷牙の咆哮
霧氷の迷宮──第十階層。
そこは、九階層までとは全く異なる空気に支配されていた。
霧は濃く、音も凍るような沈黙が漂い、視界は常に十数メートル先までしか届かない。
「……気温、さらに下がってる。息、白いってレベルじゃない……」
ユイが吐く息が一瞬で霧氷となって舞う。
まるで空間そのものが、凍結という名の牢に閉じ込められているかのようだった。
先頭を歩くのは、擬人化したルミ。背中には氷の紋様が浮かび、足元には霜が走る。
そして後方には、ルーファスが緊張した面持ちで魔力探査を行っていた。
「……妙ですな。構造が、ほとんど“動かない”。まるで、この層だけ“静止”しているかのような……」
その言葉に、ユイの胸がどくん、と脈打った。
(止まってる……? なんだろう……胸の奥が、ずっと前から変な感じがする)
契約を結んだ日から、ずっと抱えていた“違和感”──体の奥に渦巻く何か。
言葉にできないまま、それが今、ざわついていた。
──ギシャッ。
乾いた足音。霧の向こうから、確かな“気配”が迫る。
「来る!」
ルミが叫ぶより早く、氷柱の間から現れたのは──
「……フロストリザード……」
ユイが呟く。
背丈は三メートル近く、全身が凍結鱗に覆われた冷気の使い手。
氷魔法に特化した高硬度の爬虫型魔物。Bランク、だが通常の個体とは明らかに“何か”が違っていた。
背の中心部──心臓部に近い位置に、奇妙な刻印のようなものが刻まれていた。
「……紋章?」
ユイの目がそれを捉えた瞬間──
フロストリザードが咆哮を上げ、五メートル近くジャンプする。
「くるっ!」
ユイが地を蹴る。ルミが滑るように立ち塞がる。
「《氷盾・結界壁》!」
氷の防壁が前方に展開され、衝撃を受け止める。
直後、ルミが氷刃を一閃──擬人化形態のまま、鋭い斬撃で敵の前足を切り裂いた。
「……効いてない……!?」
血は出た。だが、その傷がすぐに凍って“自己修復”を始めていた。
「再生能力……?」
ルミが目を細めた瞬間、ユイが叫んだ。
「来る! こっちにも!」
左右から追加のフロストリザードが現れた──合計三体。
「分散して各個撃破ですな! ユイ様、援護を!」
「うん!」
ユイは杖を構える。契約後、より明確に感じるようになった“魔力の核”が今、じわりと熱を帯びる。
(この中……なんだろう……ずっと、奥に何かがいる……)
背骨の奥。心臓と胃の間。そこに何か、冷たくて強い魔力の塊がある。
まるで──“何かを呼び起こせ”と言っているように。
「ユイ、後ろ!」
ルミの警告と同時、ユイが杖を回す。
「《再構成・展開》!」
空間に広がる透明な盾──その数、五枚。
自動配置された魔力障壁が敵の突撃を食い止める。
「いける!」
思わず声が出た。だが、その時──
目の前のフロストリザードの紋章が、蒼く光った。
「魔力増幅……!? 供給源がある……!」
ルーファスの顔色が変わる。
次の瞬間、三体のフロストリザードの身体が、蒼白い光に包まれ始めた。
「なにこれ……!?」
骨が伸び、鱗が割れ、背中が裂け──そこから、さらに別の首が生えていく。
「っ──ユイ、離れて!」
ルミがユイを抱えて跳躍。
目の前で爆ぜるように変化を終えたのは──
──五つの頭を持つ、巨大な氷竜。
《フロストヒュドラ》。Aランク。
この迷宮で想定されていた“最終兵器”だった。
「Aランク!? おいおい、話が違いますぞ……っ!」
「これは……想定外……!」
ルーファスが本気で魔力探査を開始する。
その顔には、もういつもの軽さはなかった。
──霧氷の迷宮、最終層。
本当の地獄が、ここから始まる──。




